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28.目的の達成
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中央教会の大聖堂内には、三つの聖堂が存在している。
一般開放されているのは表の聖堂だけだ。
最深部の聖堂は契約紙の作成工場になっている。
さらに二番目の聖堂は聖職者のみが出入りできる聖堂だった。
そこにゼインの姿があった。
聖騎士達がずらりと並び、ブレイス大神官の言葉を待っている。
「隣国ゴルドの境界線の森を契約地とする、契約師が狙われている。
二人が殺され、一人が重傷だ。最後の一人は行方不明。捜索に向かい、敵をあぶり出せ」
命令に従い、他の聖騎士達と退室しようとしていたゼインの背後で声がした。
「ゼイン、君は残って良い」
足を止め、くるりと振り返る。
「私に何か?」
ブレイス大神官は芋虫のような指をぱたぱた動かし、ゼインの肩に乗せた。
「クシールに強引に連れていかれた時には頭にきたが、思ったような成果は出せなかったようだな」
予備審査の順位を入れ替えることさえ出来る地位にいるブレイス大神官の言葉に、ゼインは目を伏せて感情を隠す。
「君の新しい配属先が決まるまで、君には特別な訓練を積んでもらう。上位契約師の専属になるには高い壁がある。私の訓練に従えば、次の契約師は選べる……かもしれない」
聖騎士達は出払い、広々とした聖堂にはブレイス大神官とゼインしか残っていない。
「私の部屋に来なさい」
それは命令だった。
「はい」
教会の支配を抜けるためには、専属世話人になる道が一番近道で、一番苦しい。
優れた契約師に仕えることが出来れば、生涯をその一人の護衛で終えることが出来る。
成果さえ出していれば、誰も文句は言えない。
契約師を味方につけることが出来れば、それはゼインにとっての盾になる。
アルノは教会の老いぼれた太った豚どもとは全く違う、若い女性で、愛想は悪いが、好感の持てる性格だった。
クシールの分析通り幼い面はあるが、成長の余地はあった。
土地に愛され、その技術は研ぎ澄まされたものだった。
不正さえなければ、その契約紙は予備審査でも五位以内に入ったはずだ。
逆に言えば、アルノにとって世話人がゼインになった時点で、入賞の可能性が潰されたということになる。
ゼインにとって利益があっても、アルノにとってはそうではない関係だったのだ。
クシールがゼインを選んだ理由もそこにある。
ゼインに執心している老害どもは、ゼインを取り戻すため、まずはアルノを潰そうと考える。
そこに集中させ、アルノの評価をまずはとことん落とす。
しかし契約紙の質まではごまかせない。
教会から外に出れば、その品質は王国でも無視できないものとして注目されることになる。
ブレイス大神官の後ろを歩くゼインには計画の全貌は伝えられていなかった。
それは全てクシールの企みであり、ゼインもあえて全てを知ろうとはしなかった。
何かあって捕まることがあっても、知らないことが共謀していない証拠になる。
足を止めブレイス大神官が、ゼインの体を舐めるように眺め、その胸に手を這わせた。
「やはり、部屋を移そう」
ゼインは甘く微笑んだ。
「それは……楽しみです」
並んで歩きだしたブレイス大神官に尻を触られながら、ゼインは完璧な仮面を被った。
その心には静かな炎が燃えている。
クシールの駒となり、長い年月が経った。
その道筋の全てを知る術はないが、目的の達成が近づいていることをゼインは、はっきりとその肌に感じていた。
――
東モーレリアの国境に建つ三つの要塞の一つ、バラド要塞には、ニルドの所属するラドン騎士団が所属していた。
近くにはイライザ姫がいるデラーチェ領があり、以前は休みのたびに姫のところに通っていたニルドだったが、その足はここ最近遠のいていた。
宿舎のニルドの机には、イライザ姫からの手紙が山のように積まれている。
