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25 奥義開陳
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月氏十三家の格闘術は、打撃に重きを置いている。これは戦闘集団である一族が、人型以外の魔物との戦闘を前提にしているからである。
関節技や絞め技を駆使したところで、牙や爪を持ち、あるいは関節が人間と根本的に違う魔物には、対抗のしようがないからだ。
もちろん古い時代から内乱や外国勢力との対決も行われているので、それらが全くないわけではない。
だが一秒の半分もあれば、肉体を消し炭に変えることが出来る能力者が、そんな技術についやする時間を考えれば、他の修行に時間や労力を回すのが効率的なのは間違いないのだ。
この点、スポーツとしてその技術を高めていたヨーロッパ系の能力者は、実戦で戦う場合、白兵戦能力に劣る。
第二次産業革命以来、経済力と軍事力というアドバンテージを得た欧米諸国は、無駄なことに労力を割く余裕があったとも言える。
日本でも江戸時代に入ってその傾向はあったのだが、基本的に武器を使った殺し合いが、武士という軍人の頭の中から消えたことはない。
それは大陸も同じはずなのだが、チャイナや半島は、イデオロギーの問題で尚武の意識が薄かった。
幕末から昭和初期にかけて日本の戦闘技術は世界に広まったが、それが各地の武術と化学反応を起こして、派生していった事実がある。
ちなみにこの傾向は、後進国とされていた地方では小さい。
というわけで悠斗が選ぶ戦法は、打撃以外に限定されるのだ。
なんでもありならともかく、魔術も闘技も禁止されたこのルールでは、間違いなくストライカーよりグラップラーが有利なのである。そのはずである。
問題は悠斗が男子で、雅香が女子という点であろうか。
男子が女子に寝技や絞め技をかけるというのは、なんというか、その、絵面的に問題がある。
この場には一族以外の人間も多くいて、雅香の胸部装甲はみのりほどではないが、育っているので。
まあ前世で殺し合った相手に欲情することもないので、悠斗は真剣に戦うのだが。
そしてまあ予想通り、一方的に打たれていた。
闘技を使っているわけでもないのに、雅香の動きは尋常でない速度であり、そして不自然なまでに技と技の間に隙がない。
基本的には打撃主体なのだが、下手をするとローキックを食らって体が宙に浮かぶ。
その、浮いたままで力を流せない状態で拳を食らえば、普通ならそれで試合終了である。諦めなくても終わりである。
だが悠斗は浮いたままで、雅香の攻撃を何割か受け流した。
実は雅香から教わった防御の一つで、中国拳法や合気の技術である。
あっさりとものにしている悠斗も充分凄いのだが、それを教えられる雅香の熟練度も恐ろしい。
それでも試合は一方的なものであるのに変わりはなかった。
「今度は負けないで、って言わないんですか?」
からかうわけでもなく、みのりが春希に声をかける。
春希はふいと目を逸らしたが、流石に無理でしょ、とは呟いた。
「いくら魔法なしでも、相手が悪すぎるでしょ」
春希の認識は正しい。一般人の大会に、Z戦士をぶちこむようなものだ。それほど雅香の力は同年代とは隔絶している。
悠斗は必死で一撃必殺の打撃を回避しているが、それ以外の消耗させる打撃は受けている。回避する余裕がないのだ。
組み合うために超接近戦に持ち込もうにも、雅香の動きが流麗過ぎて、その隙が全くない。
またも顔や腕をボコボコに腫らし、ふらふらと動いている。
「弱ったフリはしなくていいぞ」
そんな悠斗に、雅香は小さく声をかけた。
「……バレたか」
「止めをさそうと接近したところで組み技に持ち込むつもりだろう?」
完全に意図を読まれて、悠斗はまた戦術を考えなくてはいけなくなった。
格下が格上に勝つ方法は、いくつかある。
一つは相手の油断につけこむこと。
二つはこちらの戦力を錯覚させること。
三つは初見殺し。アルに使った突きなどがそれである。
問題は、どれも雅香には通用しないであろうということだ。
あとは肉を切らせて骨を断つ、という手段もあるが、肉を切らせようとして丸ごと切断される可能性の方が高いだろう。
神剣ありでの戦いなら、逆に勝機がある。なんでもありなら前世のように、悠斗は雅香に勝っているのだ。相討ちではあるが、目的からすれば勝利である。
しかし悠斗は霊銘神剣の類は持っていないことになっている。試合のルールも違う。
