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4 鬼との接触
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「いや~、まさか悠斗が本当に受かるとはなあ」
父の運転するボックスカーで、家族は一泊二日の温泉旅行へと向かっていた。
季節は春。曾祖母の体調も良く、気候もしばらくは崩れないということで、有給を取った父を含めて、一家は近隣の温泉宿を訪れることにしたのだ。
「ねえ、あれ出来ないの? 手からぶわあああって火を出すやつ」
「いや、素質があるのが分かっただけで、どうやって使うのかまでは……」
調子のいい母に答えて、悠斗は窓外の景色を見ている。
左手には青い海が広がり、右手には緑の山々が続いている。
風光明媚なこの近隣は、近年重要視されるようになった、安全な保養所である。
ゴブリンの発生により、多くの国々や地方が、それまでの生活を変えざるをえなかった。
特にユーラシア大陸や南北アメリカ大陸、アフリカ大陸などの広大な土地ではそれが顕著であった。
ゴブリンは繁殖力に優れ、六年ほどで成熟する生物である。そして雑食だ。
それが大陸に存在するということは、その土地が荒廃する可能性が高まるということである。
アメリカなどは強大な軍事力を動員して虱潰しにゴブリンを駆逐しているが、根絶は難しい。銃規制の声などはもう全く聞かれなくなった。それ以外の国はより困った状況にある。
ロシアや中国などは国土も広く、しかも国境線も長いため、ゴブリンの被害は馬鹿にならないのだ。寒冷地の多いロシアはともかく、中国はひどいことになっている。
密林を持つ南アメリカ大陸などもそうで、ゴブリン駆逐のため、国連では満場一致でその対策法が作成されたほどである。
アフリカは広い地域で、人間の住まない地が出現してしまっている。
この中で日本や台湾、英国などといった発展した島国は、比較的損害が少ない国である。輸入食料の高騰により、お米農家が復権を果たしたりもしている。
それに日本は本気を出した自衛隊や、新設されたハンターギルドの手によって、かなりその危険性を排除している。
それでも山深い土地などは手が届きづらいので、いまだに完全に駆逐したとは言えないのだが。
ともかく近場に旅行に行く程度には、安全が保たれているのだ。
鄙びた温泉街は、山間の土地にあった。
いかにも温泉街という風情で、浴衣姿の旅行客が道を歩いている。
その左右には土産物屋があり、旅行者の衝動買いを狙っている。
(平和な光景だな~)
温泉饅頭を口の中に入れながら、悠斗は両親と共に温泉街を歩いている。既に一度湯には浸かって、浴衣に衣装は替えている。
両親はいちゃいちゃしながら土産物を物色しているが、それを邪魔するほど野暮ではない。
眠ってしまった弟の海斗は祖父母に任せ、久しぶりの三人の行動である。
本当に平和であった。
ゴブリンがこちらの世界でも現れた時、悠斗はまたあの地獄のような日々が訪れるのかと思っていた。
城の武人たちは肉体のあちこちに深い傷を持ち、前線では四肢が欠損した戦士たちがその状態でも戦っていた。
街にまで魔物が現れることは少なかったが、辺境の村がゴブリンの集団によって壊滅するなどは、よくある話であった。そして流民は街にやってきて、治安を悪化させる。
他人事ではなく、今ではこちらの世界でも、外国ではそのような例が起こっているらしい。
言うなれば全世界規模でテロが起こっているようなものだ。しかも戦力がすぐに動員出来る都市部ではなく、郊外や僻地に頻発するのが嫌らしい。
郊外の農場などは、農作物を守るためにハンターを雇っていることが多い。
