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12章 ムーブメント
203 幸福の総量
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思えば前回のツアーは、本当に貧乏バンドのツアーであった。
それでも本当の不人気バンドなら、そもそもツアーの計画自体が立てられないが。
おおよそ一年前とは、かなり立場が変わってしまっている。
機材の運搬などはスタッフに任せて、週末に新幹線で前日入り。
そしてリハまでしっかりと昼間にやってしまえる。
ワンマンライブで、1700人のホール。
チケットの料金も、ライブハウスの倍ほどにもなる。
ホールが公共性をもって作られているため、貸し出しの料金はそれほど高くない。
だが音楽用ではあっても、ライブ用ではないので事前の準備は必要だ。
そこを他の人間に任せてしまえるのが、売れっ子ということなのであろうか。
「この規模なら少し小さめのライブハウスの方が、ペイしたんじゃないですか?」
「そっちはもう予約で埋まっていたのよ」
そういえば武道館が決まってから、このツアーは企画されている。
確かにもっと使いやすいハコは、埋まっていても当然だろう。
もちろん利益は出るのだが、大儲けというほどではない。
特に設営と撤去には、専門のスタッフが必要になる。
単純に儲けを考えるだけなら、最初から設備の揃っている300人規模の方がいいぐらいだ。
ただ重要なのは武道館を満員にすること。
二日で四回の公演なのだから、ざっと四万人は動員することになる。
以前に二日で四回やった時は、8000人であった。
五倍の客を集めるというのは、相当に厳しいところなのだ。
それでも武道館で出来るのは、完全にステータスだ。
たとえばデビューをいきなり武道館で、というのはほぼ不可能である。
興行実績のないイベントに対しては、とても厳しいのが武道館である。
例外が一応あるのは、アイドルグループの新メンバーが、デビューで武道館を使ったというパターンだ。
これは旧来のメンバーでの興行実績があるため、許可が下りたという事情である。
ノイズの場合は都内の1000人規模なら、問題なく埋められるようになっている。
関東圏は埼玉や神奈川でも、300人のライブハウスでワンマンが出来る。
それでも念には念を入れて、地方からの客も呼び込もうというのが、このツアーの目的だ。
ただいくらファンになったとはいっても、そのライブのためだけに東京までやってくるのは、かなり辛いだろうと思うのは、貧乏ミュージシャン時代が長かった信吾や栄二、そして売れていなかった月子などである。
実際のところはアイドルのコンサートや、公演などに関しては、日本各地程度ならば、平然と追いかけるファンはいる。
しかしノイズのファンというのは、そういうコア層が本当にいるのだろうか、俊でさえも疑問である。
チケットの料金が高くなっても、交通費の方が高くなったり、宿泊費の方が高くなったりということはある。
なんだかんだ言ってお坊ちゃんな俊ではあるが、知識としてはチケットノルマなどを自分で捌いたことはある。
最終的にはほとんどタダで配って、来てくれるだけでもありがたい、という惨めな話もあったぐらいだ。
貧乏からは遠い環境で生きてきたが、金銭感覚が分からないというわけでもない。
それでも月子や信吾などからしたら、ボンボンであることは変わらないのだが。
むしろ俊が持っている感覚は、無駄な散財を嫌うというものだ。
実父の失敗は結局のところ、売れなくなったという以上に、浪費が激しかったからである。
母も本来はお嬢様であったのだが、音大時代に俊からは祖父にあたり人物の事業が破綻し、そのため本来の音楽の道を進むことが出来なくなった。
そこを才能ごと、俊の父に買われたようなものである。
父の不倫によって財産を分与され、離婚が成立した。
その財産をしっかりと維持するぐらいには、もう金銭の価値が分かっていたと言えよう。
俊は貧乏を知らない。
だが音楽が出来なくなる、貧しい生活になることを恐れてはいる。
そのため月子や信吾に、援助となるようなことはした。
暁と千歳は特に問題なく、栄二も既に家庭を持っていたため、そちらには手助けしていない。
とは言っても、使っていない部屋を提供したというだけで、自分の腹が痛んだというわけでもない。
親の力の、余っている部分を借りただけだ。
結局のところ、生来の疑い深い性格が、バンドを黒字で活動させていたということなのだろう。
これは大学において、マーケティングなどの授業を学んで活かすようになったものだ。
朝倉のバンドを抜けたのも、音楽的な発展性がなかったのもそうだが、それ以前に経営的に破綻していたというのがある。
このあたりの実務的な感覚から、芸術的な楽曲が生まれるというのも、逆に不思議に感じる者もいる。
ミュージシャンというのは破滅した人間もいるが、成功して大富豪になった人間もいる。
