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23 古流
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雲井家。秋津家の本流の一家であり、どちらかというと戦闘に特化したわけではない能力者を多く抱える家である。
そのルーツはまつろわぬ神を崇める、日本人ではないが日本に住む流浪の民族であった。
山地の多い中国地方や四国を巡り、なんと江戸時代になっても根拠地と呼べるものを持っていなかった。
一族から忍者集団を出していたようで、戦国期には活躍をしていたらしい。
明治になってようやく一族に完全に属し根拠地を構えたようだが、その変遷からして、他の一族とは異なる面を持っている。
簡単に言ってしまえば、徒手格闘に強いらしい。
移動を繰り返し、忍者としても働くのであれば、目立つ霊銘神剣や、魔法の類の使用は限定的になるのだろう。
そんな雲井家の使う武術は、土蜘蛛流と呼ばれている。
名前だけでもおどろおどろしいが、古代日本にいた大和朝廷とは対立していた一族、土蜘蛛が元となっているのだろう。
まあそれを言うなら熊襲やアイヌも元はまつろわぬ民だったのだが。
(それを考えると皇室を最高権威として、宗家をその代理とする体制を作ったのは、かなり凄いことなんだろうな)
おそらく人間でありながら魔王となった雅香と同じぐらいには。
雲井家の人間の特徴は、これだけ混血の進んだ現代日本においても、簡単に分かるものが一つある。
それは手足が長く細いということだ。
もちろん極端なものではない。欧米の人種に比べて日本人の平均が短いのと同程度だ。
古代の時代はそれをして土蜘蛛と呼んだのだろうが……悠斗の直感は、彼に警鐘を鳴らしている。
おそらく、徒手格闘に関しては、本当に強いのだろう。雲井家だけに伝わっている技も多いのかもしれない。身体的特徴を活かした技もあると思う。
しかし相手が強くて能力が不明だというのは、戦闘においてはよくある話だ。
殺さないことを前提としている試合において、悠斗はむしろ、戦闘技術を学べることを喜んでいた。
試合が始まるまでは。
!
「ぶっ!」
変な声と共に、口内に落ちてきた鼻血が噴出された。
顔面に打撃を受けたのは何度目だろうか。数える気にもなれない。一方悠斗からの有効打は、まだ一度もない。
雲井家の使う武術。
それは今のところ、歩法を使った回避不可能の打撃術であった。
試合当初から、雲井はボクシングか空手か日拳か、その全てに似ている構えをしていた。
起動の見えない拳打が、反応の遅れる悠斗の顔面に吸い込まれる。それが何度か繰り返された。
歩法も古武術と似ていたが、この回避不能の拳打は、空手に似ている。悠斗が使ったものとほぼ同じだ。
ボクシングに応用できれば世界チャンピオンを量産出来そうだったが、おそらく研究されたら回避可能となる類に違いない。
もっとも今現在それと対している悠斗にとってはどうにもならないことである。戦闘中に対処法が見つかるだろうか。
拳だけの攻撃が繰り返されているが、もしも足技まで使ってきたらどうなるか。
いや、ひょっとしたら足技は使えないのか?
