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10.水面下での戦い
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豪華な王城にはいくつもの離宮がある。
そのすべてに王国各地から連れてこられた美しい寵姫が閉じ込められている。
一年目、王の寵姫は自分だけだと思い込まされる。
二年目、王に愛されていると信じ込まされた寵姫は調教を受け始める。
三年目、隔離されていた寵姫たちが一斉に集められ、生き残るための戦いが始まる。
ヤーナは生き残った。
だけど、もうここが自分の棺になるのだと、ヤーナは離宮の窓から外を眺めぼんやりと考えた。
窓の向こうには美しい湖を浮かべた庭園がある。
その湖は何度も血に染まった。
寝台横のテーブルにはガラスの椀が置かれ、幻惑の実が入っている。
すぐに狂って使い物にならなくなるため、寵姫の記憶を曖昧にし、残忍な出来事に耐えられるようにするのだ。
「ヤーナ」
反射的にヤーナは服を脱ぎ捨てた。
裸になって床にうずくまる。
尻を上げ、額を床に付ける。
生き抜く理由も忘れ、ただひたすらに媚びて王の機嫌をとる。
「遊びに行こう」
残酷な遊びに誘われたら笑うのだ。
ヤーナはデイヴィスのことを考えた。
ちゃんと笑うように教えただろうか。
殺されないように、王宮での生き方を教えなくてはいけない。
犬になり、おもちゃだと思わせることができれば生きていける。
それはまるで夢の中のように遠い記憶だった。
――
トナ村の郊外にある元寵姫の館の前は血に染まっていた。
数人の覆面の男達がそこに集まっている。
血に濡れた地面の上に馬車の車輪の跡と、無数の馬のひづめの跡が残されていた。
「遅かったか……」
その時、裏から大声がした。
「誰だ!」
表に集まっていた男達が駆け付ける。
木立の向こうで金目のものを積み上げ、それを抱え込んで逃げようとしていた男を仲間が取り押さえていた。すぐに表から回ってきた覆面の男達がとり囲む。
こそ泥はお宝を抱え、震えあがった。
先ほどなんとか王の騎士達の目を逃れ、命拾いしたばかりだ。
「ここで何を見た?」
一人の男が剣でこそ泥の肩を貫いた。
躊躇いなく串刺しにされ、こそ泥は泣き出した。
「あああああっ!な、なにも!なにも!い、いえ、王国の馬車と、大勢の騎士達です!」
「ここに住んでいた女性は?」
「わ、わかりません!」
「何をしていた!」
こそ泥はさらに深く剣を突き立てられ、泣きながらわめいた。
「み、見張りです!昨日の夜、俺はここで見張りをしていて、仲間が中に入った。でも、あっという間に役人がきて俺達は仲間にそれを知らせる暇もなかった。
俺達はここで震えて隠れていました。朝までひどい悲鳴が続き、死体が外に出されて、中に入った仲間達が全滅したとわかりました。
女が出てきて町の方に去り、それで、役人も帰ったから、しばらく誰も来ないだろうと、その、そこの裏口から中に入ってここに売れそうな物をひっぱりだしました。
高貴な女性の家だから、宝石もあると仲間が言い出し、二階に向かいました。
昨日、俺達はここで見張っていて、裸の男が無傷で出てくるのを見たのです。だから、仲間は裸なら殺されないと念のため服を脱いで入っていきました。でも、その直後に王国の馬車がやってきて、裏口から騎士が顔を出しました。
中に入った仲間に知らせる暇もなかった。すぐ女が帰ってきて、大勢の人間が出ていきましたが、まだ誰かが出てくるかもしれない。ここは見張られている。だから、俺はここで夜になるのを待って逃げようと隠れていたのです」
こそ泥が証言を終えたのと同時に、その肩から剣が引き抜かれた。
助かったとホッとする間もなく、その剣は横一線に走り、こそ泥の首をはね飛ばした。
こそ泥の頭がごろりと落ちて盛り上がった土の前で止まる。
「くそっ……」
首をはね飛ばした男は走り出し、裏口から館の中に飛び込んだ。
厨房から通路を抜け、階段をかけあがり裸の男の死体を飛び越え、二階の寝室を確かめる。
部屋中を駆け抜け、男はその名前を呼んだ。
「ヤーナ!」
「声を下げろ!デイヴィス!」
仲間が追いつき、正気を失いそうな男を背後から押さえた。
