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六章 ライブバンド

77 声質の才能

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 どんなバンドであっても、その顔となるのはボーカルである。
 なのにそのメインボーカルだけが顔を隠しているという、世にも珍しいバンドがノイズであったりするのだが。
 本日はボーカル二人のボイストレーニング、またその成長の方向性などを見てもらうため、高級住宅地のお宅を伺うことになっていた。
「松涛か。このあたり完全に高級住宅地なんだよな」
「俊さんの家も土地代高そうだったよね」
「それでもここらほどじゃないぞ」
 渋谷からすぐなのに、突然異空間に迷い込んだ気さえする。
「表札が二つあるから、ここかな?」
「どこに駐車すんの? なんか駐車禁止っぽいけど」
 そう思っていたところ、ガレージが開いていく。
 何台か車が停車しているが、スペースはしっかりとある。
「渡辺様ですか?」
 屋敷から出てきた女性が、運転席に近づいてきた。
「どうぞそのまま、ガレージの中へ」
 ちょっと見ると、BMWやベンツ、フェラーリまであった車庫である。

 松涛と言えばお金持ちの住む場所であり、日本では芦屋に次いで二番目とも言われていたりする。
 俊の場合はそこからやや遠く、田園調布のあたりである。
 思えば母と離婚後の父は、一度はこのあたりにも家を買ったはずである。
 借金でそれも差し押さえられたはずだが。
「すげー、外車ばっか」
「いや、俺が乗ってきたのもBMWなんだが?」
「あ、そうだっけ」
 最近はバンばかり運転している俊である。

 案内されてガレージからそのまま家に入っていくのだが、中はちゃんと土足禁止になっている。
 スリッパで歩き窓から外を見ると、広い庭にテニスコートがあったりする。 
 さすがにプールはなさそうである。
(う~ん、尋常じゃない金持ちだな)
 俊の家もそもそも金持ちではあるが、明らかに格が違う。
 おそらく大企業の創業家系や、財閥系。
 あるいは大地主であったのが、そのまま資産運用に成功しているのか。

 まだまだ遠い未来だとは思うが、俊があの家を相続するとしたら、相続税が莫大なものになる。
 楽器のコレクションを相当数売ったなら、なんとかなるとは思うのだが。
(レコーディング、また出来るようにしたいんだよな)
 そんなことを考えながら、まずは応接間のようなところに案内された。
 千歳はあわあわしているが、月子は意外と動じていない。
 ちなみに後から聞いたら、田舎の大邸宅には慣れている、ということであったらしい。

 基本的に洋風でまとめてあるのが、こちらの家である。
「奥様を呼んで参ります」
 そう言って女性は去って行ったが、あれは使用人であるのか。
 常駐でそんなものがいるなら、完全に俊の家より上である。
 ただこの世界、上を見たらキリがないというものだ。
 俊は次第に落ち着いてきていた。



 先ほどの使用人だかのお姉さんが、紅茶を持ってきてくれる。
「砂糖とミルクはご自由に。もう少しお待ちくださいませ」
 そうは言うが、暖めたカップに淹れた紅茶は、かなり上質のものであろう。
 少し香りを楽しんでから、俊は口に含む。
 苦味が美味しい。
「高いお茶だな」
 そう思うのだが、月子と千歳は遠慮なく砂糖とミルクを入れていた。

 家具などは明らかにお高い、そして古いものであると分かる。
 完全に洋風の内面である。
(クラシックの声楽の素養があるのか)
 大学の後輩で、ピアノ科だったとは聞いている。
 歌の伴奏を何度も頼んだ仲であったとか。
 配偶者と共にアメリカに行って、あちらでの指導経験もあるのだとか。
(経歴は聞いたけど、小学校の高学年から高校生までは、ぽっかりと穴があるんだよな)
 あの母が紹介するので、間違いはないと思う。

 やがて入ってきたのは、すらりと背の高い、髪の色が少し淡い美人。
 俊の母の後輩だというのだから、それでも40歳以上のはずだが、ちょっと20代ぐらいにしか見えない。
 ただ背の高い、大人っぽい年上の女性という、俊の苦手な要素が満載なのに、そうは感じない。
「貴方が俊君ね。薫さんとよく似てるわ」
 その声が穏やかで、警戒感をさらに消していく。
 お互いに自己紹介を終わったところで、改めて俊は説明を行った。

 月子の簡単な説明と、千歳の今後の練習について。
 実際に聞いてもらって、判断してもらうことになる。
「じゃあ音楽室に行きましょう。娘たちが使ってるのを、ちょっと片付けていたのよ」
 そう言われて、屋敷の通路を歩く。
 玄関口も広いのが見えたが、案内されたのは俊の家のリビングよりも広い。
 一部は鏡とバーがあって、バレエのレッスンが出来るようにもなっていた。
 巨大なグランドピアノが、そこには鎮座している。
 そして楽器が色々とあるのだが、ヴァイオリンの他にもチェロや各種サックスに、ギターもあった。
 ベースもエレキベースと、ジャズなどで使う大型のベースもある。

 本当に音楽の練習のためだな、と分かる。
「エレキギターまで演奏するんですか」
「それは娘たちのね。私はピアノとヴァイオリンが専門だから」
 しかし片隅にはドラムセットまである。
「娘さんたちはロックを?」
「あれはPOPSでしょうね。少なくともヘビメタとかパンクとか、私の苦手なジャンルじゃないけど」
「すると先生もロックなら聴くんですか?」
「ビートルズとQUEENは曲によってね。サイケのジャンルは苦手だけど。ジャズならマイルズとかコルトレーンとかを聴くのだけど」
 クラシックガチ勢と言うよりは、音楽ガチ勢と言うべきか。



 月子の読解障害を、彼女には説明してある。
 こういったことが分かっていないと、指導のしようがないからだ。
 そしてまずは、月子の方から歌ってもらう。
 先生の生ピアノは、俊の用意した楽譜を一度みただけであったが、簡単に暗譜していた。
(上手い!)
 大学にピアノ科の生徒もいるが、おそらくそれよりもよほど上手い。
 海外でまで仕事をするという人間は、こういうレベルであるのか。

 そして月子に対する指導は、それほど多くない。
「日本の民謡ベースなんでしょう? 変にクラシックの技術を教えるのもおかしいし、基礎的なところは問題ないと思うわ」
 ただ、あとは喉を酷使しないように、とは言われた。 
 喉はある程度鍛えなければいけないが、同時に消耗品でもあるのだ。
 それにしても、初めて会った人間のピアノ伴奏で、あれだけ歌ってしまうとは。
 ボーカルの声を引き出すのが上手すぎる。

 ジャンルは違うが、この人もプロの天才なのだな、とは思った。
「三味線は今日は持ってきてないのね」
「はい。クラシックが専門だと聞きましたので」
「私が聞きたかったのだけど」
 確かに月子は、相当に三味線は上手い。
 しかし民謡の方面までカバーしているというか、そもそものジャンルの垣根を感じていないのか。

 そして彼女は、楽譜の方にまで指摘してくる。
「ここはこう転調した方がいいと思うのだけど、何か意図があるの?」
「う……確かに。先生は作曲もするんですか?」
「アレンジまでかしら。私は一度、挫折した人間だから、出来ることと出来ないことがあるのよ」
 ちょっと不思議な言い方であったが、また音楽の世界に戻ってきている。
 つまり、そういうものなのだ、音楽とは。

 月子に対してはあまり、指導も矯正も必要がない。
 そもそもの根底にある技術体系が違うので、あとは共通する部分で注意するだけだ。
 歌を歌う人間にとっては、一番大事なのは喉を守ること。
「冬はもちろんだけど、乾燥している場所ではマスクを欠かさないこと」
 かなり基礎的なことであるし、これは俊もよく言っている。



 そして次は千歳の出番である。
 彼女の場合はリズムギターも弾くのだが、まずは歌だけである。
 それを見た先生の目は、これは教え甲斐があるな、と爛々と輝き始めた。
「全体的に筋肉がないのと、あとはバランスが悪いわね」
 姿勢から矯正していくが、それだとギターが弾けなくなる。
「声自体は本当に魅力的よ。それにとても器用。だけどもっと根幹のところを鍛えないと、せっかくの表現力がもったいないわね」
 その感想はまさに、俊の千歳に対するものと同じだ。

 月子は特に、今のままでいい。
 だが千歳は、基礎の部分をもっと鍛えるべきなのだ。
「声の持ってる表現力は、天性のものかもしれないわね。こう感情に訴えるように歌えるなら、海外でも通用するかも」
 歌や歌詞ではなく、声を聞かせる。
 要するにインストに声を付け足すようなものである。
「じゃあ今度は、ギターを弾きながら歌ってみて」
 人間のリソースを、歌とギターに分ける。
 普通ならこれは、力を分割することになってしまう。

 ただ千歳の場合は、ギターを持ちながら歌う方が上手く聞こえる。
 相変わらずギターの方は、まだまだ発展途上であるが。
「面白いわね」
 それが感想であるらしい。
「けれどギターかピックアップが合ってないんじゃない? これを使った方がいいと思うけど」
 そして差し出されたのは、テレキャスターであった。
 千歳のテレキャスタータイプではない、本物のテレキャスターだ。

 鳴らしてみれば確かに、こちらの音の方がギャリギャリと合っている。
 だがそこで視線を向けられても、費用の限界があるのだ。
「あれ、ヴィンテージのテレキャスですよね? いくらぐらいですか?」
「……高校生に買うのは難しいかしら」
 お嬢様育ちでも、どうにか理解してもらえたらしい。
「俊さん、これって買ったらいくらぐらいするのかな」
 キラキラした目で千歳は訊いてくるが、確認した俊としては非情に言うしかない。
「50万ぐらいかな」
「……買えない」
 いつかこういうのが、簡単に買えるようになればいいのだが。



 ともあれおおよそ、二人のことは理解してもらった。
 月子はともかく、千歳は充分に成長の余地がある。
 そもそもまだ、素人に毛が生えた程度。
 歌もギターもこれからなのだ。
「ギターは私もあまり弾かないから」
 そうは言う先生であるが、置いてあったアコースティックギターを爪弾けば、普通に歌い始める。

 ここでもボブ・ディランか。
 さすがは音楽界のノーベル文学賞第一号。
 ピアノとヴァイオリンが専門と言いながら、歌も上手い。
 ギターも少なくとも、今の千歳よりは上手かった。
「一応ギターは仲間内で、教えあうことが出来るんで」
「そう。じゃあ後は、俊君のピアノとヴァイオリンね」
 これはプレッシャーがかかる。

 ここのところ俊は、生ピアノでの演奏はあまりしていなかった。
 曲を作り演奏するための道具であり、単体で聞かせる練習などはしていなかったのだ。
 ヴァイオリンにしても、音のサンプルを取るための演奏だけ。
 ひどいものになってしまった。
「ピアノはともかく、ヴァイオリンはちょっと……」
 思わずそんなことを言わせてしまうほどに。

 ただ、これでしばらく千歳は、こちらに週に一度通うことになった。
 他にも生徒がいるので、あまり長くは教えられないが。
 月謝については叔母に相談し、なんならノイズの共同資金から出してもいい。
 とにかく、今は千歳のレベルアップがそのまま、ノイズのレベルアップにつながるのだから。



×××



「エミリー、お客さん、帰ったの?」
 直前まで見てあげていた弟子が、俊たちが去った後に顔を出してきた。
「そうね、また新しい生徒になるわ」
「女の子?」
「ええ、貴女の一つ上になるみたい」
「友達になれるかな」
「そうね……あの子なら、あるいは」
「ギターはともかく、歌は上手かった」
 ニアミスしていたことを、俊たちは知らなかった。
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