足で移動して、手で攻撃する。この手を足に変えるだけで、かなり難しいのではないだろうか。
実際のところ足の打撃を受けていたら、既に悠斗は倒れていたかもしれない。
(足は使えないか、使う必要がない。もしくは使えないと思わせることが目的かもしれない)
冷静に分析した後、悠斗はタックルを仕掛けた。
打撃ありの場合、下手にタックルをかけると、膝蹴りでカウンターを食らう。
しかし悠斗の動きは瞬速であり、同時にカウンターさえも避ける気構えをしてあった。
雲井の腰を掴んだ瞬間、足を払って倒そうとしたのだが、その足が払えなかった。
単純な力ならば、この動きで倒せるはずだ。しかし倒れていない。
体の使い方がそもそも違うのだと、悠斗は悟る。
雲井が体を捻ると、その動きだけで悠斗は弾き飛ばされそうになった。踏ん張ったところへ、前蹴り。
足の付け根を押さえるような、威力のない前蹴りであったが、思った以上に体勢が崩れる。
なるほど、これが体幹か、と悠斗は劣勢ながら奇妙に納得していた。
戦いは一方的なものに見えた。
雲井の使う当て身と歩法の技術。これは知らないと対処できない。
教えられれば対処できただろうが、彼は教えられていない。
かつてブラジリアン柔術が無敵であったように、格闘の技術とは、それを知らない者にとっては対処不能のものとなる。
悠斗は致命的な一打は避けながらも、打たれ続ける。
雲井にとっては、悠斗は目障りな人間であった。一族の血をかろうじて引いているが、一族として育てられていない。
才能という遺伝子に眠るものに期待されているが、それは彼自身の価値ではない。
だというのに一族の少年を倒し、やりすぎとまで思える攻撃を仕掛けた。
許せるものではない。
ここで完膚なきまでに倒しておいて、一族への畏怖を植えつけよう。
しょせんはただの一般人なんだと、魂に刻み込んでやろう。
その思いは同じなのか、審判が止める気配はまだない。
自分から倒れこみ、参ったと言うまでいたぶり続けてやろう。
それは一族にとっては、自分たちが普通の人間よりも強いという、ある程度は事実ではあるが肥大化した認識からきていた。
だが、それに迎合しない者もいる。
「ユート!」
初めて彼を呼んだ時の様に、春希は叫んでいた。
「負けないで!」
月氏の姫が、彼を呼んだ。
「モテるねえ」
雅香が皮肉げに笑い、防戦一方に見える悠斗を見つめる。
そろそろだろう、と雅香は期待していた。
前世において彼女は、勇者の力と特異性をよく知っていた。
ここから、魔法も闘技もなしで勝つ。普通ならそれは不可能だろう。だが彼は勇者だった。
何度となく劣勢を盛り返し、絶体絶命の状況から逆転する。
それが勇者であった、悠斗の特徴……いや、存在そのものであった。
顔面だけでなく、防御する腕や、それをすり抜けた攻撃で内出血を起こした体が重い。
だが、悠斗は「納得」した。
「よし、だいたい分かった」
その言葉は短く、誰の耳にも届かなかった。
何度目かの、歩法からの拳打。それは同じように悠斗の肉体にめりこむはずだった。
しかし現実は違う。悠斗と雲井の距離は、拳で殴るよりもさらに近い間にあった。
起動が分かりづらいため、カウンターで合わせることも難しいはずの攻撃に、悠斗は接近していた。
相手のわずかな動揺に対して、悠斗は右手を傾け、手首の部分で鎖骨に当てた。
空手で言う弧拳である。拳よりも壊れにくく、固い場所。
それに対して鎖骨は、その重要度に比して脆い場所である。
固い感触と共に、鎖骨に罅が入ったのを知る。
悠斗は距離を取るべく後退しようとしたが、雲井はそれを許さずに、悠斗の道着を掴む。
だが手ごたえはなかった。
これまでの一方的な攻防の間に、悠斗の道着は脱げ易くなっていた。
古流の武術は強い。その中から発生した柔術も強い。
総合格闘において柔術の経験は、ほぼ必須と言っても良いだろう。
しかし古武術にも弱点と言うべきか、現代の柔術にはない、改良すべき点がある。
