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歩くような早さで。
8話
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しかし、隙を見せるとさらにつけ込まれると思い、果敢に震えながらもブランシュは反撃にでる。もう、先ほどの手は使えないだろう、そう考え、胸を張る。
「か、借りてませんし、あなたが勝手に叫んだだけです。警察が来ても無実で放免されます。問題ありません。失礼します」
ヴァイオリンケースを背負い、早口で、早足で女性の横をすり抜けて行く。もう関わらないようにしよう。しばらくは橋以外で弾こう。今日ことは忘れて、サングラスをかけた人間が近づいてきたら、走って逃げよう。
「でも、学校には連絡がいくだろうね。私は頑なに、強奪されたと言い張る。なんやかんやで親御さんにも連絡がいく。家族会議だ」
去り際に女性が不敵な笑みを崩さず、まるでこの先のことがわかっているかのように予言した。
一瞬立ち止まったが、ひとつ息を吐き、ブランシュは意を決して振り返らず払いのける。
「絶対にそうなりませんけど、そうなったらなったでいいです。もうパリでやることもありませんし」
そう告げ、一歩踏み出そうとしたところ、
「ギャスパー・タルマ」
「!」
名前を呼ばれた。憧れの人の名を。どこから察した? なにか口を滑らせた? 呼吸を忘れたブランシュは、踏み出そうとした足を下ろし、元の位置に戻す。
「会いたくない?」
「……なにがですか……?」
女性の甘い誘惑にまだ、ブランシュは振り返らない。会えるなら当然会いたいが、この人にそんな力が? いや、そもそもなんでこんな話に? 混乱する頭の中で何度も反芻するが、答えは出ない。
時間にして数秒。自転車に乗ったライダーが横を通り過ぎ、ランナーが走り去り、遠くでは子供の声がする。
「見てたけど、あなたの使ってるアトマイザー、ギャスパー・タルマの使ってるのと同じだよね? そんで、花と柑橘系の香りの奥に『光』、ファンなの? 調香師になりにパリに来た? シャトーにはもういないよね?」
全て当たっていた。アトマイザーの種類、使った香水、ここに来た理由、そして憧れの現在地。
なぜこんなことになっているのか。俯きながら目を瞑り、爪が食い込むほどに両の掌を握る。三回、深呼吸をしよう。そして、全てをもう一度忘れる。
「……もういいんです、なにか違うことをやりなさいっていう、神様からのお告げなんです。田舎に帰ってひっそりと暮らしながら、パンやジャムを自家製で作ります……」
香水もヴァイオリンも趣味だが、パンやお菓子作りだって趣味である。きっとこれは調香師にならなかった世界線で、それでも幸せに慎ましく暮らせるはずだ。
「だから会わせてあげるって」
「どうやってですか!」
自分でも出したことないくらいの大声で、ブランシュは根拠のない誘惑を断ち切る。周りの人達も驚いている。
「ふぅ」とひとつ女性は息を吐いた。そして、
「おじいちゃん」
「……え?」
二秒ほどフリーズしたあと、ブランシュは女性を勢いよく振り返った。
女性は真っ直ぐ見返してくる。
「私のおじいちゃんなのよ、マジで」
「え」
「マジ」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
またもや周囲が驚くほどの、人生二度目の大声をブランシュはあげた。
「会わせてあげるから、貸し、返してよ」
「か、借りてませんし、あなたが勝手に叫んだだけです。警察が来ても無実で放免されます。問題ありません。失礼します」
ヴァイオリンケースを背負い、早口で、早足で女性の横をすり抜けて行く。もう関わらないようにしよう。しばらくは橋以外で弾こう。今日ことは忘れて、サングラスをかけた人間が近づいてきたら、走って逃げよう。
「でも、学校には連絡がいくだろうね。私は頑なに、強奪されたと言い張る。なんやかんやで親御さんにも連絡がいく。家族会議だ」
去り際に女性が不敵な笑みを崩さず、まるでこの先のことがわかっているかのように予言した。
一瞬立ち止まったが、ひとつ息を吐き、ブランシュは意を決して振り返らず払いのける。
「絶対にそうなりませんけど、そうなったらなったでいいです。もうパリでやることもありませんし」
そう告げ、一歩踏み出そうとしたところ、
「ギャスパー・タルマ」
「!」
名前を呼ばれた。憧れの人の名を。どこから察した? なにか口を滑らせた? 呼吸を忘れたブランシュは、踏み出そうとした足を下ろし、元の位置に戻す。
「会いたくない?」
「……なにがですか……?」
女性の甘い誘惑にまだ、ブランシュは振り返らない。会えるなら当然会いたいが、この人にそんな力が? いや、そもそもなんでこんな話に? 混乱する頭の中で何度も反芻するが、答えは出ない。
時間にして数秒。自転車に乗ったライダーが横を通り過ぎ、ランナーが走り去り、遠くでは子供の声がする。
「見てたけど、あなたの使ってるアトマイザー、ギャスパー・タルマの使ってるのと同じだよね? そんで、花と柑橘系の香りの奥に『光』、ファンなの? 調香師になりにパリに来た? シャトーにはもういないよね?」
全て当たっていた。アトマイザーの種類、使った香水、ここに来た理由、そして憧れの現在地。
なぜこんなことになっているのか。俯きながら目を瞑り、爪が食い込むほどに両の掌を握る。三回、深呼吸をしよう。そして、全てをもう一度忘れる。
「……もういいんです、なにか違うことをやりなさいっていう、神様からのお告げなんです。田舎に帰ってひっそりと暮らしながら、パンやジャムを自家製で作ります……」
香水もヴァイオリンも趣味だが、パンやお菓子作りだって趣味である。きっとこれは調香師にならなかった世界線で、それでも幸せに慎ましく暮らせるはずだ。
「だから会わせてあげるって」
「どうやってですか!」
自分でも出したことないくらいの大声で、ブランシュは根拠のない誘惑を断ち切る。周りの人達も驚いている。
「ふぅ」とひとつ女性は息を吐いた。そして、
「おじいちゃん」
「……え?」
二秒ほどフリーズしたあと、ブランシュは女性を勢いよく振り返った。
女性は真っ直ぐ見返してくる。
「私のおじいちゃんなのよ、マジで」
「え」
「マジ」
「えぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
またもや周囲が驚くほどの、人生二度目の大声をブランシュはあげた。
「会わせてあげるから、貸し、返してよ」
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