「早すぎる。情報が漏れたのかもしれない」
デイヴィスは崩れるように床に膝をついたが、やはりじっとしてはいられなかった。
ここまで慎重に計画を立て、王国側に動きを悟られないように仲間を増やしてきた。
水面下で王を倒すための反乱軍を作り上げてきたのだ。
昨夜押しかけた役人が引き上げるまでは監視していた。
酷いことは起きてもヤーナが殺されることはないとわかって離れた。
王宮に動きがあったと知らせが入ったからだ。
王が外に出たなら殺せるかもしれないと、急いで仲間をかきあつめ、情報収集に走った。
まさかここに向かっているとは思わなかった。
寵姫にされた女たちが全員死んでいると知らされ、すぐに引き返した。
元寵姫たちを殺したのは王に違いないと思ったからだ。
すれ違ったのだ。
三年前、ヤーナを奪われたデイヴィスはすぐに他の戻ってきた寵姫のもとを訪ねた。
王宮に侵入する方法を探すためだった。
正面から取り戻しに行ってもあっさり殺されてしまう。
冷静さを失いかけていたデイヴィスは、ヤーナの「逃げて」と叫んだ声に我に返り、即座に作戦を考えることにしたのだ。
しかし、大変なことが次々に発覚した。
半分の寵姫が戻って来ず、戻ってきた寵姫はほとんどがもとの人格を失い、まともに話すことも出来なかった。
幻惑の実と強い薬酒で脳を焼かれたせいだと医師は診断したらしいが、その医師は翌日殺された。
元寵姫は放置されているようで、監視されているのだと知り、デイヴィスはその元寵姫の周囲を探った。
元寵姫の家族の大半が殺され、手を差し伸べようとした者達も根こそぎ酷い目にあっていた。
王国の息がかかったものに手を出せば恐ろしい目に合うという話は田舎の村にまで浸透し、誰もが恐怖で口を閉ざした。生きて戻った元寵姫の姿もまた人々に恐怖を与えた。
誰もが自分の娘ではないと顔を背け、逃げ出すほどその変貌ぶりはすさまじかった。
どんな拷問を受けてきたのか、想像するのも恐ろしいものだった。
そのうち、同じように大切な女性を奪われた人たちに出会うことになり、侵入作戦も失敗していることが発覚した。
月に一度、元寵姫のもとにやってくる馬車に潜入を試みた仲間は、翌月、生首だけになって返されてきた。
デイヴィスが訪ねて質問をしたことで、殺された元寵姫もいた。
役人がすぐに不穏な動きに気づき、蛇のように忍び寄ってくる。
元寵姫を餌にし、冷酷な王は無力な人々の反応を楽しみ、残虐の限りを尽くしたいのだ。
王国中に元寵姫のために王が建てた巨大な鳥籠が存在し、それを中心に役人たちが人々に恐怖を与えようと手ぐすね引いて待ち構えている。
王の権力をかさに着て、彼らは理不尽な暴力を繰り返す。
それは王に反対する勢力をあぶり出すためでもある。
王のやることに反対し、仲間と共に立ち向かおうとする者を特に残酷に殺すのだ。
そのおぞましい処刑を、元寵姫は笑って眺め、笑っていないものは反逆者だと決めつけ、役人たちはさらに酷い処刑を繰り返す。
王宮から出てきた人間は役人側の人間というよりも、恐怖に支配された王の犬になってしまう。狂った元寵姫たちと狂った王の犬たち。洗脳されているのではないかと噂されたが、その薬や方法がわからなければ正確な治療は出来ない。
この国は冷酷な王と残忍な王の犬である騎士達が恐怖で支配しているのだ。
ヤーナを助けても国内に安全な場所はない。
デイヴィスはそう判断し、仲間達と力を合わせ、王国を崩壊させる計画を立てた。
内部の情報をほんのわずかでも手に入れようと、様々な方法を試したが、やはり気が狂った元寵姫からしか内部の情報は聞き出せなかった。
王の好む人間、簡単には殺されない方法、王宮での人の出入り、王宮内で働く人々のことなど、必死に探り続けた。
徐々に王宮内部に侵入できるようになったが、情報不足から何人もの仲間が死んだ。
デイヴィスも一度入ったが、殺されかけ、全身傷だらけになりながら死体置き場から逃げ出した。
想像を絶する残虐な世界に、とても内部から崩壊させるのは無理だと悟った。
ヤーナが戻った時、すぐにでも手を差し伸べたかったが、それは出来なかった。
役人の監視がついている。さらに、こちら側の計画を役人が知ることになってもまずい。
怪しまれない範囲で近づき、傍にいたが、ヤーナはかなりましな部類だった。
デイヴィスのことも覚えていた。
村のことも覚えていたし、会話も出来た。
厨房に積まれていた食材や物資を見て、その理由が判明した。
他の元寵姫たちは、恐ろしい現実から逃れるため、幻惑の実や薬酒を多用したが、ヤーナは一切手を付けなかった。
正気でいられるわけがない世界で、ヤーナは大半の記憶を残したのだ。
それでも人格はすっかり変わってしまった。変わっていないと思われるところもあったが、壊れてしまった人形のように空っぽにみえた。
反対勢力を隠しておくことが難しくなり、少しずつ野盗や強盗といった名前に変え部隊を動かした。誰もが故郷や家族を捨て、独り者になった。捕まれば一族皆殺しになる。
王の耳に入らないように、街道に潜み、少しずつ役人の勢力を削っていった。
その計画は外に出ないはずだったが、役人の力が弱くなったところで自主的な反乱がおきた。
最も力の弱い、王の息がかかった元寵姫たちの館が襲われ、物資が略奪にあい、馬車が襲われた。
その話は王国側に知られないようにしなければならなかった。
元寵姫たちの中には恐怖から、自ら役人のもとに逃げるものもあり、簡単に保護すればいいものでもなかった。
消すことも保護することもできなければ、成り行きを見守るしかない。
もはやヤーナのためだけに動くことが出来なくなったデイヴィスは、役人に怪しまれないようにヤーナの様子を見守りながら、計画を進めた。
王を殺さなければならない。
ヤーナを助けたい一心で始めたことなのに、むしろ計画を隠すための犠牲にしてしまった。
しかしデイヴィスもこの計画をヤーナのためだけに止めることは出来なかった。
ヤーナを助けるために始めたことで、多くの人々が殺された。
情報を聞き出したために殺された者もいれば、作戦に失敗し、野盗として処刑されてしまった仲間もいる。
そんな中でも、デイヴィスを信じ、共に戦おうとついてきてくれる仲間がいる。
ヤーナを必要以上に守らないように気を付け、怪しまれないようにしていたはずだったが、予想外に王の行動が早かった。他の元寵姫が次々と殺されたのに、ヤーナだけは殺されなかった。
元寵姫が危害を加えられたとなれば、それは王の影響力が弱まったことを意味する。
敵対勢力が出来たと悟られたのだ。王国の東と南、そして西の街道をデイヴィスの軍勢が押さえている。
ヤーナのいる北は王の居城に一番近い。
動けばもっとも危険な場所だった。
「ここで失敗するわけにはいかない。これで大きく動けばヤーナに関係ある人物がこの活動に関わっていることがわかってしまう。ヤーナが人質になることがばれたらこの計画は終わりだ」
一緒に戦ってきたエルヴィンは、座り込むデイヴィスの腕を取って立ち上がらせた。
「行こう。役人が引き上げてすぐにまた役人がやってきた。ここが怪しまれている証拠だ。どれだけ多くの犠牲を払ってきたと思っている!」
声を押さえながらも煮えたぎる想いを込める。
デイヴィスは頷き、身を切るように仲間と共にそこをはなれた。
裏口から出ると、土の盛り上がったオスカーの墓の前だった。
王国の犬だったが、彼もまた犠牲者だった。
込み上げるものをデイヴィスは奥歯を噛みしめて堪えた。
ヤーナはデイヴィスに教えた。
こういう時は笑うのだ。
王に殺されないために。
「計画通りに進める。だが、俺は外してくれ」
「デイヴィス、それは無理だ。お前が指揮をしてくれなければ」
三年と少し前、動き出したその計画は今や水面下で国を動かしている。
エルヴィンも家族を殺されている。
多くの人々が犠牲を払った。
覆面の仲間達は既に姿を消している。用心深く素早く動かなければならない。
「行こう」
エルヴィンはデイヴィスを引きずるように森を駆けだした。
二人は急いで覆面を被り直す。
すぐに仲間達の気配が近づいた。
固まらず、いたるところに散らばって潜む。
彼らは命をかけてここにいるのだ。
ヤーナのことで不安な想いをさせるわけにはいかない。
「計画通りだ」
デイヴィスは仲間達に静かに告げた。
そのすべてに王国各地から連れてこられた美しい寵姫が閉じ込められている。
一年目、王の寵姫は自分だけだと思い込まされる。
