Parfumésie 【パルフュメジー】

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歩くような早さで。

5話

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(私はプロになるほどの腕前はありません。けれども、好きであることに変わりはありません)

 そして、カバンの中をガサゴソと漁り、ひとつ引き当てる。取り出したものは香水のアトマイザー。黒く、中身が見えない。

(さて、今日はどんな香りでしょうか。楽しみです)

 ワンプッシュ、首筋につける。太い血管が通っている首筋は体温が高く、大きく香りが広がる。その香りが、ブランシュを包み込む。

(ノートは……フラワーベース、ローズのような香りですか。それなら)

 ブランシュの細く白い指が踊る。エルンスト『夏の名残のバラ』。超絶技巧として知られるこの曲を朝一番に選んでしまったことを後悔。重音や指で弦を弾く、ピッチカートが両手にいきなりくる。和音の抑えが難しく、それでいて序盤は和音だらけという、まるで複数人で弾いているかのような厚みのある序盤。そしてアルペジオとピッチカートとフラジオレットが同時にくる。

(なぜ、こんな難しい曲を、エルンストさんは作ってしまったのでしょうか……)

 香水には大きく二種類ある。まずはトップ・ミドル・ラストとノートが変化していくもの。トップは五分から一○分、ミドルは三○分から二時間、ラストは三時間以上と、変化していく香りを楽しめるものだ。そしてもう一つは、香りが変わらないシングルノート。こちらはそのまま使用したり、重ね付けして香りを混ぜて使うものである。

 ブランシュが使用しているのはシングルノート。彼女はその日、引き当てた香りを元に、その場で感じたままに弾くことが好きだった。優柔不断な性格が災いし、自由に弾きたい曲を選ぶことができなかったため、自分で編み出したランダム選曲法だった。その時の気分により、同じ香りでも違う曲になる。

(すごく……疲れる曲です……でもやっぱり楽しいです)

 弾き終わり、呼吸を整えた後、もう一度カバンを漁る。続いて引き当てたのは、

(柑橘系……ベルガモット……なら、この曲はどうでしょうか)

 クライスラー『愛の喜び』。明るく、弾けるような、愛が爆発したかのような冒頭から、静かに燃えるような愛に移っていく。かつて作曲家のクライスラーが、アメリカからヨーロッパに戻る船の中で一目惚れした、のちの妻への曲だとされており、背景を知るとまた面白くなる曲だ。

(いつか私もそのような方と出会えるのでしょうか)

 雑念が混じるが、本人は気にしない。元々、プロになるほどの腕はないと自分はわかっていた。ただ、好きなだけで弾く音楽は楽しいと、それだけだった。指が踊るままに、難しければ簡易にアレンジし、好きなように誰にも邪魔されず、文句も言われない演奏。
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