前世からの因縁を考えれば、悠斗は自分が戦わなければいけないと思っていた。実際、その力も持っていた。
だがこちらの世界を見てみれば、科学文明の発達による兵器の優越で、ゴブリンを駆逐することは簡単である、
害獣としてはすさまじく厄介であるが、武器さえあれば問題なく対処出来る。
個人の戦闘力ではあちらの世界の戦士の方が優っていたが、こちらの世界の近代兵器ならゴブリンなど物の数ではない。
それでも被害が出るのは、ゴブリンの旺盛な繁殖力と、早熟性、何より他の野生動物にはない残虐性にあるのだ。
あちらの世界でも言っていた。どれだけ哀れでも、ゴブリンは殺せと。
しかし悠斗が心配しているのは、ゴブリンだけではない。
あちらの世界ではゴブリンは明らかな害獣であったが、それよりも危険な魔物はたくさんいたのだ。
ゴブリンにしても亜種や上位種がいて、キングに率いられたゴブリンの群れは、大きな集落でも簡単に壊滅させていた。
亜種のホブゴブリンなどは並の人間よりも巨大であり、訓練した戦士でなければ集団でも大きな被害が出るのを覚悟して戦う存在であった。
こちらの世界の、戦士たちの実力はどうなのだろうかと悠斗は考える。
進学先の学校の生徒たちを魔力感知した限りでは、山田などは雑魚としか思えない強力な魔法使いがいた。
ゴブリンならば亜種や上位種でも問題ない。ただ向こうの世界でも災害レベルと言われた竜などは、現代兵器なしでは勝てるとは思えない。もちろん悠斗は除くが。
悠斗にしても、一人で戦うのは心もとない。
魔王との決戦に関しては、他の仲間でさえ足手まといになるので単独で向かったが、本来は背中を守ってくれる戦士や、援護をしてくれる後衛、また治癒魔法を使える聖女や、斥候の役目をはたす斥候などが必要であった。国家の支援ももちろんあった。
勇者であっても、食事と睡眠がなければ死ぬ。
そもそもあちらの世界では、フィクションなどによくある収納魔法など前線レベルでは使われていなかったので、荷物持ちが最低でも二人は必要だった。
地球の場合はそのあたりの条件は多少変わるであろうが、やはり支援してくれる存在は必要だろう。
悠斗が生真面目に思考に没入しているあいだに、父母と三人で温泉街の外れにある神社にやってきていた。
健康長寿のお守りを買って、一家の幸福を祈る。
和やかな温泉街より少し離れた神社は、喧騒とは無縁である。
悠斗の感覚では、こういった神域は心地よいものと感じる。魔物はおろか人間の情念さえも浄化され、無駄に魔力を感知してしまうことがない。それで気が休まるのだ。
だがこの時は違った。
神域の空気が澱んでいる。その原因を探るため感知の手を伸ばそうとしたところで、林の中からそれは現れた。
子供のような矮躯に、緑色の肌。曲がった腰に鋭い牙。そして手に持つのはその辺で拾ったらしき木の枝。
こちらの世界では初めて実際に見るゴブリンであった。
両親もそれには気付いた。それと同時にゴブリンが駆け出す。
向かってきたゴブリンに対して、母が進み出た。
危ない! と悠斗は言いたかったが、それは杞憂である。
ゴブリンの棍棒を素早くかわした母は、その腕を取って勢い良く投げ飛ばした。
顔面から石畳に打ち付けられたゴブリンは、首の骨を折って絶命していた。
菅原葉子、職業は体育教師。足首の故障で引退するまでは、アマレスの国際強化選手であり、世界選手権で三連覇を果たした女傑である。ちなみに現役時代のあだ名は浦西の女カレリンであった。
父との出会いは、引退せざるをえなかった怪我のリハビリの折に、新米の医学療法士として知り合ったのだ。
悠斗は前世で全く姉に頭が上がらなかったが、それは何も悠斗の前世が弱かったわけでなく、姉は理不尽に強かったのだ。