二年目、王に愛されていると信じ込まされた寵姫は調教を受け始める。
三年目、隔離されていた寵姫たちが一斉に集められ、生き残るための戦いが始まる。
ヤーナは生き残った。
だけど、もうここが自分の棺になるのだと、ヤーナは離宮の窓から外を眺めぼんやりと考えた。
窓の向こうには美しい湖を浮かべた庭園がある。
その湖は何度も血に染まった。
寝台横のテーブルにはガラスの椀が置かれ、幻惑の実が入っている。
すぐに狂って使い物にならなくなるため、寵姫の記憶を曖昧にし、残忍な出来事に耐えられるようにするのだ。
「ヤーナ」
反射的にヤーナは服を脱ぎ捨てた。
裸になって床にうずくまる。
尻を上げ、額を床に付ける。
生き抜く理由も忘れ、ただひたすらに媚びて王の機嫌をとる。
「遊びに行こう」
残酷な遊びに誘われたら笑うのだ。
ヤーナはデイヴィスのことを考えた。
ちゃんと笑うように教えただろうか。
殺されないように、王宮での生き方を教えなくてはいけない。
犬になり、おもちゃだと思わせることができれば生きていける。
それはまるで夢の中のように遠い記憶だった。
――
トナ村の郊外にある元寵姫の館の前は血に染まっていた。
数人の覆面の男達がそこに集まっている。
血に濡れた地面の上に馬車の車輪の跡と、無数の馬のひづめの跡が残されていた。
「遅かったか……」
その時、裏から大声がした。
「誰だ!」
表に集まっていた男達が駆け付ける。
木立の向こうで金目のものを積み上げ、それを抱え込んで逃げようとしていた男を仲間が取り押さえていた。すぐに表から回ってきた覆面の男達がとり囲む。
こそ泥はお宝を抱え、震えあがった。
先ほどなんとか王の騎士達の目を逃れ、命拾いしたばかりだ。
「ここで何を見た?」
一人の男が剣でこそ泥の肩を貫いた。
躊躇いなく串刺しにされ、こそ泥は泣き出した。
「あああああっ!な、なにも!なにも!い、いえ、王国の馬車と、大勢の騎士達です!」
「ここに住んでいた女性は?」
「わ、わかりません!」
「何をしていた!」
こそ泥はさらに深く剣を突き立てられ、泣きながらわめいた。
「み、見張りです!昨日の夜、俺はここで見張りをしていて、仲間が中に入った。でも、あっという間に役人がきて俺達は仲間にそれを知らせる暇もなかった。
俺達はここで震えて隠れていました。朝までひどい悲鳴が続き、死体が外に出されて、中に入った仲間達が全滅したとわかりました。
女が出てきて町の方に去り、それで、役人も帰ったから、しばらく誰も来ないだろうと、その、そこの裏口から中に入ってここに売れそうな物をひっぱりだしました。
高貴な女性の家だから、宝石もあると仲間が言い出し、二階に向かいました。
昨日、俺達はここで見張っていて、裸の男が無傷で出てくるのを見たのです。だから、仲間は裸なら殺されないと念のため服を脱いで入っていきました。でも、その直後に王国の馬車がやってきて、裏口から騎士が顔を出しました。
中に入った仲間に知らせる暇もなかった。すぐ女が帰ってきて、大勢の人間が出ていきましたが、まだ誰かが出てくるかもしれない。ここは見張られている。だから、俺はここで夜になるのを待って逃げようと隠れていたのです」
こそ泥が証言を終えたのと同時に、その肩から剣が引き抜かれた。
助かったとホッとする間もなく、その剣は横一線に走り、こそ泥の首をはね飛ばした。
こそ泥の頭がごろりと落ちて盛り上がった土の前で止まる。
「くそっ……」
首をはね飛ばした男は走り出し、裏口から館の中に飛び込んだ。
厨房から通路を抜け、階段をかけあがり裸の男の死体を飛び越え、二階の寝室を確かめる。
部屋中を駆け抜け、男はその名前を呼んだ。
「ヤーナ!」
「声を下げろ!デイヴィス!」
仲間が追いつき、正気を失いそうな男を背後から押さえた。
「早すぎる。情報が漏れたのかもしれない」
デイヴィスは崩れるように床に膝をついたが、やはりじっとしてはいられなかった。
ここまで慎重に計画を立て、王国側に動きを悟られないように仲間を増やしてきた。
水面下で王を倒すための反乱軍を作り上げてきたのだ。
昨夜押しかけた役人が引き上げるまでは監視していた。
酷いことは起きてもヤーナが殺されることはないとわかって離れた。
王宮に動きがあったと知らせが入ったからだ。
王が外に出たなら殺せるかもしれないと、急いで仲間をかきあつめ、情報収集に走った。
まさかここに向かっているとは思わなかった。
寵姫にされた女たちが全員死んでいると知らされ、すぐに引き返した。
元寵姫たちを殺したのは王に違いないと思ったからだ。
すれ違ったのだ。
三年前、ヤーナを奪われたデイヴィスはすぐに他の戻ってきた寵姫のもとを訪ねた。
王宮に侵入する方法を探すためだった。
正面から取り戻しに行ってもあっさり殺されてしまう。
冷静さを失いかけていたデイヴィスは、ヤーナの「逃げて」と叫んだ声に我に返り、即座に作戦を考えることにしたのだ。
しかし、大変なことが次々に発覚した。
半分の寵姫が戻って来ず、戻ってきた寵姫はほとんどがもとの人格を失い、まともに話すことも出来なかった。
幻惑の実と強い薬酒で脳を焼かれたせいだと医師は診断したらしいが、その医師は翌日殺された。
元寵姫は放置されているようで、監視されているのだと知り、デイヴィスはその元寵姫の周囲を探った。
元寵姫の家族の大半が殺され、手を差し伸べようとした者達も根こそぎ酷い目にあっていた。
王国の息がかかったものに手を出せば恐ろしい目に合うという話は田舎の村にまで浸透し、誰もが恐怖で口を閉ざした。生きて戻った元寵姫の姿もまた人々に恐怖を与えた。
誰もが自分の娘ではないと顔を背け、逃げ出すほどその変貌ぶりはすさまじかった。
どんな拷問を受けてきたのか、想像するのも恐ろしいものだった。
そのうち、同じように大切な女性を奪われた人たちに出会うことになり、侵入作戦も失敗していることが発覚した。
月に一度、元寵姫のもとにやってくる馬車に潜入を試みた仲間は、翌月、生首だけになって返されてきた。
デイヴィスが訪ねて質問をしたことで、殺された元寵姫もいた。
役人がすぐに不穏な動きに気づき、蛇のように忍び寄ってくる。
元寵姫を餌にし、冷酷な王は無力な人々の反応を楽しみ、残虐の限りを尽くしたいのだ。
王国中に元寵姫のために王が建てた巨大な鳥籠が存在し、それを中心に役人たちが人々に恐怖を与えようと手ぐすね引いて待ち構えている。
王の権力をかさに着て、彼らは理不尽な暴力を繰り返す。
それは王に反対する勢力をあぶり出すためでもある。
王のやることに反対し、仲間と共に立ち向かおうとする者を特に残酷に殺すのだ。
そのおぞましい処刑を、元寵姫は笑って眺め、笑っていないものは反逆者だと決めつけ、役人たちはさらに酷い処刑を繰り返す。
王宮から出てきた人間は役人側の人間というよりも、恐怖に支配された王の犬になってしまう。狂った元寵姫たちと狂った王の犬たち。洗脳されているのではないかと噂されたが、その薬や方法がわからなければ正確な治療は出来ない。
この国は冷酷な王と残忍な王の犬である騎士達が恐怖で支配しているのだ。
ヤーナを助けても国内に安全な場所はない。
デイヴィスはそう判断し、仲間達と力を合わせ、王国を崩壊させる計画を立てた。
内部の情報をほんのわずかでも手に入れようと、様々な方法を試したが、やはり気が狂った元寵姫からしか内部の情報は聞き出せなかった。
王の好む人間、簡単には殺されない方法、王宮での人の出入り、王宮内で働く人々のことなど、必死に探り続けた。
徐々に王宮内部に侵入できるようになったが、情報不足から何人もの仲間が死んだ。
デイヴィスも一度入ったが、殺されかけ、全身傷だらけになりながら死体置き場から逃げ出した。
想像を絶する残虐な世界に、とても内部から崩壊させるのは無理だと悟った。
ヤーナが戻った時、すぐにでも手を差し伸べたかったが、それは出来なかった。
役人の監視がついている。さらに、こちら側の計画を役人が知ることになってもまずい。
怪しまれない範囲で近づき、傍にいたが、ヤーナはかなりましな部類だった。
デイヴィスのことも覚えていた。
村のことも覚えていたし、会話も出来た。
厨房に積まれていた食材や物資を見て、その理由が判明した。
他の元寵姫たちは、恐ろしい現実から逃れるため、幻惑の実や薬酒を多用したが、ヤーナは一切手を付けなかった。
正気でいられるわけがない世界で、ヤーナは大半の記憶を残したのだ。
