34 / 106
第二章 拡がりゆく世界
第31話 奉公人頭 ヨハネ
しおりを挟む
ヨハネは商会の建物に入ると、階段を上って右手にある奉公人頭用の部屋に入った。
そこは煉瓦の壁に囲まれた狭い部屋で、商会の裏が見渡せる小さな蔀戸が付いていた。家具は机と椅子と小さな折り畳み式の寝台だった。
そしてヨハネが廃材から作った縦長の本棚があった。そこにはトマスにもらった古くて茶色に変色した紙の束と、羽ペン、そして何冊かの本があった。
それらは、算数、書き取り、簿記、地理などの入門書だった。ヨハネの分際では、本のような高価なものはとても買えなかったが、トマスから借りた本をヨハネは必死に書き写した。ヨハネは仕事の前に早起きして蔀戸しとみどを開け、窓の朝日で勉強をした。トマスがなぜヨハネの勉強に手を貸すのかその理由は誰にも分からなかった。
ヨハネがこの街に売られてきてから5年、ティーとの別れから3年の月日が流れた。
ヨハネはあの一件以来、しばらく魂の抜けたように暮らした。しかしながら、すぐに元の働き者のヨハネに戻った。
彼は市参事会と商会の仕事を全力でこなしたが、それだけでヨハネは終わらなかった。
神殿の解体作業では、解体しながら建物の構造を少しでも憶えようとした。
石垣の積み上げ作業では、石の裏に詰める砂利を何度も手ですり合わせてその種類を手で憶え、割栗石を両手に持って重さを比べて、その重さと大きさを憶えようとした。
河さらいの仕事では、この街の河がどのように流れ、防波堤がどう作られているか理解しようとした。
夜警に街を歩く仕事の際は、市参事会の世話人が、夜警をどのように配置し、見回りを行わせているか観察した。
馬車の手入れでは、様々な種類の馬車の構造を詳しく知ろうとし、馬の世話をする際は、馬の生態をできるだけ知ろうとした。
奉公人のヨハネに仕事を教えてくれる酔狂な人間などいなかった。だからヨハネは必死に様々な仕事を自得しようとしたのだ。簡単な読み書きと初歩的な算術しかできなかったヨハネは、商会の勘定係かんじょうがかりに頼み込んで、反故にする藁紙を分けてもらい、そこに書き付けられた文字や数字を丸暗記した。伝言役として街を走る時も、様々な看板の文字を丸暗記した。そうするうちに少しずつ、読み書きが身に付いてきた。
勘定係の部屋にあるゴミを片付ける時、商会の勘定に係わりのありそうな書類をこっそり持ち帰っては、その文字を暗記した。それでも独学は限界があった。ヨハネは誰か教えを乞う人間がいない事を心から無念に思った。
いま外から帰ったヨハネはトマスから借りた会計の本を手に取った。それは遥か遠く海の向こうにある貿易国家で書かれた金銭管理について書かれた本だった。ヨハネはかろうじて文字を読めたが、複雑な数式が出てくるとお手上げだった。深くため息をついて、本を本棚に戻すと、部屋を出て馬小屋へと向かった。
今日は港にアギラ商会と契約しているガレオン船が、沖に碇を降ろす日だった。
そこからハシケに乗ってヨハネの友人のペテロが帰ってくるはずだった。それを迎えに行くために、ヨハネは馬車の用意を始めた。6か月ぶりの再会だった。
そこは煉瓦の壁に囲まれた狭い部屋で、商会の裏が見渡せる小さな蔀戸が付いていた。家具は机と椅子と小さな折り畳み式の寝台だった。
そしてヨハネが廃材から作った縦長の本棚があった。そこにはトマスにもらった古くて茶色に変色した紙の束と、羽ペン、そして何冊かの本があった。
それらは、算数、書き取り、簿記、地理などの入門書だった。ヨハネの分際では、本のような高価なものはとても買えなかったが、トマスから借りた本をヨハネは必死に書き写した。ヨハネは仕事の前に早起きして蔀戸しとみどを開け、窓の朝日で勉強をした。トマスがなぜヨハネの勉強に手を貸すのかその理由は誰にも分からなかった。
ヨハネがこの街に売られてきてから5年、ティーとの別れから3年の月日が流れた。
ヨハネはあの一件以来、しばらく魂の抜けたように暮らした。しかしながら、すぐに元の働き者のヨハネに戻った。
彼は市参事会と商会の仕事を全力でこなしたが、それだけでヨハネは終わらなかった。
神殿の解体作業では、解体しながら建物の構造を少しでも憶えようとした。
石垣の積み上げ作業では、石の裏に詰める砂利を何度も手ですり合わせてその種類を手で憶え、割栗石を両手に持って重さを比べて、その重さと大きさを憶えようとした。
河さらいの仕事では、この街の河がどのように流れ、防波堤がどう作られているか理解しようとした。
夜警に街を歩く仕事の際は、市参事会の世話人が、夜警をどのように配置し、見回りを行わせているか観察した。
馬車の手入れでは、様々な種類の馬車の構造を詳しく知ろうとし、馬の世話をする際は、馬の生態をできるだけ知ろうとした。
奉公人のヨハネに仕事を教えてくれる酔狂な人間などいなかった。だからヨハネは必死に様々な仕事を自得しようとしたのだ。簡単な読み書きと初歩的な算術しかできなかったヨハネは、商会の勘定係かんじょうがかりに頼み込んで、反故にする藁紙を分けてもらい、そこに書き付けられた文字や数字を丸暗記した。伝言役として街を走る時も、様々な看板の文字を丸暗記した。そうするうちに少しずつ、読み書きが身に付いてきた。
勘定係の部屋にあるゴミを片付ける時、商会の勘定に係わりのありそうな書類をこっそり持ち帰っては、その文字を暗記した。それでも独学は限界があった。ヨハネは誰か教えを乞う人間がいない事を心から無念に思った。
いま外から帰ったヨハネはトマスから借りた会計の本を手に取った。それは遥か遠く海の向こうにある貿易国家で書かれた金銭管理について書かれた本だった。ヨハネはかろうじて文字を読めたが、複雑な数式が出てくるとお手上げだった。深くため息をついて、本を本棚に戻すと、部屋を出て馬小屋へと向かった。
今日は港にアギラ商会と契約しているガレオン船が、沖に碇を降ろす日だった。
そこからハシケに乗ってヨハネの友人のペテロが帰ってくるはずだった。それを迎えに行くために、ヨハネは馬車の用意を始めた。6か月ぶりの再会だった。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
暁のミッドウェー
三笠 陣
歴史・時代
一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。
真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。
一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。
そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。
ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。
日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。
その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。
(※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)
KAKIDAMISHI -The Ultimate Karate Battle-
ジェド
歴史・時代
1894年、東洋の島国・琉球王国が沖縄県となった明治時代――
後の世で「空手」や「琉球古武術」と呼ばれることとなる武術は、琉球語で「ティー(手)」と呼ばれていた。
ティーの修業者たちにとって腕試しの場となるのは、自由組手形式の野試合「カキダミシ(掛け試し)」。
誇り高き武人たちは、時代に翻弄されながらも戦い続ける。
拳と思いが交錯する空手アクション歴史小説、ここに誕生!
・検索キーワード
空手道、琉球空手、沖縄空手、琉球古武道、剛柔流、上地流、小林流、少林寺流、少林流、松林流、和道流、松濤館流、糸東流、東恩流、劉衛流、極真会館、大山道場、芦原会館、正道会館、白蓮会館、国際FSA拳真館、大道塾空道
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる