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21.独占したい女
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雪のほとんど消えた山道を、アルノはニルドと並んで歩いていた。
町はまだまだ先だったが、ごつごつした岩なども雪から露出しており、そりはもう危険で使えなかった。
二人は乗ってきたそりを物陰に置いて、歩いていくことにしたのだ。
町が遠ざかったことを、アルノは純粋に喜んでいた。
「アルノ、本当にいろいろありがとう。わかっているんだ。こんな図々しいことを君に頼むべきじゃないって」
「貴族のお姫様が相手じゃ仕方ないよ。だって、その人と……一緒になりたいんでしょう?」
ニルドの彼女の話なんてしたくもないが、アルノは平気な顔をした。
「俺……頼られて、どうしたらいいかわからなくて……。彼女の気持ちもわかるんだ。家族に放っておかれる寂しさとか」
「私は家族がいないからわからない。幸いなことね」
「ごめん……」
濡れた砂利道が現れ、アルノはわざと慎重にそこを避けた。
ニルドが待ってくれていることを確かめ、アルノは少しだけ得意げな顔になる。
ニルドを独占した気になっているアルノの気持ちなど知る由もないニルドは、アルノに手を貸しながら、勝手なおしゃべりを続ける。
「本当に……彼女をここに連れて来られると思うか?」
「会ったこともないのにわからない。でも……この山道は歩けないと思う」
「そうだろうな。平らなところしか歩いたことはない。でも、階段ぐらいは登れるだろう?」
「そんなの、私にわかるわけないじゃない。その人に会ったこともないのに。ニルドが、その人を上まで背負ってくればいいじゃない。ゼインは時々、私を抱いて歩いてくれるの」
せっかくニルドと二人で歩いているのに、心躍らない会話ばかりだ。
ふと、まだ一度しか話をしたことがないイアンのことを思い出した。
ニルドに会った途端、どうでもいい人に降格してしまった。
順位をつけるとすれば、やはり一位はニルドで、二位が一言しか口をきいたことがないイアン、それから、お金で雇ったゼインだ。
「ゼイン様か。素晴らしい人だと思うよ。聖騎士は階級に関わらず全員が貴族の称号を持つ。
彼らは神に仕え、国に精霊の加護をもたらす。その……」
「ゼインが貴族だなんて、思いもしなかった。私は王様のお風呂を沸かす人よ。もしかしたらあなた達のお風呂も沸かしている。誰かのお風呂のために、私は尻を叩かれて、買いたくもなかったお城を買わされる」
「そうなのか?」
驚いたようにニルドが振り返る。
「そうなのかって何?お風呂?お城?」
アルノも足を止める。
「いや、君も城に一緒に住めることを喜んでいると思った」
「契約師は贅沢を禁止されているの。見かけはお城でも、中身はとっても質素で、私の部屋なんて、一番外側の厨房の横。今の木造の家より、寒くて暗い場所になるかもしれない」
「まさか、今よりましになるだろう?今の家は、男が三人入るような家じゃない。食卓の椅子は悲鳴を上げていたし、俺は寝ている間に何度も壁に追突した。暖炉に火がついていたら俺は燃えていたかもしれない」
「ゼインとクシールは私の家が狭いなんて言わないのに」
「そりゃ……聖職者様だからだろう。寝る時も行儀が良いんだ。俺は兄弟も多くて家に寝る場所もなかった。屋根だけしかない厩舎の地面で寝ていたから転がり放題だった。馬に踏まれなくて本当に良かったよ」
おしゃべりに夢中なふりをして足を止めているアルノの手を、ニルドが強引に引っ張って歩かせる。
仕方なく、ニルドを追ってアルノも歩き出す。
「雪がだいぶなくなってきたな。そりは使えないが、馬が使える。アルノ」
かついでいた荷物を下ろし、ニルドは皮の袋を取り出した。
それをアルノの手に押し付ける。
「君は……幸せになるべきだ。ゼイン様と、その、幸せだとは思うけど、自分のためにも金を使うべきだ。新しい服や靴、それに新しい家にこっそり何か買ったら良い。ランプも絨毯も、イライザ姫の部屋には見たこともないような豪華な家具ばかりだった。
でも、城を建てられる君なら、そういうものが買えるだろう?禁じられていることならさ、これを使って、君もきれいな服や、豪華な家具を買って、こっそり楽しんだらいいよ」
ずっしりとしたその袋の口を開けると、そこには金貨や銀貨がぎっしり詰まっていた。
さすがに城は建たないと思うが、それなりのことは出来るはずだ。
「これは?新婚生活に使うお金じゃないの?」
「一応、俺も必死にお金を貯めていたからな。それと王都の屋敷を売り払った。君にばかり負担をかけるわけにはいかないし、俺も精一杯稼ごうと思って持ってきたのだけど……。
あそこで渡したらまずい気がしたんだ。ほら、お二人は清く正しい方々だから、欲はだめだと君から取り上げるかもしれないだろう?
