132 / 165
エストニア 『ザ・ヒドゥンビューティ』
132話
しおりを挟む
アトリエの外では、興奮がまだ冷めやらない人々が夜の街を闊歩する。これから踊りに行こうか。飲みに行こうか。いつもなら早く閉まる店も、今日は深夜まで営業中。防音のガラスを隔てた店内では、雑踏が嘘のように深々と淡い雪が降り積もる。
約三分ほどの短い曲。うん、いい感じ。調律も演奏も。しっとりと弾き上げた、いや、ピアノを歌わせたランベールは「寝たか?」と鍵盤蓋を閉じようとした。その時。
「どいて」
「うおっ!」
唐突に背後から声をかけられたランベールは、咄嗟にイスから立ち上がり身構える。寝たんじゃなかったのかよ、と言いたいのだが、肺から息が漏れるのみ。
「どいて。天屋根と上前パネル、鍵盤蓋とか。弱音。全部外して」
不機嫌にサロメは命令。お願いではなく、命令。アシスタントとして初対面の男を使おうとしている。
それには流石にランベールも「はぁ?」と怒りを隠さず一歩近寄る。
「なに言ってんだお前。調律でもする気か?」
寝るんじゃなかったのか? 気分屋すぎる。
「そう。調律する」
あっさり。決定事項としてサロメは、勝手にその場にあるチューニングハンマーなどを拝借。手に馴染まないが、特に問題はない。
「おい、それ俺の——」
と言いかけたところで、言葉が途切れる。
サロメの視線。アップライト。ルービックキューブのように、彼女の中で立体的に音律が組み変わる。
ランベールは背筋がゾクッ……とした。目の前の少女が自身の体を貫通して、その先のピアノを覗き込んでいるような、そんな圧力。自分よりもひと回り小さなその体に気圧される。
「なに?」
ブツブツと口を動かしながら、サロメは「早く」と急かす。
「……」
調律させてもらったピアノ。それにケチをつけてきた。もちろん、自分の腕前がまだまだであることは、ランベールが一番理解している。ならば。
「……わかった、やってみろ」
非常に癪ではあるが、言われた通りにアップライト用の外装、そして内部にあるマフラーペダル用の弱音フェルトも外す。調律のお膳立てをし、後ろに下がった。
(これといって特別に濁りなどもなかった。ペダルも滞りない。さて、どう調律するつもりだ?)
販売店での試弾であれば、問題ないはず。レダやルノーなら、と考えたが答えは出ない。お手並み拝見する。
「……」
ほんのりと眠そうな眼でサロメはチューニングハンマーを睨む。が、ロングフェルトを取り出し、弦に噛ませる。こうすることで、ひとつの鍵盤に複数本張られている弦の、真ん中以外が鳴らなくなる。この一本の正しい音をどんどんと鍵盤全体に広げていき、複数ある弦をユニゾンして調和、というのがおおまかな流れ。
基音となる『ラ』を音叉で四四〇ヘルツに合わせ、ピンにハンマーをかけて回すと、すぐに次へ。微細な動きだが、一瞬で終わらせるとさらに次。
約三分ほどの短い曲。うん、いい感じ。調律も演奏も。しっとりと弾き上げた、いや、ピアノを歌わせたランベールは「寝たか?」と鍵盤蓋を閉じようとした。その時。
「どいて」
「うおっ!」
唐突に背後から声をかけられたランベールは、咄嗟にイスから立ち上がり身構える。寝たんじゃなかったのかよ、と言いたいのだが、肺から息が漏れるのみ。
「どいて。天屋根と上前パネル、鍵盤蓋とか。弱音。全部外して」
不機嫌にサロメは命令。お願いではなく、命令。アシスタントとして初対面の男を使おうとしている。
それには流石にランベールも「はぁ?」と怒りを隠さず一歩近寄る。
「なに言ってんだお前。調律でもする気か?」
寝るんじゃなかったのか? 気分屋すぎる。
「そう。調律する」
あっさり。決定事項としてサロメは、勝手にその場にあるチューニングハンマーなどを拝借。手に馴染まないが、特に問題はない。
「おい、それ俺の——」
と言いかけたところで、言葉が途切れる。
サロメの視線。アップライト。ルービックキューブのように、彼女の中で立体的に音律が組み変わる。
ランベールは背筋がゾクッ……とした。目の前の少女が自身の体を貫通して、その先のピアノを覗き込んでいるような、そんな圧力。自分よりもひと回り小さなその体に気圧される。
「なに?」
ブツブツと口を動かしながら、サロメは「早く」と急かす。
「……」
調律させてもらったピアノ。それにケチをつけてきた。もちろん、自分の腕前がまだまだであることは、ランベールが一番理解している。ならば。
「……わかった、やってみろ」
非常に癪ではあるが、言われた通りにアップライト用の外装、そして内部にあるマフラーペダル用の弱音フェルトも外す。調律のお膳立てをし、後ろに下がった。
(これといって特別に濁りなどもなかった。ペダルも滞りない。さて、どう調律するつもりだ?)
