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31 月姫と修羅王、そして
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みのりに連れられて悠斗が向かうのは奥の院。宗家の巫女姫候補が謁見を許す場所である。
もちろんその姫巫女というのは春希のことであるのだが、いざ実際に再会してみると、その雰囲気の変化に驚いた。
巫女服には様々な色の糸や金属で飾りがなされ、目元や唇にはあえてきつい色の紅を入れている。
その視線すら普段のものとは違い、神秘的な、巫女と呼ぶのに相応しい印象を受ける。
広間の左右には彼女を支持する大人たちが座り、悠斗は春希の正面に座り、その斜め後ろでフォローするようにみのりが座った。
「紫の宮様です」
春希の傍に控えた、簡易な巫女服を着た女性が言葉を紡ぐ。
「既に見知っていますので、改めた挨拶は省きます。そして月姫様より、あなたを招くように言われています。この後すぐ、向かいます」
凛とした声は春希のものに間違いなかったが、言葉遣いと声音に宿る響きが違う。
そしてその内容に、左右に分かれていた大人たちがざわめく。事前に知らされていなかったのだろう。
「我々は何も知らされていませんが」
春希に近い位置にいた男が声をかける。おそらくどこかの家の当主だろう。魔力の波長から考えると、藤原家だろうか。
「私も聞いたのは先ほどです。しかし月姫様の言葉には間違いありません」
男に向けられた視線には強い意志が込められていた。今、ここにいる少女は、鈴宮春希ではなく、月氏の紫という名の姫なのだ。
春希が立ち上がる。それに合わせるかのように、左右に分かれていた者たちは頭を下げた。
「悠斗、こちらへ。月姫様の元に向かいます」
返答を待つ間もなく、春希は移動する。慌ててお付きの者が共をしようとするが、それを手で制す。
ただ一人立ち上がった悠斗がそれに続く。この空間はまさに、春希一人に支配されていた。
悠斗を先導する春希は、石造りの建物の中の廊下を歩いていく。
人の気配はない。静かすぎて耳が痛くなるほどだ。
そこに聞こえるのは二人の気配から生み出される音だけである。
「月姫様は別に怖い人じゃないけど、本当に偉くて凄い人だから、言葉遣いとかは気をつけなさいよ」
二人きりになったところで、ようやく春希の口調がいつものものに戻ってきていた。それに悠斗は少し安心する。
「普段と全然違うから、良く似た双子かと思ったよ」
「んなわけないでしょーが。まあここにいると肩は凝るけど、緩んだ気持ちを引き締める効果はあるわね」
春希もそのあたりは自覚しているらしい。
石造と木造が交互に出現する奇妙な廊下は、どうやら洞窟の中に続いているらしかった。
あの山の中腹からは、地面の下、山の中に建物を作っているというわけだ。土系の魔法を使えば、確かに簡易にして不落の要塞が築けるだろう。
廊下を渡っていくが、誰かとすれ違うこともない。というか、結界でほとんど亜空間になっている。
物理と魔法の二重の防壁だ。これはおそらく悠斗や雅香が本気で攻撃しても、破壊できない強度であろう。
地下になぜか鳥居があるが、魔法の装置であることは間違いない。起動して、何らかの処理を行っている。
「これ、ひょっとして転移装置?」
「……よく分かったわね。これで少しずつ位相をずらして、元の世界からの影響が伝わらないようにしてるのよ。だから電波とかは通じないし、放射能の影響もない。有線でネットやテレビはあるけどね」
位相をずらす。さりげなく春希は言っているが、これは学校でもまだ教えていない高等技術である。
しかし悠斗には分かる。前世で仲間の、賢者と讃えられる魔法使いが言っていた結界の一つの形だ。あいつの目指していたものの一つである。
もし完成したなら、悠斗の世界にも遊びに行けると言っていた。
……つまりこれの仕組みを完全に理解すれば、出力にもよるが、あの世界とつながることも可能ではないのか?
というか雅香が勇者召喚の儀式魔法を人間に渡したのだから、彼女の知識を活用したら、本当にあの世界に行けるのではないのか?
転移の装置は破壊され、今世では雅香も前世に全く未練はなさそうだったから、どうにもならないものだと思っていたが。
もし往来が可能なら――それが不可能でも観測程度が出来るなら、悠斗はあの後あちらの世界がどうなったのか知りたい。
仲間たちのその後もそうだが、世界全体が雅香の言っていた通りになったのかどうか。
(……それは無理、なのか?)
雅香は前世の目的を、人間とそれ以外の知的種族の関係を、同等のものとするために動いていた。少なくともそう言っていた。
あの女のことを、信用するのはいい。だが裏切らない保証はないし、雅香が悠斗に本当のことばかりを言う必然性もない。
そもそも勇者召喚の魔法を伝えた魔王に、異世界間転移の方法を聞いていないのは、元勇者としては失格ではないのか。
こちらに転生してから色々とありすぎて後回しにしていたが、向こうの世界で遣り残したことはないわけではない。
今度会ったらそのあたりをちゃんと聞こう。悠斗はそう思った。
造りとしては春希のいた奥の院と、ほとんど同じ部屋であった。
しかしその広さは、むしろこちらの方が小さい。本当に私的に使うぐらいの広さの部屋である。
実のところ、悠斗は正座が苦手である。
両親の方針で、家は洋室が多くなっていて、基本は椅子を使う部屋が多かったし、床に座るときも胡坐をかくように勧められていた。
正座をするのは足の血流に悪影響を与えると、医療従事者である父は言っていたし、母も珍しく父の意見を完全に認めていたからだ。
まあ確かに、正座の姿勢から戦闘に開始する技術を、悠斗は持っていない。
あちらの世界は西洋の古代と中世が混じったような文明様式であったので、椅子に座った状態や、屈んだ状態から戦闘する技術はあったが、正座はなかった。
そんなこんなで悠斗は、既にぷるぷると震えながら、慣れない正座をしている。
春希の場合は最初から待ち構えてくれていたので大丈夫だったのだが、月姫様は所用によって悠斗を待たせている。
春希はそんな悠斗の足をつつきたくてうずうずしているのだが、さすがに場所を弁えてそんなことはしない。
悠斗の弱点を見つけて、いつか弄ってやろうとは思っているだろうが。
地獄のような30分が過ぎて、入室してくる気配がした。
月姫。事前情報で28歳とは聞いていたが、やはりそれより若く見える。
もっとも放つ気配は確かに格上のもので、そしてその目は閉じられていた。
盲目というわけではない。単に目を開かなくても、周囲の全てが見えているだけだ。
月姫の候補の中から選ばれる最大の条件、それは多少将来性や派閥間の勢力にもよるが、何よりもまず、宗家の持つ固有魔法の力による。
月姫は未来を見る。
しかもほとんど外れない未来を。そしてそれを変革する術を。
楚々とした姿で上座に座る月姫だが、その後に続いて入ってきた者が数人。
まず最初に、九鬼家の怪物。当主の弟にして「極東の修羅王」の二つ名を持つ人物。
その後に続くのが、御剣雅香と三人の子供たちであった。
悠斗が理解不能であった、あの三人。五人は悠斗の横に、縦に並んで座った。
しばしの無言。月姫が目を開く。
金色の瞳。だがそれは輝く黄金のようではなく、淡い月の輝きのような。
それは悠斗を凝視する。完全に全ての意識を悠斗に向けて、視覚以外の感覚を含めて悠斗を捉える。
魔眼の類ではない。しかしある意味、それを上回っているだろう。
予知の魔法など、あちらの世界でもなかったものだ。
月姫はしばらく、悠斗が居心地を悪く感じるぐらいまでの間、そのまま動かなかった。
やがて肩の力を抜いて、うな垂れながら息を吐いた。
「この子も特異点です」
「やはりそうですか」
応じたのは九鬼家の怪物。二人の間で視線の会話がかわされる。