以前は、返事を書くのに忙しく、行った方が早いと交易都市パリートの宿で待ち合わせをしたり、直接会いに行ったりもしていたが、今はそんな気分にもなれない。
扉が鳴り、同室のギライが入ってきた。
仲間達と町で騒いで帰ってきたギライは上機嫌だった。
「ニルド、お前も来ればよかったのに」
酒の匂いをぷんぷんさせ、ギライは向かいのベッドに座ると、水差しの水をグラスに注いだ。
「うっかり、飲み過ぎて娼館に行けなかった。しまったな。お前は?行かないのか?ついに面倒になったか?」
ニルドが休みのたびにイライザ姫に会いに行っていることは周知の事実だ。
農夫出身でありながら、貴族令嬢と恋仲となったニルドを羨む声も少なくないが、ギライは珍しく同情的だった。
ギライも貴族ではなく、騎士の家に仕えてきた家柄で、物心ついたころから剣を握ってきた苦労人だった。
主の推薦を受け、騎士に出世はしたが、階級だけは推薦でもらえるものでもない。
「まぁ、姫君の相手は大変だよ。俺も貴族屋敷に仕えていたからわかる。主様は素晴らしい方だったが、お嬢様の護衛は訓練の百倍も大変だった」
「わからないんだ……。イライザ姫のことは好きだし、幸せにしたいし守ってあげたいと思う。だけど、今はその……友達が心配だ」
「故郷に帰ってきたんだっけ?」
「ああ……姫を故郷に連れていくから……仲間達にそれを知らせに行った。その、いろいろ助けてもらいたかったし、それに貴族の姫君に会ってもどう接していいかわからないだろう?だから、顔合わせの前に話をしに行ったんだ。彼女は俺と一緒になりたがっているが、俺はずっと一緒にいられるわけじゃない。
イライザには話し相手が必要だし、村や町の暮らしに慣れる必要もある。出来るだけ、贅沢な暮らしを維持してあげたいから、人を雇うことも考えていた。
だけど……よくわからなくなった。彼女には俺じゃなくてもいいのではないかと思い始めた。なぜ、姫は俺を選んだ?俺よりすぐれた男はいくらでも……」
「あんなに浮かれていたくせに、何が起きた?昔の女にでも会ってきたのか?」
ギライの言葉に、ニルドは即座に否定した。
「まさか。そんなわけがない。ただの友達だ」
「どちらにしろ、貴族の姫を連れていける場所なんてあるのか?場末の酒場に連れていくわけにはいかないぞ。王都に豪邸を建てるぐらいしか手はない」
「家は売った」
「え?!あんなに喜んでいたじゃないか。王都に家を持てるなんて夢のようだと」
「持ってみたら住めないし、維持は大変だし、召使を置いておかないといけないし、何かと面倒で、不要なものだと気づいた。どうせ移動ばかりの仕事だ」
元気のないニルドのために、ギライは袋から土産の酒瓶を取り出した。
「酒が足りないせいだ。もっと楽しい気分になった方が良い。どうせお前が心配している友達は女だろう?男はいつだって困っている女性を前にしたらなんとかしてやりたいと思うものだ。だけど、大切に出来る女は一人だけだ」
いつから置いてあるのかわからないグラスを取り上げ、中身が入っているのを確認すると、ギライは窓の外に正体不明の液体を放りだした。
それから空になったグラスに新しい酒を注ぐ。
「飲めよ。苦労はあっても、愛があればいいだろう?」
ギライに差し出されたグラスを受け取り、ニルドはグラスを傾け、酒を喉に流し込んだ。
燃えるような熱を胸に感じ、すこしだけ表情がやわらいだ。
「飲もうぜ。明日になればもう安心だ」
そんな話ではないのだがと思いながら、ニルドは思った以上に楽しめそうな酒の味に、ぺろりと唇を舐めた。
事件が起きたのはその翌日だった。
最初にその変化に気づいたのは胸壁にいた見張りの兵士達で、上官に報告が行くと、すぐに警鐘が鳴らされた。
要塞内にいた騎士達はすぐに戦闘態勢を整え、見張りの兵士達は籠城のための配置についた。
ニルドは仲間達と共に矢をかついで北向きの胸壁に駆け上がった。
冬の終わりを告げる春めいた空が青く、山の果てまで続いている。
そのちょうど正面に位置するノーラ山の中腹に、昨日まではなかったものが出現していた。