結果、結界のように雅香の拳の届く範囲で、ボコボコに殴られ続けている。
地力がここまで差があるとは、流石に思っていなかった。
タックルは通用しない。膝か肘が待っている。
袖も掴めない。雅香の打撃は引くほうが速い。
なんとかして立ち関節か、転がしての寝技に持ち込みたいのだが、打撃を受ける以外で触れることすら出来ない。
圧倒的な実力差であるが、周囲の観衆はむしろ、それだけ雅香の攻撃に耐えられる悠斗を、驚愕の目で見ていた。
チャンスは、必ずある。
雅香の打撃で、決定的な一撃をもらっていない。それがどれだけ難しいことか、雅香の実力を知っている者は、悠斗の評価を大幅に引き上げていた。
何度目かの連打の後、雅香はバックステップして悠斗との距離を取った。
ざわめきが大きい。雅香もここまで悠斗が諦めないとは予想外だった。
逆転の目が残っているうちは、絶対に油断できない。それが勇者であると知っていたはずなのに。
前世の最終決戦においても、遠距離からの魔法を躊躇いなく使い続けていれば、それで勇者を消耗させ、倒すことが出来たであろう。
もっともその戦法を取った場合は、勇者のパーティー連中の介入は不可避であったであろうが。
ざわめきが大きな会場の中で、雅香は両手を上げ、パンパンと音を鳴らした。
「あ~、対戦者の健闘を称えて、私は九鬼家に伝わる奥義をもって、この試合を終らせようと思う」
その言葉に、会場がまた一瞬ざわめく。
「もしこの技が真似出来るなら、どうぞしてもらいたい。発展させられるなら、それもいいだろう。まあ、まず無理だとは思うが」
九鬼家。その武闘派の中の武闘派とも言うべき家が伝える奥義。
それに関心のない者など、一族の中にはいないであろう。
実際のところは、雅香の言うとおり再現不可能なのだろうが。
それでも、防ぐ手段ぐらいなら考えつくかもしれない。
自分に充分な注目が注がれるのを確認してから、雅香は言葉を続けた。
「この奥義の名は『絶神』と呼ぶ」
力を抜いた構えから、雅香は軽く右手を上げた。その掌が、悠斗に向けられる。
悠斗は直感する。あれを食らうのはまずい。おそらく一瞬で気絶するか、下手をすれば死ぬ。
防御ではなく回避をすべきだ、と思った悠斗に向かって、雅香は歩み寄った。悠斗が望んでいた、グラップリングの間合いだ。
だが、既に遅い。
ほとんど密着するほどの状態で、雅香の掌が悠斗に触れていた。
後方に跳躍して、ダメージを減らす。そう考えて、足に力を入れ、上半身は脱力する。
その瞬間、奇妙な衝撃が肉体を襲った。
全身が、薄い膜で覆われ、触覚が妨げられたような。
頭の後ろに意識があって、客観的に自分の体を見ているような。
とにかく肉体が全く動かない状態になって、悠斗は床に倒れた。
意識はある。だが体が動かない。
(どういう技だ!? 魔法じゃないのは分かるが、神経の伝達を遮断したのか!?)
鮮明な思考で分析しようとしたが、さっぱり分からない。
だがなんとなく、前世で死んだ時の感覚に似ているような気がした。
(この技を開発したのは誰だ? 雅香じゃないようだけど……)
思考を巡らせる悠斗を他所に、審判は雅香の勝利を告げていた。
結局、治癒魔法を使っても、悠斗はその日起き上がることは出来なかった。
おそらく精神や魂といった部分に、直接ダメージを与える効果があったのだろう。肉体的な傷は、それまでに受けた打撃だけであったので、既に治療が済んでいる。
しかし結局動けないことで、悠斗はその日の他の競技を全て棄権することになった。
なんでもありの一般の部はともかく、一族と交流できる試合があったので、それは残念だったのだが。
「まあ、一年生であそこまで出来たら、充分だと思うわよ?」
保健室のベッドで寝転がる。それしか出来ない悠斗の脇に腰を下ろし、春希が語りかける。
「他の家の一族も注目してたみたいだし、まあ、あたしが既に所有権を主張しているわけだけどさ」
悠斗を物のように言っているが、春希に悪気はない。この年頃の少女に特有の、独占欲が少し偏ったものだ。
「……夏には、長野に呼んでもらえるのか?」
試合後すぐは口を開くことさえ出来なかった悠斗だが、今は指先が動く程度にまでは回復している。
そんな悠斗の言葉に、春希は眉を寄せた。
「まあ、一度は本家に顔を出してもらう予定だったけど、来たいわけ?」
「どうにか、あいつに勝ちたい」
悠斗の言葉に、春希は呆れたように首を振った。
