微笑

原口源太郎

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第二章

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 警察は大掛かりな捜査を始めた。家の中と外は丹念に調べられた。翔太が殺された夜に不審人物を見かけなかったかという聞き込みは、広範囲に渡って行われた。
 マスコミにも当然知られることになり、連日どこかの局のリポーターや記者が家の周りをうろついていた。
 雅彦は葬式の準備に追われ、それが済むと大きな虚脱感に押し潰されて、会社に行く気力も失せた。
 しょぼくれた表情を変えることのなくなった有希も、学校には行かなかった。有希の笑顔を取り戻す事はもう不可能に思えた。
 妙子は時折、おかしな行動を見せた。急に笑い出したかと思うと、泣き出して翔太の名前を叫ぶ。翔太がそこにいるかのように、何もない空間に話しかける。
 精神的に正常なレールを外れかかっている妙子を見ても、有希は表情一つ変えなかった。

 土曜日の夜だった。やっと落ち着いて三人で夕食を食べた。テーブルを取り巻く空間は重々しく、誰も言葉を発しようとしない。
「翔太! 翔太!」
 突然、食器を放り出して妙子が叫んだ。皿が床に落ちて粉々になった。
「そんなところにぶら下がってちゃ駄目! 下りてきなさい!」
 そう言いながら妙子はテーブルの上に上ろうとする。
 雅彦は妙子を抱きかかえて椅子に座らせようとした。
「離して! 早く翔太を下さなきゃ!」
 暴れる妙子の頬を、雅彦はパシッと平手で打った。
 妙子はがばっとテーブルに突っ伏して泣き出した。
 雅彦はテーブルに戻って食事の続きを始めた。妙子より、今の出来事を何でもないことのように冷たい目で見ている有希が恐ろしかった。

 その日、夜の一番深い時間を過ぎても、雅彦は眠れなかった。頭痛が治まることは無い。痛みが、眠ろうとする本能を追い出してしまっている。たとえ眠りについたとしても、わずかな睡眠時間は悪夢に占領されてしまう。
 闇の中に目を開けると、頭痛のおかげでくらくらと目が回り、まるで自分の体が宙に浮いて、無重力の中を揺れているような気分だった。
 その時、雅彦はドキッとして身を固くした。階下で何か小さな物音がしたような気がした。眠っていれば気が付かないし、起きていてもよほどのことがない限り気が付かないほどの物音だ。もしかしたら気のせいかもしれない。
 雅彦はじっと動かずに耳に神経を集中させた。
 一分、二分、三分・・・・
 気のせいだったのかと緊張を緩めかけた時、ミシッと下で微かに音がした。
 雅彦は緊張した。それも気のせいかもしれない。虫か何かが入り込んだのかもしれない。多分考え過ぎているのだろう。しかしそうでないかもしれない。
 雅彦はそろそろと闇の中に起き出した。目は十分、闇に慣れている。
 物音を立てないようにゆっくりと歩いた。そっと歩こうとすると全身に力が入る。空気との摩擦を感じるようだ。
 ドアを音がしないようにゆっくりと開け、階段をそろりそろりと下りた。恐怖と不安を押し殺して、また物音がしないか耳を澄ませる。
 月の光の入らない廊下は暗かった。何かがもぞもぞと動く気配が空気を伝わって雅彦の肌に触れてくる。
 足を滑らせるようにして廊下を進んだ。小さな光が台所でチラチラと踊っている。
 半開きのドアから中を覗きこんだ。
 雅彦の顔に光が当てられた。小さな弱い光だったが、闇に慣れ切っている目にはきつかった。
 雅彦が手で光を遮ろうとすると、何かがだっと走り出した。雅彦はその姿を目で追った。
 男だった。男はちらっと雅彦を振り返ってから台所のドアを開けて外に走り出ていった。
 雅彦は心臓がどきどきと激しく高鳴り、とても追いかける気にならなかった。薄明りの中で、雅彦を振り返った男の顔が頭から離れられなかった。
 その男には目も鼻も口も無かった。つるつるした陶器のようなお面に目と鼻の位置がわかるように穴を開けたような顔だった。仮面を付けているのだろうか。しかし仮面の下に人間の顔があるほど余裕がるようには見えなかった。仮面を顔に張り付け、ぐいと押さえ付けてめり込ませたような感じだった。
 突然、光が爆発して体を包み込んだ。雅彦は両手で顔を覆った。
「どうしたの?」
 妙子が眠たそうに目を細めて台所の入り口に立っていた。
「何でもない。ちょっと物音がしたから心配になって見に来ただけだ」
 そう言って雅彦は開け放たれたドアを閉めようとした。ドアの外のコンクリートの上にカギが落ちていた。
 雅彦はドアにカギを掛けると、妙子と一緒に寝室に戻った。

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