それが何か、肉眼では、はっきりと見ることが出来ないほど小さかったが、昨日まで無かったものが出現したことだけはわかった。
「見ろ、ニルド」
仲間に渡された遠鏡筒でその方角を見る。
ノーラ山の岩だらけの山肌に、突如現れた黒い影のようなものに焦点を当てる。
そこに、まるで巨人が作ったのではないかと思われるような、信じ難いほど巨大な、そしてあまりにも精巧な造りの見事な城が、まるで山に嵌めこまれたかのような形で、輝かしい朝日を浴びてそそり立っていた。
誕生したばかりのその城は、あまりにも頑強そうに見え、それが敵のものだとしたら、どう考えてもそこが自国の領内であっても、もう取り返すことは不可能ではないかと思われた。
その胸壁部分に、真っ青な旗が現れた。
「あれは、我がトレイア国のものだな……隣には教会の旗だ」
「中央教会の大司教が引っ越しでもしたのか?」
そんな声が上がる中、ニルドは遠鏡筒から目を離した。
「違う!あ、あれは……あの山には契約師がいる……偉大なる契約師の城だ」
それが教会のものであれば国は調査に入れない。
しかし調べてみれば、建設許可は国のものだった。
近年、他国から狙われるようになった腕の良い契約師を保護するためと申請されたその建設許可を求める書類は、教会の許可を得られず、地方領地法に基づき、王国側の許可で建設されていた。
教会の管轄外となったその城に、さっそく国王までが駆け付ける事態となり、教会内部にも激震が走った。
城を建てるといった突拍子もない手段で、国の注目を集めてのけたクシールの策は望み通りの結果を引き当てた。
契約紙の審査会で優勝した契約紙は国王に献上されることになっている。
ところが、一夜で城を完成させられるほどの力を秘めたその契約紙を作成した作者の名前は、五位以内にも入っていなかった。
王国側はアルノの作成した契約紙と予備審査に通過した契約紙を比較することになり、一気に教会が長年行ってきた不正が暴露されることになった。
ノーラ山に出現した城は、中央教会という名の巨大なダムに小さな穴を開けたのだ。
内部調査が入れば、おぞましい孤児たちの教育制度までも明るみに出ることになった。
しかし国の内部も清廉潔白とはいかない。怪しい駆け引きが繰り広げられ、それを暴こうとする者達との攻防が始まった。
ゼインは国に協力し、教会の内部告発者となった。
危険な立場になったが、王国側の保護を受けられた。
中央教会の上層部は総入れ替えとなった。
さらに、アルノの専属世話人として確かな実績があったにも関わらず、教会に引き戻されたゼインの異動の経緯まで調べられ、大神官の一人が首を吊る事態にまで発展した。
当然、この男の犯した罪の全ては暴露され、盛大な葬式をしてもらうどころか、罪人用の墓地に葬られることになった。
権威も名誉も失った教会は崩壊するかに見えたが、信仰と契約師を保護する制度は守られた。
契約師無しに、国は回らない。
質素な生活をさせ、完璧にその人生を管理しなければ、力ある者達は温かいお風呂にも入れない。
その全てを管理する教会の頂点に、クシールが立つことになった。
契約師の力を最大限に発揮させ、全てが解明できていない精霊言語を用い、緻密な計算で城を一夜で完成させたクシールの知力は国の宝と讃えられることになったからだ。
それをきっかけに、教会のあらゆる不正と汚職を暴いた功績も大きく、国王に中央教会の大神官に任命されたクシールは、教会の大改革に乗り出した。
ゼインはクシールの右腕として、多くの処刑に立ち会った。
それこそ、まさにゼインが待ち望んできた瞬間だった。
ゼインは狂暴な復讐心を満たすため、自ら処刑前の罪人のもとにさえ赴いた。
血生臭い拷問や処刑が続き、教会内は新たな恐怖で支配されるかと思ったが、クシールは合理的な制度を構築し、教会内の規則を一新した。
ノーラ山に突如、城が出現したことにより、数百年に及び続いてきた中央教会の支配は内部から崩壊し、復讐を遂げた二人の男により生まれ変わることになったのだ。