「やった! 流石は葉子さん! 俺に出来ないことを平然とやってのける! そこに痺れる憧れる!」
父が変なテンションになっていたが、母はゴブリンの匂いに鼻をつまみながら、林の向こうを見たまま後ずさってくる。。
「まだ来るよ! さっさと逃げて!」
神社の周囲の森から、多数の緑色の小鬼が現れる。父は慌てて悠斗の手を握るが、母はその場から動かない。いや、動けない。
選手を引退したほどの怪我に、久しぶりの急激な運動。右の足首が熱を持って走れない。
「母ちゃん!」
悠斗の叫び声に、母は振り向いてニカっと笑った。
「ゴブリンぐらい大丈夫だよ! 母ちゃんは強いんだから!」
現れたゴブリンは八匹。母の力がどれだけのものかは分かっているが、悠斗の見た限りにおいてはゴブリンに二種類の亜種がいる。
弓使いと杖持ちだ。
やばい。弓使いも杖持ちも、格闘戦を行う母には危険な相手だ。
特に杖持ちの魔法など、いくら母が強いとは言え初見殺しになる危険がある。
父の手を振り払った悠斗は、小石を拾いつつ母へ向かう。
魔力で強化した筋力で、小石を後衛のゴブリンに放った。
ゴブリンは目の付近に小石をぶつけられ、注意が母から逸れる。特に弓を持っていた方は、明後日の方向に矢が飛んでいった。
「悠斗!」
母が驚いて叫んでいるが、悠斗は無視して、絶命したゴブリンの持っていた棍棒を手にした。棍棒と言うのも無理がある、軽い物だ。土産物の木刀のほうがまだ威力はあるだろう。
悠斗は先手必勝とばかりに、一番近いゴブリンに向けて突進した。ゴブリンはそこから無駄に振りかぶるが、その棒は軽くかわして、悠斗は顔面に棍棒を叩きつける。
手足や胴体と違って、顔のダメージは動きを止める。特に棍棒のようなもので目や鼻を叩かれては、下手をすればしばらく全く動けない。
ゴブリンはある程度の知性がある魔物であるが、痛みに耐えて戦闘を継続するほどの訓練など積んでいないのだ。
悠斗は持っていた棍棒を他のゴブリンに投げ、足元の棍棒を手に取る。その際うずくまっていたゴブリンの首を踏み抜き、絶命させることも忘れない。
さらに二匹のゴブリンを相手取り、隙を見て攻撃し、戦闘力を奪う。だがその間に後衛のゴブリンが態勢を戻しつつある。
戦う場所が悪かった。もう少し大きな石が落ちている場所であれば、それを投擲して有効なダメージを通していただろう。だがここは神社。せいぜい砂利石しかない。
それでも遠距離攻撃の手段であるのには変わりはない。石を投げては後衛の注意を逸らし、その隙にゴブリンを減らそうとするのだが……。
「へあっ!」
背後から引っこ抜くようにゴブリンを投げた母が、またも首の骨を折って、最後のノーマルゴブリンを倒していた。……知っていたつもりだが、母ちゃんマジつええ。
残るは弓使いと杖持ちののゴブリン二匹、と少し息を整えた悠斗であったが、鍛えられた直感が危機を告げてくる。
感知能力は魔法の一種とも特異な能力とも言われているが、それによればこちらに向かっていて、今にも姿を現そうとしている個体は――。
「母ちゃん、逃げるぞ!」
母の腰辺りを支えるように、悠斗は神社の階段へと向かう。
神社の古木を発砲スチロールのようにたやすく倒しながら、それは現れた。
成人男性並のホブゴブリンよりも更に頭二つ高く、見るからに強靭な筋肉に覆われた、赤みを帯びた肉体の魔物。
頭には短い角が二つあるそれを、異世界ではオーガと呼んでいた。
こらあかん、となぜか関西弁で内心呟きつつ、葉子は自分の成すべきことを考える。
格闘技をやっていた彼女は、体格の差の限界と、男女の差の限界を知っている。
まして相手は人間ではない。YAWARAさんでもない限り、この体重差は覆せないだろう。しかも敵は半裸である。掴むところが少ない。