金に汚いというか、現実的な感覚を持っているというのは、ミュージシャンやアーティストの本質ではないのだろう。
アーティストであっても、本当に芸術家肌であるのか、それとも職人的であるのか、そういう違いはある。
またちゃんと予算から計算して、どういうものが作れるのか、プロデューサーとしての能力も一つの才能だ。
この点に関しては間違いなく、俊は父よりも優れていた。
前日に名古屋に到着し、ビジネスホテルながらそれぞれが個室。
そして翌日には、昼頃からセッティングに関する、全てをやっていく。
基本的には音作りだけをやっていけばいいのだが、自分でやった方が早いところがあったりする。
そういうところには遠慮なく、自分の手を出してしまう俊である。
これまでにずっとやってきたのだから、自分たちのものは自分たちでやった方が早い。
そんなエンジニア的な部分まで出来るミュージシャンは、それほど多くもない。
これはやはり大学で、専門的に学んだことが活きている。
他のメンバーもこの規模になっても、俊は演出面に手を出せることを意識しだす。
フェスなどはさすがに全てスタッフに任せていたが、あれは他のバンドも同じステージでやっていたからだ。
ここで一からやるとなると、やはり自分のやりたいようにやる。
経歴の長い栄二でさえも出来ないことを、俊はちゃんと理解しているのだ。
「やっぱり大学行った方がいいかあ」
千歳はそんなことを言ったし、暁も少し考えるところはある。
千歳の場合はもしも、自分の中から音楽が消えてしまったら、ということを考えはするのだ。
月子のように本当に、流派に従って鍛えられたものと、自分の独学めいたものは違う。
その時にどういう仕事をしていけばいいのか。
正直なところ千歳は、このメンバー以外でバンドを組むのは、全く想像できない。
あるいは俊が完全に新しく作るというなら、そこのギターボーカルをやることは出来るだろう。
ただノイズを上回ることは、絶対に出来ないと思うのだ。
なんとなくではあるが、千歳は自分の未来について、一つだけ考えていることがある。
それは、自分は子供を産まなければいけない、ということだ。
なぜなら自分は、父と母の唯一の子供であるからだ。
あの二人の遺伝子が、自分が子供を産まなければ、ここで途絶えてしまう。
今時そんなことを、などと言う人間もいるかもしれない。
だが子孫を残すということは、生物にとってはむしろ自然なことなのだ。
恋愛に対して、恋バナは好きであるが、自分から特に誰かを好きになったことなど、一度もない千歳である。
ラブソングを俊が作ってくるにあたって、千歳にも色々と訊いてきたことはあった。
月子の場合はともかく、千歳は感性が一般人に近い。
精神的な外傷によって、今の千歳は作られている。
それに沿ったラブソングを作るというのは、それなりに難しいことだと思ったのだ。
恋バナは好きだが、自分は誰かを好きにはならないな、という千歳の言葉に俊は、少し考え込んだりした。
「アセクシャルなのかもしれないな」
アセクシャルというのは、日本語では無性愛とも言う。
他者に対する性的な愛情の欠如を言うのだ。
実のところ俊はこのあたり、ラブソングを作るのにかなり苦労している。
俊のドキドキワクワクする恋愛というのは、彩とのいざこざで破綻してしまっている。
それ以降も恋人はいたが、あれは恋愛ではなくただのパートナーだったな、と普通に言ってしまえるのが俊だ。
生来そうであったのか、それは分からない。
彩を親戚として紹介されて、しばらくして性の目覚めと共に、女性として意識したのは間違いないと思う。
ただ両親の離婚、彩との関係の破綻から、俊の情緒はぐちゃぐちゃに壊されてしまった。
今から思えば親愛なのか恋愛なのか性愛なのか、完全に分からなくなってしまった。
一応性欲自体が、ないわけではないのだが。
楽曲は基本的に、最終的には俊のチェックで完成する。
歌詞に合わせて作るタイプなので、霹靂の刻などは例外である。
ただ信吾の作る曲のメロディラインは、甘ったるいものが多い。
さすがは三股の男とも思うが、こいつは性欲はあっても、まともな恋愛はしていないのだとも思う。
プロの設営から、昼のリハやセッティングを終えて、夜にはライブが開始される。
1830入りの、1900スタート。
二時間のライブの予定ではあるが、アンコールは三曲用意してある。
『どーも、ノイズです!』
今日のMCは千歳がメインで、俊はシンセサイザーと打ち込みの調整に集中する。
いつもよりも音がクリアに響くので、パワーだけで音を届けるのが難しいと思ったからだ。
この音響があるホールにおいて、暁はいつもよりもさらに歪ませ、そしてアレンジが多くなっていた。
暗い雰囲気のライブハウスでも、照明の計算されたコンサートホールでも、自分の強みを出していく。
勘所の鋭さという点では、やはり暁は天才に近いのだろう。
俊は凡人なので、ひたすらパターンを増やしていく。
