7 / 107
生徒の葛藤(アルダタ視点)
しおりを挟む
最初は、マリルノ様の言うことに従って、彼女の信頼を得ようと思った。
相手の気持ちを測ることができない段階で、いきなり誘惑し万が一拒否されてしまったとしたら、その後、どうやったとしても取り返せないのではないかというのが怖かった。
ペドロル様の望む結果が出せなければ、彼が私の母の治療に手を貸してくれることはないだろう。それどころか、私は職を奪われるかもしれない。
ペドロル様は自分が命令して私にやらせたのだという事実が露見するのを恐れて、私だけにマリルノ様を誘惑した罪を押しつけて、この屋敷から私を追い出すかもしれない。
誓いを立てた時には、職を失うリスクまで考えが及ばなかった。しかし後から冷静になって考えれば考えるほど、ペドロル様ならそうするに違いないと思った。
私は何としてもマリルノ様の気持ちを掴まなくてはならない。
だから慎重に、彼女の指示に従って信頼関係を築くところから始めたのだ。
私はただ熱心に、マリルノ様の教えられることに耳を傾けたのだ。
すると不思議なことが私の中に起こった。それは私が生きてきたこれまでの人生の中で、一度たりとも感じたことのない感覚だった。
もっと知りたい。もっと自分の分からないことを、理解できるようになりたい。
こんな気持ちを抱いたのは、生まれて初めてだった。
私は靴屋の父と掃除婦の母の元に生まれた。
父は靴を作ることしか出来なかったし、母は家事しかすることができなかった。
それでも私は二人が大好きだった。いつまでも二人と一緒にいられたらいい、そして大人になったら父と同じ靴職人になろうと私は考えていた。
しかし幸せな家庭は長続きしなかった。
父が突然死に、母も病気になった。
人間の体は強いものではなく、死神はいつでもその首を狙っているのだと知った。
靴の作り方を覚える前に、私は仕事を探さなければならなくなった。
そんなときに私を拾ってくれたのが、ペドロル様ののお父様、現国王であるワダロ様だった。
もちろん私のような下の人間が、ワダロ様に直接選ばれたわけではない。
ただ下働きのものとして、屋敷を管理する使用人の一人に面接され、採用されることになっただけだ。
しかし私は、感謝しなくてはならないと思った。私に働くチャンスを与えてくれたワダロ様と、そのご子息であるペドロル様に。そしてそのご恩を返すべく、そして母を養うべく、私は身を粉にして働き続けた。そんな私に、文字の読み書きや計算を習う機会はなかった。
今まで知らなかったことに触れることが、こんなにも胸が膨らむことだったなんて。自分で文字を書けて読めることが、こんなにも心揺さぶられることだったなんて。
私は全く知らなかった。
どうして今まで、知らないままの状態で、平気でいられたのだろうと思った。
確かに使用人としての仕事には何の支障もなかった。
誰も使用人である私に、文字の読み書きや数字の計算ができることを期待していなかったし、むしろ出来なくて当たり前だと思っていたからだ。
「私の代わりに手紙を書いてくれ」なんてこと、当然、頼まれるはずもなかった。
しかし今、私は文字が読めるようになった。
そして文字を書けるようにになった。
指を使えば計算だって、何とか少しはできるようになったのだ。
私は自分が、この世界において生きている意味のある人間の仲間に入れてもらえたような気がした。そしてもっと、自分が生きている価値のある人間、この世に存在する意味があるのだと胸を張れる人間になっていきたいと思った。
熱心だという風に思われればそれでいいと思ったのに、私はいつの間にか、本当に熱心な生徒になっていた。自分の知識が積み重なっていくことが、楽しくて仕方がない。
「授業を受けているのは自分の知っていることを増やすためではなく、ペドロル様の望みを叶えるためにやっているのだ」と何度自分に言い聞かせても、本心は誤魔化せなくなった。
そして決定的な問題がもう一つあった。
見て見ぬふりを続けてきたけれど、自分の中で誤魔化すことがとうとうできなくなった。
私は知識に惹かれている自分に気がついた。
そして同じくらい無視できなくなったのは、
マリルノ様に惹かれているという事実だった。
相手の気持ちを測ることができない段階で、いきなり誘惑し万が一拒否されてしまったとしたら、その後、どうやったとしても取り返せないのではないかというのが怖かった。
ペドロル様の望む結果が出せなければ、彼が私の母の治療に手を貸してくれることはないだろう。それどころか、私は職を奪われるかもしれない。
ペドロル様は自分が命令して私にやらせたのだという事実が露見するのを恐れて、私だけにマリルノ様を誘惑した罪を押しつけて、この屋敷から私を追い出すかもしれない。
誓いを立てた時には、職を失うリスクまで考えが及ばなかった。しかし後から冷静になって考えれば考えるほど、ペドロル様ならそうするに違いないと思った。
私は何としてもマリルノ様の気持ちを掴まなくてはならない。