あそこまで一方的に敗れて、それでもまだ諦めない。悔しさや恥ずかしさではなく、ただ求道精神のように、その願いを口にする。
春希が今まで出会った男の中で、そんな人間は一人もいなかった。
「あんたが来たいなら、手配はしておくわ。元々色々、あんたについては調べたいこともあったんだし」
「そうか、頼む」
言葉を発してから悠斗は、呼吸を深くゆっくりとする。
あの技の効果は分からないが、こうしている間にも少しずつ後遺症は消えていっている。
「……少し眠るから、全部終った後、起こして欲しい」
返答を聞く前に、悠斗は眠りの中に入っていった。
「寝たの?」
あまりにも速やかな睡眠への移行に、春希は多少の呆れをもって、悠斗の耳元で囁く。
「無防備ね。脇腹つつくわよ」
実際にツンツンとつついてみるが、悠斗の反応はない。
その寝顔をじっと見ていた春希は、もっとよく見ようと顔を近づける。
悠斗の顔はそれなりに整っているが、美少年というほどでもない。なんというか……絵の上手い漫画家の描いたモブキャラのような顔立ちである。
見た目だけでは、その内面は計り知れない。
「……変なやつよね……」
じっくりとその顔を見つめてしばらく……春希はもっと細かくそれを観察しようとして、少しだけ開いてる唇を見た。
それに吸い込まれるように、自分の唇を触れさせていた。
それは一瞬。慌てて顔を引き、悠斗が眠っていることを確認する。
かっと血が顔に上る。唇を袖で拭い、その拭った袖を、まじまじと見つめる。
「何やってんのよ、あたし……」
月氏の姫巫女。だがその一瞬、春希はただの女の子だった。
目を覚まさせないように、ゆっくりと保健室から出て行く。
心臓の鼓動はまだ早い。自分の行動を理性で分析しようとするが、上手くいかない。
「……何やってんの……」
呟いた春希は、まだ試合が行われているはずの会場に、足早に去っていった。
その後、悠斗を起こしたのは春希に頼まれたみのりであったが、みのりも悠斗も、それを不自然と思うことはなかった。
第一章 了
関節技や絞め技を駆使したところで、牙や爪を持ち、あるいは関節が人間と根本的に違う魔物には、対抗のしようがないからだ。
もちろん古い時代から内乱や外国勢力との対決も行われているので、それらが全くないわけではない。
だが一秒の半分もあれば、肉体を消し炭に変えることが出来る能力者が、そんな技術についやする時間を考えれば、他の修行に時間や労力を回すのが効率的なのは間違いないのだ。
この点、スポーツとしてその技術を高めていたヨーロッパ系の能力者は、実戦で戦う場合、白兵戦能力に劣る。
第二次産業革命以来、経済力と軍事力というアドバンテージを得た欧米諸国は、無駄なことに労力を割く余裕があったとも言える。
日本でも江戸時代に入ってその傾向はあったのだが、基本的に武器を使った殺し合いが、武士という軍人の頭の中から消えたことはない。
それは大陸も同じはずなのだが、チャイナや半島は、イデオロギーの問題で尚武の意識が薄かった。
幕末から昭和初期にかけて日本の戦闘技術は世界に広まったが、それが各地の武術と化学反応を起こして、派生していった事実がある。
ちなみにこの傾向は、後進国とされていた地方では小さい。
というわけで悠斗が選ぶ戦法は、打撃以外に限定されるのだ。
なんでもありならともかく、魔術も闘技も禁止されたこのルールでは、間違いなくストライカーよりグラップラーが有利なのである。そのはずである。
問題は悠斗が男子で、雅香が女子という点であろうか。
男子が女子に寝技や絞め技をかけるというのは、なんというか、その、絵面的に問題がある。
この場には一族以外の人間も多くいて、雅香の胸部装甲はみのりほどではないが、育っているので。
まあ前世で殺し合った相手に欲情することもないので、悠斗は真剣に戦うのだが。
そしてまあ予想通り、一方的に打たれていた。
闘技を使っているわけでもないのに、雅香の動きは尋常でない速度であり、そして不自然なまでに技と技の間に隙がない。
基本的には打撃主体なのだが、下手をするとローキックを食らって体が宙に浮かぶ。
その、浮いたままで力を流せない状態で拳を食らえば、普通ならそれで試合終了である。諦めなくても終わりである。
だが悠斗は浮いたままで、雅香の攻撃を何割か受け流した。
実は雅香から教わった防御の一つで、中国拳法や合気の技術である。
あっさりとものにしている悠斗も充分凄いのだが、それを教えられる雅香の熟練度も恐ろしい。
それでも試合は一方的なものであるのに変わりはなかった。