天才のフォロー自体は、努力すれば凡人でも可能だ。
そこに行くまででも、天才とまでは言わないが、ある程度の素質は必要なのかもしれないが。
MCをやっているためか、今日は千歳のノリがいい。
だが片方のボーカルが調子よく歌っていると、それに被せてさらに強く歌っていくのがノイズである。
共鳴し、反響する関係。
ツインボーカルは特性がかなり違うが、それだけにお互いを補いあっている。
六人編成のバンドというのは、バンド内のバランスがおかしくなるのでは、と質問を受けたこともあった。
五人まではそれなりにあるが、六人となるとかなり少なくなる。
だがギターはリードとリズムに分かれていて、ギターボーカルと三味線ボーカルという差異がある。
また俊のやっていることは、シンセサイザーによるストリングス系と管系の音、また電子音である。
ノイズの音というのは、この六人でやはり成立している。
物理的にも六角形というのは、四角形や五角形よりも頑丈なのだとか。
月子がストライプ付きのエレキ三味線を持つと、オーディエンスの期待も高まる。
一番有名になっている曲は、やはり霹靂の刻である。
七月からアメリカのアニメーションのOPとして使われるし、そのOP自体は既に公開されている。
MVと比べて聴いてみても、和風テイストがしっかりと効いたロックになっているのだ。
それに続いて、俊の作った荒天。
10年ほどもやっていた月子の、ロックとは違いポップスとも外れたような、民謡のアレンジ。
だが激しさだけは、その三味線の弦が唸る。
ギターの音には慣れていても、それに三味線が加わると、新規性が一気に高まる。
新しい音と慣れた音。
それを上手くミックスすると、新しくても心地いい、聴きやすい音になるのだ。
俊の作曲は基本的に、芸術を無視してはいないが、商業主義を忘れないようにしている。
ネタ曲で盛大に打ちあがった経験は、俊にとって複雑な成功体験だ。
いわば異世界ファンタジーでもしっかり結果を出しているのに書籍化せず、なぜか完全ファンタジー要素なしの野球物で、書籍化しなかったのに数百万を稼げたというのに近いか。
いや、誰のことかとは言わないが。
野球作品ならまだマンガでは充分に主流だが、ネタ曲が主流になるのは難しい。
だんご三兄弟などの例は、昨今でもあるのだが。
走りすぎたライブだった。
おかげで時間が余ってしまい、アンコール用の曲をやってしまう羽目になる。
だが三曲も用意していたのは、やはり結果的にはよかったのだ。
演奏する側がパワー全開であると、聴衆の側にもエネルギーが必要になる。
前回のツアーと違って、翌日すぐの移動などはない。
週末だけ演奏すればいいのなら、回復に時間がかけられる。
無意識ではあったかもしれないが、前回にやったツアーよりも、パフォーマンスは完全に向上していた。
まだまだ上が目指せる。
一人冷徹でいようとする俊であったが、フロントのメンバーには引きずられてしまう。
突っ走るのを抑えるか、あるいは行かせるかは、ドラムにかかっている。
栄二はここでもう、全力でやらせる方を選んだ。
おかげでステージが終了後、フロントの三人と栄二は、完全にグロッキーになっていたが。
月子はかろうじて、ドレスを汚してはいけないと、椅子にぐったり座り込む。
だがギターの二人は床に横たわって、冷えた感触を心地よく感じていた。
栄二もどっかりと床に座り、大きく肩で息をしている。
「俺も爪が割れたよ」
「マジか。とりあえず接着剤でくっつけないとな」
次の週末も、今度は大阪でライブなのである。
ホールの奥の楽屋には、音は響いてこない。
だが客が移動していく、その振動は響いてくる。
「お疲れ。グッズもだいぶ売れてるし、しっかり黒字になりそうね」
チケット代だけであると、かろうじて黒字、といったところなのだ。
だがノイズもそれなりに、グッズを作ってきている。
今日の客の中にも、ノイズのバンドTシャツを着ている人間をたくさん見かけた。
音源も売れるだろうし、あとはマグカップだのキーホルダーだの、小物も増えてきている。
このあたりの仕事をいくつか任せているのは、俊の家に下宿している佳代である。
純粋に仕事として頼んでいるので、俊からの駄目出しは多い。
しかし意匠権があるため、グッズが売れれば彼女にもロイヤリティが発生する。
ひそかにデザインだけで、食っていけるようになりつつある。
もっとも環境的に、俊の家から出るという選択は、ちょっとありえないだろうが。
東京に帰還する。
ぐったりと疲れたメンバーであるが、高校生はやはり若かった。
もっともアラサーの栄二はともかく、俊や信吾もまだ20代の前半。
それでも高校生組は、精神的に若いのであろう。
千歳は本日、友達とのショッピングという日常イベントを行っている。
軽音部にも友人はいるが、中学時代からの友人もいたりする、普通に社交的なのが千歳である。
「武道館ってそんなに高いの?」
その中でも一番仲がいいのが、愛理という少女だった。
「レンタル料金はそんなに高くないんだけどね」
本来はその名の通り、武道に関して使われる場所なのだ。
音響やモニターなど、そういった設備の設営などに、かなりの金額がかかる。
名古屋のライブなどでは、チケットとグッズを合わせて、単純に1000万以上の売上になった。
レンタル費用よりも、人件費や技術費に、その金は使われたものだ。
当然ながら事務所の取り分もあるが、やはり人と物を動かせば、そこで金は動くのだ。
「ライブ一回でサラリーマンの月収ぐらいは稼げるんだけど」
サラリーマンといってもピンキリだが、そこそこの中堅といったところだろうか。
毎週ライブハウスで演奏していれば、それだけで充分に中堅サラリーマンよりは稼げる。
だがそれは、人気がいつまでも続けば、という前提があってこそ。
サラリーマンの魅力は、本来はその安定感にあったはずだ。
今では転職も多くなって、あまり安定しているとも言えないが。
そんなわけで千歳は、ある程度の金が使える。
そもそも遺族年金があり、両親の保険金があり、大学までの保険もあるのが千歳である。
贅沢をすれば上はいくらでもあるが、普通に友人と遊ぶぐらいには、ちゃんと金があるのだ。
同じ年齢のバンドであると、むしろバンドを続けるために、バイトなどをしなければいけなかったりする。
それがこの年齢で稼げているという時点で、千歳はミュージシャンの中ではエリートだろう。
ただ事務所のバックアップと、ノイズというパッケージがあってこその自分だと、分かっているのが千歳である。
「ちーは凄いなあ」
そんなことも言われるが、自分はただ普通ではないだけだと思う。
人生の幸福の総量で言うならば、自分はまだマイナスだろう。
ただ幸福と不幸は、プラスとマイナスで相殺できるものでもないのかもしれない。
幸福は幸福、不幸は不幸で、それぞれ別に数えられていく。
「でも彼氏ほしいなあ」
具体的にどんなとは言わないが、千歳はそんなことを言ったりする。
自分自身の分析が、千歳は足りない。
彼氏がほしいなどと言い出したのは、やはり高校生になってから。
それは当然のようなお年頃、と周囲も自分自身も思う。
だが俊などは妄想混じりではあるが、千歳の深層心理を推察して正解していたりする。
千歳は両親を失った。
信頼出来る叔母はいるが、彼女は千歳を一人の人間として扱い、親のように甘えることは許さない。
大人なのである程度は甘えてもいいが、親のような存在ではない。
だから千歳は、自分で家族を作りたいという欲求がある。
それが彼氏という発言になるのだが、正しくはそのもっと先の、結婚から妊娠と出産にまでつながる、幸福な家庭の再現が千歳の望みであるのだ。
俊はその千歳の心理を、次の楽曲に使ってみるかな、という「人の心とかないんか」と言われるようなことを考えているが。
別にそこまでひどいものでもないだろう。
「愛理はいい感じなの?」
「まあね。でもあっちは、医学部狙いだからもう大変みたいで」
「おお、医者かあ」
「将来の勝ち組狙い?」
他の友人はそんなことを言うが、千歳だけは知っている。
愛理の今の恋人は、同性なのである。
元々中学生の頃から、モテる人間ではあった。
告白されてもピンとこないので断っていて、千歳は試しに付き合ってみたらいいのに、という無責任なことも言っていたものだ。
そんな愛理は高校生になって、他の学校の少女と恋人になっている。
なぜ千歳がそれを知っているかというと、そこには複雑な人間の心理がある。
確かに中学時代から、一番の親友ではあった。
だが愛理は千歳の両親の死を、友人の中では唯一すぐに知らされたものだ。
もう一生、友人やめられないな、と愛理は思った。
そんな自分の思考が、かなり嫌だと思ったのは確かだ。
また愛理が母親にそれを言ってしまったため、事故のことはすぐに拡散してしまった。
千歳を「両親が死んでしまった可哀想な子」にしてしまった自分を、愛理は恥じている。
自分だけが寄り添っていれば、それでよかったのに。
なので自分もまた、同性の恋人が出来てしまった時、千歳だけには告げている。
負い目を消して、対等の友人同士に戻るために、自分も秘密を渡したのだ。
レズビアン寄りであるが、同性愛者なのか両性愛者なのかは分からない。
ただ初めて好きになったのは、幼稚園時代の女の先生だった。
まともに初恋と言えそうなのは、今の恋人が初めてである。
だからおそらく、同性愛の方なのだろうとも思うが。
あちらはあちらで、同性愛者であることを、もう少し前から自認していた。
なので将来は、一人で生きるかパートナーと生きるかは別として、収入の多い職業を目指したわけである。
単純に医者を目指している恋人、という情報の背景に、これだけの事情があったりする。
ただ愛理にとって幸いであったのは、千歳が愛理の恋愛に、全くおかしな顔を向けなかったことだ。
そういうのもあるんだ、と納得してしまうあたり、千歳は度量が大きいと言えるのか。
あるいは一部、そのあたりの感性が壊れてしまっているのかもしれない。