「そちらの三人や雅香、そしてあなたと同じく、未来が確定しません。数時間程度ならともかく、数日先でさえ変化します」
未来を見たのか。
悠斗の、そして他に言及された五人の。
そして未来が確定しない、つまり予知が出来ないと言った。
彼女の切り替えは早く、悠斗の斜め後ろで待機していた春希に声をかける。
「紫の姫、彼はおそらく、この世界を変える重要な人物の一人です。第三次世界大戦の開始か終結において、大きな働きをするのでしょう」
悠斗の後方で春希の動揺したのが伝わる。
悠斗もまた、少し驚いていた。第三次世界大戦。かつて悠斗が産まれる前には、全く違う形の戦争としてそれが起こるというのが主流であった。
雅香の話を聞く限りでは、各地に眠る神々の目覚めが、本当の意味で世界を終結させるのだろうと予測していた。2045年というタイムリミットで。
月氏の姫は、そこまでを経験や知識でなく、その固有の能力で知ったことになる。
世界大戦を予測して備えることが出来る。これは大きなアドバンテージだろう。
そんなシリアスな分析をする悠斗から視線を外し、月姫は春希に声をかけた。
「もしもあなたが次代の月姫に選ばれることがなければ、彼を夫とすればいいでしょう」
悠斗の後ろで春希の気配が凄まじく動揺する。悠斗自身もそうである。
春希は多少ならず面倒な人間ではあるが、基本的には善良で友人とするなら面白い。だが恋人にしたいかと言うと――かなり好みが分かれる性格をしているだろう。
スペックなら問題ないが、ソフト面ではみのりや弓の方が好ましい。
そんな悠斗の表情を読んで、月姫は余裕のある笑みを浮かべた。
「選択は己の心のままにしなさい。それにまだ、時間はあるのだから」
一方的に言った月姫は立ち上がると、そのまま悠斗に声をかける。
「私たちはあくまで日本のために生きる一族。しかし貴方はそこから逸脱した。もしも他の一族を選ぶとしても、漢帝国だけはやめておきなさい。顔見知りと殺し合いになるでしょう」
悠斗に選択の余地があるというのか。いや、実質的には不可能だ。
それとも最後の漢帝国に関してだけが本音なのか。確かにチャイナは日本の近接国。属すれば日本と戦う可能性は高い。
去っていく月姫の背中をただ眺めつつ、悠斗の脳は情報の整理に忙しかった。
悠斗が月姫と会見、という名の一方的な観察を終えた後、九鬼家の修羅王は月姫の奥の院で、小さく呟いていた。
「ルーシー、また特異点だよ。これでもう、打ち止めかな?」
対話する相手はいない。だが一族の精髄を込めて作られた結界を通り抜け、彼と対話する者がいる。
「父としての役割を果たす者は、もうこれで充分以上でしょう。偽善者と蛇と脳筋、そしてあの破綻者に加え、貴方の子もいる」
その声は知性を感じさせる女性のものだった。
「母体の方は?」
「数は充分ですが、失う怖れがありますね。いざとなれば、出産後の強化が必要でしょう。しかし破綻者がいる以上、どうにかするのでしょう」
二人は会話する。この世界に隠された秘密と、破滅をもたらす者の秘密を知る二人。修羅王と魔女。
悠斗と雅香のように、あるいは破綻者とその伴侶のように、目的を同じくする者として。
しか協力する者たちと違ってこの二人は、何が優先されどちらが生き残るか知っている。
修羅王は、その時が来るまではもたない。後には魔女一人が残される。
予定されている破綻者の夢見る未来の訪れは近い。だが修羅王に残された寿命はそれよりも短い。
魔女は恐らくこの世界で最も賢明な平和主義者であろうが、破綻者と敵対するのには戦力が足りない。
そのくせ方針は同じなのだ。目的さえもほとんど同じなのに、敵対している。
なぜならあの破綻者は、一つを除く例外を除いて、全てのものを敵としているから。
「俺の死んだ後、健生はどうなると思う?」
「……それは貴方の死に様次第でしょう」
修羅王の抱える雛は三つ。人の身には過ぎたものだ。
「だけど二人までは、私の力で守れるでしょう。問題は貴方の可愛い娘だけ」
「あの子が一番、戦闘には向いてないんだがな」
「母体としては一番優秀なのだけれど」
魔女の言葉に修羅王は怒りを覚える。この二人は協力関係の同盟者であるが、完全な友好関係でもないのだ。
「外国に逃がせばいいでしょう。破綻者以外の思惑は、おそらく私たちを有利にする」
「簡単に言ってくれるな、この魔王め」
「魔法王と呼ばれるならともかく、魔王という呼称は好みではないわ」
魔女は長命だ。この世界に人間が出現する以前から存在し、魔法を使役してきた。他の超越者と比べても、実働時間は比べ物にならない。
破綻者と精霊王を除いて。
「それで、この後の予定は?」
「しばらくはシナリオ通りに」
シナリオは出来ている。既に道が舗装されている。大戦の一つや二つ起こったところで、予定された未来以外への分岐はないだろう。
「破綻者の動きは?」
「彼はしばらく動かないでしょう。何せ全て、彼の予定以上に上手く進んでいるのだから」
敵を倒すための動きが、敵と同じ動きである。その異常さに、修羅王は怖気をふるう。
「しばらくは子供たちを鍛えることね。あなたの寿命は長めに見ても、13年といったところなのだから」
寿命。九鬼家は能力者の家系としては、異常なほどに寿命が短い。
これも古代に破綻者に贈られた呪いが原因なのだが、その呪いでもって破綻者に対抗しようとしている。
「また定時連絡で。それでは幸運を」
「幸運を」
最近決まって送られるその言葉に、彼は強烈な違和感を抱く。
しかしもはや、道は変えられないのだ。
策士気取りの転生者、元魔王に対して、彼は呟く。
「人の力をなめるなよ……」
誰も聞かない小声が、彼の口から洩れた。
もちろんその姫巫女というのは春希のことであるのだが、いざ実際に再会してみると、その雰囲気の変化に驚いた。
巫女服には様々な色の糸や金属で飾りがなされ、目元や唇にはあえてきつい色の紅を入れている。
その視線すら普段のものとは違い、神秘的な、巫女と呼ぶのに相応しい印象を受ける。
広間の左右には彼女を支持する大人たちが座り、悠斗は春希の正面に座り、その斜め後ろでフォローするようにみのりが座った。
「紫の宮様です」
春希の傍に控えた、簡易な巫女服を着た女性が言葉を紡ぐ。
「既に見知っていますので、改めた挨拶は省きます。そして月姫様より、あなたを招くように言われています。この後すぐ、向かいます」
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「我々は何も知らされていませんが」
春希に近い位置にいた男が声をかける。おそらくどこかの家の当主だろう。魔力の波長から考えると、藤原家だろうか。
「私も聞いたのは先ほどです。しかし月姫様の言葉には間違いありません」
男に向けられた視線には強い意志が込められていた。今、ここにいる少女は、鈴宮春希ではなく、月氏の紫という名の姫なのだ。
春希が立ち上がる。それに合わせるかのように、左右に分かれていた者たちは頭を下げた。
「悠斗、こちらへ。月姫様の元に向かいます」
返答を待つ間もなく、春希は移動する。慌ててお付きの者が共をしようとするが、それを手で制す。
ただ一人立ち上がった悠斗がそれに続く。この空間はまさに、春希一人に支配されていた。
悠斗を先導する春希は、石造りの建物の中の廊下を歩いていく。
人の気配はない。静かすぎて耳が痛くなるほどだ。
そこに聞こえるのは二人の気配から生み出される音だけである。
「月姫様は別に怖い人じゃないけど、本当に偉くて凄い人だから、言葉遣いとかは気をつけなさいよ」
二人きりになったところで、ようやく春希の口調がいつものものに戻ってきていた。それに悠斗は少し安心する。
「普段と全然違うから、良く似た双子かと思ったよ」
「んなわけないでしょーが。まあここにいると肩は凝るけど、緩んだ気持ちを引き締める効果はあるわね」
春希もそのあたりは自覚しているらしい。
石造と木造が交互に出現する奇妙な廊下は、どうやら洞窟の中に続いているらしかった。
あの山の中腹からは、地面の下、山の中に建物を作っているというわけだ。土系の魔法を使えば、確かに簡易にして不落の要塞が築けるだろう。
廊下を渡っていくが、誰かとすれ違うこともない。というか、結界でほとんど亜空間になっている。
物理と魔法の二重の防壁だ。これはおそらく悠斗や雅香が本気で攻撃しても、破壊できない強度であろう。
地下になぜか鳥居があるが、魔法の装置であることは間違いない。起動して、何らかの処理を行っている。
「これ、ひょっとして転移装置?」
「……よく分かったわね。これで少しずつ位相をずらして、元の世界からの影響が伝わらないようにしてるのよ。だから電波とかは通じないし、放射能の影響もない。有線でネットやテレビはあるけどね」
位相をずらす。さりげなく春希は言っているが、これは学校でもまだ教えていない高等技術である。
しかし悠斗には分かる。前世で仲間の、賢者と讃えられる魔法使いが言っていた結界の一つの形だ。あいつの目指していたものの一つである。
もし完成したなら、悠斗の世界にも遊びに行けると言っていた。
……つまりこれの仕組みを完全に理解すれば、出力にもよるが、あの世界とつながることも可能ではないのか?
というか雅香が勇者召喚の儀式魔法を人間に渡したのだから、彼女の知識を活用したら、本当にあの世界に行けるのではないのか?
転移の装置は破壊され、今世では雅香も前世に全く未練はなさそうだったから、どうにもならないものだと思っていたが。
もし往来が可能なら――それが不可能でも観測程度が出来るなら、悠斗はあの後あちらの世界がどうなったのか知りたい。
仲間たちのその後もそうだが、世界全体が雅香の言っていた通りになったのかどうか。
(……それは無理、なのか?)
雅香は前世の目的を、人間とそれ以外の知的種族の関係を、同等のものとするために動いていた。少なくともそう言っていた。
あの女のことを、信用するのはいい。だが裏切らない保証はないし、雅香が悠斗に本当のことばかりを言う必然性もない。
そもそも勇者召喚の魔法を伝えた魔王に、異世界間転移の方法を聞いていないのは、元勇者としては失格ではないのか。
こちらに転生してから色々とありすぎて後回しにしていたが、向こうの世界で遣り残したことはないわけではない。
今度会ったらそのあたりをちゃんと聞こう。悠斗はそう思った。
造りとしては春希のいた奥の院と、ほとんど同じ部屋であった。
しかしその広さは、むしろこちらの方が小さい。本当に私的に使うぐらいの広さの部屋である。
実のところ、悠斗は正座が苦手である。
両親の方針で、家は洋室が多くなっていて、基本は椅子を使う部屋が多かったし、床に座るときも胡坐をかくように勧められていた。
正座をするのは足の血流に悪影響を与えると、医療従事者である父は言っていたし、母も珍しく父の意見を完全に認めていたからだ。
まあ確かに、正座の姿勢から戦闘に開始する技術を、悠斗は持っていない。
あちらの世界は西洋の古代と中世が混じったような文明様式であったので、椅子に座った状態や、屈んだ状態から戦闘する技術はあったが、正座はなかった。
そんなこんなで悠斗は、既にぷるぷると震えながら、慣れない正座をしている。
春希の場合は最初から待ち構えてくれていたので大丈夫だったのだが、月姫様は所用によって悠斗を待たせている。
春希はそんな悠斗の足をつつきたくてうずうずしているのだが、さすがに場所を弁えてそんなことはしない。
悠斗の弱点を見つけて、いつか弄ってやろうとは思っているだろうが。
地獄のような30分が過ぎて、入室してくる気配がした。
月姫。事前情報で28歳とは聞いていたが、やはりそれより若く見える。
もっとも放つ気配は確かに格上のもので、そしてその目は閉じられていた。