「今度は負けないで、って言わないんですか?」
からかうわけでもなく、みのりが春希に声をかける。
春希はふいと目を逸らしたが、流石に無理でしょ、とは呟いた。
「いくら魔法なしでも、相手が悪すぎるでしょ」
春希の認識は正しい。一般人の大会に、Z戦士をぶちこむようなものだ。それほど雅香の力は同年代とは隔絶している。
悠斗は必死で一撃必殺の打撃を回避しているが、それ以外の消耗させる打撃は受けている。回避する余裕がないのだ。
組み合うために超接近戦に持ち込もうにも、雅香の動きが流麗過ぎて、その隙が全くない。
またも顔や腕をボコボコに腫らし、ふらふらと動いている。
「弱ったフリはしなくていいぞ」
そんな悠斗に、雅香は小さく声をかけた。
「……バレたか」
「止めをさそうと接近したところで組み技に持ち込むつもりだろう?」
完全に意図を読まれて、悠斗はまた戦術を考えなくてはいけなくなった。
格下が格上に勝つ方法は、いくつかある。
一つは相手の油断につけこむこと。
二つはこちらの戦力を錯覚させること。
三つは初見殺し。アルに使った突きなどがそれである。
問題は、どれも雅香には通用しないであろうということだ。
あとは肉を切らせて骨を断つ、という手段もあるが、肉を切らせようとして丸ごと切断される可能性の方が高いだろう。
神剣ありでの戦いなら、逆に勝機がある。なんでもありなら前世のように、悠斗は雅香に勝っているのだ。相討ちではあるが、目的からすれば勝利である。
しかし悠斗は霊銘神剣の類は持っていないことになっている。試合のルールも違う。
結果、結界のように雅香の拳の届く範囲で、ボコボコに殴られ続けている。
地力がここまで差があるとは、流石に思っていなかった。
タックルは通用しない。膝か肘が待っている。
袖も掴めない。雅香の打撃は引くほうが速い。
なんとかして立ち関節か、転がしての寝技に持ち込みたいのだが、打撃を受ける以外で触れることすら出来ない。
圧倒的な実力差であるが、周囲の観衆はむしろ、それだけ雅香の攻撃に耐えられる悠斗を、驚愕の目で見ていた。
チャンスは、必ずある。
雅香の打撃で、決定的な一撃をもらっていない。それがどれだけ難しいことか、雅香の実力を知っている者は、悠斗の評価を大幅に引き上げていた。
何度目かの連打の後、雅香はバックステップして悠斗との距離を取った。
ざわめきが大きい。雅香もここまで悠斗が諦めないとは予想外だった。
逆転の目が残っているうちは、絶対に油断できない。それが勇者であると知っていたはずなのに。
前世の最終決戦においても、遠距離からの魔法を躊躇いなく使い続けていれば、それで勇者を消耗させ、倒すことが出来たであろう。
もっともその戦法を取った場合は、勇者のパーティー連中の介入は不可避であったであろうが。
ざわめきが大きな会場の中で、雅香は両手を上げ、パンパンと音を鳴らした。
「あ~、対戦者の健闘を称えて、私は九鬼家に伝わる奥義をもって、この試合を終らせようと思う」
その言葉に、会場がまた一瞬ざわめく。
「もしこの技が真似出来るなら、どうぞしてもらいたい。発展させられるなら、それもいいだろう。まあ、まず無理だとは思うが」
九鬼家。その武闘派の中の武闘派とも言うべき家が伝える奥義。
それに関心のない者など、一族の中にはいないであろう。
実際のところは、雅香の言うとおり再現不可能なのだろうが。
それでも、防ぐ手段ぐらいなら考えつくかもしれない。
自分に充分な注目が注がれるのを確認してから、雅香は言葉を続けた。
「この奥義の名は『絶神』と呼ぶ」
力を抜いた構えから、雅香は軽く右手を上げた。その掌が、悠斗に向けられる。
悠斗は直感する。あれを食らうのはまずい。おそらく一瞬で気絶するか、下手をすれば死ぬ。
防御ではなく回避をすべきだ、と思った悠斗に向かって、雅香は歩み寄った。悠斗が望んでいた、グラップリングの間合いだ。
だが、既に遅い。
ほとんど密着するほどの状態で、雅香の掌が悠斗に触れていた。
後方に跳躍して、ダメージを減らす。そう考えて、足に力を入れ、上半身は脱力する。
その瞬間、奇妙な衝撃が肉体を襲った。
全身が、薄い膜で覆われ、触覚が妨げられたような。
頭の後ろに意識があって、客観的に自分の体を見ているような。
とにかく肉体が全く動かない状態になって、悠斗は床に倒れた。
意識はある。だが体が動かない。
(どういう技だ!? 魔法じゃないのは分かるが、神経の伝達を遮断したのか!?)