……君がどうしても質素な生活がしたいなら、余計なことかもしれないけれど、君にも楽しみが必要だ。
隠しておいて、町に行くときに少しずつ使ったらばれないかもしれない。
美味しいものを食べても良いし、馬車に乗って隣町に遊びに行くのも良い。ロタ村の皆が集まる酒場も食堂もある。知り合いに会いに行って、食べて飲んで、楽しむことだって出来るだろう?」
アルノはじっと手元のお金を見つめた。
「この贅沢のせいで……仕事がうまくいかなくなったら、お城の借金がニルドのところに行くかもしれない」
「構わないさ。一生かけて返すよ。まぁ返せる気はしないけど、どうせ住むのだから、住み続ける限り働くさ」
大粒の涙がぽたんと落ちた。
アルノはお金の入った袋を胸に抱きしめた。
ニルドは本気でアルノの幸せを考えてくれているのだ。
仕事さえしてくれたらどうでも良いという態度のクシールとも、お金が無ければ微笑まない偽物の恋人とも違う。
やはりニルドだけが本物の愛情をくれるのだ。
「ありがとう……」
アルノは肩からかけていた鞄の奥に、ニルドからもらった袋を入れ、その上から毛糸の帽子を詰めた。
「盗まれないかな」
「帰ったら、森に隠せば良い。俺達の秘密基地があっただろう?」
それは村を見下ろす、斜面の中ほどにある、少し開けた場所だった。
そこに腰掛けるのにちょうどよい枝が横に張り出しているのだ。
子供の頃、二人はよくそこに並んで座り、家々から上がる煙を見ていた。
二人とも帰りたくなかったから、煙の数が数えられなくなるまで座っていた。
夕闇に沈んだ空に、星が降ってくる頃になって、二人はやっと枝をおりた。
手を繋ぎ、無言で家路についたのだ。
懐かしい記憶に束の間浸り、アルノは涙を拭った。
「懐かしい……。もう場所も忘れちゃったかも」
「そうだな。俺も十年以上も行っていない。あの枝、まだ残っているかなぁ」
なんとなく二人は黙って歩いていた。
ついに門が間近に見えてきた時、アルノは足を止めた。
それに気づいたニルドも足を止め、アルノを振り返る。
「どうした?」
「私……。今日、ある人と約束していたの」
「ある人?」
「そう。なんとなく、いいなぁと思った人。今日、会って話をする約束だったの」
「まさか、男か?ゼイン様がいるだろう!浮気するつもりだったのか?」
ゼインとは契約上の恋人であり、友達だ。
誰と会っても浮気とは言えないが、アルノとゼインが付き合っていると思っているニルドの目からは浮気に見える。
「まだ今度食事でもしないかと誘われただけよ。でも、やっぱりだめだなぁって思って。好きな人がいるのに……中途半端に誰かに会おうなんて、駄目よね」
「あたりまえだ。その人にも失礼になる。アルノ、ゼイン様に甘えすぎていないか?相手の愛に頼っていたら、大切なものを失うぞ。愛が欲しければ、それ以上に愛を捧げるべきだ。お、おい!」
泣き出したアルノに驚き、ニルドは慌てて鞄からハンカチを取り出した。
ぎょっとして、アルノは自分の上着の袖で涙を拭う。
そのハンカチが、ニルドの婚約者からの贈物だったとしたら、さらに最悪な気持ちになる。
ニルドはイライザ姫を心底愛しているから、そんなことが言えるのだ。
浮気しようなんて思ったこともないに違いない。
完全に脈無しだ。
「ニルドの言う通りよ。このこと、ゼインに内緒にしてくれる?」
「もちろん。少し揺れただけだよ。よくあることさ、幸せになりすぎると周りが見えなくなる」
用の無くなったハンカチをしまいながら、ニルドが明るく笑ってみせた。
ニルドも周りが見えなくなっているだけで、貴族のお姫様のことは本気で愛していなかったという落ちになればいいのにと、アルノは未練がましく考えてしまう。
昼前に、二人はついに町の門に到着した。
詰め所脇のテントにいた門番の一人が、こちらを見てぱっと立ち上がった。
「アルノ!」
人の良さそうなイアンが、屈託ない笑顔でアルノに手を振っている。
アルノはニルドを振り返った。
