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21.二人の距離
しおりを挟むデイヴィスはやっとヤーナとの関係を進められると喜んだが、残念ながらそうはならなかった。
ヤーナはデイヴィスと二人きりになると体を固くし、なかなか心を開こうとしなかった。
デイヴィスはそんなヤーナの様子を心配した。
意識は戻ったが、ヤーナの脳の状態が元に戻ったわけではなかった。
治癒師達は、ヤーナの状態を診察し、薬による洗脳の後遺症は続くだろうと結論を出した。
日常生活に支障が出ないように、不安定になる心を鎮める薬も出された。
ヤーナは時々混乱したように記憶を辿り、真実を確かめようとした。
全てを思い出すことが正しいことではない。
多くの人々が人格を壊され、生きたまま廃人になった。
ヤーナはましな方だった。
デイヴィスを守ろうとするその心が強い芯となり、人格の全てを壊されずに済んだのだ。
ヤーナが混乱するたびに、デイヴィスはしっかり寄り添い、ヤーナの計画が王を殺したのだとその道筋を語った。
ヤーナは計画を立てただけだと信じているが、そうではないことはデイヴィスとそれに関わった仲間達全員が知っていた。
デイヴィスを守ろうとするヤーナの愛がこの計画を成功させたのだ。
それゆえ、デイヴィスはヤーナの気持ちを確信していたが、ヤーナは頑なにデイヴィスを拒んでいた。
ここまで強く愛してくれていながら、なぜ応えてくれないのかとデイヴィスは思い悩み、ついにヤーナが故郷に帰ると言い出すと、真っ青になって唇を震わせた。
「な、なぜだ?ヤーナ、一緒にいてはくれないのか?」
ヤーナは目を伏せてやはり曖昧に言葉を綴った。
「私がいても、役に立たないでしょう?それに、その、田舎の暮らしの方が性に合っているし。何も無いとは思うけど、昔みたいに静かに暮らしたい」
気持を変えないヤーナに、デイヴィスはこれも薬の後遺症ではないかと疑った。
なんとか数日の猶予を取り付け、デイヴィスは仲間を集め、今度こそ王を辞めたいと訴えた。
最初から仮の王だったのだ。ベメ王を晒しものにしてから既に一年が経過している。
「俺が忙しすぎてきっと寂しい想いをさせている。故郷に新しい村を作り、そこでヤーナと暮らす」
早急な結論に、戦友のエルヴィンは考え込むように顎を撫で、数秒置いて、穏やかな口調でデイヴィスに語り掛けた。
「それはおまえの思い込みだろう?彼女がお前を愛していることは疑いようがない。寂しさはあるかもしれないが、彼女がここを去りたい原因はそこなのか?俺には原因は一つではない気がしている」
驚いたことに仲間達全員が同意見だった。
「心を壊した寵姫は多い。なんとか生き延びても、女として幸福な人生を送れる女性は少ないだろう。王城に作られた彼女たち専用の治癒院と修道院は満員だ」
仲間達の言葉に、デイヴィスは奪われたものの大きさに気づかされた。
デイヴィスも犬になったし、多くの勇敢な戦士達は恥ずべき死に方をすることになった。
それは屈辱的なことだが、勝利した今では、そこまで自分を投げうてたことに誇らしさすら感じる。
平和を取り戻すために全てをかけて戦ったのだから。
ベメ王の治世を許していたら、さらに多くの被害者が出たはずだ。
しかし、廃人になった男もいるし、心を病んだ女性たちの症状はさらに深刻だ。
ヤーナは強いし、自分が傍にいれば大丈夫だと思い込んでいた。
「冷静になれたか?」
エルヴィンの問いかけに、デイヴィスははっきりと頷いた。
一カ月後、ヤーナはついに王宮を去ることになった。
王城の門は開かれ、見張りが数名立っていた。見送りはデイヴィス一人だった。
「ヤーナ、君のために新しい家を建てた。村は再建中で住人はまだ君一人だ。気を付けてくれ」
ヤーナは小さく頷き、姿を見られるのを恐れるように馬車に乗り込んだ。
扉はさっさと閉ざされ、馬車は動き出した。
それを見送ると、デイヴィスは急いで城内に引き返した。
――
ヤーナは馬車のカーテンを閉め、外が見えなくなると、ほっと息をついた。
有難いことに馬車は質素なもので目立たない。
白い手袋に包まれた自分の手を見おろし、ヤーナはそっと拳を握った。
少しずつ冷静になり、状況が把握できてくると、ヤーナは自分の記憶に小さな矛盾があることに気が付いた。
指が無いことも気になった。
それは夢の中の出来事と重なるのだ。
曖昧な記憶も多く、順序だてて思い出す事が出来ない。
三年もの間、洗脳に使用するような強い薬を使われ続けた。
曖昧なことがあっても正直仕方がない。
夢の記憶が事実かどうかは、どちらでも構わない。王は消えたのだから。
だけど、この指を見るたびに、全てが変わってしまったのだと思い知る。
生きていけないほどの恥辱を受けた事実が何度も胸に込み上げ、泣いて逃げたくなる。
デイヴィスを守ろうと必死だったとはいえ、もう取り戻せないものが多すぎて取り返しがつかない。
初めての口づけも、初めての恋も全てが奪われ汚された。
それだけじゃない。王宮にいる全ての男達がヤーナがどんな目にあったのか知っているのだ。
犬になった男達は平気で歩き回っていたが、さすがにヤーナにそれは出来ない。
王宮には女性が一人もいなかった。
ヤーナのような体験をした女性たちは皆、身を寄せ合ってどこかに隠れているのだ。
治癒院も修道院も気が狂った女達でいっぱいだと治癒師の人達がこっそり話をしているのを聞いてしまったことがある。
王になったデイヴィスの傍に立てるような体じゃない。
車輪の音に耳を傾けながら、ヤーナは目を閉ざした。
夕刻近くに馬車は止まった。
ヤーナは馬車の外に出ると、木立を見上げ、空の色を確かめた。
影に沈む枝葉の向こうに見える空は薄紅色で、まだ淡い光が地上を照らしている。
灯りのいらない時刻とみて、ヤーナは辺りを見回した。
そこは一軒の平屋の前で、ベメ王に与えられた館よりも後方にあり、どこか懐かしい森の景色に囲まれていた。
玄関前に荷物を積み上げた御者が待っていた。
御者はヤーナに一礼し、馬車に乗り込むと、来た道を戻っていった。
その音が遠ざかり消えてしまうと、ささやかな音が残された。
川の音に小鳥のさえずり、時折通り過ぎる風が揺らす葉のさざなる音、王に連れていかれる前は当たり前にあった、懐かしい森の音だ。
ヤーナは毎日森に入り、川に水を汲みにいっていた。
昔を思い出し、泣き出しそうになったヤーナは急いで小屋の扉に向かった。
渡された鍵を使い扉を開けると、真新しい木の香りがふわりとヤーナを包み込んだ。
窓から差し込む薄明りに浮かび上がる、大きな暖炉がある広い部屋。
そこに置かれたテーブルの向こうには台所が見える。
手前の壁に扉があった。
開けてみれば、そこは寝室で、一人用にしては大きすぎる寝台が置かれている。
ヤーナは王宮での暮らしを思い出した。
デイヴィスはどんなに忙しくても、毎夜ヤーナの寝室を訪れた。
一晩一緒に過ごすことはなかった。
ただ隣に座り、手を繋ぐ。それからヤーナが眠るのをまって寝室を出ていく。
二人の間にそれ以上の接触はなかった。
手を握られた時、体を引き寄せられそうになったが、ヤーナがそれを拒んだ。
もう体を重ねたこともあるというのに、どうしても受け入れられなかった。
デイヴィスは強引なことはしなかった。
ヤーナが寝台に横になると、デイヴィスは椅子に座った。
顔を見られるのも恥ずかしく、ヤーナは毛布を引き上げて顔を隠した。
デイヴィスはヤーナの手を握って、長い間傍にいた。
会話もしたが、踏み込んだ話はあまりしなかった。それもヤーナが拒んだからだ。
デイヴィスはヤーナの気持ちをいつも知りたがっていた。
その心遣いも辛かった。もうなにも上げられないのだ。
初めての口づけも体も、何一つデイヴィスに相応しいものを持っていない。
ヤーナはこぼれそうになる涙を必死にこらえた。
ここは地獄ではない。
人間らしく生活していけるはずだ。
ヤーナは寝室を出て台所に向かった。
そこには既に食材が揃っていた。
簡単に食事を作ってお腹を満たすと、お湯を沸かした。
湯殿は台所の隣にあった。
体を洗い、さっぱりすると、少しだけ前向きな気持ちになった。
ここでなら、平凡な日常を送っていけるはずだ。
余計な想いに囚われず、無心に日々の暮らしだけを見つめて生きていこう。
ヤーナは濡れた髪をタオルで拭いながらそう考えた。
しかし、夜になればやはり静かな時間が訪れた。
ヤーナは灯りを落とした寝室で、一人寝台に横たわり天井を見上げた。
暖炉から時折火が爆ぜる音が聞こえてくる。
なかなか睡魔は訪れず、頭には様々なことが思い浮かぶ。
全てを失う前の記憶が蘇り、ヤーナは苦しくなった。
ほんの数年前まで、ヤーナは平凡などこにでもいる村の女だった。
ありふれた家庭の問題を抱えていた。
甘やかされた妹と、親に注目されないことを良いことに、悪い事ばかりしていた弟。
貧乏くじばかりで、何もかも押し付けられてきたヤーナは、自分がしっかりしなければと思っていた。
老後の両親を支えていくのだから堅実な人と結婚しなければとまで考えた。
今思えばあまりにも平凡で、小さな悩みだった。
そんな悩みしか知らず、生きていけたらどれだけ幸せだっただろう。
恋も始まったばかりだった。
明るい木漏れ日の下、偶然を装い待っている友達以上恋人未満の人。
さらに胸が苦しくなり、ヤーナは平凡だった頃の幸福な記憶を消し去ろうとした。
平凡でありふれた日常なんてもう二度と望めない。
体も汚れたし、性格もねじ曲がった。もとに戻せるものは何ひとつない。
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好意を消しきれず、デイヴィスを大切な犬にしてしまったのだ。
友達以上、恋人未満から突然主人と犬になった。そんな関係聞いたこともない。
毛布を引き上げ、ヤーナは現実から逃げるように固く目を閉じた。
何も考えなければ、きっと生きていける。
ヤーナはそう言い聞かせ、無理やり睡魔を引き寄せた。
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