古武術は投げや極めの技も多いが、その前提として道着を着用としているものがある。なんでもありの状況で戦う場合、わざわざ上着を脱いでる暇などないという想定から、着衣が基本である。
だがこの場合はどうだろうか。
脱げた道着を囮にして攻撃、という手は使わない。道着を着ないのは反則だが、途中で脱ぐのは反則ではない。
悠斗はそれを囮にして、相手の足を踏んだ。古武術の攻撃は、あの独特の歩法から始まる。それを防ぐ。
そしてタックルをしつつ、片腕を斜めに突き上げた。素人でも出来るステゴロの技だとマンガに描いてあったので。
その一撃は確かに雲井の顎を叩き、わずかにダメージを与える。
わずかなダメージで雲井の動きはわずかに鈍る。即ちそれこそ隙である。
前世において悠斗は、神剣を振るう魔力すらない状態、つまり魔法さえ使えないほどの状態で、複数の敵と戦ったことがある。
幾ら一族が厳しい鍛錬をしたとしても、そんな絶望的な状況に陥るまでは追い込まないだろう。
殺さなければ殺される。そういった戦いの経験は、間違いなく悠斗の方が多い。
結局そこから、寝技に移行する。関節や絞めではなく、ただ泥臭い殴り合いだ。
拳や肘を高速で連打して、相手の攻撃を回避することもなく、ひたすら殴り続ける。
自分のダメージを考えず、相手を殺す気で殴り続ける。
その連打が止まったのは、審判が悠斗の勝利を宣言した時であった。
「引くわー」
流石の春希も口元を引きつかせて、ボコボコに膨れた顔の悠斗を迎えた。
「負けないでって言っただろーに」
「いや、限度ってものが……人によって違うわね」
春希の中での悠斗の評価が、また変わった。
「あうー、沖田、治療頼むー」
別にさっきの試合でも余裕があったわけではないのだ。ただ自分から降参しないと決めていただけで。
顔以外にも全身打撲であるが、弓の治癒魔法によって傷は癒えていく。
「まあ、一般人がここまで来るだけで凄いわよ。さすがに次の相手は九鬼の系統だし、棄権でいいでしょ」
傷が癒えたからと言って、体力まで回復しているわけではない。それに普通なら、ここまでボコボコにされたトラウマで数日は立ち直れない。
能力者の治癒魔法を使ってさえ、1デイトーナメントというのには無理があるのだ。
本当に何でもありの格闘技が、一日に何試合も行われない理由である。
柔道であれば打撃のダメージはないし、関節技などは極められたら終わりなので、一日でトーナメントをこなすことが出来る。
だが寸止めなしの打撃、折っても終らない試合など、ダメージの蓄積を考えれば、競技として成立しないのは当たり前なのだ。
そもそもトーナメントの組み合わせの時点で、どれだけダメージを残さずに次の試合に立てるかが決まる。
運任せのトーナメントというのは、競技ならともかく武術の応酬では成立しないのだ。
治癒魔法がある能力者同士のトーナメントであっても、治癒魔法使いが完全に癒せるダメージだけとは限らない。
しかしながら悠斗の場合は違った。
「大丈夫だろ。頭にいいのをもらったわけじゃないし、骨も折られてないし、出血もたいしたことない」
次の試合に出る気は満々であった。
「だからって……次の相手は本物の九鬼家の人間よ。雲井が弱いわけじゃないけど、あそこの家から代表で出てくるのは、マジで危険なわけよ」
白川という名字であるが、九鬼家の本流である四家の一つであるらしい。
確かに悠斗も試合を見ていたが、余力を残してあっさりと勝っていた。
というか、対戦相手も諦めが良すぎる。
この試合は、対戦中の魔法や闘技の使用は禁じているが、弓が治癒魔法を使ってくれているように、闘技を使って回復するのも反則ではない。
深く呼吸をしながら体内の血液の巡りを意識することによって、悠斗の肉体は回復していっている。
「血が足りない。肉を食わせろ」
「プロテインならあるけど?」
「ジューシーな肉がほしい」
出来れば血液をそのまま飲みたいぐらいである。
既に昼休憩はとっくに終っているので、学食に料理は残っていない。
