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12章 ムーブメント

199 アーティストと政治

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「ふぉおおおおお」
 口を開いてステージから、バックヤードに続く道、そして観客席を見回す千歳。
 普段のライブハウスや、大規模ホールとはやはり、違うのがテレビ局の撮影所だ。
 客席があるのが特徴で、それなりの人数が入るホールになっている。
 もちろん出演するのはノイズだけではないが、ほとんどは知り合いか、一方的に知っている相手である。

 全国放送だ。
 これまでもフェスの様子などが、ニュースでわずかに流れたことなどはある。
 しかし新年になってからここまで、ライブのたびにしっかりと告知してきた。
 視聴率がたとえ1%しかなかったとしても、100万人が見ることになる。
 もちろん実際はもっと、視聴率の高い番組である。
「あんまり感心してないで、さっさとセッティング終わらせるぞ」
 そのあたりの事前準備は、普通のライブとそう変わらない。

 ミュージックスタジアムは、午後九時からの放送であるため、それなりに視聴率の取れる音楽番組だ。
 歴史も長く俊の場合、父の代からお世話になっている。
 そんなわけで司会者のモリタには、先に挨拶にも行っていた。
 モリタもそこまで深くはないが、ある程度の事情を知っている人間である。
 そもそもモリタが、この芸能界においては超大御所と言ってもいいのだが。

 そのモリタは、東条高志の息子が、もうこの年齢になったのか、と驚いていた。
 前身のマジックアワーの時代から、Mスタでは出演している身である。
 それが今では、遅くに生まれた息子が出てきているのだから、モリタの驚きも分からないでもない。
 もっともそれは、若い俊たちには分からないものである。
「ここまで来たか……」
 信吾などは前のバンドで、テレビには一応出たことがある。
 ただ曲を披露するというものではなく、今元気な若手バンドという感じで、深夜の番組で特集されたのだ。

 先にデビューしたアトミックハートは、確かに何曲か出している。
 だが作曲パートをある程度やっていた信吾が抜けて、他からの楽曲提供をやるバンドとなってしまった。
 まだ解散したわけではないが、調べてみないと聞かない程度には、人気も出ていない。
 やはり自分の選択は正しかったな、と思う信吾である。



 セッティングなどにかなりの時間をかけたのは、どこでだれを撮影するか、ということも確認するからである。
 演奏するのは霹靂の刻で、アメリカのアニメーションでOPに使われ、それがネットで流れていることでも有名にはなっている。
 最初に流すのが俊ではなく、月子の作曲したものではあるが、アレンジは大幅に俊の手が入っている。
 俊や他のメンバーの手を通した後なので、ノイズの音楽になっている。
 本当ならばノイジーガールをやるのが、一番バンドの象徴的な曲ではあったのだろう。
 しかしそこはテレビで演奏するため、現在の知名度がある程度はないといけない。

「モリタさん、むっちゃ気さくな人だった!」
 祖母がやはりテレビぐらいまでしか見なかったため、月子もテレビを見て育った。
 その中で音楽番組というなら、やはりMスタであったのだ。
 月子はライブハウスやフェスへの移動の際は、サングラスをしている。
 モリタもサングラスがトレードマークの人間なので、ちょっと親近感が湧いたのかもしれない。

 実際のところは今日も、月子はマスクをしてステージに立つ。
 二つの演奏用ステージを、交互に使っていくという番組のスタイルで、素早いセッティングの変更が重要だ。
 霹靂の刻は月子のエレキ三味線があるため、他の曲よりは少し歌唱の難易度が高い。
 しかし何度もやっているうちに、それは慣れてくるものだ。
 ライブではノイジーガール、アレクサンドライト、霹靂の刻の三曲のうち、二曲は必ずやる構成になっている。
 そしてもう充分にオリジナルはあるのに、まだカバー曲も演奏する。

 元の曲からは、ある程度のアレンジが入ったカバー。
 これが癖になって、ノイズのライブはソールドアウトが続いている。
 それなのに基本的には、300人までの規模のハコでしかやらない。
 しかしここからは武道館に向けて、さらに認知度を上げていく必要があるだろう。
 1000人規模のホールなどを借りて、そこでのライブをするならば、機材のセッティングなどでぎりぎり、黒字になるかどうか。
 それでも東京から一日で行ける範囲なら、充分なのだ。

 問題は関西圏やさらに遠い場所だ。
 ローディーやエンジニアの手配に加えて、規模の大きなホールでやるなら、演出にかなり金をかけなくてはいけなくなる。
 するともう赤字ぎりぎりということになるのだが、それでもやる意味はある。
 名前をどんどんと売っていかなければいけないからだ。
 武道館でライブをするのに、金やコネだけでは不可能な要素。
 それは興行の実績である。

 ノイズは一応、2000人までのハコは普通に埋めているし、フェスでは二万人以上を動員している。
 ただフェスの評価に関しては、ノイズばかりを見に行った人間でもないので、微妙なカウントとされてしまう。
 そもそも七月の、夏休みに入ったあたりの期間は、かなり武道館のレンタルも難しい。
 夏休みで本来の、学生のための大会で、予定が埋まってしまうのだ。
 その直前、二日間を昼と夜の日程でライブを行う。
 これについてはまだひっくり返される可能性があるので、俊はまだメンバーのうち、栄二にだけしか言っていない。
 栄二は他のバンドのサポートに入ることもあり、夏休みはそれが多くなるので、早めにスケジュールの確認が必要だからだ。



 日本武道館。
 武道の聖地であり、柔道や剣道の大会を行う、巨大な施設である。
 だが同時に音楽の聖地でもあるのは、ここでビートルズが来日公演をしたからだ。
 他にも洋楽分野では、シカゴ、ツェッペリン、カーペンターズ、ディープ・パープル、エリック・クラプトン、QUEEN、ボブ・ディラン等々。
 とんでもない大御所がやっているという点では、確かに聖地とも言えるのだろう。
 だが実際の演奏施設としては、さほど優れたところはなかったりする。
 元々そういった場所ではないのだし、ビートルズの公演でもほとんど音の聞こえない席などがあったのだ。

 調べていけば色々と伝説が残っていて、大きな働きをしていた武道館。
 だが今なら大きさだけで言うなら、まず東京ドームがある。
 そして音楽用の施設なら、横浜アリーナやさいたまスーパーアリーナといったところもある。
 それでも過去の歴史が、重みを与えてくれる。
 野球で言うなら甲子園のようなものであろうか。

 ちなみにバンド結成からほぼ二年での公演というのは、過去の例を見てもかなりの早さである。
 彩も武道館でやるようになったのは、三年目からだ。
 もっとも彼女は、武道館を一つのステータスとは見ていても、舞台としてはさほどのものとも思っていなかった。
 ついでに言えば彩は、東京ドームでのコンサートは行ったことがない。
 あそこはチケットだけでペイするのは難しく、相当のグッズを売るアイドルグループでないと厳しいのだ。
 あるいは外タレの大物である。

 かつては五大ドーム制覇、などという目標があったりもした。
 しかし話題作りにはいいかもしれないが、音楽を純粋に演奏するという点では、あまりいい環境ではない。
 俊としても武道館はともかく、東京ドームはないな、と思っている。
 なにしろかかる金の桁が違うのだと、岡町なども言っていた。
 マジックアワーの全盛期には、それでもコンサートをしていたし、俊の父のプロデュースしたアーティストもやったことがある。
 ただそれはもう、時代が違うのだ。

 話題性だけを作るなら、四大ドーム制覇などというのもいいだろう。
 だが設営などに演出なども考えるなら、アリーナを使うべきだ。
 音響の設備なども、最初からドームよりも想定はされている。
 あの日本の音楽を破壊した天才も、基本はコンサートホールだけしかコンサートは行わなかった。
 そのためチケットの争奪戦が、100倍などになるということも珍しくなかったらしいが。



 まずは日本武道館だ。
 しかしそのために、全国放送のこの番組で、爪痕を残す必要がある。
 とは言ってもおかしなことをするのではなく、普段通りに全力でやればいい。
 もっともたった一曲を演奏するために、ここまでの準備が必要なのか。
 テレビをけっこう馬鹿にしていたが、働いている人間の数は多い。
 ライブハウスなどは最初からセッティングがされているが、テレビの場合はミュージシャンごとにすぐに変えなければいけない。
 さらには演出も必要とするのだ。

 他の出演者と遭遇することもあるし、その中にはアイドルグループもいたりする。
 キラキラした衣装でステージリハを行う彼女たちを、月子がいまだに羨ましそうに見ていたりする。
 ただ月子は基本的に、誰かに認められたいと、自分の存在価値を求めて生きてきた。
 マイナスがずっと続いた高校時代までを、どうにかプラスにしようとする人生。
 熱烈なファンというのも、100人や200人はいるだろう。
 少なくともファンクラブの人数は、既に10万を超えている。

 ほどほどに売れればいい、とは俊は思わない。
 音楽業界の売れ方も、今は昔とは変わっているのだ。
 もちろん地方巡業などの、人気が落ちてきたミュージシャンが稼ぐ手段は、今もしっかり残っている。
 だが俊はひたすら、音楽の可能性を探っている。
 マンガの話をするなら、コンテンツが多様化した現代でも、鬼滅の刃が圧倒的な数字を叩き出した。
 つまり細かい需要に応える作品もあれば、大衆が全力で楽しめる作品もあるのだ。
 音楽もまた、芸術性と大衆性、両方を兼ね備えた存在があってもいい。いや、あるべきだ。
 それを求めて、俊は音楽の道を歩んでいる。

 生放送ということもあるので、穴を空けるわけにはいかない。
 メンバー全員が、テレビ局の中で待機する。
 本日限定のパスがあるので、ある程度の局内は動くことが出来る。
 もっともビル内はごちゃごちゃしているので、迷子にならないようにと二人以上での行動を求められたりする。
 特に月子は、サングラスでわざわざ顔を隠しているので、誰かと一緒に行動するようにはしている。

 時間が迫ってくれば、それぞれの衣装に着替えたり、あるいはメイクをしたりする。
 男性陣でもそれは変わらず、カメラでしっかり撮られるため、注意を受けたりするのだ。
 今日は一曲だけなので、暁が脱ぎだす危険はなくていい。
 ただ、曲中でTシャツを破りだす危険性も考えて、一応下には水着を着ているが。
 最初から水着で演奏してもいいのでは、とも思うが季節的にさすがに寒い。
 暖房はもちろんあるが、ライブハウスの熱狂とはやはり違うのだ。



 阿部はメンバーを連れて、スタッフの中でもお偉いさんには挨拶回りをした。
 ノイズは魂がロックのグループであるが、音楽性以外はそれほど反社会的でもない。
「テレビなんて斜陽なのに、偉そうな人が多かったね」
 珍しくも暁が、真顔で毒を吐いたりしていた。

 確かに本当の話であるが、テレビを視聴する人数を考えれば、社会的な影響はまだまだ大きい。
 そのテレビ局で働いているというのを、自分の価値と勘違いしている者はいるのだ。
 実際のところテレビ局などには、政財界のお偉いさんの子弟が、ある程度は入ったりしている。
 そういうところも勘違いの原因なのだと、阿部も説明したりする。

 巨大な企業とスポンサー契約などもするため、テレビにはいまだに影響力や権力があるのは本当だ。
 しかしいまや大ヒットアニメやドラマなどは、ネット配信も完全に行われる。
 テレビでは放送されず、ネット限定という作品も増えてきた。
 チャンネルに限界のあるテレビが勝っているのは、せいぜいが無料であるということぐらいか。
 見逃しても後から見られるネットの方が、圧倒的に有利であるとも言える。

 スポーツの放映権料が莫大になって、テレビ局ではそれを払えない、ということもあった。
 そこに金を出したのが、ネット会社なのである。
 スポーツ専門チャンネルなどは、それに興味がある人間であれば、それなりの金を出してでも見る。
 方向性に特化したものが、生き残るという時代がやってきたのだ。

 俊たちの世代では、一番年上の栄二でさえ、テレビの魅力をあまり感じない。
 昔はその時間になるのを、全裸待機で待っていた者たちがいたのだ。
 それこそアニメなどでは、放送中に実況し、そして終了後に感想を言い始める。
 一つの伝説としては「魔法少女まどか☆マギカ」がある。
 東日本大震災があったため、一日遅れの地方では、かなり長く見られなくなってしまったのだ。
 もっともあの時代もネットは既にあったので、録画したものが海賊版として流れていたそうだが。

 千歳はアニメを好きだが、それを熱烈に語り合うというタイプではない。
 ただテレビの持つ電波と、その即時性に関しては、強烈なものがあるのだ。
 9.11世界貿易センタービルへの、飛行機の激突。
 生放送で見ていれば、人間がビルから落ちていく姿が放送された。
 3.11東日本大震災。
 津波が逃げていく自動車を飲み込むのも、生放送で放送された。
 それ以降は放送されていない、まさに本物の放送事故である。

 ネットではそれは、極めて難しい。
 テレビは権力を持っているからこそ、そういったひどいこともやってしまえる。
 ネットは世界共通であるので、下手に表現をしてしまえば、国外のどうしようもないところからクレームが来るのだ。
 千歳も言われてみれば、アニメは基本ネットで見ているかな、と思う。
 録画という文化が、薄れていっているのが若い世代なのかもしれない。
 もっとも今日の放送は、しっかりと録画はしてもらう。
 この放送すらも、ネット配信であったりするのだが。



 重要なのは失敗しないことではなく、失敗しても流すこと。
 打ち込みの部分などは俊が、フォローしてしまうことが出来る。
 ただ三味線とギターのソロのところは、やはり生音に勝てるはずがない。
「生放送は初めてだからなあ」
 信吾はそう言うし、栄二はバックミュージシャンのドラムとして叩いたことがあるが、それも録画放送。
 ボーカルならともかく他の部分は、わざわざ少しのミスを問題にはしない。

 基本的に栄二はスタジオミュージシャンで、バックミュージシャンとして活動する場合も、地方巡業についていくということが多かった。
 今日初めて、生放送の主役バンドとして、演奏することになる。
 いっそ録音を流した方が、ミスは少ないのかもしれない。
 ただ絶対に暴走する暁のことを考えれば、人間でないと対応出来ない。
 フィーリング重視なのはいいが、予定調和の演奏が出来ないというのは、商品としては欠陥と言える。
 それでもいいのだ、とノイズのメンバーは認めているが。
 
 やはり緊張しているところに、楽屋へのノックがなされた。
 まだ少し時間の前だが、早めに呼ばれているのか。
 だがそう思ったところに、ドアを開けてやってきたのは、なんと彩であった。
「どう、緊張してる?」
「なんでこんなとこに」
「少し時間が空いたから、激励にね」
 俊と彩の間の対立は、本人たちの間ではもうない。
 ノイズのメンバーに対しても、細かいことは伝えられないが、和解したとは言ってある。

 彩としてはまだ、俊に借りを返したとは思っていない。
 それに他にも、話したいことはあったのだ。
 移籍のどさくさのせいで、少し時間が出来てしまっている彩。
 芸能人としては、忙しければ忙しいほど、本当はいいのである。

 だが彩は、自分の移籍を見事にまとめてくれた俊に、確認したいことがあったのだ。
 そしてこれは、伝えておいた方がいいのでは、と思ったこともある。
「俊、今回の私の移籍騒動、どう思った?」
 余っている席に座って、彩は一方的に話し始める。
「どうと言っても……専務派だけを上手く弱体化させた、えげつない社内政治だなとは思ったな」
 GDレコードは巨大な失点になりそうなのを、常務派の力によって一手間だけに抑えきった。
 ALEXレコードは次期社長になるはずの常務と、良好な関係性を築いたと言える。

 その事実は正しい。
「今年というか、来年度の予定があるから、ALEXレコードも私の移籍を認められなかったのは分かる?」
「そうだな。俺はミュージシャンの移籍で得をするとだけ見ていたけど、会社として考えれば問題にもなるよな」
 あんたたちはいつもそういう問題を起こしてるんだけどね、と聞いていた阿部は心の中で思った。
「ALEXレコードの大型新人の話とか、何か噂でも聞いてない?」
「新人? いや……そういう予定があるから、彩を受け入れることは出来なかったわけか?」
「そういう話でもないのか」
 彩としてもそこに、何か確信があったわけではないのだ。

 彩は針巣と、直接対面した。
 50代になっても若々しく、そして野望を秘めた目をした人間だと思った。
「今回の件もあって、ひょっとしたらALEXレコードの方から、貴方に楽曲提供の依頼とか来たりしてない?」
「まさか。確かに針巣社長と常務の間に話はあっただろうけど、GDレコードの社長にまで話が通るのはまだ先だろ」
「二つのレコード会社が合併でもしたら、凄いことが出来るようになると思わない?」
「それはないと思うけど」
 レコード会社の合併自体は、別にないわけではない。



 また政治の話になっているが、これはむしろビジネスだ。
 ALEXレコードの抱えるレーベルのミュージシャンは、比較的正統派のアーティストというものが多い。
 GDレコードは大手であるが、ノイズもそうだがややクセのあるミュージシャンを抱えていたりする。
 まさにミュージシャンではなく、アーティストに近いと言えようか。
 ボカロPの発掘などは、GDレコードの方が先進的だ。

 新しい才能の発掘という点や、その宣伝という点では、ALEXレコードはやや旧態然としている。
 これはGDレコードの場合、社内の競争が激しいため、新しい売り方を模索しているからでもあるのだろう。
 ALEXレコードは古くからの、丁寧な発掘や大きな宣伝を、しっかりとしている感じはする。
 本来ならば彩などのタイプは、ALEXレコードの方が向いているのだろう。
 そう思ったのも、提案に勝算があると思った原因だ。

 二つの会社は確かに、強みが違う部分がある。
 そこを上手く活かして合併でもするなら、確かに意味はあるだろう。
 だが音楽業界の合併は、下手をするとその長所を消すことになる。
 それに業界トップのALEXレコードと、五位のGDレコードが合併して、何と戦うというのか。
「いや、海外進出をもっと考えているとか?」
 俊はその可能性に思い至る。

 ALEXレコードは国内トップのシェアを持ち、また海外へもそれなりに進出している。
 だがこの部分だけは、GDレコードの方が先取的な動きをしている。
 別に会社がそう動いたのではなく、所属するアーティストがたまたま、海外でも受けたということであるが。
 メリットはそこそこありそうに思うが、合併などはそう簡単に出来ないだろう。
 まずポストが減ってしまうということもあるし、会社の方向性を統一するだけでも難しい。
「やっぱりありえない、ですよね?」
「ありえないわよ。天地がひっくり返っても」
「音楽の世界では天地がひっくり返ることもあるよ」
 阿部に確認したところ、千歳が茶々を入れてきたが、これは音楽と言うよりはビジネスの問題だ。

 ALEXレコードの中で、何か大きな企画が動いているということか。
 新人に関する予算があるので、彩を移籍させなかったということだったが、実はまだ他にも理由はあったのか。
 ただそれを考えても、深い事情など分かるものではない。
「それにしても、針巣社長は本当に、ほとんどの人間に上手く恩を売ったんだな」
「それはたいしたものだと思うわ。専務とは格が違う」
 ALEXレコードは彩を獲得しなかったが、それで別に何かがマイナスになったというわけではない。
 予定通りに来年度の活動をしていくだけだ。

 対してGDレコードは、かなり針巣に恩が出来た。
 常務は時期社長レースに、かなりのリードを付けることになった。
 おそらくこれは、もう覆らないことだろう。
 個人のミュージシャンとしては、俊と彩に恩を売っている。
 彩はともかく俊は何かというと、彩に提供する楽曲を、俊の名前で出せるようにしたことだ。
 そんな針巣に、何か大きな計画があるのだったら、また業界自体を大きく動かすことになるのではないか。
「うちは足元をしっかり見て、まずは武道館を目指すだけよ」
 阿部がそう言っても、俊の中の不審は消えない。
「俊君、アーティストが政治をやり始めたら、それはもう問題よ」
 環境保護活動などに熱心になってしまい、ミュージシャンとしてはともかく人間としては、悪いイメージを残した人間はそれなりにいる。

 俊は先のことを考えすぎている。
 もちろん自己プロデュース力のあることは、悪いわけではない。
 しかし今は、テレビと武道館という、明確な目標が二つもある。
「まずは一歩一歩だな」
 自分の立ち位置を、俊はしっかりと確認する。
 まだ何も考えず、ひたすら上昇志向であれば、問題ない段階。
 ノイズの未来は、まだ大きく輝いているのだ。
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