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12章 ムーブメント
202 職業ミュージシャン
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大学を卒業した俊は、正式に職業ミュージシャンとなる。
作曲と作詞、そして編曲までも出来る、新しい時代の新人ミュージシャンである。
もっともその楽曲の量などを見ると、多作な人間だと思われるかもしれない。
確かに小手先で上手く作ってしまうなら、充分なものだと言えよう。
そのあたりはやはり、納得するまで全く妥協しない、徳島とは違うのだ。
俊はもっと成功したい。
単純にミュージシャンとして生きるのではなく、100年後にも通用する音楽を作りたい。
長寿と成功のどちらかを選ぶとするなら、成功の方を選ぶであろう。
そういった執念というか怨念が、俊の原動力にはなっている。
そんな俊に阿部は、少し尋ねてきたものだ。
「作曲の仕方ですか……」
正直なところ、それは色々とあるものだ。
俊はインスピレーションにある程度従うが、感覚派というわけではない。
楽曲をそれぞれパーツとして分けて、再構成する。
ただその中心に何があるのか、それをしっかりと把握しておかなければいけない。
ノイジーガールがそもそも、最初はポップスであった。
ロックテイストが強くなったのは、暁の存在によるものである。
今ならば確かに、元よりもいいものだとは分かる。
俊よりもさらに、60年代から80年代のロックに浸っていて、暁の存在があったからだ。
「ジミヘンやカートになれるなら、早死にでも構わないかな」
この意見に頷くのは、ノイズメンバーでもいない。
ただメンバーの中で暁などは、一歩間違えればそういうルートを辿ってしまう危うさがある。
最近はロックスターも長生きになってきたものだが、そもそも音楽などという安定しないものを職業にする人間は、早世してもおかしくないものだ。
「いつの間にかシドの死んだ年齢を上回ったな」
俊はそんなことも思うが、実は歴史的な意義はともかく、セックス・ピストルズにはそれほど魅力を感じていない俊である。
それはともかく俊が阿部に声をかけられたのは、他のミュージシャンへの楽曲提供などを、する意志があるかということなのだ。
「俺っていつの間に、そんなに偉くなってたんですか」
別に皮肉なわけでもなく、俊は素直にそう思う。
「ノイズの音楽は多彩でしょ? けれど全部をノイズで演奏出来るかというと」
「そりゃあそうですけどね」
彩への楽曲提供から、そういう考えが出てきたのか。
「ノイズだけじゃなく、ノイズのサリエリ、でも売っていかないと」
「それは分かるんですけど、基本的に俺は歌う人間を想定しないと、曲が作れないんで」
だから結局ボカロ曲では、ネタ曲以外は大きな評価は得られなかった。
クラシックの理論なども、相当に勉強はしている俊。
だから小手先のテクニックで、それっぽい曲を作ることは出来る。
だがミュージシャンのアートというのは、感動から生まれるものだ。
それがどれだけささやかなものであっても、最初は感情の動きから生じる。
月子は本物だった。
だからこそ俊は、彼女に惹かれた。
そこから生まれた音楽が、さらに暁によって改変された。
いまだにずっと同じぐらいの頻度で、再生されているのがノイジーガールである。
大ヒットと言うよりは、ロングヒットと言うべきだろう。
実際にもう、一年半も経過しているのに、これだけ回るのはそうそうはない。
彩に提供した曲は、そもそも元になったものが、大昔に作ったものだった。
良好な関係であった頃に作った、彩のための楽曲。
結局のところ自分は、人間を見てからでないと、その誰かのための曲は作れないのだろう。
一定の才能と言うか、技術はある。
だがそこから本物のアートが生まれるかは、微妙なところなのだ。
そもそも芸術的な才能というのは何か。
音楽家の逸話を聞いていれば、確かにそういうものはあるのかもしれないと思う。
ただ環境によって、ある程度の素養は生まれるものだ。
だが現在のアメリカの音楽などは、総合製作によって楽曲が生み出されている。
大金をかけるために、失敗するわけにはいかないのだ。
しかしEDMなどの、計算されて売れるという音楽。
それが本来の音楽なのか、疑問を呈する人間もいる。
単純に心地いい音楽を作るだけなら、AIにコードなどをぶち込めば、それでそれなりのものになるだろう。
人間の脳は生まれてからずっと、なんらかの音楽を聞いている。
それを心地いいものとするなら、再生産は可能であると思う。
だがライブ感だけは、機械で生み出すのは、今のところ不可能である。
そして機械から一番遠いのが、人間の声という楽器だろう。
つまりなんだかんだと言いはしたが、俊は簡単に名曲を生み出せる人間ではないのだ。
ただしノイズにいれば、次々と生み出すことが出来る。
少なくとも今はまだ、お互いが刺激し合っている。
音楽には時代が進むと、一気に新しいものが入ってきたりする。
ずっと音楽文化をリードしてきた欧米にしても、レベエやボサノヴァというものが入ってきた。
それを消化して、より音楽は複雑化したり、逆に単純化して原点を目指したりする。
どちらがいいとかではなく、それが人間の営みであるのだ。
そういう意味では日本の、民謡のブルースというのはまだ、世界的な認知には至っていない。
ただオリバーが関心を示したように、可能性は充分にあるのだ。
もっともボカロPが、DAWで電子音から音楽を作るように、今は打ち込みの方面へ進むのが、正しいものであるのかもしれない。
その中にはとても、人間では演奏できない楽曲が生まれる。
しかしそれを言うなら、ジミヘンはエレキギターで表現に革命を起こしたし、シンセサイザーという楽器もそうであった。
テクニック重視のメタルに流れが行こうとすると、ハードロックに戻ってきたりする。
そういうことを考えていくと、ノイズの音楽の方向性も、ようやく見えてくるというものだ。
「最近……時間が経過するのが早い……」
ぐったりとして千歳が言うが、もうあっという間に三月に入っている。
彼女は彼女で、進路についての具体的な目標が出来てきた。
俊のいた大学にも、推薦入試という枠がある。
その中で特に重視されるのは、音楽的な活動だ。
最低限の学力もないといけないが、偏差値で言えば45程度。
ちなみに俊は60を軽くオーバーしていたので、別に推薦などなくても入れた。
千歳はそのあたり、本当に平凡だ。
模試を受けた結果では、偏差値が51という、ほぼ平均になっている。
「昔はAO入試って言ってたらしいんだけど」
現在では総合型選抜、という推薦入試があるらしい。
学校の成績と推薦、小論文と面接などの、まさに総合的なもので合否を決定する。
この場合は芸術活動での実績等も、評価の対象になるのだ。
七月に行われる武道館ライブが無事になされれば、それはしっかり推薦文に書かれるものとなる。
ほとんど一芸入試に近いのでは、とも思えるものだ。
普通なら音楽科のある高校から、推薦で入る場合が多いだろう。
だが俊の大学などは、一般からも推薦を受け入れている。
ノイズのメンバーに引っ張られたとはいえ、俊は高校生の頃など、まだ仲間内の身近な軽音部で活動をしていただけだ。
暁と千歳が、高校生で武道館ライブをやるというのが、とにかく早すぎると言えるのだ。
ただ最年少記録と言うならば、アイドルグループの中に、12歳で武道館のステージに立った人間がいる。
また単独記録でも、さらに若い記録自体はある。
それでもバンドの中で、17歳でステージに立つのは、相当に若い部類に入るだろう。
まさかこんなところで、入試の役に立つとは思っていなかったのは、千歳や俊も同じことだ。
才能というのはおおよそ、若い頃から発現することが多い。
ただ音楽は、50歳を超えてからメジャーデビューという人間もいたりする。
ずっとやってはいたが、50歳をすぎてブレイクというのもいないではない。
スキャットマン・ジョンなどメジャーデビューが52歳の時である。
しかも彼は、吃音というハンデを逆手に取ってのものである。
57歳で亡くなっているのだから、実際的な活動期間では、ジミヘンよりも短いものだ。
例外はあくまでも例外として、多くは若年から活躍し、マイケル・ジャクソンは元は声変わりする前から歌っていた。
「あたしにあるこれって、才能じゃないと思うんだけど」
「才能と一つの語彙で表現するのも、乱暴なもんだな」
千歳のそれは、あふれ出る情念だ。
確かに歌は上手いのだが、それよりも感情の乗せ方が強い。
共感型のボーカルであることは間違いなく、純粋な音階の広さなどは、そこまで極端なものではない。
KCはアメリカの女性ボーカルとしては、かなり例外的な存在だ。
とにかくアメリカの文化というのは、イノセントとかピュアというのを、未熟と考える文化と言える。
声に濁りがあって、それがむしろいいと考えるのだ。
女性ボーカルでその極端な例は、ジャニス・ジョプリンであろうか。
ハスキーボイスにもほどがある、というものである。
その中でKCは、例外的にクリアな歌声で、全米ナンバーワンとなった。
元はヨーロッパ、アルプスの麓の出身であるという。
田舎の娘がニューヨークのミュージックシーンで、今は歌姫として活躍している。
一つのアメリカンドリームであるのは間違いない。
月子の力は、果たしてどこまで通用するのか。
俊としては単純な王道路線からでは、言語や文化の壁に阻まれると思っている。
むしろ向こうにも分かりやすいのは、暁のギターの方であろう。
楽器の演奏技術は、言語の壁など存在しない。
千歳はどうであろうか。
ある意味においては、彼女の歌には感情の濁りが乗っている。
何を歌っても、それは千歳の歌となる。
月子ももちろん上手いのだが、その色を楽曲に染めていくことが出来る。
個性の押し付けというのを、月子はしない。
個性を出してこそ、というミュージシャンとしては、それはどうかとも思うのだが。
武道館に向けてやらなければいけないことは、まだ他にもある。