それはトレイア国の歴史に、当然大きく記載されるべき大事件だった。
一般開放されているのは表の聖堂だけだ。
最深部の聖堂は契約紙の作成工場になっている。
さらに二番目の聖堂は聖職者のみが出入りできる聖堂だった。
そこにゼインの姿があった。
聖騎士達がずらりと並び、ブレイス大神官の言葉を待っている。
「隣国ゴルドの境界線の森を契約地とする、契約師が狙われている。
二人が殺され、一人が重傷だ。最後の一人は行方不明。捜索に向かい、敵をあぶり出せ」
命令に従い、他の聖騎士達と退室しようとしていたゼインの背後で声がした。
「ゼイン、君は残って良い」
足を止め、くるりと振り返る。
「私に何か?」
ブレイス大神官は芋虫のような指をぱたぱた動かし、ゼインの肩に乗せた。
「クシールに強引に連れていかれた時には頭にきたが、思ったような成果は出せなかったようだな」
予備審査の順位を入れ替えることさえ出来る地位にいるブレイス大神官の言葉に、ゼインは目を伏せて感情を隠す。
「君の新しい配属先が決まるまで、君には特別な訓練を積んでもらう。上位契約師の専属になるには高い壁がある。私の訓練に従えば、次の契約師は選べる……かもしれない」
聖騎士達は出払い、広々とした聖堂にはブレイス大神官とゼインしか残っていない。
「私の部屋に来なさい」
それは命令だった。
「はい」
教会の支配を抜けるためには、専属世話人になる道が一番近道で、一番苦しい。
優れた契約師に仕えることが出来れば、生涯をその一人の護衛で終えることが出来る。
成果さえ出していれば、誰も文句は言えない。
契約師を味方につけることが出来れば、それはゼインにとっての盾になる。
アルノは教会の老いぼれた太った豚どもとは全く違う、若い女性で、愛想は悪いが、好感の持てる性格だった。
クシールの分析通り幼い面はあるが、成長の余地はあった。
土地に愛され、その技術は研ぎ澄まされたものだった。
不正さえなければ、その契約紙は予備審査でも五位以内に入ったはずだ。
逆に言えば、アルノにとって世話人がゼインになった時点で、入賞の可能性が潰されたということになる。
ゼインにとって利益があっても、アルノにとってはそうではない関係だったのだ。
クシールがゼインを選んだ理由もそこにある。
ゼインに執心している老害どもは、ゼインを取り戻すため、まずはアルノを潰そうと考える。
そこに集中させ、アルノの評価をまずはとことん落とす。
しかし契約紙の質まではごまかせない。
教会から外に出れば、その品質は王国でも無視できないものとして注目されることになる。
ブレイス大神官の後ろを歩くゼインには計画の全貌は伝えられていなかった。
それは全てクシールの企みであり、ゼインもあえて全てを知ろうとはしなかった。
何かあって捕まることがあっても、知らないことが共謀していない証拠になる。
足を止めブレイス大神官が、ゼインの体を舐めるように眺め、その胸に手を這わせた。
「やはり、部屋を移そう」
ゼインは甘く微笑んだ。
「それは……楽しみです」
並んで歩きだしたブレイス大神官に尻を触られながら、ゼインは完璧な仮面を被った。
その心には静かな炎が燃えている。
クシールの駒となり、長い年月が経った。
その道筋の全てを知る術はないが、目的の達成が近づいていることをゼインは、はっきりとその肌に感じていた。
――
東モーレリアの国境に建つ三つの要塞の一つ、バラド要塞には、ニルドの所属するラドン騎士団が所属していた。
近くにはイライザ姫がいるデラーチェ領があり、以前は休みのたびに姫のところに通っていたニルドだったが、その足はここ最近遠のいていた。
宿舎のニルドの机には、イライザ姫からの手紙が山のように積まれている。
以前は、返事を書くのに忙しく、行った方が早いと交易都市パリートの宿で待ち合わせをしたり、直接会いに行ったりもしていたが、今はそんな気分にもなれない。
扉が鳴り、同室のギライが入ってきた。
仲間達と町で騒いで帰ってきたギライは上機嫌だった。