相手の武器は棍棒だが、ゴブリンの使っていたものとは大きさが違う。柔良く剛を制すなどという言葉があるが、スポーツとして格闘技を見た場合、それにも限度というものがあるとは分かっているのだ。
せめて銃でも持っていたら別だったのだろうが、安全なはずの温泉街で、まさかこんな状況に陥るとは思ってもいなかった。
「あんた、悠斗を連れてって。あたしも時間稼ぎしたら行くから」
熱を持った足で、それは不可能だろう。時間稼ぎをしたら、そこで死ぬ。なんという男前な母だろうと悠斗は改めて感嘆する。
だが、その犠牲を許容するわけにはいかない。
この二度目の人生を幸福に謳歌するためには、それは許されない。
悠斗は手ぬぐいを掴むと、小石を集める。ゴリアテだって投石で殺せたのだ。オーガだって石で殺せないわけではないだろう。
とりあえず母の前に出ようとするが、葉子はそれを許さない。男前すぎるのはいいのだが、自分の体を考えて欲しい。
「だ、駄目だ! 皆で逃げるんだ!」
父が母のさらに前に出ようとする。だがリハビリ専門職の医療従事者である父は、年齢相応の成人男子である。多少は力は強いかもしれないが、ドカタの兄ちゃんほどではない。
「父ちゃん邪魔!」
揉みあう二人の横を抜け、悠斗は遠心力をつけた石を、全力でゴブリン二匹、そしてオーガの頭部に叩き付けた。
狙いは的中しゴブリン二匹は顔面に石を食らい、その場にうずくまる。だが幸運はここまでだ。
目を潰せばめっけものであったろうが、そう上手く事は運ばない。オーガは多少痛かったという程度のダメージを受けたのか、怒りがよく分かる形相で悠斗に向き合う。
「こっちだ! ついてこい!」
悠斗は挑発して、神社の林の中に入っていく。浴衣が邪魔で、履いた下駄のせいで足元が頼りなかったが、それでも正面から戦うわけにはいかない。
「悠斗!」
悲痛な叫び声を上げる両親を背に、悠斗は人里から少しでも離れようとする。
母の足を考えると、追ってくることは出来ない。ゴブリンが態勢を立て直す前に、逃げる必要があるだろう。父は冷静な人だ。さっきは少しおかしくなっていたが、悠斗が逃げることを願って、人を呼んで来る方が現実的だと考えるだろう。
あとは悠斗が実際に逃げきればいいわけだが、オーガ相手にそれは虫のいい話だろう。
体の小ささを武器に、林の中を駆ける。オーガが追う。結構太い木もあるのだが、平然と押し倒す。さすがは大鬼。人間が生身で倒したら英雄と呼ばれる怪物である。
しかしさすがに全力で突進とはいかない。わずかずつだが悠斗との距離は開いていく。その間に悠斗は周囲を探知して、都合のいい場所を探した。
足を止めた悠斗はオーガに向き直る。逃げるのをやめた獲物に対して、オーガは巨大な牙をむく。
だが、オーガは勘違いしている。
悠斗は逃げるのを諦めたのではない。
戦うことを決めたのだ。
父の運転するボックスカーで、家族は一泊二日の温泉旅行へと向かっていた。
季節は春。曾祖母の体調も良く、気候もしばらくは崩れないということで、有給を取った父を含めて、一家は近隣の温泉宿を訪れることにしたのだ。
「ねえ、あれ出来ないの? 手からぶわあああって火を出すやつ」
「いや、素質があるのが分かっただけで、どうやって使うのかまでは……」
調子のいい母に答えて、悠斗は窓外の景色を見ている。
左手には青い海が広がり、右手には緑の山々が続いている。
風光明媚なこの近隣は、近年重要視されるようになった、安全な保養所である。
ゴブリンの発生により、多くの国々や地方が、それまでの生活を変えざるをえなかった。
特にユーラシア大陸や南北アメリカ大陸、アフリカ大陸などの広大な土地ではそれが顕著であった。