春休みの一日、友人と一緒に遊ぶ。
そして夕方からは、またもスタジオでギターをかき鳴らす千歳であった。
それでも本当の不人気バンドなら、そもそもツアーの計画自体が立てられないが。
おおよそ一年前とは、かなり立場が変わってしまっている。
機材の運搬などはスタッフに任せて、週末に新幹線で前日入り。
そしてリハまでしっかりと昼間にやってしまえる。
ワンマンライブで、1700人のホール。
チケットの料金も、ライブハウスの倍ほどにもなる。
ホールが公共性をもって作られているため、貸し出しの料金はそれほど高くない。
だが音楽用ではあっても、ライブ用ではないので事前の準備は必要だ。
そこを他の人間に任せてしまえるのが、売れっ子ということなのであろうか。
「この規模なら少し小さめのライブハウスの方が、ペイしたんじゃないですか?」
「そっちはもう予約で埋まっていたのよ」
そういえば武道館が決まってから、このツアーは企画されている。
確かにもっと使いやすいハコは、埋まっていても当然だろう。
もちろん利益は出るのだが、大儲けというほどではない。
特に設営と撤去には、専門のスタッフが必要になる。
単純に儲けを考えるだけなら、最初から設備の揃っている300人規模の方がいいぐらいだ。
ただ重要なのは武道館を満員にすること。
二日で四回の公演なのだから、ざっと四万人は動員することになる。
以前に二日で四回やった時は、8000人であった。
五倍の客を集めるというのは、相当に厳しいところなのだ。
それでも武道館で出来るのは、完全にステータスだ。
たとえばデビューをいきなり武道館で、というのはほぼ不可能である。
興行実績のないイベントに対しては、とても厳しいのが武道館である。
例外が一応あるのは、アイドルグループの新メンバーが、デビューで武道館を使ったというパターンだ。
これは旧来のメンバーでの興行実績があるため、許可が下りたという事情である。
ノイズの場合は都内の1000人規模なら、問題なく埋められるようになっている。
関東圏は埼玉や神奈川でも、300人のライブハウスでワンマンが出来る。
それでも念には念を入れて、地方からの客も呼び込もうというのが、このツアーの目的だ。
ただいくらファンになったとはいっても、そのライブのためだけに東京までやってくるのは、かなり辛いだろうと思うのは、貧乏ミュージシャン時代が長かった信吾や栄二、そして売れていなかった月子などである。
実際のところはアイドルのコンサートや、公演などに関しては、日本各地程度ならば、平然と追いかけるファンはいる。
しかしノイズのファンというのは、そういうコア層が本当にいるのだろうか、俊でさえも疑問である。
チケットの料金が高くなっても、交通費の方が高くなったり、宿泊費の方が高くなったりということはある。
なんだかんだ言ってお坊ちゃんな俊ではあるが、知識としてはチケットノルマなどを自分で捌いたことはある。
最終的にはほとんどタダで配って、来てくれるだけでもありがたい、という惨めな話もあったぐらいだ。
貧乏からは遠い環境で生きてきたが、金銭感覚が分からないというわけでもない。
それでも月子や信吾などからしたら、ボンボンであることは変わらないのだが。
むしろ俊が持っている感覚は、無駄な散財を嫌うというものだ。
実父の失敗は結局のところ、売れなくなったという以上に、浪費が激しかったからである。
母も本来はお嬢様であったのだが、音大時代に俊からは祖父にあたり人物の事業が破綻し、そのため本来の音楽の道を進むことが出来なくなった。
そこを才能ごと、俊の父に買われたようなものである。
父の不倫によって財産を分与され、離婚が成立した。
その財産をしっかりと維持するぐらいには、もう金銭の価値が分かっていたと言えよう。
俊は貧乏を知らない。
だが音楽が出来なくなる、貧しい生活になることを恐れてはいる。
そのため月子や信吾に、援助となるようなことはした。
暁と千歳は特に問題なく、栄二も既に家庭を持っていたため、そちらには手助けしていない。
とは言っても、使っていない部屋を提供したというだけで、自分の腹が痛んだというわけでもない。
親の力の、余っている部分を借りただけだ。
結局のところ、生来の疑い深い性格が、バンドを黒字で活動させていたということなのだろう。
これは大学において、マーケティングなどの授業を学んで活かすようになったものだ。
朝倉のバンドを抜けたのも、音楽的な発展性がなかったのもそうだが、それ以前に経営的に破綻していたというのがある。
このあたりの実務的な感覚から、芸術的な楽曲が生まれるというのも、逆に不思議に感じる者もいる。
ミュージシャンというのは破滅した人間もいるが、成功して大富豪になった人間もいる。
金に汚いというか、現実的な感覚を持っているというのは、ミュージシャンやアーティストの本質ではないのだろう。
アーティストであっても、本当に芸術家肌であるのか、それとも職人的であるのか、そういう違いはある。
またちゃんと予算から計算して、どういうものが作れるのか、プロデューサーとしての能力も一つの才能だ。
この点に関しては間違いなく、俊は父よりも優れていた。
前日に名古屋に到着し、ビジネスホテルながらそれぞれが個室。
そして翌日には、昼頃からセッティングに関する、全てをやっていく。
基本的には音作りだけをやっていけばいいのだが、自分でやった方が早いところがあったりする。
そういうところには遠慮なく、自分の手を出してしまう俊である。
これまでにずっとやってきたのだから、自分たちのものは自分たちでやった方が早い。
そんなエンジニア的な部分まで出来るミュージシャンは、それほど多くもない。
これはやはり大学で、専門的に学んだことが活きている。
他のメンバーもこの規模になっても、俊は演出面に手を出せることを意識しだす。
フェスなどはさすがに全てスタッフに任せていたが、あれは他のバンドも同じステージでやっていたからだ。
ここで一からやるとなると、やはり自分のやりたいようにやる。
経歴の長い栄二でさえも出来ないことを、俊はちゃんと理解しているのだ。
「やっぱり大学行った方がいいかあ」
千歳はそんなことを言ったし、暁も少し考えるところはある。
千歳の場合はもしも、自分の中から音楽が消えてしまったら、ということを考えはするのだ。
月子のように本当に、流派に従って鍛えられたものと、自分の独学めいたものは違う。
その時にどういう仕事をしていけばいいのか。
正直なところ千歳は、このメンバー以外でバンドを組むのは、全く想像できない。
あるいは俊が完全に新しく作るというなら、そこのギターボーカルをやることは出来るだろう。
ただノイズを上回ることは、絶対に出来ないと思うのだ。
なんとなくではあるが、千歳は自分の未来について、一つだけ考えていることがある。
それは、自分は子供を産まなければいけない、ということだ。
なぜなら自分は、父と母の唯一の子供であるからだ。
あの二人の遺伝子が、自分が子供を産まなければ、ここで途絶えてしまう。
今時そんなことを、などと言う人間もいるかもしれない。
だが子孫を残すということは、生物にとってはむしろ自然なことなのだ。
恋愛に対して、恋バナは好きであるが、自分から特に誰かを好きになったことなど、一度もない千歳である。
ラブソングを俊が作ってくるにあたって、千歳にも色々と訊いてきたことはあった。
月子の場合はともかく、千歳は感性が一般人に近い。
精神的な外傷によって、今の千歳は作られている。
それに沿ったラブソングを作るというのは、それなりに難しいことだと思ったのだ。
恋バナは好きだが、自分は誰かを好きにはならないな、という千歳の言葉に俊は、少し考え込んだりした。
「アセクシャルなのかもしれないな」
アセクシャルというのは、日本語では無性愛とも言う。
他者に対する性的な愛情の欠如を言うのだ。
実のところ俊はこのあたり、ラブソングを作るのにかなり苦労している。
俊のドキドキワクワクする恋愛というのは、彩とのいざこざで破綻してしまっている。
それ以降も恋人はいたが、あれは恋愛ではなくただのパートナーだったな、と普通に言ってしまえるのが俊だ。
生来そうであったのか、それは分からない。
彩を親戚として紹介されて、しばらくして性の目覚めと共に、女性として意識したのは間違いないと思う。
ただ両親の離婚、彩との関係の破綻から、俊の情緒はぐちゃぐちゃに壊されてしまった。
今から思えば親愛なのか恋愛なのか性愛なのか、完全に分からなくなってしまった。
一応性欲自体が、ないわけではないのだが。
楽曲は基本的に、最終的には俊のチェックで完成する。
歌詞に合わせて作るタイプなので、霹靂の刻などは例外である。
ただ信吾の作る曲のメロディラインは、甘ったるいものが多い。
さすがは三股の男とも思うが、こいつは性欲はあっても、まともな恋愛はしていないのだとも思う。
プロの設営から、昼のリハやセッティングを終えて、夜にはライブが開始される。
1830入りの、1900スタート。
二時間のライブの予定ではあるが、アンコールは三曲用意してある。
『どーも、ノイズです!』
今日のMCは千歳がメインで、俊はシンセサイザーと打ち込みの調整に集中する。
いつもよりも音がクリアに響くので、パワーだけで音を届けるのが難しいと思ったからだ。
この音響があるホールにおいて、暁はいつもよりもさらに歪ませ、そしてアレンジが多くなっていた。
暗い雰囲気のライブハウスでも、照明の計算されたコンサートホールでも、自分の強みを出していく。
勘所の鋭さという点では、やはり暁は天才に近いのだろう。
俊は凡人なので、ひたすらパターンを増やしていく。
天才のフォロー自体は、努力すれば凡人でも可能だ。
そこに行くまででも、天才とまでは言わないが、ある程度の素質は必要なのかもしれないが。
MCをやっているためか、今日は千歳のノリがいい。