「ニルド、私は大丈夫だから、もう行って。ゼインを待って帰るから」
「誘いは断るんだろう?一緒にいてやろうか?」
「大丈夫。ここは門の前だし、断るだけよ」
ニルドは少し心配そうな顔をしたが、頷いた。
「じゃあ、またな」
後ろを向き、一人で門を抜けて行く。
それを見届け、アルノはこちらを窺いながら、テントを離れて歩きだしたイアンに、足早に近づいた。
「イアン」
アルノとイアンの距離が縮まると、突然テントの方から二人をからかうような口笛が鳴った。
驚いて足を止めたアルノに、イアンが優しく言った。
「君が本当に五日後に戻ってくるかどうか、賭けをしていたんだ。俺はもちろん、君が戻って来てくれる方にかけた」
テントの中の門番たちが、興味津々といった様子でこちらを見ている。
なんとなく居づらくなって、アルノはイアンの腕を引っ張った。
「ご、ごめんなさい。イアン、その、皆に見られないところに行かない?」
さすがに、仲間達の前で、すぐふってしまったら気の毒だ。
アルノはイアンと並んで歩きながら、門を迂回し、陰になっている外壁の方に向かう。
「今日は、ずっと一緒にいられるよ。君が本当に来たら、副隊長が今日は休みにすると約束してくれたんだ」
さらに断りづらくなって、アルノはちらちと雑木林の方に目をやった。
「ごめんなさい。イアン……。その、私がいけなかったのだけど、私……付き合っている人がいるの」
さすがにショックを受けたように、イアンが足を止める。
「でも、この間は……」
「ごめんなさい。あなたが……素敵に見えてつい、言いそびれて。でも、それはあなたにも嘘をつくことになるし、その……」
「五日経ってみたら、気持ちが変わった?素敵だと思ってくれたのに?」
残念そうに微笑み、イアンはそっとアルノの手を取った。
「ごめんなさい……」
うつむくアルノの耳元に、イアンが顔を寄せた。
「いいよ。わかった。でもさ、仲間達に君が来てくれたら、デートをすると言ってしまったから、少しだけ付き合ってよ。今日一日だけでいいからさ。
さすがに、これでふられたら、仲間達もどんな顔をしていいか困ると思うからさ。
明日になったら、話が合わなかったから付き合うのはやめにしたと仲間に事情を話すよ」
見栄を張って恋人役をお金で雇っているアルノには、その気持ちが理解出来た。
「本当にごめんなさい。もちろん、それぐらい付き合わせて」
うれしそうなイアンと目を合わせ、笑い合って外壁の裏に続く小道に入る。
雑木林沿いに細道が続き、次第にひと気がなくなっていく。
砂利ばかりの道に、春を待ちきれない雑草たちが青々と茂り始めている。
歩道に立ち並ぶ木々の枝にも、膨らんだつぼみが付き、風も心なしかやわらかい。
「ここも毎日見回っている場所だ。この町には門が六ケ所ある。つまり六つの部隊があり、門とこの外壁を六等分して町に危険が迫っていないか見回っている」
「でも門で呼び止められたことはないけど」
「まぁ、そんなに厳しくはない。大きな町じゃないし、ノーラ山に抜ける門の利用者は地元の人ばかりだ。山から下りてきた人を取り調べしたりはしない」
イアンはアルノの手を引いて道を逸れた。
「この先に、恋人たちの丘と呼ばれる場所がある。俺達はそういう関係じゃないけど、君には好きな人がいるんだろう?場所を教えるよ。今度、その好きな人を誘って来てみたら良い」
ニルドと訪れることはないだろうと思ったが、アルノはイアンに手を引かれ、木立の中を歩きだした。
「アルノ、こっちだ」
いつの間にか道は上り坂になり、森のように荒れた足場になった。
後ろを振り返ると、もう道も外壁さえも見えない。
アルノはイアンの手を引っ張った。
「迷っていない?」
「もちろん。後ろを向いて歩き続ければすぐに、さっきの道に戻れる」
イアンはアルノを強引にひっぱり、丘の上に向かった。
正面に、扉が嵌めこまれた大木が見えてきた。
「木の形をした家?それとも木に扉を貼り付けたの?」
「するどいね。あれは家だよ。家に見えないようにごまかすために、木の形の家にした」
「どうして?」
「恋人たちが愛し合うためさ。宿を使うとお金がかかるし、だからといって外でやるのは大変だろう?いろいろと。地元の人間しか知らない恋人たちの家だよ」
アルノはまた後ろを見た。
その瞬間、強く腕を引かれ、木に嵌めこまれた扉の中に引き込まれる。
踏み出した一歩が、地面につくことなく宙を滑った。
体が仰向けになり、落下が始まる。
「きゃあああっ」
叫びだしたアルノの口を背後のイアンが塞いだ。
衝撃を覚悟したが、意外にも柔らかな感触がアルノを支えていた。
いつの間にか、アルノはイアンに背後から抱きしめられた状態で天井を見ていた。
曲がりくねった滑り台が、地上に続く扉まで続いている。
大木の裏側に位置する場所に、窓が嵌めこまれており光が降り注いでいた。
体を起こしてみれば、地面にはふかふかの絨毯が敷かれ、部屋の奥には寝台まである。
確かに、そこは家だった。
扉を入ってすぐの場所が滑り台になっており、地下の部屋に繋がっていたのだ。
「滑り台から外に出るの?登れる?」
「まさか。出口は別にある。アルノ、おいで」
手を引っ張られ立ち上がろうとしたアルノをイアンが抱き上げた。
そのまま寝台に連れて行き、アルノをそこに下ろす。
「イアン?」
分厚いマットの上に四つん這いになって乗ってきたイアンが、アルノをそっと押し倒した。
「大丈夫。気持ち良くなるから」
アルノの両手首をさりげなく一つにまとめ、頭上で押さえ込む。
抵抗する隙も与えず、イアンは強引にアルノの唇を奪っていた。
町はまだまだ先だったが、ごつごつした岩なども雪から露出しており、そりはもう危険で使えなかった。
二人は乗ってきたそりを物陰に置いて、歩いていくことにしたのだ。
町が遠ざかったことを、アルノは純粋に喜んでいた。
「アルノ、本当にいろいろありがとう。わかっているんだ。こんな図々しいことを君に頼むべきじゃないって」
「貴族のお姫様が相手じゃ仕方ないよ。だって、その人と……一緒になりたいんでしょう?」
ニルドの彼女の話なんてしたくもないが、アルノは平気な顔をした。
「俺……頼られて、どうしたらいいかわからなくて……。彼女の気持ちもわかるんだ。家族に放っておかれる寂しさとか」
「私は家族がいないからわからない。幸いなことね」
「ごめん……」
濡れた砂利道が現れ、アルノはわざと慎重にそこを避けた。
ニルドが待ってくれていることを確かめ、アルノは少しだけ得意げな顔になる。
ニルドを独占した気になっているアルノの気持ちなど知る由もないニルドは、アルノに手を貸しながら、勝手なおしゃべりを続ける。
「本当に……彼女をここに連れて来られると思うか?」
「会ったこともないのにわからない。でも……この山道は歩けないと思う」
「そうだろうな。平らなところしか歩いたことはない。でも、階段ぐらいは登れるだろう?」
「そんなの、私にわかるわけないじゃない。その人に会ったこともないのに。ニルドが、その人を上まで背負ってくればいいじゃない。ゼインは時々、私を抱いて歩いてくれるの」
せっかくニルドと二人で歩いているのに、心躍らない会話ばかりだ。
ふと、まだ一度しか話をしたことがないイアンのことを思い出した。
ニルドに会った途端、どうでもいい人に降格してしまった。
順位をつけるとすれば、やはり一位はニルドで、二位が一言しか口をきいたことがないイアン、それから、お金で雇ったゼインだ。
「ゼイン様か。素晴らしい人だと思うよ。聖騎士は階級に関わらず全員が貴族の称号を持つ。
彼らは神に仕え、国に精霊の加護をもたらす。その……」
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「そうなのか?」
驚いたようにニルドが振り返る。
「そうなのかって何?お風呂?お城?」
アルノも足を止める。
「いや、君も城に一緒に住めることを喜んでいると思った」
「契約師は贅沢を禁止されているの。見かけはお城でも、中身はとっても質素で、私の部屋なんて、一番外側の厨房の横。今の木造の家より、寒くて暗い場所になるかもしれない」
「まさか、今よりましになるだろう?今の家は、男が三人入るような家じゃない。食卓の椅子は悲鳴を上げていたし、俺は寝ている間に何度も壁に追突した。暖炉に火がついていたら俺は燃えていたかもしれない」
「ゼインとクシールは私の家が狭いなんて言わないのに」
「そりゃ……聖職者様だからだろう。寝る時も行儀が良いんだ。俺は兄弟も多くて家に寝る場所もなかった。屋根だけしかない厩舎の地面で寝ていたから転がり放題だった。馬に踏まれなくて本当に良かったよ」
おしゃべりに夢中なふりをして足を止めているアルノの手を、ニルドが強引に引っ張って歩かせる。
仕方なく、ニルドを追ってアルノも歩き出す。
「雪がだいぶなくなってきたな。そりは使えないが、馬が使える。アルノ」
かついでいた荷物を下ろし、ニルドは皮の袋を取り出した。
それをアルノの手に押し付ける。
「君は……幸せになるべきだ。ゼイン様と、その、幸せだとは思うけど、自分のためにも金を使うべきだ。新しい服や靴、それに新しい家にこっそり何か買ったら良い。ランプも絨毯も、イライザ姫の部屋には見たこともないような豪華な家具ばかりだった。
でも、城を建てられる君なら、そういうものが買えるだろう?禁じられていることならさ、これを使って、君もきれいな服や、豪華な家具を買って、こっそり楽しんだらいいよ」
ずっしりとしたその袋の口を開けると、そこには金貨や銀貨がぎっしり詰まっていた。
さすがに城は建たないと思うが、それなりのことは出来るはずだ。
「これは?新婚生活に使うお金じゃないの?」
「一応、俺も必死にお金を貯めていたからな。それと王都の屋敷を売り払った。君にばかり負担をかけるわけにはいかないし、俺も精一杯稼ごうと思って持ってきたのだけど……。
あそこで渡したらまずい気がしたんだ。ほら、お二人は清く正しい方々だから、欲はだめだと君から取り上げるかもしれないだろう?
……君がどうしても質素な生活がしたいなら、余計なことかもしれないけれど、君にも楽しみが必要だ。
隠しておいて、町に行くときに少しずつ使ったらばれないかもしれない。
美味しいものを食べても良いし、馬車に乗って隣町に遊びに行くのも良い。ロタ村の皆が集まる酒場も食堂もある。知り合いに会いに行って、食べて飲んで、楽しむことだって出来るだろう?」
アルノはじっと手元のお金を見つめた。
「この贅沢のせいで……仕事がうまくいかなくなったら、お城の借金がニルドのところに行くかもしれない」
「構わないさ。一生かけて返すよ。まぁ返せる気はしないけど、どうせ住むのだから、住み続ける限り働くさ」
大粒の涙がぽたんと落ちた。
アルノはお金の入った袋を胸に抱きしめた。
ニルドは本気でアルノの幸せを考えてくれているのだ。
仕事さえしてくれたらどうでも良いという態度のクシールとも、お金が無ければ微笑まない偽物の恋人とも違う。
やはりニルドだけが本物の愛情をくれるのだ。
「ありがとう……」
アルノは肩からかけていた鞄の奥に、ニルドからもらった袋を入れ、その上から毛糸の帽子を詰めた。
「盗まれないかな」
「帰ったら、森に隠せば良い。俺達の秘密基地があっただろう?」
それは村を見下ろす、斜面の中ほどにある、少し開けた場所だった。
そこに腰掛けるのにちょうどよい枝が横に張り出しているのだ。
子供の頃、二人はよくそこに並んで座り、家々から上がる煙を見ていた。
二人とも帰りたくなかったから、煙の数が数えられなくなるまで座っていた。
夕闇に沈んだ空に、星が降ってくる頃になって、二人はやっと枝をおりた。
手を繋ぎ、無言で家路についたのだ。
懐かしい記憶に束の間浸り、アルノは涙を拭った。
「懐かしい……。もう場所も忘れちゃったかも」