盲目というわけではない。単に目を開かなくても、周囲の全てが見えているだけだ。
月姫の候補の中から選ばれる最大の条件、それは多少将来性や派閥間の勢力にもよるが、何よりもまず、宗家の持つ固有魔法の力による。
月姫は未来を見る。
しかもほとんど外れない未来を。そしてそれを変革する術を。
楚々とした姿で上座に座る月姫だが、その後に続いて入ってきた者が数人。
まず最初に、九鬼家の怪物。当主の弟にして「極東の修羅王」の二つ名を持つ人物。
その後に続くのが、御剣雅香と三人の子供たちであった。
悠斗が理解不能であった、あの三人。五人は悠斗の横に、縦に並んで座った。
しばしの無言。月姫が目を開く。
金色の瞳。だがそれは輝く黄金のようではなく、淡い月の輝きのような。
それは悠斗を凝視する。完全に全ての意識を悠斗に向けて、視覚以外の感覚を含めて悠斗を捉える。
魔眼の類ではない。しかしある意味、それを上回っているだろう。
予知の魔法など、あちらの世界でもなかったものだ。
月姫はしばらく、悠斗が居心地を悪く感じるぐらいまでの間、そのまま動かなかった。
やがて肩の力を抜いて、うな垂れながら息を吐いた。
「この子も特異点です」
「やはりそうですか」
応じたのは九鬼家の怪物。二人の間で視線の会話がかわされる。
「そちらの三人や雅香、そしてあなたと同じく、未来が確定しません。数時間程度ならともかく、数日先でさえ変化します」
未来を見たのか。
悠斗の、そして他に言及された五人の。
そして未来が確定しない、つまり予知が出来ないと言った。
彼女の切り替えは早く、悠斗の斜め後ろで待機していた春希に声をかける。
「紫の姫、彼はおそらく、この世界を変える重要な人物の一人です。第三次世界大戦の開始か終結において、大きな働きをするのでしょう」
悠斗の後方で春希の動揺したのが伝わる。
悠斗もまた、少し驚いていた。第三次世界大戦。かつて悠斗が産まれる前には、全く違う形の戦争としてそれが起こるというのが主流であった。
雅香の話を聞く限りでは、各地に眠る神々の目覚めが、本当の意味で世界を終結させるのだろうと予測していた。2045年というタイムリミットで。
月氏の姫は、そこまでを経験や知識でなく、その固有の能力で知ったことになる。
世界大戦を予測して備えることが出来る。これは大きなアドバンテージだろう。
そんなシリアスな分析をする悠斗から視線を外し、月姫は春希に声をかけた。
「もしもあなたが次代の月姫に選ばれることがなければ、彼を夫とすればいいでしょう」
悠斗の後ろで春希の気配が凄まじく動揺する。悠斗自身もそうである。
春希は多少ならず面倒な人間ではあるが、基本的には善良で友人とするなら面白い。だが恋人にしたいかと言うと――かなり好みが分かれる性格をしているだろう。
スペックなら問題ないが、ソフト面ではみのりや弓の方が好ましい。
そんな悠斗の表情を読んで、月姫は余裕のある笑みを浮かべた。
「選択は己の心のままにしなさい。それにまだ、時間はあるのだから」
一方的に言った月姫は立ち上がると、そのまま悠斗に声をかける。
「私たちはあくまで日本のために生きる一族。しかし貴方はそこから逸脱した。もしも他の一族を選ぶとしても、漢帝国だけはやめておきなさい。顔見知りと殺し合いになるでしょう」
悠斗に選択の余地があるというのか。いや、実質的には不可能だ。
それとも最後の漢帝国に関してだけが本音なのか。確かにチャイナは日本の近接国。属すれば日本と戦う可能性は高い。
去っていく月姫の背中をただ眺めつつ、悠斗の脳は情報の整理に忙しかった。
悠斗が月姫と会見、という名の一方的な観察を終えた後、九鬼家の修羅王は月姫の奥の院で、小さく呟いていた。
「ルーシー、また特異点だよ。これでもう、打ち止めかな?」
対話する相手はいない。だが一族の精髄を込めて作られた結界を通り抜け、彼と対話する者がいる。