ゴブリンは繁殖力に優れ、六年ほどで成熟する生物である。そして雑食だ。
それが大陸に存在するということは、その土地が荒廃する可能性が高まるということである。
アメリカなどは強大な軍事力を動員して虱潰しにゴブリンを駆逐しているが、根絶は難しい。銃規制の声などはもう全く聞かれなくなった。それ以外の国はより困った状況にある。
ロシアや中国などは国土も広く、しかも国境線も長いため、ゴブリンの被害は馬鹿にならないのだ。寒冷地の多いロシアはともかく、中国はひどいことになっている。
密林を持つ南アメリカ大陸などもそうで、ゴブリン駆逐のため、国連では満場一致でその対策法が作成されたほどである。
アフリカは広い地域で、人間の住まない地が出現してしまっている。
この中で日本や台湾、英国などといった発展した島国は、比較的損害が少ない国である。輸入食料の高騰により、お米農家が復権を果たしたりもしている。
それに日本は本気を出した自衛隊や、新設されたハンターギルドの手によって、かなりその危険性を排除している。
それでも山深い土地などは手が届きづらいので、いまだに完全に駆逐したとは言えないのだが。
ともかく近場に旅行に行く程度には、安全が保たれているのだ。
鄙びた温泉街は、山間の土地にあった。
いかにも温泉街という風情で、浴衣姿の旅行客が道を歩いている。
その左右には土産物屋があり、旅行者の衝動買いを狙っている。
(平和な光景だな~)
温泉饅頭を口の中に入れながら、悠斗は両親と共に温泉街を歩いている。既に一度湯には浸かって、浴衣に衣装は替えている。
両親はいちゃいちゃしながら土産物を物色しているが、それを邪魔するほど野暮ではない。
眠ってしまった弟の海斗は祖父母に任せ、久しぶりの三人の行動である。
本当に平和であった。
ゴブリンがこちらの世界でも現れた時、悠斗はまたあの地獄のような日々が訪れるのかと思っていた。
城の武人たちは肉体のあちこちに深い傷を持ち、前線では四肢が欠損した戦士たちがその状態でも戦っていた。
街にまで魔物が現れることは少なかったが、辺境の村がゴブリンの集団によって壊滅するなどは、よくある話であった。そして流民は街にやってきて、治安を悪化させる。
他人事ではなく、今ではこちらの世界でも、外国ではそのような例が起こっているらしい。
言うなれば全世界規模でテロが起こっているようなものだ。しかも戦力がすぐに動員出来る都市部ではなく、郊外や僻地に頻発するのが嫌らしい。
郊外の農場などは、農作物を守るためにハンターを雇っていることが多い。
前世からの因縁を考えれば、悠斗は自分が戦わなければいけないと思っていた。実際、その力も持っていた。
だがこちらの世界を見てみれば、科学文明の発達による兵器の優越で、ゴブリンを駆逐することは簡単である、
害獣としてはすさまじく厄介であるが、武器さえあれば問題なく対処出来る。
個人の戦闘力ではあちらの世界の戦士の方が優っていたが、こちらの世界の近代兵器ならゴブリンなど物の数ではない。
それでも被害が出るのは、ゴブリンの旺盛な繁殖力と、早熟性、何より他の野生動物にはない残虐性にあるのだ。
あちらの世界でも言っていた。どれだけ哀れでも、ゴブリンは殺せと。
しかし悠斗が心配しているのは、ゴブリンだけではない。
あちらの世界ではゴブリンは明らかな害獣であったが、それよりも危険な魔物はたくさんいたのだ。
ゴブリンにしても亜種や上位種がいて、キングに率いられたゴブリンの群れは、大きな集落でも簡単に壊滅させていた。
亜種のホブゴブリンなどは並の人間よりも巨大であり、訓練した戦士でなければ集団でも大きな被害が出るのを覚悟して戦う存在であった。
