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12章 ムーブメント
201 増殖
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録画していた番組を見てみると、ナルシストっぽく歌っている自分の顔がアップになって、悶えたりする千歳である。
月子は意外と平然としていたのは、そのあたりの感覚が壊れているからか。
周囲に増えた急造のお友達。
自分の価値が急に高くなって、カーストが上がったようにも感じる。
千歳がそれに溺れなかったのは、方向性こそ違えど、似たような経験を既にしていたからだ。
あの、忘れられない春の日。
普通の少女であった自分が、可哀想な子に変化してしまったあの日。
人間の見られ方というのは、一日で変わってしまうものなのだ。
三年生たちが卒業して、自分たちが最後の一年。
その卒業式の日には、三橋との会話があったらしい。
「あの日、ライブハウスに連れて行って、本当に良かった……よね?」
彼女の語尾が衰えるのは、芸能界という世界に入ることが、本当にいいことなのか分からなかったからだ。
千歳は元々、音楽業界でスターになろうとか、そんなことは考えていなかった。
無欲であるという点では、執着のある暁よりも、よほど一般人の思考であったのだ。
現代社会では顔が知られているというのは、あまりいいことでもない。
暁が通信制に編入するというのも、そのあたりが関係しているのかな、と思ったのは確かだ。
俊の場合はそもそも、ノイズとしての活動を始める前から、大学ではある程度一目置かれている存在であった。
そしてボカロ界隈においては、ちょっと変り種と思われている。
そもそもボカロPというのは、自分では歌えないという人間や、バンドなど組めないという人間が、やり始める分野なのだと思う。
俊の場合は音大に入ったので、ポップスをやっている人間も、周囲にいくらでもいたのだ。
実際に一度はバンドを組み、そして脱退した。
そこからボカロPとして、そこそこの評価は得ることが出来た。
それだけで食べていけるほどではないが、家が太い俊としては、余裕がある状況ではあった。
執念や貪欲さ、ハングリー精神に分類するものを、俊は自分の中から見つける必要があった。
求め続けたからこそ、月子と出会えたと言えるのか。
暁は向こうからやってきたが、千歳は完全な偶然だ。
彼女の歌を聴けば、おそらく他の誰かがいつかは、表舞台のメジャーシーンに引っ張りだした可能性は高い。
(出会いっていうのは確かに重要だよな)
俊はそんなことを考える。
彩が自分に頼ってきたのも、俊がそれなりの力を付けたからだ。
偉そうに言ってはいても、この業界では売れている者が勝ちなのだ。
ただ売れ続けることは、一発売れるよりもよほど難しい。
なんだかんだと彩は、トップレベルで六年ほども歌っている。
それだけでも充分にすごいことなのだろう。
あるいは、と俊は思わないでもない。
ノイズの中には存在しない、女性のアルトボイス。
彩と組んでみても、また新しい音楽が生まれるかもしれない。
実際に自分の中から、彩に合った曲は生まれたのだ。
昔はどうにかして、曲を作ろうとしていた。
だが今は空気の中にある、曲の元になる何かを、上手く掴みとって曲にしている。
蓄積してきたインプットが、ようやく形となってアウトプット出来るようになったのか。
作曲のインスピレーションというのは、どこから来るのか分からない。
しかしそれを上手く掴み取るのは、慣れればそれなりに出来るようになるらしい。
二月はテレビ出演したことが、やはり話題の中心となった。
七月の武道館ライブに向けて、もっとどんどん告知をしていかなければいけない。
曲の数自体は充分にあるが、もっと増やしていきたい。
今はとにかく、生み出せるものをどんどんと完成させていくのだ。
そんな中で珍しく、栄二も曲を作ってきたりした。
ノイズのこれまでのパターンと違うのは、ドラムのラインが特徴的であるということだ。
もっともこういうリズムはむしろ、今の流行ではある。
ノイズは千歳以外、単独で作曲を作る能力がある。
千歳においては、大学に入って、理論から勉強すればいいだろう。
ただ今の、感情に任せた千歳の音楽が、下手に理屈まみれになれば、それはそれで問題である。
暁などは体系的に学んだわけではなく、とにかく最初は耳コピしてギターを弾いていた。
父親からは弾き方を学びはしても、作曲の方法などは学んでいない。
基本的には過去の曲から、上手く組み合わせていくというのが、暁の作曲方法である。