さすがの悠斗も生粋の戦闘民族ヤサイ人ならぬ九鬼家の戦士と、消耗した状態で戦うのは避けたかった。
(あれ? そういえば……)
「なんだったら、恵んでやろうか?」
悠斗たちに声をかけてきたのは、それまで公然の接触を避けてきた雅香であった。
彼女はデパートで買ってきたらしき刺身や寿司、焼き鳥などを大量に抱えていた。
「恵んでくれるならありがたいが、どうして九鬼家の系列の選手が、二人も残ってるんだ?」
魔法学校は各地の家に密接に関わっている。鎌倉の代表が九鬼家系列の雅香なのだから、もう一人いるのはおかしいのではないだろうか。
「白川は人材交流のために、京都の藤原家の家に世話になっているからだ。ちなみにけっこう強い」
返事もしないまま、悠斗はマンガ肉を含めた料理を食べ始めた。
「とは言っても私には全くかなわないから、勝てる可能性はあるぞ」
ないだろ、という表情を一族の女子三人はしている。
だが、雅香があると言うなら、確かにあるのだろう。
「分かった。先に決勝に行ってるぞ」
ゲフ、と胃の中の空気を吐きながら、悠斗は料理を高速で消化し始めた。
そのルーツはまつろわぬ神を崇める、日本人ではないが日本に住む流浪の民族であった。
山地の多い中国地方や四国を巡り、なんと江戸時代になっても根拠地と呼べるものを持っていなかった。
一族から忍者集団を出していたようで、戦国期には活躍をしていたらしい。
明治になってようやく一族に完全に属し根拠地を構えたようだが、その変遷からして、他の一族とは異なる面を持っている。
簡単に言ってしまえば、徒手格闘に強いらしい。
移動を繰り返し、忍者としても働くのであれば、目立つ霊銘神剣や、魔法の類の使用は限定的になるのだろう。
そんな雲井家の使う武術は、土蜘蛛流と呼ばれている。
名前だけでもおどろおどろしいが、古代日本にいた大和朝廷とは対立していた一族、土蜘蛛が元となっているのだろう。
まあそれを言うなら熊襲やアイヌも元はまつろわぬ民だったのだが。
(それを考えると皇室を最高権威として、宗家をその代理とする体制を作ったのは、かなり凄いことなんだろうな)
おそらく人間でありながら魔王となった雅香と同じぐらいには。
雲井家の人間の特徴は、これだけ混血の進んだ現代日本においても、簡単に分かるものが一つある。
それは手足が長く細いということだ。
もちろん極端なものではない。欧米の人種に比べて日本人の平均が短いのと同程度だ。
古代の時代はそれをして土蜘蛛と呼んだのだろうが……悠斗の直感は、彼に警鐘を鳴らしている。
おそらく、徒手格闘に関しては、本当に強いのだろう。雲井家だけに伝わっている技も多いのかもしれない。身体的特徴を活かした技もあると思う。
しかし相手が強くて能力が不明だというのは、戦闘においてはよくある話だ。
殺さないことを前提としている試合において、悠斗はむしろ、戦闘技術を学べることを喜んでいた。
試合が始まるまでは。
!
「ぶっ!」
変な声と共に、口内に落ちてきた鼻血が噴出された。
顔面に打撃を受けたのは何度目だろうか。数える気にもなれない。一方悠斗からの有効打は、まだ一度もない。
雲井家の使う武術。
それは今のところ、歩法を使った回避不可能の打撃術であった。
試合当初から、雲井はボクシングか空手か日拳か、その全てに似ている構えをしていた。
起動の見えない拳打が、反応の遅れる悠斗の顔面に吸い込まれる。それが何度か繰り返された。
歩法も古武術と似ていたが、この回避不能の拳打は、空手に似ている。悠斗が使ったものとほぼ同じだ。
ボクシングに応用できれば世界チャンピオンを量産出来そうだったが、おそらく研究されたら回避可能となる類に違いない。
もっとも今現在それと対している悠斗にとってはどうにもならないことである。戦闘中に対処法が見つかるだろうか。
拳だけの攻撃が繰り返されているが、もしも足技まで使ってきたらどうなるか。
いや、ひょっとしたら足技は使えないのか?