こちらの世界の、戦士たちの実力はどうなのだろうかと悠斗は考える。
進学先の学校の生徒たちを魔力感知した限りでは、山田などは雑魚としか思えない強力な魔法使いがいた。
ゴブリンならば亜種や上位種でも問題ない。ただ向こうの世界でも災害レベルと言われた竜などは、現代兵器なしでは勝てるとは思えない。もちろん悠斗は除くが。
悠斗にしても、一人で戦うのは心もとない。
魔王との決戦に関しては、他の仲間でさえ足手まといになるので単独で向かったが、本来は背中を守ってくれる戦士や、援護をしてくれる後衛、また治癒魔法を使える聖女や、斥候の役目をはたす斥候などが必要であった。国家の支援ももちろんあった。
勇者であっても、食事と睡眠がなければ死ぬ。
そもそもあちらの世界では、フィクションなどによくある収納魔法など前線レベルでは使われていなかったので、荷物持ちが最低でも二人は必要だった。
地球の場合はそのあたりの条件は多少変わるであろうが、やはり支援してくれる存在は必要だろう。
悠斗が生真面目に思考に没入しているあいだに、父母と三人で温泉街の外れにある神社にやってきていた。
健康長寿のお守りを買って、一家の幸福を祈る。
和やかな温泉街より少し離れた神社は、喧騒とは無縁である。
悠斗の感覚では、こういった神域は心地よいものと感じる。魔物はおろか人間の情念さえも浄化され、無駄に魔力を感知してしまうことがない。それで気が休まるのだ。
だがこの時は違った。
神域の空気が澱んでいる。その原因を探るため感知の手を伸ばそうとしたところで、林の中からそれは現れた。
子供のような矮躯に、緑色の肌。曲がった腰に鋭い牙。そして手に持つのはその辺で拾ったらしき木の枝。
こちらの世界では初めて実際に見るゴブリンであった。
両親もそれには気付いた。それと同時にゴブリンが駆け出す。
向かってきたゴブリンに対して、母が進み出た。
危ない! と悠斗は言いたかったが、それは杞憂である。
ゴブリンの棍棒を素早くかわした母は、その腕を取って勢い良く投げ飛ばした。
顔面から石畳に打ち付けられたゴブリンは、首の骨を折って絶命していた。
菅原葉子、職業は体育教師。足首の故障で引退するまでは、アマレスの国際強化選手であり、世界選手権で三連覇を果たした女傑である。ちなみに現役時代のあだ名は浦西の女カレリンであった。
父との出会いは、引退せざるをえなかった怪我のリハビリの折に、新米の医学療法士として知り合ったのだ。
悠斗は前世で全く姉に頭が上がらなかったが、それは何も悠斗の前世が弱かったわけでなく、姉は理不尽に強かったのだ。
「やった! 流石は葉子さん! 俺に出来ないことを平然とやってのける! そこに痺れる憧れる!」
父が変なテンションになっていたが、母はゴブリンの匂いに鼻をつまみながら、林の向こうを見たまま後ずさってくる。。
「まだ来るよ! さっさと逃げて!」
神社の周囲の森から、多数の緑色の小鬼が現れる。父は慌てて悠斗の手を握るが、母はその場から動かない。いや、動けない。
選手を引退したほどの怪我に、久しぶりの急激な運動。右の足首が熱を持って走れない。
「母ちゃん!」
悠斗の叫び声に、母は振り向いてニカっと笑った。
「ゴブリンぐらい大丈夫だよ! 母ちゃんは強いんだから!」
現れたゴブリンは八匹。母の力がどれだけのものかは分かっているが、悠斗の見た限りにおいてはゴブリンに二種類の亜種がいる。
弓使いと杖持ちだ。
やばい。弓使いも杖持ちも、格闘戦を行う母には危険な相手だ。
特に杖持ちの魔法など、いくら母が強いとは言え初見殺しになる危険がある。
父の手を振り払った悠斗は、小石を拾いつつ母へ向かう。
魔力で強化した筋力で、小石を後衛のゴブリンに放った。