「そうだな。俺も十年以上も行っていない。あの枝、まだ残っているかなぁ」
なんとなく二人は黙って歩いていた。
ついに門が間近に見えてきた時、アルノは足を止めた。
それに気づいたニルドも足を止め、アルノを振り返る。
「どうした?」
「私……。今日、ある人と約束していたの」
「ある人?」
「そう。なんとなく、いいなぁと思った人。今日、会って話をする約束だったの」
「まさか、男か?ゼイン様がいるだろう!浮気するつもりだったのか?」
ゼインとは契約上の恋人であり、友達だ。
誰と会っても浮気とは言えないが、アルノとゼインが付き合っていると思っているニルドの目からは浮気に見える。
「まだ今度食事でもしないかと誘われただけよ。でも、やっぱりだめだなぁって思って。好きな人がいるのに……中途半端に誰かに会おうなんて、駄目よね」
「あたりまえだ。その人にも失礼になる。アルノ、ゼイン様に甘えすぎていないか?相手の愛に頼っていたら、大切なものを失うぞ。愛が欲しければ、それ以上に愛を捧げるべきだ。お、おい!」
泣き出したアルノに驚き、ニルドは慌てて鞄からハンカチを取り出した。
ぎょっとして、アルノは自分の上着の袖で涙を拭う。
そのハンカチが、ニルドの婚約者からの贈物だったとしたら、さらに最悪な気持ちになる。
ニルドはイライザ姫を心底愛しているから、そんなことが言えるのだ。
浮気しようなんて思ったこともないに違いない。
完全に脈無しだ。
「ニルドの言う通りよ。このこと、ゼインに内緒にしてくれる?」
「もちろん。少し揺れただけだよ。よくあることさ、幸せになりすぎると周りが見えなくなる」
用の無くなったハンカチをしまいながら、ニルドが明るく笑ってみせた。
ニルドも周りが見えなくなっているだけで、貴族のお姫様のことは本気で愛していなかったという落ちになればいいのにと、アルノは未練がましく考えてしまう。
昼前に、二人はついに町の門に到着した。
詰め所脇のテントにいた門番の一人が、こちらを見てぱっと立ち上がった。
「アルノ!」
人の良さそうなイアンが、屈託ない笑顔でアルノに手を振っている。
アルノはニルドを振り返った。
「ニルド、私は大丈夫だから、もう行って。ゼインを待って帰るから」
「誘いは断るんだろう?一緒にいてやろうか?」
「大丈夫。ここは門の前だし、断るだけよ」
ニルドは少し心配そうな顔をしたが、頷いた。
「じゃあ、またな」
後ろを向き、一人で門を抜けて行く。
それを見届け、アルノはこちらを窺いながら、テントを離れて歩きだしたイアンに、足早に近づいた。
「イアン」
アルノとイアンの距離が縮まると、突然テントの方から二人をからかうような口笛が鳴った。
驚いて足を止めたアルノに、イアンが優しく言った。
「君が本当に五日後に戻ってくるかどうか、賭けをしていたんだ。俺はもちろん、君が戻って来てくれる方にかけた」
テントの中の門番たちが、興味津々といった様子でこちらを見ている。
なんとなく居づらくなって、アルノはイアンの腕を引っ張った。
「ご、ごめんなさい。イアン、その、皆に見られないところに行かない?」
さすがに、仲間達の前で、すぐふってしまったら気の毒だ。
アルノはイアンと並んで歩きながら、門を迂回し、陰になっている外壁の方に向かう。
「今日は、ずっと一緒にいられるよ。君が本当に来たら、副隊長が今日は休みにすると約束してくれたんだ」
さらに断りづらくなって、アルノはちらちと雑木林の方に目をやった。
「ごめんなさい。イアン……。その、私がいけなかったのだけど、私……付き合っている人がいるの」
さすがにショックを受けたように、イアンが足を止める。
「でも、この間は……」
「ごめんなさい。あなたが……素敵に見えてつい、言いそびれて。でも、それはあなたにも嘘をつくことになるし、その……」
「五日経ってみたら、気持ちが変わった?素敵だと思ってくれたのに?」