それでも人格はすっかり変わってしまった。変わっていないと思われるところもあったが、壊れてしまった人形のように空っぽにみえた。
反対勢力を隠しておくことが難しくなり、少しずつ野盗や強盗といった名前に変え部隊を動かした。誰もが故郷や家族を捨て、独り者になった。捕まれば一族皆殺しになる。
王の耳に入らないように、街道に潜み、少しずつ役人の勢力を削っていった。
その計画は外に出ないはずだったが、役人の力が弱くなったところで自主的な反乱がおきた。
最も力の弱い、王の息がかかった元寵姫たちの館が襲われ、物資が略奪にあい、馬車が襲われた。
その話は王国側に知られないようにしなければならなかった。
元寵姫たちの中には恐怖から、自ら役人のもとに逃げるものもあり、簡単に保護すればいいものでもなかった。
消すことも保護することもできなければ、成り行きを見守るしかない。
もはやヤーナのためだけに動くことが出来なくなったデイヴィスは、役人に怪しまれないようにヤーナの様子を見守りながら、計画を進めた。
王を殺さなければならない。
ヤーナを助けたい一心で始めたことなのに、むしろ計画を隠すための犠牲にしてしまった。
しかしデイヴィスもこの計画をヤーナのためだけに止めることは出来なかった。
ヤーナを助けるために始めたことで、多くの人々が殺された。
情報を聞き出したために殺された者もいれば、作戦に失敗し、野盗として処刑されてしまった仲間もいる。
そんな中でも、デイヴィスを信じ、共に戦おうとついてきてくれる仲間がいる。
ヤーナを必要以上に守らないように気を付け、怪しまれないようにしていたはずだったが、予想外に王の行動が早かった。他の元寵姫が次々と殺されたのに、ヤーナだけは殺されなかった。
元寵姫が危害を加えられたとなれば、それは王の影響力が弱まったことを意味する。
敵対勢力が出来たと悟られたのだ。王国の東と南、そして西の街道をデイヴィスの軍勢が押さえている。
ヤーナのいる北は王の居城に一番近い。
動けばもっとも危険な場所だった。
「ここで失敗するわけにはいかない。これで大きく動けばヤーナに関係ある人物がこの活動に関わっていることがわかってしまう。ヤーナが人質になることがばれたらこの計画は終わりだ」
一緒に戦ってきたエルヴィンは、座り込むデイヴィスの腕を取って立ち上がらせた。
「行こう。役人が引き上げてすぐにまた役人がやってきた。ここが怪しまれている証拠だ。どれだけ多くの犠牲を払ってきたと思っている!」
声を押さえながらも煮えたぎる想いを込める。
デイヴィスは頷き、身を切るように仲間と共にそこをはなれた。
裏口から出ると、土の盛り上がったオスカーの墓の前だった。
王国の犬だったが、彼もまた犠牲者だった。
込み上げるものをデイヴィスは奥歯を噛みしめて堪えた。
ヤーナはデイヴィスに教えた。
こういう時は笑うのだ。
王に殺されないために。
「計画通りに進める。だが、俺は外してくれ」
「デイヴィス、それは無理だ。お前が指揮をしてくれなければ」
三年と少し前、動き出したその計画は今や水面下で国を動かしている。
エルヴィンも家族を殺されている。
多くの人々が犠牲を払った。
覆面の仲間達は既に姿を消している。用心深く素早く動かなければならない。
「行こう」
エルヴィンはデイヴィスを引きずるように森を駆けだした。
二人は急いで覆面を被り直す。
すぐに仲間達の気配が近づいた。
固まらず、いたるところに散らばって潜む。
彼らは命をかけてここにいるのだ。
ヤーナのことで不安な想いをさせるわけにはいかない。
「計画通りだ」
デイヴィスは仲間達に静かに告げた。
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あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
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●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
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