ゴブリンは目の付近に小石をぶつけられ、注意が母から逸れる。特に弓を持っていた方は、明後日の方向に矢が飛んでいった。
「悠斗!」
母が驚いて叫んでいるが、悠斗は無視して、絶命したゴブリンの持っていた棍棒を手にした。棍棒と言うのも無理がある、軽い物だ。土産物の木刀のほうがまだ威力はあるだろう。
悠斗は先手必勝とばかりに、一番近いゴブリンに向けて突進した。ゴブリンはそこから無駄に振りかぶるが、その棒は軽くかわして、悠斗は顔面に棍棒を叩きつける。
手足や胴体と違って、顔のダメージは動きを止める。特に棍棒のようなもので目や鼻を叩かれては、下手をすればしばらく全く動けない。
ゴブリンはある程度の知性がある魔物であるが、痛みに耐えて戦闘を継続するほどの訓練など積んでいないのだ。
悠斗は持っていた棍棒を他のゴブリンに投げ、足元の棍棒を手に取る。その際うずくまっていたゴブリンの首を踏み抜き、絶命させることも忘れない。
さらに二匹のゴブリンを相手取り、隙を見て攻撃し、戦闘力を奪う。だがその間に後衛のゴブリンが態勢を戻しつつある。
戦う場所が悪かった。もう少し大きな石が落ちている場所であれば、それを投擲して有効なダメージを通していただろう。だがここは神社。せいぜい砂利石しかない。
それでも遠距離攻撃の手段であるのには変わりはない。石を投げては後衛の注意を逸らし、その隙にゴブリンを減らそうとするのだが……。
「へあっ!」
背後から引っこ抜くようにゴブリンを投げた母が、またも首の骨を折って、最後のノーマルゴブリンを倒していた。……知っていたつもりだが、母ちゃんマジつええ。
残るは弓使いと杖持ちののゴブリン二匹、と少し息を整えた悠斗であったが、鍛えられた直感が危機を告げてくる。
感知能力は魔法の一種とも特異な能力とも言われているが、それによればこちらに向かっていて、今にも姿を現そうとしている個体は――。
「母ちゃん、逃げるぞ!」
母の腰辺りを支えるように、悠斗は神社の階段へと向かう。
神社の古木を発砲スチロールのようにたやすく倒しながら、それは現れた。
成人男性並のホブゴブリンよりも更に頭二つ高く、見るからに強靭な筋肉に覆われた、赤みを帯びた肉体の魔物。
頭には短い角が二つあるそれを、異世界ではオーガと呼んでいた。
こらあかん、となぜか関西弁で内心呟きつつ、葉子は自分の成すべきことを考える。
格闘技をやっていた彼女は、体格の差の限界と、男女の差の限界を知っている。
まして相手は人間ではない。YAWARAさんでもない限り、この体重差は覆せないだろう。しかも敵は半裸である。掴むところが少ない。
相手の武器は棍棒だが、ゴブリンの使っていたものとは大きさが違う。柔良く剛を制すなどという言葉があるが、スポーツとして格闘技を見た場合、それにも限度というものがあるとは分かっているのだ。
せめて銃でも持っていたら別だったのだろうが、安全なはずの温泉街で、まさかこんな状況に陥るとは思ってもいなかった。
「あんた、悠斗を連れてって。あたしも時間稼ぎしたら行くから」
熱を持った足で、それは不可能だろう。時間稼ぎをしたら、そこで死ぬ。なんという男前な母だろうと悠斗は改めて感嘆する。
だが、その犠牲を許容するわけにはいかない。
この二度目の人生を幸福に謳歌するためには、それは許されない。
悠斗は手ぬぐいを掴むと、小石を集める。ゴリアテだって投石で殺せたのだ。オーガだって石で殺せないわけではないだろう。
とりあえず母の前に出ようとするが、葉子はそれを許さない。男前すぎるのはいいのだが、自分の体を考えて欲しい。
「だ、駄目だ! 皆で逃げるんだ!」
父が母のさらに前に出ようとする。だがリハビリ専門職の医療従事者である父は、年齢相応の成人男子である。多少は力は強いかもしれないが、ドカタの兄ちゃんほどではない。