とりあえず重要なのは、楽曲の認知度の向上だ。
サブスクにYourtubeと、MVのない楽曲も流していかなければいけない。
ノリというのはある程度、知っている曲でこそノれるものだ。
どうせ本番のライブでは、暁がアドリブで走るのは分かっているのだから。
そのあたりは本当に、打ち込み泣かせと言おうか。
だがその場ですぐに、俊が修正すれば問題はない。
なんだかやっていることが、DJに似てないか、とも思ったりする俊である。
しかし根本的に、ステージの演出の全ては、俊が最初に考えている。
アドリブのアレンジにしても、限度というものはあるのだ。
三月になれば、まずは名古屋でのライブの準備をしなければいけない。
コンサートホールとはいっても、それほど大規模なものではない。
むしろレンタル料金は安くて、演出のための機材搬入などに時間と金と労力がかかる。
チケットの料金はライブハウスでのものとは、かなりの差がある。
しかし利益を出すためには仕方がない。
東京ならば1000人以上は、簡単に集められるという自信が出来ている。
地方でどうなるかは、もう告知と宣伝次第だろう。
もっともそちらの方も、事務所がしっかりと頑張っている。
雑誌などでも特集されるので、直前でもそれなりに売れているのだ。
ほんのわずかに売れ残っても、当日で売り切れるだろう。
それぐらいの計算でやっていて、大阪と福岡は売り切れている。
名古屋が一番最初なのに、まだ売り切れていない。
俊たちとしては、さすがにもうそのあたりの宣伝に、力をかけるのは事務所に任せている。
ただライブというのはやはり、バンドにとっては直接的な収入だ。
ノイズのような六人組では、かなり目標額が高くなってしまうのだが。
インディーズレーベルの常として、ノイズメンバーは固定費の給料がとても安い。
なので自前でライブハウスでワンマンをする方が、金銭的には儲かるぐらいである。
音源も作っている。
CDが売れない時代であるが、ライブなどでは直販で、それなりに売れるものなのだ。
それに流通や小売を通さないので、かなりの収入になってくる。
チケット代だけではなく、音源も含んだグッズというのは、重要な収入源である。
基本的に作るのは、フルアルバムではなくミニアルバムだ。
ただしいずれは、またフルアルバムも作っていきたい。
また地方であると意外と、古いアルバムがまだ売れたりする。
福岡の方は地元の大きなCDショップが、気合を入れて売ってくれた。
その影響もあってか、チケットもかなり早く売り切れたのだ。
ノイズ内部はともかく、その周辺を巡る動きが、もう把握出来なくなってきている。
事務所の人間自体は、それほど増えるわけではない。
だがローディーや、ライブの設営と演出など、専門家は普通に雇う必要がある。
「演奏するだけならライブハウスの規模が一番好きかな」
暁はそんなことを言って、千歳も同意見らしい
「わたしはホールがいいかなあ」
月子としては意外とそんなことを言うが、彼女の場合は中学生までは、地方のコンサートホールにおいて、三味線の演奏会でホール型に慣れているというのもある。
バンドの基本はライブハウスであろう。
それはビートルズの時代から変わらない。
キャバーンという名の、どこか饐えた、アルコールやタバコの匂いがするライブハウス。
そういう少しだけインモラルなところから、バンドというのは巣立っていく。
意外と俊もライブハウスの演奏は、好みであったりする。
あそこはオーディエンスの反応がはっきり分かるため、とにかくフロントのパワーだけでどうにかなるのだ。
ただこの間のテレビの録画を見直すと、色々と客観的に自分たちが見れたりする。
ちなみにこのツアーの演奏は、特に販売したりするわけではないが、カメラを入れて撮影したりしている。
MVの素材として使うためである。
ただ音楽だけを流すよりも、MVにした方が受けがいい。
また俊は自分でも意外だが、映像のある音楽というのに魅かれるものがある。
MVというのはバンドのイメージを、さらに強調するものである。
もちろん音楽は聴いて楽しむものであるが、パフォーマンス自体は総合芸術だ。
エンターテイメントであるのだから、五感に訴えるものが必要となる。
暁の衣装などは、明らかにイメージ戦略が染み付いている。
そんなわけであっという間に、名古屋でのライブがやってきた。
大学を卒業して、自由になる時間が増えたはずなのに、本当に時間の流れるのが早い。
基本的には作曲をメインにやってきたが、インタビューなども受けている。
雑誌だけではなく、ネットブログなどの取材もある。
個人のブログであっても、愛読者が10万人以上いたりするので、それなりの認知度を高めるのには役に立つ。
「こっちから金出してるんですか?」
「まさか。そういうの嫌いでしょ?」
阿部としてはそう言うが、広告に金を使うというのは、現代では当たり前のことでもある。
昔はテレビなどが、情報発信としては巨大なものであった。
だが今では企業のCMにかける広告費も、テレビよりもネットの方が大きな割合を占めるようになっている。
また今回のような個人での記事を書くとなると、下手なものを書いていては読者が逃げてしまう。
広告料収入で食っているブロガーなどは、ちゃんと読まれる題材にしなければいけないのだ。
武道館の件も公開したので、チケットは充分に売り切れた。
阿部としては用意した会場が、ちょっと小さすぎたかなとすら思っている。
到達点ではなく通過点と考えれば、武道館でライブをやるというのも、今後のための宣伝ともなる。
興行として考えた場合、武道館よりもむしろ、アリーナでのコンサートの方がいい。
なぜならある程度最初から、音楽を演奏する会場としても想定して作られているからだ。
それに比べると武道館は、最初にビートルズの公演があった時など、ほとんど音が聞こえなかった席もあったという。
今はその苦い経験を活かして、本来は音楽用途ではない会場を、上手くコンサートに使うようにしているが。
商売の話となると、ノイズ側からは俊が代表して話すことになる。
父の破滅を見てきた俊としては、相当に金銭にがめつくなっているのは確かだ。
そもそも死亡した時には、10億以上の借金があったという父である。
どうやってそんな借金を出来たのか、むしろ俊は不思議であったが。
金儲けに利用されるのは、絶対に御免の俊である。
もちろんお互いに、儲けを出していくのには異存はない。
事務所に頼らなければ、とても手が回らないところもあるのだ。
そこを上手く調整してくれるのが、上手いマネジメントということになる。
今後は五月、ゴールデンウィークにまたフェスに参加し、そこそこ大きなワンマンライブをする予定は入っている。
六月は通常のスケジュールでライブをし、七月の武道館に備えるのだ。
新曲も作ったり、告知のための活動もしたりと、色々と忙しくなるのは確かだ。
まさにこれが、芸能人の生活というものなのだろう。
ただノイズはタレント売りをしていないため、これでもまだ音楽に集中できている方だ。
阿部からすると、そろそろスキャンダルなどについても気をつけるステージになってくる。
もっとも武道館を経験してから後の方が、よりそういったスキャンダルは大きなネタになるのだが。
「そうは言っても、うちはあんまりスキャンダルなんてないからなあ」
俊はそう言って、確かに健全なのがノイズである。
暁や千歳が飲酒や喫煙をするわけでもないし、ドラッグに手を出してもいない。
グルーピーを食ったりするわけでもないが……。
「信吾の女性関係ぐらいか」
栄二の指摘に対して、信吾としては特に表情も変えない。
ノイズは別にアイドル売りもしていないのだ。
確かに暁などは、可愛いのにカッコイイ、などと言われていたりはする。
また信吾には特に、アトミックハート時代からのファンがついている。
今も三人の女性と関係しているらしいが、来るもの拒まずというわけではない。
そのあたり女性陣、特に千歳がちょっとうるさい。
月子は理解不能という顔をするし、暁などはロックスターならそれぐらいはするかな、と意外と寛容であったりする。
「結婚しようとか、そういうことを言ってないなら問題じゃないと思うけど」
俊としても不倫をしていないなら、それでいいだろうと考えている。
むしろ大きく取り上げられるとしたら、俊があの父の息子であるというところだろう。
ただ父が亡くなってから、もうそれなりに時間は経過している。
また知っている人間は、普通にその関係は知っている。
公開しているわけではないが、特に隠しているわけでもない。
ノイズはコンペなどで受賞したバンドではなく、普通にライブハウスから成り上がった、旧来からあるタイプのミュージシャンなのだ。
そして俊は父のコネを、特に盛大に使ったりはしていない。
ある程度のスキャンダルは、むしろ知名度を上げるのに役に立つ。
しかし阿部が心配しているのは、信吾の相手は一般人であるということだ。
三人とも年上で、一時期の信吾は食事や寝床を、三人に依存していたことがある。
つまりはヒモであったのだ。
有名になって食えるようになったから、切ってしまえばいいのか。
「むしろそれは悪手なんだけど」
そこは阿部も困るところである。
別に清廉潔白である必要などはない。
ある程度破天荒であってこそ、むしろロックスターと言えるだろう。
だがそれは古い時代の話であり、今は世間が勝手に叩く。
信吾としては自分から、切っていくつもりは全くない。
「まあ不倫でないならそれでいいとは思うんだけど」
俊としては、一晩の夢であっても、それはそれでいいと思う。
もっともどうせなら、業界内部同士でくっついた方が、お互いに対するダメージは少ないと思うが。
まことに遺憾ながら、こういう恋愛関係は、明らかになったら女性側の方が、圧倒的にダメージは大きいのだ。
今後スキャンダルというか、大きく何かが取り上げるとしたら、自分と彩の関係が明らかになった時ではなかろうか。
もっともそれは自分と彩の問題ではなく、父の問題とも言える。
ニュースではあってもスキャンダルではない。
なので注意の必要もないだろう。
「面倒だね」
その一言で済ませてしまうあたり、暁はこの中で一番のロッカーであると思う俊であった。
作曲と作詞、そして編曲までも出来る、新しい時代の新人ミュージシャンである。
もっともその楽曲の量などを見ると、多作な人間だと思われるかもしれない。
確かに小手先で上手く作ってしまうなら、充分なものだと言えよう。
そのあたりはやはり、納得するまで全く妥協しない、徳島とは違うのだ。
俊はもっと成功したい。
単純にミュージシャンとして生きるのではなく、100年後にも通用する音楽を作りたい。
長寿と成功のどちらかを選ぶとするなら、成功の方を選ぶであろう。
そういった執念というか怨念が、俊の原動力にはなっている。
そんな俊に阿部は、少し尋ねてきたものだ。
「作曲の仕方ですか……」
正直なところ、それは色々とあるものだ。
俊はインスピレーションにある程度従うが、感覚派というわけではない。
楽曲をそれぞれパーツとして分けて、再構成する。
ただその中心に何があるのか、それをしっかりと把握しておかなければいけない。
ノイジーガールがそもそも、最初はポップスであった。
ロックテイストが強くなったのは、暁の存在によるものである。
今ならば確かに、元よりもいいものだとは分かる。
俊よりもさらに、60年代から80年代のロックに浸っていて、暁の存在があったからだ。
「ジミヘンやカートになれるなら、早死にでも構わないかな」
この意見に頷くのは、ノイズメンバーでもいない。
ただメンバーの中で暁などは、一歩間違えればそういうルートを辿ってしまう危うさがある。
最近はロックスターも長生きになってきたものだが、そもそも音楽などという安定しないものを職業にする人間は、早世してもおかしくないものだ。
「いつの間にかシドの死んだ年齢を上回ったな」
俊はそんなことも思うが、実は歴史的な意義はともかく、セックス・ピストルズにはそれほど魅力を感じていない俊である。
それはともかく俊が阿部に声をかけられたのは、他のミュージシャンへの楽曲提供などを、する意志があるかということなのだ。
「俺っていつの間に、そんなに偉くなってたんですか」
別に皮肉なわけでもなく、俊は素直にそう思う。
「ノイズの音楽は多彩でしょ? けれど全部をノイズで演奏出来るかというと」
「そりゃあそうですけどね」
彩への楽曲提供から、そういう考えが出てきたのか。
「ノイズだけじゃなく、ノイズのサリエリ、でも売っていかないと」
「それは分かるんですけど、基本的に俺は歌う人間を想定しないと、曲が作れないんで」
だから結局ボカロ曲では、ネタ曲以外は大きな評価は得られなかった。
クラシックの理論なども、相当に勉強はしている俊。
だから小手先のテクニックで、それっぽい曲を作ることは出来る。
だがミュージシャンのアートというのは、感動から生まれるものだ。
それがどれだけささやかなものであっても、最初は感情の動きから生じる。
月子は本物だった。
だからこそ俊は、彼女に惹かれた。
そこから生まれた音楽が、さらに暁によって改変された。
いまだにずっと同じぐらいの頻度で、再生されているのがノイジーガールである。
大ヒットと言うよりは、ロングヒットと言うべきだろう。
実際にもう、一年半も経過しているのに、これだけ回るのはそうそうはない。
彩に提供した曲は、そもそも元になったものが、大昔に作ったものだった。
良好な関係であった頃に作った、彩のための楽曲。
結局のところ自分は、人間を見てからでないと、その誰かのための曲は作れないのだろう。
一定の才能と言うか、技術はある。
だがそこから本物のアートが生まれるかは、微妙なところなのだ。
そもそも芸術的な才能というのは何か。
音楽家の逸話を聞いていれば、確かにそういうものはあるのかもしれないと思う。
ただ環境によって、ある程度の素養は生まれるものだ。
だが現在のアメリカの音楽などは、総合製作によって楽曲が生み出されている。
大金をかけるために、失敗するわけにはいかないのだ。
しかしEDMなどの、計算されて売れるという音楽。
それが本来の音楽なのか、疑問を呈する人間もいる。
単純に心地いい音楽を作るだけなら、AIにコードなどをぶち込めば、それでそれなりのものになるだろう。
人間の脳は生まれてからずっと、なんらかの音楽を聞いている。
それを心地いいものとするなら、再生産は可能であると思う。
だがライブ感だけは、機械で生み出すのは、今のところ不可能である。
そして機械から一番遠いのが、人間の声という楽器だろう。
つまりなんだかんだと言いはしたが、俊は簡単に名曲を生み出せる人間ではないのだ。
ただしノイズにいれば、次々と生み出すことが出来る。
少なくとも今はまだ、お互いが刺激し合っている。
音楽には時代が進むと、一気に新しいものが入ってきたりする。
ずっと音楽文化をリードしてきた欧米にしても、レベエやボサノヴァというものが入ってきた。
それを消化して、より音楽は複雑化したり、逆に単純化して原点を目指したりする。
どちらがいいとかではなく、それが人間の営みであるのだ。
そういう意味では日本の、民謡のブルースというのはまだ、世界的な認知には至っていない。
ただオリバーが関心を示したように、可能性は充分にあるのだ。
もっともボカロPが、DAWで電子音から音楽を作るように、今は打ち込みの方面へ進むのが、正しいものであるのかもしれない。
その中にはとても、人間では演奏できない楽曲が生まれる。
しかしそれを言うなら、ジミヘンはエレキギターで表現に革命を起こしたし、シンセサイザーという楽器もそうであった。
テクニック重視のメタルに流れが行こうとすると、ハードロックに戻ってきたりする。
そういうことを考えていくと、ノイズの音楽の方向性も、ようやく見えてくるというものだ。
「最近……時間が経過するのが早い……」
ぐったりとして千歳が言うが、もうあっという間に三月に入っている。
彼女は彼女で、進路についての具体的な目標が出来てきた。
俊のいた大学にも、推薦入試という枠がある。
その中で特に重視されるのは、音楽的な活動だ。
最低限の学力もないといけないが、偏差値で言えば45程度。
ちなみに俊は60を軽くオーバーしていたので、別に推薦などなくても入れた。
千歳はそのあたり、本当に平凡だ。
模試を受けた結果では、偏差値が51という、ほぼ平均になっている。
「昔はAO入試って言ってたらしいんだけど」
現在では総合型選抜、という推薦入試があるらしい。
学校の成績と推薦、小論文と面接などの、まさに総合的なもので合否を決定する。
この場合は芸術活動での実績等も、評価の対象になるのだ。
七月に行われる武道館ライブが無事になされれば、それはしっかり推薦文に書かれるものとなる。
ほとんど一芸入試に近いのでは、とも思えるものだ。
普通なら音楽科のある高校から、推薦で入る場合が多いだろう。
だが俊の大学などは、一般からも推薦を受け入れている。
ノイズのメンバーに引っ張られたとはいえ、俊は高校生の頃など、まだ仲間内の身近な軽音部で活動をしていただけだ。
暁と千歳が、高校生で武道館ライブをやるというのが、とにかく早すぎると言えるのだ。
ただ最年少記録と言うならば、アイドルグループの中に、12歳で武道館のステージに立った人間がいる。
また単独記録でも、さらに若い記録自体はある。
それでもバンドの中で、17歳でステージに立つのは、相当に若い部類に入るだろう。
まさかこんなところで、入試の役に立つとは思っていなかったのは、千歳や俊も同じことだ。
才能というのはおおよそ、若い頃から発現することが多い。
ただ音楽は、50歳を超えてからメジャーデビューという人間もいたりする。
ずっとやってはいたが、50歳をすぎてブレイクというのもいないではない。
スキャットマン・ジョンなどメジャーデビューが52歳の時である。
しかも彼は、吃音というハンデを逆手に取ってのものである。
57歳で亡くなっているのだから、実際的な活動期間では、ジミヘンよりも短いものだ。
例外はあくまでも例外として、多くは若年から活躍し、マイケル・ジャクソンは元は声変わりする前から歌っていた。
「あたしにあるこれって、才能じゃないと思うんだけど」
「才能と一つの語彙で表現するのも、乱暴なもんだな」
千歳のそれは、あふれ出る情念だ。
確かに歌は上手いのだが、それよりも感情の乗せ方が強い。
共感型のボーカルであることは間違いなく、純粋な音階の広さなどは、そこまで極端なものではない。
KCはアメリカの女性ボーカルとしては、かなり例外的な存在だ。
とにかくアメリカの文化というのは、イノセントとかピュアというのを、未熟と考える文化と言える。
声に濁りがあって、それがむしろいいと考えるのだ。
女性ボーカルでその極端な例は、ジャニス・ジョプリンであろうか。
ハスキーボイスにもほどがある、というものである。
その中でKCは、例外的にクリアな歌声で、全米ナンバーワンとなった。
元はヨーロッパ、アルプスの麓の出身であるという。
田舎の娘がニューヨークのミュージックシーンで、今は歌姫として活躍している。
一つのアメリカンドリームであるのは間違いない。
月子の力は、果たしてどこまで通用するのか。
俊としては単純な王道路線からでは、言語や文化の壁に阻まれると思っている。
むしろ向こうにも分かりやすいのは、暁のギターの方であろう。
楽器の演奏技術は、言語の壁など存在しない。
千歳はどうであろうか。
ある意味においては、彼女の歌には感情の濁りが乗っている。
何を歌っても、それは千歳の歌となる。
月子ももちろん上手いのだが、その色を楽曲に染めていくことが出来る。
個性の押し付けというのを、月子はしない。
個性を出してこそ、というミュージシャンとしては、それはどうかとも思うのだが。
武道館に向けてやらなければいけないことは、まだ他にもある。
とりあえず重要なのは、楽曲の認知度の向上だ。
サブスクにYourtubeと、MVのない楽曲も流していかなければいけない。
ノリというのはある程度、知っている曲でこそノれるものだ。