足で移動して、手で攻撃する。この手を足に変えるだけで、かなり難しいのではないだろうか。
実際のところ足の打撃を受けていたら、既に悠斗は倒れていたかもしれない。
(足は使えないか、使う必要がない。もしくは使えないと思わせることが目的かもしれない)
冷静に分析した後、悠斗はタックルを仕掛けた。
打撃ありの場合、下手にタックルをかけると、膝蹴りでカウンターを食らう。
しかし悠斗の動きは瞬速であり、同時にカウンターさえも避ける気構えをしてあった。
雲井の腰を掴んだ瞬間、足を払って倒そうとしたのだが、その足が払えなかった。
単純な力ならば、この動きで倒せるはずだ。しかし倒れていない。
体の使い方がそもそも違うのだと、悠斗は悟る。
雲井が体を捻ると、その動きだけで悠斗は弾き飛ばされそうになった。踏ん張ったところへ、前蹴り。
足の付け根を押さえるような、威力のない前蹴りであったが、思った以上に体勢が崩れる。
なるほど、これが体幹か、と悠斗は劣勢ながら奇妙に納得していた。
戦いは一方的なものに見えた。
雲井の使う当て身と歩法の技術。これは知らないと対処できない。
教えられれば対処できただろうが、彼は教えられていない。
かつてブラジリアン柔術が無敵であったように、格闘の技術とは、それを知らない者にとっては対処不能のものとなる。
悠斗は致命的な一打は避けながらも、打たれ続ける。
雲井にとっては、悠斗は目障りな人間であった。一族の血をかろうじて引いているが、一族として育てられていない。
才能という遺伝子に眠るものに期待されているが、それは彼自身の価値ではない。
だというのに一族の少年を倒し、やりすぎとまで思える攻撃を仕掛けた。
許せるものではない。
ここで完膚なきまでに倒しておいて、一族への畏怖を植えつけよう。
しょせんはただの一般人なんだと、魂に刻み込んでやろう。
その思いは同じなのか、審判が止める気配はまだない。
自分から倒れこみ、参ったと言うまでいたぶり続けてやろう。
それは一族にとっては、自分たちが普通の人間よりも強いという、ある程度は事実ではあるが肥大化した認識からきていた。
だが、それに迎合しない者もいる。
「ユート!」
初めて彼を呼んだ時の様に、春希は叫んでいた。
「負けないで!」
月氏の姫が、彼を呼んだ。
「モテるねえ」
雅香が皮肉げに笑い、防戦一方に見える悠斗を見つめる。
そろそろだろう、と雅香は期待していた。
前世において彼女は、勇者の力と特異性をよく知っていた。
ここから、魔法も闘技もなしで勝つ。普通ならそれは不可能だろう。だが彼は勇者だった。
何度となく劣勢を盛り返し、絶体絶命の状況から逆転する。
それが勇者であった、悠斗の特徴……いや、存在そのものであった。
顔面だけでなく、防御する腕や、それをすり抜けた攻撃で内出血を起こした体が重い。
だが、悠斗は「納得」した。
「よし、だいたい分かった」
その言葉は短く、誰の耳にも届かなかった。
何度目かの、歩法からの拳打。それは同じように悠斗の肉体にめりこむはずだった。
しかし現実は違う。悠斗と雲井の距離は、拳で殴るよりもさらに近い間にあった。
起動が分かりづらいため、カウンターで合わせることも難しいはずの攻撃に、悠斗は接近していた。
相手のわずかな動揺に対して、悠斗は右手を傾け、手首の部分で鎖骨に当てた。
空手で言う弧拳である。拳よりも壊れにくく、固い場所。
それに対して鎖骨は、その重要度に比して脆い場所である。
固い感触と共に、鎖骨に罅が入ったのを知る。
悠斗は距離を取るべく後退しようとしたが、雲井はそれを許さずに、悠斗の道着を掴む。
だが手ごたえはなかった。
これまでの一方的な攻防の間に、悠斗の道着は脱げ易くなっていた。
古流の武術は強い。その中から発生した柔術も強い。
総合格闘において柔術の経験は、ほぼ必須と言っても良いだろう。
しかし古武術にも弱点と言うべきか、現代の柔術にはない、改良すべき点がある。
古武術は投げや極めの技も多いが、その前提として道着を着用としているものがある。なんでもありの状況で戦う場合、わざわざ上着を脱いでる暇などないという想定から、着衣が基本である。
だがこの場合はどうだろうか。
脱げた道着を囮にして攻撃、という手は使わない。道着を着ないのは反則だが、途中で脱ぐのは反則ではない。
悠斗はそれを囮にして、相手の足を踏んだ。古武術の攻撃は、あの独特の歩法から始まる。それを防ぐ。
そしてタックルをしつつ、片腕を斜めに突き上げた。素人でも出来るステゴロの技だとマンガに描いてあったので。