だが片方のボーカルが調子よく歌っていると、それに被せてさらに強く歌っていくのがノイズである。
共鳴し、反響する関係。
ツインボーカルは特性がかなり違うが、それだけにお互いを補いあっている。
六人編成のバンドというのは、バンド内のバランスがおかしくなるのでは、と質問を受けたこともあった。
五人まではそれなりにあるが、六人となるとかなり少なくなる。
だがギターはリードとリズムに分かれていて、ギターボーカルと三味線ボーカルという差異がある。
また俊のやっていることは、シンセサイザーによるストリングス系と管系の音、また電子音である。
ノイズの音というのは、この六人でやはり成立している。
物理的にも六角形というのは、四角形や五角形よりも頑丈なのだとか。
月子がストライプ付きのエレキ三味線を持つと、オーディエンスの期待も高まる。
一番有名になっている曲は、やはり霹靂の刻である。
七月からアメリカのアニメーションのOPとして使われるし、そのOP自体は既に公開されている。
MVと比べて聴いてみても、和風テイストがしっかりと効いたロックになっているのだ。
それに続いて、俊の作った荒天。
10年ほどもやっていた月子の、ロックとは違いポップスとも外れたような、民謡のアレンジ。
だが激しさだけは、その三味線の弦が唸る。
ギターの音には慣れていても、それに三味線が加わると、新規性が一気に高まる。
新しい音と慣れた音。
それを上手くミックスすると、新しくても心地いい、聴きやすい音になるのだ。
俊の作曲は基本的に、芸術を無視してはいないが、商業主義を忘れないようにしている。
ネタ曲で盛大に打ちあがった経験は、俊にとって複雑な成功体験だ。
いわば異世界ファンタジーでもしっかり結果を出しているのに書籍化せず、なぜか完全ファンタジー要素なしの野球物で、書籍化しなかったのに数百万を稼げたというのに近いか。
いや、誰のことかとは言わないが。
野球作品ならまだマンガでは充分に主流だが、ネタ曲が主流になるのは難しい。
だんご三兄弟などの例は、昨今でもあるのだが。
走りすぎたライブだった。
おかげで時間が余ってしまい、アンコール用の曲をやってしまう羽目になる。
だが三曲も用意していたのは、やはり結果的にはよかったのだ。
演奏する側がパワー全開であると、聴衆の側にもエネルギーが必要になる。
前回のツアーと違って、翌日すぐの移動などはない。
週末だけ演奏すればいいのなら、回復に時間がかけられる。
無意識ではあったかもしれないが、前回にやったツアーよりも、パフォーマンスは完全に向上していた。
まだまだ上が目指せる。
一人冷徹でいようとする俊であったが、フロントのメンバーには引きずられてしまう。
突っ走るのを抑えるか、あるいは行かせるかは、ドラムにかかっている。
栄二はここでもう、全力でやらせる方を選んだ。
おかげでステージが終了後、フロントの三人と栄二は、完全にグロッキーになっていたが。
月子はかろうじて、ドレスを汚してはいけないと、椅子にぐったり座り込む。
だがギターの二人は床に横たわって、冷えた感触を心地よく感じていた。
栄二もどっかりと床に座り、大きく肩で息をしている。
「俺も爪が割れたよ」
「マジか。とりあえず接着剤でくっつけないとな」
次の週末も、今度は大阪でライブなのである。
ホールの奥の楽屋には、音は響いてこない。
だが客が移動していく、その振動は響いてくる。
「お疲れ。グッズもだいぶ売れてるし、しっかり黒字になりそうね」
チケット代だけであると、かろうじて黒字、といったところなのだ。
だがノイズもそれなりに、グッズを作ってきている。
今日の客の中にも、ノイズのバンドTシャツを着ている人間をたくさん見かけた。
音源も売れるだろうし、あとはマグカップだのキーホルダーだの、小物も増えてきている。
このあたりの仕事をいくつか任せているのは、俊の家に下宿している佳代である。
純粋に仕事として頼んでいるので、俊からの駄目出しは多い。
しかし意匠権があるため、グッズが売れれば彼女にもロイヤリティが発生する。
ひそかにデザインだけで、食っていけるようになりつつある。
もっとも環境的に、俊の家から出るという選択は、ちょっとありえないだろうが。
東京に帰還する。
ぐったりと疲れたメンバーであるが、高校生はやはり若かった。
もっともアラサーの栄二はともかく、俊や信吾もまだ20代の前半。
それでも高校生組は、精神的に若いのであろう。
千歳は本日、友達とのショッピングという日常イベントを行っている。
軽音部にも友人はいるが、中学時代からの友人もいたりする、普通に社交的なのが千歳である。
「武道館ってそんなに高いの?」
その中でも一番仲がいいのが、愛理という少女だった。
「レンタル料金はそんなに高くないんだけどね」
本来はその名の通り、武道に関して使われる場所なのだ。
音響やモニターなど、そういった設備の設営などに、かなりの金額がかかる。
名古屋のライブなどでは、チケットとグッズを合わせて、単純に1000万以上の売上になった。