どうせ本番のライブでは、暁がアドリブで走るのは分かっているのだから。
そのあたりは本当に、打ち込み泣かせと言おうか。
だがその場ですぐに、俊が修正すれば問題はない。
なんだかやっていることが、DJに似てないか、とも思ったりする俊である。
しかし根本的に、ステージの演出の全ては、俊が最初に考えている。
アドリブのアレンジにしても、限度というものはあるのだ。
三月になれば、まずは名古屋でのライブの準備をしなければいけない。
コンサートホールとはいっても、それほど大規模なものではない。
むしろレンタル料金は安くて、演出のための機材搬入などに時間と金と労力がかかる。
チケットの料金はライブハウスでのものとは、かなりの差がある。
しかし利益を出すためには仕方がない。
東京ならば1000人以上は、簡単に集められるという自信が出来ている。
地方でどうなるかは、もう告知と宣伝次第だろう。
もっともそちらの方も、事務所がしっかりと頑張っている。
雑誌などでも特集されるので、直前でもそれなりに売れているのだ。
ほんのわずかに売れ残っても、当日で売り切れるだろう。
それぐらいの計算でやっていて、大阪と福岡は売り切れている。
名古屋が一番最初なのに、まだ売り切れていない。
俊たちとしては、さすがにもうそのあたりの宣伝に、力をかけるのは事務所に任せている。
ただライブというのはやはり、バンドにとっては直接的な収入だ。
ノイズのような六人組では、かなり目標額が高くなってしまうのだが。
インディーズレーベルの常として、ノイズメンバーは固定費の給料がとても安い。
なので自前でライブハウスでワンマンをする方が、金銭的には儲かるぐらいである。
音源も作っている。
CDが売れない時代であるが、ライブなどでは直販で、それなりに売れるものなのだ。
それに流通や小売を通さないので、かなりの収入になってくる。
チケット代だけではなく、音源も含んだグッズというのは、重要な収入源である。
基本的に作るのは、フルアルバムではなくミニアルバムだ。
ただしいずれは、またフルアルバムも作っていきたい。
また地方であると意外と、古いアルバムがまだ売れたりする。
福岡の方は地元の大きなCDショップが、気合を入れて売ってくれた。
その影響もあってか、チケットもかなり早く売り切れたのだ。
ノイズ内部はともかく、その周辺を巡る動きが、もう把握出来なくなってきている。
事務所の人間自体は、それほど増えるわけではない。
だがローディーや、ライブの設営と演出など、専門家は普通に雇う必要がある。
「演奏するだけならライブハウスの規模が一番好きかな」
暁はそんなことを言って、千歳も同意見らしい
「わたしはホールがいいかなあ」
月子としては意外とそんなことを言うが、彼女の場合は中学生までは、地方のコンサートホールにおいて、三味線の演奏会でホール型に慣れているというのもある。
バンドの基本はライブハウスであろう。
それはビートルズの時代から変わらない。
キャバーンという名の、どこか饐えた、アルコールやタバコの匂いがするライブハウス。
そういう少しだけインモラルなところから、バンドというのは巣立っていく。
意外と俊もライブハウスの演奏は、好みであったりする。
あそこはオーディエンスの反応がはっきり分かるため、とにかくフロントのパワーだけでどうにかなるのだ。
ただこの間のテレビの録画を見直すと、色々と客観的に自分たちが見れたりする。
ちなみにこのツアーの演奏は、特に販売したりするわけではないが、カメラを入れて撮影したりしている。
MVの素材として使うためである。
ただ音楽だけを流すよりも、MVにした方が受けがいい。
また俊は自分でも意外だが、映像のある音楽というのに魅かれるものがある。
MVというのはバンドのイメージを、さらに強調するものである。
もちろん音楽は聴いて楽しむものであるが、パフォーマンス自体は総合芸術だ。
エンターテイメントであるのだから、五感に訴えるものが必要となる。
暁の衣装などは、明らかにイメージ戦略が染み付いている。
そんなわけであっという間に、名古屋でのライブがやってきた。
大学を卒業して、自由になる時間が増えたはずなのに、本当に時間の流れるのが早い。
基本的には作曲をメインにやってきたが、インタビューなども受けている。
雑誌だけではなく、ネットブログなどの取材もある。
個人のブログであっても、愛読者が10万人以上いたりするので、それなりの認知度を高めるのには役に立つ。
「こっちから金出してるんですか?」
「まさか。そういうの嫌いでしょ?」
阿部としてはそう言うが、広告に金を使うというのは、現代では当たり前のことでもある。
昔はテレビなどが、情報発信としては巨大なものであった。
だが今では企業のCMにかける広告費も、テレビよりもネットの方が大きな割合を占めるようになっている。
また今回のような個人での記事を書くとなると、下手なものを書いていては読者が逃げてしまう。
広告料収入で食っているブロガーなどは、ちゃんと読まれる題材にしなければいけないのだ。
武道館の件も公開したので、チケットは充分に売り切れた。
阿部としては用意した会場が、ちょっと小さすぎたかなとすら思っている。
到達点ではなく通過点と考えれば、武道館でライブをやるというのも、今後のための宣伝ともなる。
興行として考えた場合、武道館よりもむしろ、アリーナでのコンサートの方がいい。
なぜならある程度最初から、音楽を演奏する会場としても想定して作られているからだ。
それに比べると武道館は、最初にビートルズの公演があった時など、ほとんど音が聞こえなかった席もあったという。
今はその苦い経験を活かして、本来は音楽用途ではない会場を、上手くコンサートに使うようにしているが。
商売の話となると、ノイズ側からは俊が代表して話すことになる。
父の破滅を見てきた俊としては、相当に金銭にがめつくなっているのは確かだ。
そもそも死亡した時には、10億以上の借金があったという父である。
どうやってそんな借金を出来たのか、むしろ俊は不思議であったが。
金儲けに利用されるのは、絶対に御免の俊である。
もちろんお互いに、儲けを出していくのには異存はない。
事務所に頼らなければ、とても手が回らないところもあるのだ。
そこを上手く調整してくれるのが、上手いマネジメントということになる。
今後は五月、ゴールデンウィークにまたフェスに参加し、そこそこ大きなワンマンライブをする予定は入っている。
六月は通常のスケジュールでライブをし、七月の武道館に備えるのだ。
新曲も作ったり、告知のための活動もしたりと、色々と忙しくなるのは確かだ。
まさにこれが、芸能人の生活というものなのだろう。
ただノイズはタレント売りをしていないため、これでもまだ音楽に集中できている方だ。
阿部からすると、そろそろスキャンダルなどについても気をつけるステージになってくる。
もっとも武道館を経験してから後の方が、よりそういったスキャンダルは大きなネタになるのだが。
「そうは言っても、うちはあんまりスキャンダルなんてないからなあ」
俊はそう言って、確かに健全なのがノイズである。
暁や千歳が飲酒や喫煙をするわけでもないし、ドラッグに手を出してもいない。
グルーピーを食ったりするわけでもないが……。
「信吾の女性関係ぐらいか」
栄二の指摘に対して、信吾としては特に表情も変えない。
ノイズは別にアイドル売りもしていないのだ。
確かに暁などは、可愛いのにカッコイイ、などと言われていたりはする。
また信吾には特に、アトミックハート時代からのファンがついている。
今も三人の女性と関係しているらしいが、来るもの拒まずというわけではない。
そのあたり女性陣、特に千歳がちょっとうるさい。
月子は理解不能という顔をするし、暁などはロックスターならそれぐらいはするかな、と意外と寛容であったりする。
「結婚しようとか、そういうことを言ってないなら問題じゃないと思うけど」
俊としても不倫をしていないなら、それでいいだろうと考えている。
むしろ大きく取り上げられるとしたら、俊があの父の息子であるというところだろう。
ただ父が亡くなってから、もうそれなりに時間は経過している。
また知っている人間は、普通にその関係は知っている。
公開しているわけではないが、特に隠しているわけでもない。
ノイズはコンペなどで受賞したバンドではなく、普通にライブハウスから成り上がった、旧来からあるタイプのミュージシャンなのだ。
そして俊は父のコネを、特に盛大に使ったりはしていない。
ある程度のスキャンダルは、むしろ知名度を上げるのに役に立つ。
しかし阿部が心配しているのは、信吾の相手は一般人であるということだ。
三人とも年上で、一時期の信吾は食事や寝床を、三人に依存していたことがある。
つまりはヒモであったのだ。
有名になって食えるようになったから、切ってしまえばいいのか。
「むしろそれは悪手なんだけど」
そこは阿部も困るところである。
別に清廉潔白である必要などはない。
ある程度破天荒であってこそ、むしろロックスターと言えるだろう。
だがそれは古い時代の話であり、今は世間が勝手に叩く。
信吾としては自分から、切っていくつもりは全くない。
「まあ不倫でないならそれでいいとは思うんだけど」
俊としては、一晩の夢であっても、それはそれでいいと思う。
もっともどうせなら、業界内部同士でくっついた方が、お互いに対するダメージは少ないと思うが。
まことに遺憾ながら、こういう恋愛関係は、明らかになったら女性側の方が、圧倒的にダメージは大きいのだ。
今後スキャンダルというか、大きく何かが取り上げるとしたら、自分と彩の関係が明らかになった時ではなかろうか。
もっともそれは自分と彩の問題ではなく、父の問題とも言える。
ニュースではあってもスキャンダルではない。
なので注意の必要もないだろう。
「面倒だね」
その一言で済ませてしまうあたり、暁はこの中で一番のロッカーであると思う俊であった。
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