残念そうに微笑み、イアンはそっとアルノの手を取った。
「ごめんなさい……」
うつむくアルノの耳元に、イアンが顔を寄せた。
「いいよ。わかった。でもさ、仲間達に君が来てくれたら、デートをすると言ってしまったから、少しだけ付き合ってよ。今日一日だけでいいからさ。
さすがに、これでふられたら、仲間達もどんな顔をしていいか困ると思うからさ。
明日になったら、話が合わなかったから付き合うのはやめにしたと仲間に事情を話すよ」
見栄を張って恋人役をお金で雇っているアルノには、その気持ちが理解出来た。
「本当にごめんなさい。もちろん、それぐらい付き合わせて」
うれしそうなイアンと目を合わせ、笑い合って外壁の裏に続く小道に入る。
雑木林沿いに細道が続き、次第にひと気がなくなっていく。
砂利ばかりの道に、春を待ちきれない雑草たちが青々と茂り始めている。
歩道に立ち並ぶ木々の枝にも、膨らんだつぼみが付き、風も心なしかやわらかい。
「ここも毎日見回っている場所だ。この町には門が六ケ所ある。つまり六つの部隊があり、門とこの外壁を六等分して町に危険が迫っていないか見回っている」
「でも門で呼び止められたことはないけど」
「まぁ、そんなに厳しくはない。大きな町じゃないし、ノーラ山に抜ける門の利用者は地元の人ばかりだ。山から下りてきた人を取り調べしたりはしない」
イアンはアルノの手を引いて道を逸れた。
「この先に、恋人たちの丘と呼ばれる場所がある。俺達はそういう関係じゃないけど、君には好きな人がいるんだろう?場所を教えるよ。今度、その好きな人を誘って来てみたら良い」
ニルドと訪れることはないだろうと思ったが、アルノはイアンに手を引かれ、木立の中を歩きだした。
「アルノ、こっちだ」
いつの間にか道は上り坂になり、森のように荒れた足場になった。
後ろを振り返ると、もう道も外壁さえも見えない。
アルノはイアンの手を引っ張った。
「迷っていない?」
「もちろん。後ろを向いて歩き続ければすぐに、さっきの道に戻れる」
イアンはアルノを強引にひっぱり、丘の上に向かった。
正面に、扉が嵌めこまれた大木が見えてきた。
「木の形をした家?それとも木に扉を貼り付けたの?」
「するどいね。あれは家だよ。家に見えないようにごまかすために、木の形の家にした」
「どうして?」
「恋人たちが愛し合うためさ。宿を使うとお金がかかるし、だからといって外でやるのは大変だろう?いろいろと。地元の人間しか知らない恋人たちの家だよ」
アルノはまた後ろを見た。
その瞬間、強く腕を引かれ、木に嵌めこまれた扉の中に引き込まれる。
踏み出した一歩が、地面につくことなく宙を滑った。
体が仰向けになり、落下が始まる。
「きゃあああっ」
叫びだしたアルノの口を背後のイアンが塞いだ。
衝撃を覚悟したが、意外にも柔らかな感触がアルノを支えていた。
いつの間にか、アルノはイアンに背後から抱きしめられた状態で天井を見ていた。
曲がりくねった滑り台が、地上に続く扉まで続いている。
大木の裏側に位置する場所に、窓が嵌めこまれており光が降り注いでいた。
体を起こしてみれば、地面にはふかふかの絨毯が敷かれ、部屋の奥には寝台まである。
確かに、そこは家だった。
扉を入ってすぐの場所が滑り台になっており、地下の部屋に繋がっていたのだ。
「滑り台から外に出るの?登れる?」
「まさか。出口は別にある。アルノ、おいで」
手を引っ張られ立ち上がろうとしたアルノをイアンが抱き上げた。
そのまま寝台に連れて行き、アルノをそこに下ろす。
「イアン?」
分厚いマットの上に四つん這いになって乗ってきたイアンが、アルノをそっと押し倒した。
「大丈夫。気持ち良くなるから」
アルノの両手首をさりげなく一つにまとめ、頭上で押さえ込む。
抵抗する隙も与えず、イアンは強引にアルノの唇を奪っていた。
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