販売店での試弾であれば、問題ないはず。レダやルノーなら、と考えたが答えは出ない。お手並み拝見する。
「……」
ほんのりと眠そうな眼でサロメはチューニングハンマーを睨む。が、ロングフェルトを取り出し、弦に噛ませる。こうすることで、ひとつの鍵盤に複数本張られている弦の、真ん中以外が鳴らなくなる。この一本の正しい音をどんどんと鍵盤全体に広げていき、複数ある弦をユニゾンして調和、というのがおおまかな流れ。
基音となる『ラ』を音叉で四四〇ヘルツに合わせ、ピンにハンマーをかけて回すと、すぐに次へ。微細な動きだが、一瞬で終わらせるとさらに次。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
かつて私のお母様に婚約破棄を突き付けた国王陛下が倅と婚約して後ろ盾になれと脅してきました
お好み焼き
恋愛
私のお母様は学生時代に婚約破棄されました。当時王太子だった現国王陛下にです。その国王陛下が「リザベリーナ嬢。余の倅と婚約して後ろ盾になれ。これは王命である」と私に圧をかけてきました。
妹×メイド~ある日突然俺の妹がメイドになったんだが~
junhon
キャラ文芸
俺、竹中宗介には綾乃という小学六年生の妹がいる。
そして、ある日学校から帰るとその妹がメイドになっていた!
俺は妹の事が大好きで、秘密なのだがメイドさんも大好きなのだ!
妹×メイドの相乗効果に、平静を装いながらも俺の理性は決壊寸前だ。
そんな俺の気を知ってか知らずか、綾乃は俺に猛烈アタックを仕掛けてくるのだった。
追跡の輪舞~楽園20~
志賀雅基
キャラ文芸
◆大切な奴が納得して罪を犯したのなら/世界が非難しようと味方になってやる◆
惑星警察刑事×テラ連邦軍別室員シリーズPart20[全98話]
高級ホテルのニューイヤーディナー&一泊ご招待が当たったシドとハイファ。だがディナー中に老夫妻が窓外から狙撃された。老夫妻は手投げ弾を落とし拾ったシドも撃たれる。老夫妻はテロリストでテラ連邦軍がスナイパーを雇いテロを防いだと知れたが、当のスナイパーらは得物を持ったまま姿を消した。そして起こる連続射殺を止められない!
▼▼▼
【シリーズ中、何処からでもどうぞ】
【全性別対応/BL特有シーンはストーリーに支障なく回避可能です】
【Nolaノベル・小説家になろう・ノベルアップ+にR無指定版/エブリスタにR15版を掲載】
CODE:HEXA
青出 風太
キャラ文芸
舞台は近未来の日本。
AI技術の発展によってAIを搭載したロボットの社会進出が進む中、発展の陰に隠された事故は多くの孤児を生んでいた。
孤児である主人公の吹雪六花はAIの暴走を阻止する組織の一員として暗躍する。
※「小説家になろう」「カクヨム」の方にも投稿しています。
※毎週金曜日の投稿を予定しています。変更の可能性があります。
あやかし不動産、営業中!
七海澄香
キャラ文芸
ブラック系不動産会社を退職し、勢いで地元に戻った青年、東雲悠弥。
朝霧不動産という小さな不動産屋に転職した悠弥は、風変わりな客と出会う。
「木の葉払いで保証人は大天狗様」内気そうな少年が発した言葉は、あやかしが住まいを探しに来たことを知らせる秘密の合言葉だった。
朝霧不動産では古くから、人間たちと共に生活をしようとするあやかし達に家を貸し、人間とともに暮らす手伝いをしているのだ。
悠弥は跡取り娘の遥と共に、不動産を通してあやかしと人間との縁を結び、絆を繋いでいく。
護堂先生と神様のごはん 護堂教授の霊界食堂
栗槙ひので
キャラ文芸
考古学者の護堂友和は、気が付くと死んでいた。
彼には死んだ時の記憶がなく、死神のリストにも名前が無かった。予定外に早く死んでしまった友和は、未だ修行が足りていないと、閻魔大王から特命を授かる。
それは、霊界で働く者達の食堂メニューを考える事と、自身の死の真相を探る事。活動しやすいように若返らせて貰う筈が、どういう訳か中学生の姿にまで戻ってしまう。
自分は何故死んだのか、神々を満足させる料理とはどんなものなのか。
食いしん坊の神様、幽霊の料理人、幽体離脱癖のある警察官に、御使の天狐、迷子の妖怪少年や河童まで現れて……風変わりな神や妖怪達と織りなす、霊界ファンタジー。
「護堂先生と神様のごはん」もう一つの物語。
2019.12.2 現代ファンタジー日別ランキング一位獲得
母獣列島
櫃間 武士
キャラ文芸
瀬戸内海の離島、女岩島で父親から虐待を受けていた少年、藤原育人は人ならざるものから生まれた魔少年であった。
育人に触れられた女性は瞬時に常軌を逸した母性愛を抱き、育人のためなら死をも辞さない母獣と化す。
育人はその能力を使って島中の女性を下僕にし、父や周囲の男を殺害して島を征服する。
やがて育人の行動は、日本中を巻き込んだ女性対男性の戦いへと発展してゆく。
シナリオ形式です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる