名も知らぬ人

原口源太郎

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「ただいま」
 晴菜の声を聞いて、義広が顔を上げた。
「晴菜、ちょっと来なさい」
 すぐに声をかける。
 先ほどの飲みかけのブランデーグラスがまだテーブルの上に置かれている。その横には例のお見合いの書類が入った封筒。
 居間に入ってきた晴菜は義広に向かって腰を下ろした。
「今日はどこに行っていたんだ?」
 義広は厳しい顔になっている。
「ドライブです」
「誰と?」
「お友達」
「どんな友達だ?」
「格好いい男の人」
「・・・・それだけか?」
「他に何か?」
「仕事は何をしているんだ?」
「何? 何でそんなことを訊くの?」
「お前たちが付き合っているのなら、親としてそれくらいのことは知っておくべきだろう」
「だって、ただの友達よ。恋人でも何でもないのに」
「では、この前に好きな人がいると言っていた男とは違う人か?」
「いえ、同じです。でも好きという気持ちが本当かまだ自分でもわからないし、その人に伝えたわけでもない。その人は私のことをどう思っているかもわからないし」
「うむ」
 義広、考え込む。
「どうしたの? この前のお見合いの話?」
「うむ。先方がどうしてもというので、断り切れずに会うと約束をしてしまった」
「ええー!」
「相手の方はアメリカ留学をして、向こうの大学を卒業した、大変立派な方だ。会ってみるだけでも損はないと思うが」
「損とか得とか、そういう問題じゃないでしょ」
「見合いだけはしてもらわないと困る」
「困るって言われても」
「それから先のことは心配しなくていい。私が話を付けるから」
「つまり断るってこと?」
「そうだ。必ず断るから見合いにだけは行ってほしい」
「そんな、相手に失礼じゃない」
「見合いがどんな物か知る、いい社会勉強だと思えばいい」
「そんな気持ちで私、お見合いなんてできません」
 晴菜は席を立つ。
「晴菜」
 晴菜は部屋を出ていく。
「晴菜、待ちなさい」
「わかりました。お見合いには行きます」
 晴菜が部屋の外から答えた。
 義広はその言葉を聞き、安心したような表情になって考える。
「さて、あとは見合いのあと、どうやって先方に断るかだ」
 また悩み始める。

 自分の部屋に戻った晴菜は電気もつけずに暗い中で椅子に座り、考えている。
 やがて決心したように唇を結んで立ち上がると、遅い夕食を食べるために立ち上がった。

 激しい雨が海面を打ち付け、たくさんの小さなしぶきを上げている。
 晴菜は車の中で恨めしそうにフロントガラスを叩く雨を見ていた。
「何で来てくれないの。バカ」
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