「父ちゃん邪魔!」
揉みあう二人の横を抜け、悠斗は遠心力をつけた石を、全力でゴブリン二匹、そしてオーガの頭部に叩き付けた。
狙いは的中しゴブリン二匹は顔面に石を食らい、その場にうずくまる。だが幸運はここまでだ。
目を潰せばめっけものであったろうが、そう上手く事は運ばない。オーガは多少痛かったという程度のダメージを受けたのか、怒りがよく分かる形相で悠斗に向き合う。
「こっちだ! ついてこい!」
悠斗は挑発して、神社の林の中に入っていく。浴衣が邪魔で、履いた下駄のせいで足元が頼りなかったが、それでも正面から戦うわけにはいかない。
「悠斗!」
悲痛な叫び声を上げる両親を背に、悠斗は人里から少しでも離れようとする。
母の足を考えると、追ってくることは出来ない。ゴブリンが態勢を立て直す前に、逃げる必要があるだろう。父は冷静な人だ。さっきは少しおかしくなっていたが、悠斗が逃げることを願って、人を呼んで来る方が現実的だと考えるだろう。
あとは悠斗が実際に逃げきればいいわけだが、オーガ相手にそれは虫のいい話だろう。
体の小ささを武器に、林の中を駆ける。オーガが追う。結構太い木もあるのだが、平然と押し倒す。さすがは大鬼。人間が生身で倒したら英雄と呼ばれる怪物である。
しかしさすがに全力で突進とはいかない。わずかずつだが悠斗との距離は開いていく。その間に悠斗は周囲を探知して、都合のいい場所を探した。
足を止めた悠斗はオーガに向き直る。逃げるのをやめた獲物に対して、オーガは巨大な牙をむく。
だが、オーガは勘違いしている。
悠斗は逃げるのを諦めたのではない。
戦うことを決めたのだ。
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そんな世界に唯一現れた白髪の少年。
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その少年が“髪の色=愛の証”とされる世界で愛を知らぬ者として、可愛がられ愛される話。
⚠第1章の主人公は、2歳なのでめっちゃ拙い発音です。滑舌死んでます。
⚠愛されるだけではなく、ちょっと可哀想なお話もあります。
異世界から日本に帰ってきたら魔法学院に入学 パーティーメンバーが順調に強くなっていくのは嬉しいんだが、妹の暴走だけがどうにも止まらない!
枕崎 削節
ファンタジー
〔小説家になろうローファンタジーランキング日間ベストテン入り作品〕
タイトルを変更しました。旧タイトル【異世界から帰ったらなぜか魔法学院に入学。この際遠慮なく能力を発揮したろ】
3年間の異世界生活を経て日本に戻ってきた楢崎聡史と桜の兄妹。二人は生活の一部分に組み込まれてしまった冒険が忘れられなくてここ数年日本にも発生したダンジョンアタックを目論むが、年齢制限に壁に撥ね返されて入場を断られてしまう。ガックリと項垂れる二人に救いの手を差し伸べたのは魔法学院の学院長と名乗る人物。喜び勇んで入学したはいいものの、この学院長はとにかく無茶振りが過ぎる。異世界でも経験したことがないとんでもないミッションに次々と駆り出される兄妹。さらに二人を取り巻く周囲にも奇妙な縁で繋がった生徒がどんどん現れては学院での日常と冒険という非日常が繰り返されていく。大勢の学院生との交流の中ではぐくまれていく人間模様とバトルアクションをどうぞお楽しみください!
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
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