その一撃は確かに雲井の顎を叩き、わずかにダメージを与える。
わずかなダメージで雲井の動きはわずかに鈍る。即ちそれこそ隙である。
前世において悠斗は、神剣を振るう魔力すらない状態、つまり魔法さえ使えないほどの状態で、複数の敵と戦ったことがある。
幾ら一族が厳しい鍛錬をしたとしても、そんな絶望的な状況に陥るまでは追い込まないだろう。
殺さなければ殺される。そういった戦いの経験は、間違いなく悠斗の方が多い。
結局そこから、寝技に移行する。関節や絞めではなく、ただ泥臭い殴り合いだ。
拳や肘を高速で連打して、相手の攻撃を回避することもなく、ひたすら殴り続ける。
自分のダメージを考えず、相手を殺す気で殴り続ける。
その連打が止まったのは、審判が悠斗の勝利を宣言した時であった。
「引くわー」
流石の春希も口元を引きつかせて、ボコボコに膨れた顔の悠斗を迎えた。
「負けないでって言っただろーに」
「いや、限度ってものが……人によって違うわね」
春希の中での悠斗の評価が、また変わった。
「あうー、沖田、治療頼むー」
別にさっきの試合でも余裕があったわけではないのだ。ただ自分から降参しないと決めていただけで。
顔以外にも全身打撲であるが、弓の治癒魔法によって傷は癒えていく。
「まあ、一般人がここまで来るだけで凄いわよ。さすがに次の相手は九鬼の系統だし、棄権でいいでしょ」
傷が癒えたからと言って、体力まで回復しているわけではない。それに普通なら、ここまでボコボコにされたトラウマで数日は立ち直れない。
能力者の治癒魔法を使ってさえ、1デイトーナメントというのには無理があるのだ。
本当に何でもありの格闘技が、一日に何試合も行われない理由である。
柔道であれば打撃のダメージはないし、関節技などは極められたら終わりなので、一日でトーナメントをこなすことが出来る。
だが寸止めなしの打撃、折っても終らない試合など、ダメージの蓄積を考えれば、競技として成立しないのは当たり前なのだ。
そもそもトーナメントの組み合わせの時点で、どれだけダメージを残さずに次の試合に立てるかが決まる。
運任せのトーナメントというのは、競技ならともかく武術の応酬では成立しないのだ。
治癒魔法がある能力者同士のトーナメントであっても、治癒魔法使いが完全に癒せるダメージだけとは限らない。
しかしながら悠斗の場合は違った。
「大丈夫だろ。頭にいいのをもらったわけじゃないし、骨も折られてないし、出血もたいしたことない」
次の試合に出る気は満々であった。
「だからって……次の相手は本物の九鬼家の人間よ。雲井が弱いわけじゃないけど、あそこの家から代表で出てくるのは、マジで危険なわけよ」
白川という名字であるが、九鬼家の本流である四家の一つであるらしい。
確かに悠斗も試合を見ていたが、余力を残してあっさりと勝っていた。
というか、対戦相手も諦めが良すぎる。
この試合は、対戦中の魔法や闘技の使用は禁じているが、弓が治癒魔法を使ってくれているように、闘技を使って回復するのも反則ではない。
深く呼吸をしながら体内の血液の巡りを意識することによって、悠斗の肉体は回復していっている。
「血が足りない。肉を食わせろ」
「プロテインならあるけど?」
「ジューシーな肉がほしい」
出来れば血液をそのまま飲みたいぐらいである。
既に昼休憩はとっくに終っているので、学食に料理は残っていない。
さすがの悠斗も生粋の戦闘民族ヤサイ人ならぬ九鬼家の戦士と、消耗した状態で戦うのは避けたかった。
(あれ? そういえば……)
「なんだったら、恵んでやろうか?」
悠斗たちに声をかけてきたのは、それまで公然の接触を避けてきた雅香であった。
彼女はデパートで買ってきたらしき刺身や寿司、焼き鳥などを大量に抱えていた。
「恵んでくれるならありがたいが、どうして九鬼家の系列の選手が、二人も残ってるんだ?」
魔法学校は各地の家に密接に関わっている。鎌倉の代表が九鬼家系列の雅香なのだから、もう一人いるのはおかしいのではないだろうか。
「白川は人材交流のために、京都の藤原家の家に世話になっているからだ。ちなみにけっこう強い」
返事もしないまま、悠斗はマンガ肉を含めた料理を食べ始めた。
「とは言っても私には全くかなわないから、勝てる可能性はあるぞ」
ないだろ、という表情を一族の女子三人はしている。
だが、雅香があると言うなら、確かにあるのだろう。
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