「父としての役割を果たす者は、もうこれで充分以上でしょう。偽善者と蛇と脳筋、そしてあの破綻者に加え、貴方の子もいる」
その声は知性を感じさせる女性のものだった。
「母体の方は?」
「数は充分ですが、失う怖れがありますね。いざとなれば、出産後の強化が必要でしょう。しかし破綻者がいる以上、どうにかするのでしょう」
二人は会話する。この世界に隠された秘密と、破滅をもたらす者の秘密を知る二人。修羅王と魔女。
悠斗と雅香のように、あるいは破綻者とその伴侶のように、目的を同じくする者として。
しか協力する者たちと違ってこの二人は、何が優先されどちらが生き残るか知っている。
修羅王は、その時が来るまではもたない。後には魔女一人が残される。
予定されている破綻者の夢見る未来の訪れは近い。だが修羅王に残された寿命はそれよりも短い。
魔女は恐らくこの世界で最も賢明な平和主義者であろうが、破綻者と敵対するのには戦力が足りない。
そのくせ方針は同じなのだ。目的さえもほとんど同じなのに、敵対している。
なぜならあの破綻者は、一つを除く例外を除いて、全てのものを敵としているから。
「俺の死んだ後、健生はどうなると思う?」
「……それは貴方の死に様次第でしょう」
修羅王の抱える雛は三つ。人の身には過ぎたものだ。
「だけど二人までは、私の力で守れるでしょう。問題は貴方の可愛い娘だけ」
「あの子が一番、戦闘には向いてないんだがな」
「母体としては一番優秀なのだけれど」
魔女の言葉に修羅王は怒りを覚える。この二人は協力関係の同盟者であるが、完全な友好関係でもないのだ。
「外国に逃がせばいいでしょう。破綻者以外の思惑は、おそらく私たちを有利にする」
「簡単に言ってくれるな、この魔王め」
「魔法王と呼ばれるならともかく、魔王という呼称は好みではないわ」
魔女は長命だ。この世界に人間が出現する以前から存在し、魔法を使役してきた。他の超越者と比べても、実働時間は比べ物にならない。
破綻者と精霊王を除いて。
「それで、この後の予定は?」
「しばらくはシナリオ通りに」
シナリオは出来ている。既に道が舗装されている。大戦の一つや二つ起こったところで、予定された未来以外への分岐はないだろう。
「破綻者の動きは?」
「彼はしばらく動かないでしょう。何せ全て、彼の予定以上に上手く進んでいるのだから」
敵を倒すための動きが、敵と同じ動きである。その異常さに、修羅王は怖気をふるう。
「しばらくは子供たちを鍛えることね。あなたの寿命は長めに見ても、13年といったところなのだから」
寿命。九鬼家は能力者の家系としては、異常なほどに寿命が短い。
これも古代に破綻者に贈られた呪いが原因なのだが、その呪いでもって破綻者に対抗しようとしている。
「また定時連絡で。それでは幸運を」
「幸運を」
最近決まって送られるその言葉に、彼は強烈な違和感を抱く。
しかしもはや、道は変えられないのだ。
策士気取りの転生者、元魔王に対して、彼は呟く。
「人の力をなめるなよ……」
誰も聞かない小声が、彼の口から洩れた。
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呑気で細かいことは気にしない、めんどくさがりズボラ女子が、神様から授けられるギフト「+」に助けられながら、楽しんで生活していきます。
乙女ゲーの脇役家族ということには気づかずに……。
#不定期更新 #物語の進み具合のんびり
#カクヨムさんでも掲載しています
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お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
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