鮮明な思考で分析しようとしたが、さっぱり分からない。
だがなんとなく、前世で死んだ時の感覚に似ているような気がした。
(この技を開発したのは誰だ? 雅香じゃないようだけど……)
思考を巡らせる悠斗を他所に、審判は雅香の勝利を告げていた。
結局、治癒魔法を使っても、悠斗はその日起き上がることは出来なかった。
おそらく精神や魂といった部分に、直接ダメージを与える効果があったのだろう。肉体的な傷は、それまでに受けた打撃だけであったので、既に治療が済んでいる。
しかし結局動けないことで、悠斗はその日の他の競技を全て棄権することになった。
なんでもありの一般の部はともかく、一族と交流できる試合があったので、それは残念だったのだが。
「まあ、一年生であそこまで出来たら、充分だと思うわよ?」
保健室のベッドで寝転がる。それしか出来ない悠斗の脇に腰を下ろし、春希が語りかける。
「他の家の一族も注目してたみたいだし、まあ、あたしが既に所有権を主張しているわけだけどさ」
悠斗を物のように言っているが、春希に悪気はない。この年頃の少女に特有の、独占欲が少し偏ったものだ。
「……夏には、長野に呼んでもらえるのか?」
試合後すぐは口を開くことさえ出来なかった悠斗だが、今は指先が動く程度にまでは回復している。
そんな悠斗の言葉に、春希は眉を寄せた。
「まあ、一度は本家に顔を出してもらう予定だったけど、来たいわけ?」
「どうにか、あいつに勝ちたい」
悠斗の言葉に、春希は呆れたように首を振った。
あそこまで一方的に敗れて、それでもまだ諦めない。悔しさや恥ずかしさではなく、ただ求道精神のように、その願いを口にする。
春希が今まで出会った男の中で、そんな人間は一人もいなかった。
「あんたが来たいなら、手配はしておくわ。元々色々、あんたについては調べたいこともあったんだし」
「そうか、頼む」
言葉を発してから悠斗は、呼吸を深くゆっくりとする。
あの技の効果は分からないが、こうしている間にも少しずつ後遺症は消えていっている。
「……少し眠るから、全部終った後、起こして欲しい」
返答を聞く前に、悠斗は眠りの中に入っていった。
「寝たの?」
あまりにも速やかな睡眠への移行に、春希は多少の呆れをもって、悠斗の耳元で囁く。
「無防備ね。脇腹つつくわよ」
実際にツンツンとつついてみるが、悠斗の反応はない。
その寝顔をじっと見ていた春希は、もっとよく見ようと顔を近づける。
悠斗の顔はそれなりに整っているが、美少年というほどでもない。なんというか……絵の上手い漫画家の描いたモブキャラのような顔立ちである。
見た目だけでは、その内面は計り知れない。
「……変なやつよね……」
じっくりとその顔を見つめてしばらく……春希はもっと細かくそれを観察しようとして、少しだけ開いてる唇を見た。
それに吸い込まれるように、自分の唇を触れさせていた。
それは一瞬。慌てて顔を引き、悠斗が眠っていることを確認する。
かっと血が顔に上る。唇を袖で拭い、その拭った袖を、まじまじと見つめる。
「何やってんのよ、あたし……」
月氏の姫巫女。だがその一瞬、春希はただの女の子だった。
目を覚まさせないように、ゆっくりと保健室から出て行く。
心臓の鼓動はまだ早い。自分の行動を理性で分析しようとするが、上手くいかない。
「……何やってんの……」
呟いた春希は、まだ試合が行われているはずの会場に、足早に去っていった。
その後、悠斗を起こしたのは春希に頼まれたみのりであったが、みのりも悠斗も、それを不自然と思うことはなかった。
第一章 了
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