「ニルド、お前も来ればよかったのに」
酒の匂いをぷんぷんさせ、ギライは向かいのベッドに座ると、水差しの水をグラスに注いだ。
「うっかり、飲み過ぎて娼館に行けなかった。しまったな。お前は?行かないのか?ついに面倒になったか?」
ニルドが休みのたびにイライザ姫に会いに行っていることは周知の事実だ。
農夫出身でありながら、貴族令嬢と恋仲となったニルドを羨む声も少なくないが、ギライは珍しく同情的だった。
ギライも貴族ではなく、騎士の家に仕えてきた家柄で、物心ついたころから剣を握ってきた苦労人だった。
主の推薦を受け、騎士に出世はしたが、階級だけは推薦でもらえるものでもない。
「まぁ、姫君の相手は大変だよ。俺も貴族屋敷に仕えていたからわかる。主様は素晴らしい方だったが、お嬢様の護衛は訓練の百倍も大変だった」
「わからないんだ……。イライザ姫のことは好きだし、幸せにしたいし守ってあげたいと思う。だけど、今はその……友達が心配だ」
「故郷に帰ってきたんだっけ?」
「ああ……姫を故郷に連れていくから……仲間達にそれを知らせに行った。その、いろいろ助けてもらいたかったし、それに貴族の姫君に会ってもどう接していいかわからないだろう?だから、顔合わせの前に話をしに行ったんだ。彼女は俺と一緒になりたがっているが、俺はずっと一緒にいられるわけじゃない。
イライザには話し相手が必要だし、村や町の暮らしに慣れる必要もある。出来るだけ、贅沢な暮らしを維持してあげたいから、人を雇うことも考えていた。
だけど……よくわからなくなった。彼女には俺じゃなくてもいいのではないかと思い始めた。なぜ、姫は俺を選んだ?俺よりすぐれた男はいくらでも……」
「あんなに浮かれていたくせに、何が起きた?昔の女にでも会ってきたのか?」
ギライの言葉に、ニルドは即座に否定した。
「まさか。そんなわけがない。ただの友達だ」
「どちらにしろ、貴族の姫を連れていける場所なんてあるのか?場末の酒場に連れていくわけにはいかないぞ。王都に豪邸を建てるぐらいしか手はない」
「家は売った」
「え?!あんなに喜んでいたじゃないか。王都に家を持てるなんて夢のようだと」
「持ってみたら住めないし、維持は大変だし、召使を置いておかないといけないし、何かと面倒で、不要なものだと気づいた。どうせ移動ばかりの仕事だ」
元気のないニルドのために、ギライは袋から土産の酒瓶を取り出した。
「酒が足りないせいだ。もっと楽しい気分になった方が良い。どうせお前が心配している友達は女だろう?男はいつだって困っている女性を前にしたらなんとかしてやりたいと思うものだ。だけど、大切に出来る女は一人だけだ」
いつから置いてあるのかわからないグラスを取り上げ、中身が入っているのを確認すると、ギライは窓の外に正体不明の液体を放りだした。
それから空になったグラスに新しい酒を注ぐ。
「飲めよ。苦労はあっても、愛があればいいだろう?」
ギライに差し出されたグラスを受け取り、ニルドはグラスを傾け、酒を喉に流し込んだ。
燃えるような熱を胸に感じ、すこしだけ表情がやわらいだ。
「飲もうぜ。明日になればもう安心だ」
そんな話ではないのだがと思いながら、ニルドは思った以上に楽しめそうな酒の味に、ぺろりと唇を舐めた。
事件が起きたのはその翌日だった。
最初にその変化に気づいたのは胸壁にいた見張りの兵士達で、上官に報告が行くと、すぐに警鐘が鳴らされた。
要塞内にいた騎士達はすぐに戦闘態勢を整え、見張りの兵士達は籠城のための配置についた。
ニルドは仲間達と共に矢をかついで北向きの胸壁に駆け上がった。
冬の終わりを告げる春めいた空が青く、山の果てまで続いている。
そのちょうど正面に位置するノーラ山の中腹に、昨日まではなかったものが出現していた。
それが何か、肉眼では、はっきりと見ることが出来ないほど小さかったが、昨日まで無かったものが出現したことだけはわかった。
「見ろ、ニルド」
仲間に渡された遠鏡筒でその方角を見る。
ノーラ山の岩だらけの山肌に、突如現れた黒い影のようなものに焦点を当てる。
そこに、まるで巨人が作ったのではないかと思われるような、信じ難いほど巨大な、そしてあまりにも精巧な造りの見事な城が、まるで山に嵌めこまれたかのような形で、輝かしい朝日を浴びてそそり立っていた。
誕生したばかりのその城は、あまりにも頑強そうに見え、それが敵のものだとしたら、どう考えてもそこが自国の領内であっても、もう取り返すことは不可能ではないかと思われた。
その胸壁部分に、真っ青な旗が現れた。
「あれは、我がトレイア国のものだな……隣には教会の旗だ」
「中央教会の大司教が引っ越しでもしたのか?」
そんな声が上がる中、ニルドは遠鏡筒から目を離した。
「違う!あ、あれは……あの山には契約師がいる……偉大なる契約師の城だ」
それが教会のものであれば国は調査に入れない。
しかし調べてみれば、建設許可は国のものだった。
近年、他国から狙われるようになった腕の良い契約師を保護するためと申請されたその建設許可を求める書類は、教会の許可を得られず、地方領地法に基づき、王国側の許可で建設されていた。
教会の管轄外となったその城に、さっそく国王までが駆け付ける事態となり、教会内部にも激震が走った。
城を建てるといった突拍子もない手段で、国の注目を集めてのけたクシールの策は望み通りの結果を引き当てた。
契約紙の審査会で優勝した契約紙は国王に献上されることになっている。
ところが、一夜で城を完成させられるほどの力を秘めたその契約紙を作成した作者の名前は、五位以内にも入っていなかった。
王国側はアルノの作成した契約紙と予備審査に通過した契約紙を比較することになり、一気に教会が長年行ってきた不正が暴露されることになった。
ノーラ山に出現した城は、中央教会という名の巨大なダムに小さな穴を開けたのだ。
内部調査が入れば、おぞましい孤児たちの教育制度までも明るみに出ることになった。
しかし国の内部も清廉潔白とはいかない。怪しい駆け引きが繰り広げられ、それを暴こうとする者達との攻防が始まった。
ゼインは国に協力し、教会の内部告発者となった。
危険な立場になったが、王国側の保護を受けられた。
中央教会の上層部は総入れ替えとなった。
さらに、アルノの専属世話人として確かな実績があったにも関わらず、教会に引き戻されたゼインの異動の経緯まで調べられ、大神官の一人が首を吊る事態にまで発展した。
当然、この男の犯した罪の全ては暴露され、盛大な葬式をしてもらうどころか、罪人用の墓地に葬られることになった。
権威も名誉も失った教会は崩壊するかに見えたが、信仰と契約師を保護する制度は守られた。
契約師無しに、国は回らない。
質素な生活をさせ、完璧にその人生を管理しなければ、力ある者達は温かいお風呂にも入れない。
その全てを管理する教会の頂点に、クシールが立つことになった。
契約師の力を最大限に発揮させ、全てが解明できていない精霊言語を用い、緻密な計算で城を一夜で完成させたクシールの知力は国の宝と讃えられることになったからだ。
それをきっかけに、教会のあらゆる不正と汚職を暴いた功績も大きく、国王に中央教会の大神官に任命されたクシールは、教会の大改革に乗り出した。
ゼインはクシールの右腕として、多くの処刑に立ち会った。
それこそ、まさにゼインが待ち望んできた瞬間だった。
ゼインは狂暴な復讐心を満たすため、自ら処刑前の罪人のもとにさえ赴いた。
血生臭い拷問や処刑が続き、教会内は新たな恐怖で支配されるかと思ったが、クシールは合理的な制度を構築し、教会内の規則を一新した。
ノーラ山に突如、城が出現したことにより、数百年に及び続いてきた中央教会の支配は内部から崩壊し、復讐を遂げた二人の男により生まれ変わることになったのだ。
それはトレイア国の歴史に、当然大きく記載されるべき大事件だった。
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