だから慎重に、彼女の指示に従って信頼関係を築くところから始めたのだ。
私はただ熱心に、マリルノ様の教えられることに耳を傾けたのだ。
すると不思議なことが私の中に起こった。それは私が生きてきたこれまでの人生の中で、一度たりとも感じたことのない感覚だった。
もっと知りたい。もっと自分の分からないことを、理解できるようになりたい。
こんな気持ちを抱いたのは、生まれて初めてだった。
私は靴屋の父と掃除婦の母の元に生まれた。
父は靴を作ることしか出来なかったし、母は家事しかすることができなかった。
それでも私は二人が大好きだった。いつまでも二人と一緒にいられたらいい、そして大人になったら父と同じ靴職人になろうと私は考えていた。
しかし幸せな家庭は長続きしなかった。
父が突然死に、母も病気になった。
人間の体は強いものではなく、死神はいつでもその首を狙っているのだと知った。
靴の作り方を覚える前に、私は仕事を探さなければならなくなった。
そんなときに私を拾ってくれたのが、ペドロル様ののお父様、現国王であるワダロ様だった。
もちろん私のような下の人間が、ワダロ様に直接選ばれたわけではない。
ただ下働きのものとして、屋敷を管理する使用人の一人に面接され、採用されることになっただけだ。
しかし私は、感謝しなくてはならないと思った。私に働くチャンスを与えてくれたワダロ様と、そのご子息であるペドロル様に。そしてそのご恩を返すべく、そして母を養うべく、私は身を粉にして働き続けた。そんな私に、文字の読み書きや計算を習う機会はなかった。
今まで知らなかったことに触れることが、こんなにも胸が膨らむことだったなんて。自分で文字を書けて読めることが、こんなにも心揺さぶられることだったなんて。
私は全く知らなかった。
どうして今まで、知らないままの状態で、平気でいられたのだろうと思った。
確かに使用人としての仕事には何の支障もなかった。
誰も使用人である私に、文字の読み書きや数字の計算ができることを期待していなかったし、むしろ出来なくて当たり前だと思っていたからだ。
「私の代わりに手紙を書いてくれ」なんてこと、当然、頼まれるはずもなかった。
しかし今、私は文字が読めるようになった。
そして文字を書けるようにになった。
指を使えば計算だって、何とか少しはできるようになったのだ。
私は自分が、この世界において生きている意味のある人間の仲間に入れてもらえたような気がした。そしてもっと、自分が生きている価値のある人間、この世に存在する意味があるのだと胸を張れる人間になっていきたいと思った。
熱心だという風に思われればそれでいいと思ったのに、私はいつの間にか、本当に熱心な生徒になっていた。自分の知識が積み重なっていくことが、楽しくて仕方がない。
「授業を受けているのは自分の知っていることを増やすためではなく、ペドロル様の望みを叶えるためにやっているのだ」と何度自分に言い聞かせても、本心は誤魔化せなくなった。
そして決定的な問題がもう一つあった。
見て見ぬふりを続けてきたけれど、自分の中で誤魔化すことがとうとうできなくなった。
私は知識に惹かれている自分に気がついた。
そして同じくらい無視できなくなったのは、
マリルノ様に惹かれているという事実だった。
0
お気に入りに追加
731
あなたにおすすめの小説
副団長にはどうやら秘密が沢山あるようです
無一物
BL
護衛専門の傭兵団で副団長を務めるルカーシュは、三十半ばの地味で貧弱なお堅い男だ。
弱肉強食の傭兵団で、鍛練場に一度も姿を見せず、他の団員達から『臆病者』と言われ嫌われている。
「俺はお前じゃないと駄目なんだ」と団長に口説かれ祖国を捨てて付いてきたのに、気が付けば十数年、団長はルカーシュに指一本触れて来ようとしない。それどころか、美青年の養子といちゃつく姿を目撃し、遂にルカーシュの堪忍袋の緒が切れた。人はキレた時、一番やってはいけない事をやらかす……
少し感情表現のおかしい受けと、脳筋にぶちん男とのドタバタ劇。
攻めが無体を働きますがハッピーエンドです。
アルファポリスでホクホク計画~実録・投稿インセンティブで稼ぐ☆ 初書籍発売中 ☆第16回恋愛小説大賞奨励賞受賞(22年12月16205)
天田れおぽん
エッセイ・ノンフィクション
~ これは、投稿インセンティブを稼ぎながら10万文字かける人を目指す戦いの記録である ~
アルファポリスでお小遣いを稼ぐと決めた私がやったこと、感じたことを綴ったエッセイ
文章を書いているんだから、自分の文章で稼いだお金で本が買いたい。
投稿インセンティブを稼ぎたい。
ついでに長編書ける人になりたい。
10万文字が目安なのは分かるけど、なかなか10万文字が書けない。
そんな私がアルファポリスでやったこと、感じたことを綴ったエッセイです。
。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○゚・*:.。.