レンタル費用よりも、人件費や技術費に、その金は使われたものだ。
当然ながら事務所の取り分もあるが、やはり人と物を動かせば、そこで金は動くのだ。
「ライブ一回でサラリーマンの月収ぐらいは稼げるんだけど」
サラリーマンといってもピンキリだが、そこそこの中堅といったところだろうか。
毎週ライブハウスで演奏していれば、それだけで充分に中堅サラリーマンよりは稼げる。
だがそれは、人気がいつまでも続けば、という前提があってこそ。
サラリーマンの魅力は、本来はその安定感にあったはずだ。
今では転職も多くなって、あまり安定しているとも言えないが。
そんなわけで千歳は、ある程度の金が使える。
そもそも遺族年金があり、両親の保険金があり、大学までの保険もあるのが千歳である。
贅沢をすれば上はいくらでもあるが、普通に友人と遊ぶぐらいには、ちゃんと金があるのだ。
同じ年齢のバンドであると、むしろバンドを続けるために、バイトなどをしなければいけなかったりする。
それがこの年齢で稼げているという時点で、千歳はミュージシャンの中ではエリートだろう。
ただ事務所のバックアップと、ノイズというパッケージがあってこその自分だと、分かっているのが千歳である。
「ちーは凄いなあ」
そんなことも言われるが、自分はただ普通ではないだけだと思う。
人生の幸福の総量で言うならば、自分はまだマイナスだろう。
ただ幸福と不幸は、プラスとマイナスで相殺できるものでもないのかもしれない。
幸福は幸福、不幸は不幸で、それぞれ別に数えられていく。
「でも彼氏ほしいなあ」
具体的にどんなとは言わないが、千歳はそんなことを言ったりする。
自分自身の分析が、千歳は足りない。
彼氏がほしいなどと言い出したのは、やはり高校生になってから。
それは当然のようなお年頃、と周囲も自分自身も思う。
だが俊などは妄想混じりではあるが、千歳の深層心理を推察して正解していたりする。
千歳は両親を失った。
信頼出来る叔母はいるが、彼女は千歳を一人の人間として扱い、親のように甘えることは許さない。
大人なのである程度は甘えてもいいが、親のような存在ではない。
だから千歳は、自分で家族を作りたいという欲求がある。
それが彼氏という発言になるのだが、正しくはそのもっと先の、結婚から妊娠と出産にまでつながる、幸福な家庭の再現が千歳の望みであるのだ。
俊はその千歳の心理を、次の楽曲に使ってみるかな、という「人の心とかないんか」と言われるようなことを考えているが。
別にそこまでひどいものでもないだろう。
「愛理はいい感じなの?」
「まあね。でもあっちは、医学部狙いだからもう大変みたいで」
「おお、医者かあ」
「将来の勝ち組狙い?」
他の友人はそんなことを言うが、千歳だけは知っている。
愛理の今の恋人は、同性なのである。
元々中学生の頃から、モテる人間ではあった。
告白されてもピンとこないので断っていて、千歳は試しに付き合ってみたらいいのに、という無責任なことも言っていたものだ。
そんな愛理は高校生になって、他の学校の少女と恋人になっている。
なぜ千歳がそれを知っているかというと、そこには複雑な人間の心理がある。
確かに中学時代から、一番の親友ではあった。
だが愛理は千歳の両親の死を、友人の中では唯一すぐに知らされたものだ。
もう一生、友人やめられないな、と愛理は思った。
そんな自分の思考が、かなり嫌だと思ったのは確かだ。
また愛理が母親にそれを言ってしまったため、事故のことはすぐに拡散してしまった。
千歳を「両親が死んでしまった可哀想な子」にしてしまった自分を、愛理は恥じている。
自分だけが寄り添っていれば、それでよかったのに。
なので自分もまた、同性の恋人が出来てしまった時、千歳だけには告げている。
負い目を消して、対等の友人同士に戻るために、自分も秘密を渡したのだ。
レズビアン寄りであるが、同性愛者なのか両性愛者なのかは分からない。
ただ初めて好きになったのは、幼稚園時代の女の先生だった。
まともに初恋と言えそうなのは、今の恋人が初めてである。
だからおそらく、同性愛の方なのだろうとも思うが。
あちらはあちらで、同性愛者であることを、もう少し前から自認していた。
なので将来は、一人で生きるかパートナーと生きるかは別として、収入の多い職業を目指したわけである。
単純に医者を目指している恋人、という情報の背景に、これだけの事情があったりする。
ただ愛理にとって幸いであったのは、千歳が愛理の恋愛に、全くおかしな顔を向けなかったことだ。
そういうのもあるんだ、と納得してしまうあたり、千歳は度量が大きいと言えるのか。
あるいは一部、そのあたりの感性が壊れてしまっているのかもしれない。
春休みの一日、友人と一緒に遊ぶ。
そして夕方からは、またもスタジオでギターをかき鳴らす千歳であった。
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