その中にはちょっと他の人間はやらないような、変な組み合わせもあったりする。
フィーリングで曲を作っていると、妙に難解になったりもするのだ。
音楽の方向性というのは、難しいものである。
俊もまた、大学の卒業がやってくる。
これで今までよりも、自由度は増してくる。
アウトプットをするために、どんどんとインプットもしていく。
知り合いになったミュージシャンは基本はバンドが多いが、ボカロPつながりの歌い手などもいる。
PCの画面の向こうで、Vの歌うライブを聴くというのも、今の文明でこそマッチしたものなのだろう。
ミステリアスピンクの徳島とは、何度か会うことがあった。
彼もまたインプットには、労力を惜しまない。
もっともアウトプットのスピードは、俊よりもずっと遅い。
一曲ごとに自分の全体を更新するので、どうしても作る速度は遅くなるのだ。
その代わりに、彼の楽曲に実験作や意欲作はあっても、駄作はない。
流行のポップスを作ってみたらどうなるか、とお題を出して作りあってみたら、普通にキャッチーな曲を作ったりもする。
だがそれを簡単に、ゴミだとして捨ててしまえるのが、徳島というコンポーザーだ。
ミッドナイトレクイエムなどは、そもそも完全にメジャーシーンなので、あまり出会うことがない。
一応あちらもコンサートは開くのだが、もうライブハウスではなく、ホールを使った公演が主体になっている。
確かに本当の音楽の純度だけを求めるなら、コンサートホールの方が、音響は優れたものになるのだ。
「MNRのコンサート、チケット取れそうだけどこっちもツアーするんだよなあ」
俊と徳島は、方向性は全く違うが、一般的なボカロPとは異なるという点だけで、ある程度は会話することが出来る。
「四月だと、KCが来日するけど」
珍しく徳島の方から、話題を広げてきていた。
アメリカの誇る歌姫は、もう20年以上も高い人気を誇る。
日本ではなく世界において、トップ10ぐらいの人気をずっと続けているのだ。
ポップスからバラード、R&Bあたりを歌うのだが、完全にボーカル。
一応楽器も弾いたりはするが、その歌声が圧倒的なのだ。
おそらく世界中で、一番月子に似た方向の声ではなかろうかとも思う。
シンガーであってバンドではなく、楽曲は基本的には他人から提供してもらうことが多い。
「アリーナ席だといくらになるんだか」
「いつもプラチナチケットだから」
それでも徳島は、コンサートに行くらしい。
どんどんと新しいものを取り込んでいくのは、俊も徳島も同じである。
だが同時に古いものも、何度も聞いては味わっていく。
「東京で二日、大阪で二日かあ」
それぞれドームを使う公演なのだが、高額のチケットでも普通にもう売り切れている。
今の日本はコスパをもとめるが、それでもファンを集めてしまうあたり、アメリカの歌姫の代表格とも言えよう。
10代の半ばにヨーロッパからデビューして、すぐにアメリカで売れた。
クラシックの素養があって、その歌唱力は圧倒的なものがある。
特に月子には、直接聞かせてやりたい。
自分の分はともかく、彼女の分まで今から、どうにか手に入るものだろうか。
「そういやまだ本決まりじゃないから極秘なんだけど、武道館が決まったんだ」
「ああ……そうなの」
徳島としてはあまり、武道館になどは興味がないらしい。
そもそもコンポーザーとして楽曲を提供し、あとは駄目出しをしていくだけなのだ。
もっとも大きなステージでは、勝手にやってくれというのが、彼の立ち位置らしい。
俊にとっては徳島のそんな考えも、よく分からないものである。
楽曲を作って提供し、自分の満足のいく感じで歌ってもらえればそれでいい。
ライブコンサートに関しては、あまり駄目出しもしないのだとか。
そうでなければフェスのような、オーディエンスが動き回るものに、ユニットを出したりしないだろう。
「そういえばKCのコンサートに、LAEXレコードが動いてるらしいけど」
「え? KCとはそもそもレコード会社が……ああ、連携して、いや、前は違ったはずだけど」
KCの所属しているレーベルのレコード会社は、日本支部のような形でも存在する。
それはALEXレコードではなく、他のメジャーである。
「ああ、だから予算が足りなかったのか……」
超大物外タレのコンサートは、確かに収入も予想できる。
だがその前にものすごく金がかかるので、それを計算しておかないといけない。
彼女ほどの大物だと、ギャランティも凄いものになるだろう。
それはかなり前から計画しているはずだから、彩の件も金が足りなかったわけだ。
そういった事情があったからこそ、彩は出戻りとなったわけだ。
しかしあの場では、そんな素振りを俊には全く見せなかった。
(あれだけ大きな会社なら、社長の決定だけで企画を潰すわけにはいかないもんな)
だが彩を半年ほど休業させれば、その資金調達も可能であったはずだ。
アーティストファーストの精神で、針巣は動いていた。
GDレコードの政治屋どもとは、そもそもの心構えが違ったというわけか。
KCの日本公演を、今後は自社やるというのは、ものすごく大きな企画である。
二三年に一度は日本にやってくるKCは、大の親日家で、日本語である程度のインタビューを受けても大丈夫なぐらいだ。
人は好きになってくれる人を好きになる。
日本でも海外の女性シンガーとしては、KCはずっと人気である。
ただレコード会社の関連性を、どうやって解決したのか。
そのあたりも俊としては、気になるところである。
やはり月子には聴かせるべきだ。
アーティストは一人一流派で、誰かのコピーからは最終的に抜け出さないといけない。
だが今のところ月子の路線は、かなりKCに似た部分がある。
海外に進出するために、GDレコードを選んだのは間違いではない。
ただ真正面からの海外進出は、俊はずっと考えていなかった。
シティポップは俊も作曲できる。
だがそれは、今のノイズの音楽ではないのだ。
表層の軽さが、むしろ心地いいと評判なのが、シティポップの特徴の一つだろう。
それに比べるとノイズは、カバー曲でさえ重層的で、ずっとシリアスな音楽となっている。
「ピンクってライブハウスではやらないよね?」
「決めてるのは僕じゃないから」
徳島は自分で楽曲を作り、それが完成した演奏になったら、そこで満足してしまう。
何度もコンサートで演奏されても、あくまでもコンポーザーとしての仕事のみ。
音源作りにはひたすら口を出すが、宣伝や展開にはあまり口を出さない。
職人的な存在であるが、執念と情念から発生した、異質の実力者ではある。
またフェスで一緒にやることにはなるのだろうな、と思っている。
それこそ夏には、他のフェスにも出てみたい。
武道館が終われば、知名度はさらに上がっていくはずだ。
そこまでにスケジュールをしっかりと入れて、さらに上積みを目指していく。
既にコンペ用の曲は何曲か提出し、あとはどれが選ばれるかを待つのみ。
おそらく事務所からして、ノイズは武道館を控えているので、自然と政治的に選ばれるだろう。
音楽のみで勝負しないのは不純であるのか。
不純ではあるだろうが、他も全て音楽のみでは勝負していない。
むしろノイズはインディーズという、純粋な音楽から、多くの人に発見されてきた。
俊の持つ巨大な伝手なども、むしろ人気がある程度出てから使っている。
実力でここまでやってきたと、言ってもいい存在だ。
ボカロPというのは、楽曲が全てである。
もちろんイラストやアニメーションもつけたりするが、その演出もボカロPが最終的に行う。
そういった経験が、俊の成長を促したのだとも言える。
でなければあんな、MVの脚本などは作れないだろう。
編集作業まで、全てやったのがノイジーガールだったのだ。
武道館が終われば、さらに忙しくなっていくだろう。
千歳が高校を卒業したら、もっと大きな活動が出来る。
ノイズはまだまだ、圧倒的な伸び代がある。
ミステリアスピンクやMNRをも上回る。
俊はまだまだ、上ばかりを見ていた。
暁の編入手続きと、俊の卒業が終わった。
ノイズはいよいよ、武道館ライブの告知も解禁である。
春休みを中心にツアーを行うが、結局は会場をあちこち抑えて、ワンマンで1000人以上のホールなどを使うことになった。
もう金の使い方が、完全にメジャーバンドと変わらない。
これはレーベルやその上のレコード会社からも、資金が投入されている。
ライブハウスを使うならば、普段のセットでそのままの演奏が可能だ。
ただしドラムなどは、設置されているものを使わなければいけなかったり、アンプの交換も出来なかったりする。
もしくは出来たとしても、労力と時間がかかるわけだ。
コンサートホールは基本的に、そういった設備がないわけではないが、やはりセッティングにはこだわりがあったりする。
俊たちでも出来なくはないが、演出用の設営なども考えると、やはり専門家に任せた方がいい。
名古屋、大阪、福岡の順番で、週末に行われる。
昼の部と夜の部で、一日二回というもので、正直なところ採算が取れるかは微妙なのだ。
チケットの価格も、ライブハウスでやるよりはずっと高い。
コンサートホールなので、客席によって価格も変わってくる。
「土曜日に入ってセッティングして、日曜日にステージって、お金かかってそう」
ライブハウスの雰囲気が好きな暁は、そんなことを言っている。
コンサートホールは実際、音響自体は相当にいい。
また会場自体のレンタル料金も、それほど高くはない。
普段は音楽だけではなく、演劇なども行われたりする。
公共の設備ということもあり、文化を促進するためのものとして、地方自治体などが管理しているのだ。
1000人以上入り、2000人にはちょっと届かない。
そういった施設であり、お綺麗な場所であるのは間違いない。
「東京圏内ならともかく、地方でそんなにお客さん入るの?」
月子としては三味線の発表会などで、地方のホールで演奏や歌ったことはある。
ああいうのに似たところで、ライブを行うというのには違和感がある。
「チケットの売れ行きは順調だが、そこはもう俺たちの考える段階じゃなくなってるからな」
分類がインディーズというだけで、既に実質にはメジャー。
ここからどう利益を出していくかは、事務所やレコード会社、レーベルの仕事である。
ノイズの場合は音源は、もう完全に自分たちで行っている。
そこからの利益も入ってくるが、それよりはライブであろう。
実際のところ、東京近辺の大き目のライブハウスで、自分たちだけでやった方が、金の動きははっきりと分かる。
だがここでは稼ぐのではなく、知名度を上げるのが目的だ。
「実際問題、ちゃんと地方では埋まるのか?」
「だ~いじょうぶ、ま~かせて」
信吾の懸念にも、阿部はしっかりと請け負う。
卒業してから三ヶ所への遠征までの間に、わずかながら暇が出来た。
もちろん暇と言うほど、俊は時間を無駄には使わない。
新曲を作るための、インプットを色々と考える。
栄二も少し他のヘルプを減らして、こちらで作曲に協力してくれる。
暁としてもこの時期は、学校の方は一通り終わっている。
友達が本当に、千歳ぐらいしかいなかった暁は、なんだかんだで最後の一年ほどは、孤高の存在として見られたりしていたのだ。
「やっぱりもうちょっと低い位置で弾く練習した方がいいかな?」
「やめて」
馬鹿らしい提案をしては、俊に止められたりもしている。
「ストラップ長くした方が映えるんだけどね」
「言いたいことは分かるけど、体格的な限界があるだろ」
作曲や練習の合間には、こんな馬鹿らしい会話もされたりする。
暁もなんだかんだ言いながら、低い位置でギターを弾くようにしている。
だがメンバーの中で一番小さい、153cmという身長と、それにある程度比例する腕の長さはどうにもならない。
腰の位置で弾くのがロックギタリストだとしても、さすがにそれも限界がある。
だいたい見た目がいい以外に、低い位置でギターを弾く意味はあるのか。
見た目がよくなるのは、メタルからの志向であろう。
しかし暁はもっとハードロック寄りであり、もしくはスタイルだけを言うなら、明らかにオルタナティブでグランジである。
破れたジーンズにTシャツというスタイル、あるいはそれすら脱いでビキニのトップというのは、ロックではあるのだろうが。
コンペの曲はもう出したが、あの曲は採用されたとしても、アニメが始まるまでは演奏してはいけない契約になっている。
またそれとは別に、かなりのキラーチューンを一曲、武道館でお披露目したいのも確かだ。
俊としてはそのために、色々な音楽をまた聞き直している。
「らせんの曲はやっぱおかしいなあ」
徳島の曲は本当に、一曲ごとにジャンルが変わったりする。
どちらかというと量産主義の俊とは、完全にそこが違っている。
ただ作曲に関しては、二人は似たような手順を取っている。
とにかくたくさん作っていって、インスピレーションを求める。
上手いフレーズなどを見つけたら、そこに肉付けをしていく。
あるいはイントロだけが出来上がる、というところから始めたりもするのだ。
「七月までにあと一曲、練習を考えたら六月の半ばぐらいまでか」
「それだけあれば、なんとかなるんじゃない?」
作曲能力のある五人が集まって、色々と組み立てていく。
ただこういう作り方をしていくと、作曲のクレジットをどうすればいいのか、後から困ったことになる。
俊としてはもっと、巨大な衝撃を受けて、そのインプットをアウトプットに変えたい。
「そうだ月子、TCのコンサート、一緒に行けるように空けておいてくれ」
「へえ、チケット取れたんだ」
「業界内で回ってるもんだけどな」
岡町経由であるため、ちょっと阿部にも内緒である。
「ツキちゃんの歌声って、そういやTCっぽいよね」
暁としてはジャンルが、ポップスからR&Bなので、あまりTCには興味がないらしい。
確かにソロのボーカルなので、バンドとしては参考になるものではない。
だがボーカリストとしては、月子はライブで聴いておくべきだろう。
「ちーちゃんはいいの?」
「千歳とは方向性が全く違う」
それが俊の判断であり、このコンサートを聴くというのも、仕事の一つと考えた方がいいのであった。
月子は意外と平然としていたのは、そのあたりの感覚が壊れているからか。
周囲に増えた急造のお友達。
自分の価値が急に高くなって、カーストが上がったようにも感じる。
千歳がそれに溺れなかったのは、方向性こそ違えど、似たような経験を既にしていたからだ。
あの、忘れられない春の日。
普通の少女であった自分が、可哀想な子に変化してしまったあの日。
人間の見られ方というのは、一日で変わってしまうものなのだ。
三年生たちが卒業して、自分たちが最後の一年。
その卒業式の日には、三橋との会話があったらしい。
「あの日、ライブハウスに連れて行って、本当に良かった……よね?」
彼女の語尾が衰えるのは、芸能界という世界に入ることが、本当にいいことなのか分からなかったからだ。
千歳は元々、音楽業界でスターになろうとか、そんなことは考えていなかった。
無欲であるという点では、執着のある暁よりも、よほど一般人の思考であったのだ。
現代社会では顔が知られているというのは、あまりいいことでもない。
暁が通信制に編入するというのも、そのあたりが関係しているのかな、と思ったのは確かだ。
俊の場合はそもそも、ノイズとしての活動を始める前から、大学ではある程度一目置かれている存在であった。
そしてボカロ界隈においては、ちょっと変り種と思われている。
そもそもボカロPというのは、自分では歌えないという人間や、バンドなど組めないという人間が、やり始める分野なのだと思う。
俊の場合は音大に入ったので、ポップスをやっている人間も、周囲にいくらでもいたのだ。
実際に一度はバンドを組み、そして脱退した。
そこからボカロPとして、そこそこの評価は得ることが出来た。
それだけで食べていけるほどではないが、家が太い俊としては、余裕がある状況ではあった。
執念や貪欲さ、ハングリー精神に分類するものを、俊は自分の中から見つける必要があった。
求め続けたからこそ、月子と出会えたと言えるのか。
暁は向こうからやってきたが、千歳は完全な偶然だ。
彼女の歌を聴けば、おそらく他の誰かがいつかは、表舞台のメジャーシーンに引っ張りだした可能性は高い。
(出会いっていうのは確かに重要だよな)
俊はそんなことを考える。
彩が自分に頼ってきたのも、俊がそれなりの力を付けたからだ。
偉そうに言ってはいても、この業界では売れている者が勝ちなのだ。
ただ売れ続けることは、一発売れるよりもよほど難しい。
なんだかんだと彩は、トップレベルで六年ほども歌っている。
それだけでも充分にすごいことなのだろう。
あるいは、と俊は思わないでもない。
ノイズの中には存在しない、女性のアルトボイス。
彩と組んでみても、また新しい音楽が生まれるかもしれない。
実際に自分の中から、彩に合った曲は生まれたのだ。
昔はどうにかして、曲を作ろうとしていた。
だが今は空気の中にある、曲の元になる何かを、上手く掴みとって曲にしている。
蓄積してきたインプットが、ようやく形となってアウトプット出来るようになったのか。
作曲のインスピレーションというのは、どこから来るのか分からない。
しかしそれを上手く掴み取るのは、慣れればそれなりに出来るようになるらしい。
二月はテレビ出演したことが、やはり話題の中心となった。
七月の武道館ライブに向けて、もっとどんどん告知をしていかなければいけない。
曲の数自体は充分にあるが、もっと増やしていきたい。
今はとにかく、生み出せるものをどんどんと完成させていくのだ。
そんな中で珍しく、栄二も曲を作ってきたりした。
ノイズのこれまでのパターンと違うのは、ドラムのラインが特徴的であるということだ。
もっともこういうリズムはむしろ、今の流行ではある。
ノイズは千歳以外、単独で作曲を作る能力がある。
千歳においては、大学に入って、理論から勉強すればいいだろう。
ただ今の、感情に任せた千歳の音楽が、下手に理屈まみれになれば、それはそれで問題である。
暁などは体系的に学んだわけではなく、とにかく最初は耳コピしてギターを弾いていた。
父親からは弾き方を学びはしても、作曲の方法などは学んでいない。
基本的には過去の曲から、上手く組み合わせていくというのが、暁の作曲方法である。
その中にはちょっと他の人間はやらないような、変な組み合わせもあったりする。
フィーリングで曲を作っていると、妙に難解になったりもするのだ。
音楽の方向性というのは、難しいものである。
俊もまた、大学の卒業がやってくる。
これで今までよりも、自由度は増してくる。
アウトプットをするために、どんどんとインプットもしていく。
知り合いになったミュージシャンは基本はバンドが多いが、ボカロPつながりの歌い手などもいる。
PCの画面の向こうで、Vの歌うライブを聴くというのも、今の文明でこそマッチしたものなのだろう。
ミステリアスピンクの徳島とは、何度か会うことがあった。
彼もまたインプットには、労力を惜しまない。
もっともアウトプットのスピードは、俊よりもずっと遅い。
一曲ごとに自分の全体を更新するので、どうしても作る速度は遅くなるのだ。
その代わりに、彼の楽曲に実験作や意欲作はあっても、駄作はない。
流行のポップスを作ってみたらどうなるか、とお題を出して作りあってみたら、普通にキャッチーな曲を作ったりもする。
だがそれを簡単に、ゴミだとして捨ててしまえるのが、徳島というコンポーザーだ。
ミッドナイトレクイエムなどは、そもそも完全にメジャーシーンなので、あまり出会うことがない。
一応あちらもコンサートは開くのだが、もうライブハウスではなく、ホールを使った公演が主体になっている。
確かに本当の音楽の純度だけを求めるなら、コンサートホールの方が、音響は優れたものになるのだ。
「MNRのコンサート、チケット取れそうだけどこっちもツアーするんだよなあ」
俊と徳島は、方向性は全く違うが、一般的なボカロPとは異なるという点だけで、ある程度は会話することが出来る。
「四月だと、KCが来日するけど」
珍しく徳島の方から、話題を広げてきていた。
アメリカの誇る歌姫は、もう20年以上も高い人気を誇る。
日本ではなく世界において、トップ10ぐらいの人気をずっと続けているのだ。
ポップスからバラード、R&Bあたりを歌うのだが、完全にボーカル。
一応楽器も弾いたりはするが、その歌声が圧倒的なのだ。
おそらく世界中で、一番月子に似た方向の声ではなかろうかとも思う。
シンガーであってバンドではなく、楽曲は基本的には他人から提供してもらうことが多い。
「アリーナ席だといくらになるんだか」
「いつもプラチナチケットだから」
それでも徳島は、コンサートに行くらしい。
どんどんと新しいものを取り込んでいくのは、俊も徳島も同じである。
だが同時に古いものも、何度も聞いては味わっていく。
「東京で二日、大阪で二日かあ」
それぞれドームを使う公演なのだが、高額のチケットでも普通にもう売り切れている。
今の日本はコスパをもとめるが、それでもファンを集めてしまうあたり、アメリカの歌姫の代表格とも言えよう。
10代の半ばにヨーロッパからデビューして、すぐにアメリカで売れた。
クラシックの素養があって、その歌唱力は圧倒的なものがある。
特に月子には、直接聞かせてやりたい。
自分の分はともかく、彼女の分まで今から、どうにか手に入るものだろうか。
「そういやまだ本決まりじゃないから極秘なんだけど、武道館が決まったんだ」
「ああ……そうなの」
徳島としてはあまり、武道館になどは興味がないらしい。
そもそもコンポーザーとして楽曲を提供し、あとは駄目出しをしていくだけなのだ。
もっとも大きなステージでは、勝手にやってくれというのが、彼の立ち位置らしい。
俊にとっては徳島のそんな考えも、よく分からないものである。
楽曲を作って提供し、自分の満足のいく感じで歌ってもらえればそれでいい。
ライブコンサートに関しては、あまり駄目出しもしないのだとか。
そうでなければフェスのような、オーディエンスが動き回るものに、ユニットを出したりしないだろう。
「そういえばKCのコンサートに、LAEXレコードが動いてるらしいけど」
「え? KCとはそもそもレコード会社が……ああ、連携して、いや、前は違ったはずだけど」
KCの所属しているレーベルのレコード会社は、日本支部のような形でも存在する。
それはALEXレコードではなく、他のメジャーである。
「ああ、だから予算が足りなかったのか……」
超大物外タレのコンサートは、確かに収入も予想できる。
だがその前にものすごく金がかかるので、それを計算しておかないといけない。
彼女ほどの大物だと、ギャランティも凄いものになるだろう。
それはかなり前から計画しているはずだから、彩の件も金が足りなかったわけだ。
そういった事情があったからこそ、彩は出戻りとなったわけだ。
しかしあの場では、そんな素振りを俊には全く見せなかった。
(あれだけ大きな会社なら、社長の決定だけで企画を潰すわけにはいかないもんな)
だが彩を半年ほど休業させれば、その資金調達も可能であったはずだ。
アーティストファーストの精神で、針巣は動いていた。
GDレコードの政治屋どもとは、そもそもの心構えが違ったというわけか。
KCの日本公演を、今後は自社やるというのは、ものすごく大きな企画である。
二三年に一度は日本にやってくるKCは、大の親日家で、日本語である程度のインタビューを受けても大丈夫なぐらいだ。
人は好きになってくれる人を好きになる。
日本でも海外の女性シンガーとしては、KCはずっと人気である。
ただレコード会社の関連性を、どうやって解決したのか。
そのあたりも俊としては、気になるところである。
やはり月子には聴かせるべきだ。
アーティストは一人一流派で、誰かのコピーからは最終的に抜け出さないといけない。
だが今のところ月子の路線は、かなりKCに似た部分がある。
海外に進出するために、GDレコードを選んだのは間違いではない。
ただ真正面からの海外進出は、俊はずっと考えていなかった。
シティポップは俊も作曲できる。
だがそれは、今のノイズの音楽ではないのだ。
表層の軽さが、むしろ心地いいと評判なのが、シティポップの特徴の一つだろう。
それに比べるとノイズは、カバー曲でさえ重層的で、ずっとシリアスな音楽となっている。
「ピンクってライブハウスではやらないよね?」
「決めてるのは僕じゃないから」
徳島は自分で楽曲を作り、それが完成した演奏になったら、そこで満足してしまう。
何度もコンサートで演奏されても、あくまでもコンポーザーとしての仕事のみ。
音源作りにはひたすら口を出すが、宣伝や展開にはあまり口を出さない。
職人的な存在であるが、執念と情念から発生した、異質の実力者ではある。
またフェスで一緒にやることにはなるのだろうな、と思っている。
それこそ夏には、他のフェスにも出てみたい。
武道館が終われば、知名度はさらに上がっていくはずだ。
そこまでにスケジュールをしっかりと入れて、さらに上積みを目指していく。
既にコンペ用の曲は何曲か提出し、あとはどれが選ばれるかを待つのみ。
おそらく事務所からして、ノイズは武道館を控えているので、自然と政治的に選ばれるだろう。
音楽のみで勝負しないのは不純であるのか。
不純ではあるだろうが、他も全て音楽のみでは勝負していない。
むしろノイズはインディーズという、純粋な音楽から、多くの人に発見されてきた。
俊の持つ巨大な伝手なども、むしろ人気がある程度出てから使っている。
実力でここまでやってきたと、言ってもいい存在だ。
ボカロPというのは、楽曲が全てである。
もちろんイラストやアニメーションもつけたりするが、その演出もボカロPが最終的に行う。
そういった経験が、俊の成長を促したのだとも言える。
でなければあんな、MVの脚本などは作れないだろう。
編集作業まで、全てやったのがノイジーガールだったのだ。
武道館が終われば、さらに忙しくなっていくだろう。
千歳が高校を卒業したら、もっと大きな活動が出来る。
ノイズはまだまだ、圧倒的な伸び代がある。
ミステリアスピンクやMNRをも上回る。
俊はまだまだ、上ばかりを見ていた。
暁の編入手続きと、俊の卒業が終わった。
ノイズはいよいよ、武道館ライブの告知も解禁である。
春休みを中心にツアーを行うが、結局は会場をあちこち抑えて、ワンマンで1000人以上のホールなどを使うことになった。
もう金の使い方が、完全にメジャーバンドと変わらない。
これはレーベルやその上のレコード会社からも、資金が投入されている。
ライブハウスを使うならば、普段のセットでそのままの演奏が可能だ。
ただしドラムなどは、設置されているものを使わなければいけなかったり、アンプの交換も出来なかったりする。
もしくは出来たとしても、労力と時間がかかるわけだ。
コンサートホールは基本的に、そういった設備がないわけではないが、やはりセッティングにはこだわりがあったりする。
俊たちでも出来なくはないが、演出用の設営なども考えると、やはり専門家に任せた方がいい。
名古屋、大阪、福岡の順番で、週末に行われる。
昼の部と夜の部で、一日二回というもので、正直なところ採算が取れるかは微妙なのだ。
チケットの価格も、ライブハウスでやるよりはずっと高い。
コンサートホールなので、客席によって価格も変わってくる。
「土曜日に入ってセッティングして、日曜日にステージって、お金かかってそう」
ライブハウスの雰囲気が好きな暁は、そんなことを言っている。
コンサートホールは実際、音響自体は相当にいい。
また会場自体のレンタル料金も、それほど高くはない。
普段は音楽だけではなく、演劇なども行われたりする。
公共の設備ということもあり、文化を促進するためのものとして、地方自治体などが管理しているのだ。
1000人以上入り、2000人にはちょっと届かない。
そういった施設であり、お綺麗な場所であるのは間違いない。
「東京圏内ならともかく、地方でそんなにお客さん入るの?」
月子としては三味線の発表会などで、地方のホールで演奏や歌ったことはある。
ああいうのに似たところで、ライブを行うというのには違和感がある。
「チケットの売れ行きは順調だが、そこはもう俺たちの考える段階じゃなくなってるからな」
分類がインディーズというだけで、既に実質にはメジャー。
ここからどう利益を出していくかは、事務所やレコード会社、レーベルの仕事である。
ノイズの場合は音源は、もう完全に自分たちで行っている。
そこからの利益も入ってくるが、それよりはライブであろう。
実際のところ、東京近辺の大き目のライブハウスで、自分たちだけでやった方が、金の動きははっきりと分かる。
だがここでは稼ぐのではなく、知名度を上げるのが目的だ。
「実際問題、ちゃんと地方では埋まるのか?」
「だ~いじょうぶ、ま~かせて」
信吾の懸念にも、阿部はしっかりと請け負う。
卒業してから三ヶ所への遠征までの間に、わずかながら暇が出来た。
もちろん暇と言うほど、俊は時間を無駄には使わない。
新曲を作るための、インプットを色々と考える。
栄二も少し他のヘルプを減らして、こちらで作曲に協力してくれる。
暁としてもこの時期は、学校の方は一通り終わっている。
友達が本当に、千歳ぐらいしかいなかった暁は、なんだかんだで最後の一年ほどは、孤高の存在として見られたりしていたのだ。
「やっぱりもうちょっと低い位置で弾く練習した方がいいかな?」
「やめて」
馬鹿らしい提案をしては、俊に止められたりもしている。
「ストラップ長くした方が映えるんだけどね」
「言いたいことは分かるけど、体格的な限界があるだろ」
作曲や練習の合間には、こんな馬鹿らしい会話もされたりする。
暁もなんだかんだ言いながら、低い位置でギターを弾くようにしている。
だがメンバーの中で一番小さい、153cmという身長と、それにある程度比例する腕の長さはどうにもならない。
腰の位置で弾くのがロックギタリストだとしても、さすがにそれも限界がある。
だいたい見た目がいい以外に、低い位置でギターを弾く意味はあるのか。
見た目がよくなるのは、メタルからの志向であろう。
しかし暁はもっとハードロック寄りであり、もしくはスタイルだけを言うなら、明らかにオルタナティブでグランジである。
破れたジーンズにTシャツというスタイル、あるいはそれすら脱いでビキニのトップというのは、ロックではあるのだろうが。
コンペの曲はもう出したが、あの曲は採用されたとしても、アニメが始まるまでは演奏してはいけない契約になっている。
またそれとは別に、かなりのキラーチューンを一曲、武道館でお披露目したいのも確かだ。
俊としてはそのために、色々な音楽をまた聞き直している。
「らせんの曲はやっぱおかしいなあ」
徳島の曲は本当に、一曲ごとにジャンルが変わったりする。
どちらかというと量産主義の俊とは、完全にそこが違っている。
ただ作曲に関しては、二人は似たような手順を取っている。
とにかくたくさん作っていって、インスピレーションを求める。
上手いフレーズなどを見つけたら、そこに肉付けをしていく。
あるいはイントロだけが出来上がる、というところから始めたりもするのだ。
「七月までにあと一曲、練習を考えたら六月の半ばぐらいまでか」
「それだけあれば、なんとかなるんじゃない?」
作曲能力のある五人が集まって、色々と組み立てていく。
ただこういう作り方をしていくと、作曲のクレジットをどうすればいいのか、後から困ったことになる。
俊としてはもっと、巨大な衝撃を受けて、そのインプットをアウトプットに変えたい。
「そうだ月子、TCのコンサート、一緒に行けるように空けておいてくれ」
「へえ、チケット取れたんだ」
「業界内で回ってるもんだけどな」
岡町経由であるため、ちょっと阿部にも内緒である。
「ツキちゃんの歌声って、そういやTCっぽいよね」
暁としてはジャンルが、ポップスからR&Bなので、あまりTCには興味がないらしい。
確かにソロのボーカルなので、バンドとしては参考になるものではない。
だがボーカリストとしては、月子はライブで聴いておくべきだろう。
「ちーちゃんはいいの?」
「千歳とは方向性が全く違う」
それが俊の判断であり、このコンサートを聴くというのも、仕事の一つと考えた方がいいのであった。
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