初書籍「婚約破棄された不遇令嬢ですが、イケオジ辺境伯と幸せになります!」が、レジーナブックスさまより発売中です。
月戸先生による可愛く美しいイラストと共にお楽しみいただけます。
清楚系イケオジ辺境伯アレクサンドロ(笑)と、頑張り屋さんの悪役令嬢(?)クラウディアの物語。
よろしくお願いいたします。m(_ _)m
。o○。o○゚・*:.。. .。.:*・゜○o。○o。゚・*:.。. .。.:*・゜。o○。o○゚・*:.。.
中華マフィア若頭の寵愛が重すぎて頭を抱えています
橋本しら子
BL
あの時、あの場所に近づかなければ、変わらない日常の中にいることができたのかもしれない。居酒屋でアルバイトをしながら学費を稼ぐ苦学生の桃瀬朱兎(ももせあやと)は、バイト終わりに自宅近くの裏路地で怪我をしていた一人の男を助けた。その男こそ、朱龍会日本支部を取り仕切っている中華マフィアの若頭【鼬瓏(ゆうろん)】その人。彼に関わったことから事件に巻き込まれてしまい、気づけば闇オークションで人身売買に掛けられていた。偶然居合わせた鼬瓏に買われたことにより普通の日常から一変、非日常へ身を置くことになってしまったが……
想像していたような酷い扱いなどなく、ただ鼬瓏に甘やかされながら何時も通りの生活を送っていた。
※付きのお話は18指定になります。ご注意ください。
更新は不定期です。
【猫画像あり】島猫たちのエピソード
BIRD
エッセイ・ノンフィクション
【保護猫リンネの物語】連載中! 2024.4.15~
シャーパン猫の子育てと御世話の日々を、画像を添えて綴っています。
2024年4月15日午前4時。
1匹の老猫が、その命を終えました。
5匹の仔猫が、新たに生を受けました。
同じ時刻に死を迎えた老猫と、生を受けた仔猫。
島猫たちのエピソード、保護猫リンネと子供たちのお話をどうぞ。
石垣島は野良猫がとても多い島。
2021年2月22日に設立した保護団体【Cat nursery Larimar(通称ラリマー)】は、自宅では出来ない保護活動を、施設にスペースを借りて頑張るボランティアの集まりです。
「保護して下さい」と言うだけなら、誰にでも出来ます。
でもそれは丸投げで、猫のために何かした内には入りません。
もっと踏み込んで、その猫の医療費やゴハン代などを負担出来る人、譲渡会を手伝える人からの依頼のみ受け付けています。
本作は、ラリマーの保護活動や、石垣島の猫ボランティアについて書いた作品です。
スコア収益は、保護猫たちのゴハンやオヤツの購入に使っています。
(完結)乙女ゲームの悪役令嬢に転生しましたが、私オジ専なのでお構いなく
海野すじこ
恋愛
運悪く事故に遭ってしまった優理花は
、生前はまっていた乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまう。
普通は、悪役令嬢に転生すると落胆するものだが···。
優理花は落胆しなかった。
「やったわ!悪役令嬢のエレノアじゃない!!エレノアは婚約者の王太子に婚約破棄された後、エヴァン侯爵(48)(イケオジ)の後妻にさせられるのよ。
私の推し···エヴァン侯爵の後妻とか最高すぎる!神様ありがとう!!」
お察しの通り···。
優理花はオジ専だったのだ。
しかし、順調にストーリーは···進まなかった。
悪役令嬢が悪役令嬢を放棄してしまったので、ストーリーが変わってしまったのだ。
「王太子様?どうして婚約破棄してくださらないのですか···?」
オジ専の優理花が、乙女ゲームの世界で奮闘するお話。
短編予定でしたがやっぱり短編無理でした(*T^T)
短編→長編に変更しました(^-^;
ゆるゆる設定です。
※只今番外編でルデオンとオースティンのBL作品更新しました。
BL作品が大丈夫な方はぜひ読んでみて下さい゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚
転生王女は異世界でも美味しい生活がしたい!~モブですがヒロインを排除します~
ちゃんこ
ファンタジー
乙女ゲームの世界に転生した⁉
攻略対象である3人の王子は私の兄さまたちだ。
私は……名前も出てこないモブ王女だけど、兄さまたちを誑かすヒロインが嫌いなので色々回避したいと思います。
美味しいものをモグモグしながら(重要)兄さまたちも、お国の平和も、きっちりお守り致します。守ってみせます、守りたい、守れたらいいな。え~と……ひとりじゃ何もできない! 助けてMyファミリー、私の知識を形にして~!
【1章】飯テロ/スイーツテロ・局地戦争・飢饉回避
【2章】王国発展・vs.ヒロイン
【予定】全面戦争回避、婚約破棄、陰謀?、養い子の子育て、恋愛、ざまぁ、などなど。
※〈私〉=〈わたし〉と読んで頂きたいと存じます。
※恋愛相手とはまだ出会っていません(年の差)
ブログ https://tenseioujo.blogspot.com/
Pinterest https://www.pinterest.jp/chankoroom/
※作中のイラストは画像生成AIで作成したものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる