竜の国と騎士

丸井竹

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第三章 騎士の未来

54.最後の別れ

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 国を出る手続きは、騎士のヒューが一緒にいれば、不要だった。
ヒューは二人から旅券を回収しようとして、手を止めた。

「もう二度と会うことはないが、俺は相応に出世した。回収し忘れてもそれほど咎められないだろう」

規則に厳しいヒューにしては珍しい発言だった。

「記念にとっておけ」

ヒューはそう言って二人から旅券を回収するのをやめた。
もっとしんみりするのかと思ったが、ヒューは二人と軽く肩を抱き合うと、あっさり馬にまたがり、回れ右をして王都に向けて走り出した。

あっという間にヒューの背中が遠ざかる。

それを見送るデレクは神妙な顔つきだが、ラーシアは少し面白そうに目が笑っている。

二人と離れるのが寂しいなどと思ってしまえば、その考えはラーシアに知られてしまう。
それこそヒューにとっては余計なことだ。

デレクが少しだけ目元を拭い、鼻をすすった。
そんなデレクを見上げ、ラーシアがその腕を抱き寄せた。

「本当に大丈夫か?」

不安そうなラーシアの顔を見おろし、デレクは微笑んだ。

「ああ。一緒に行こう」

デレクはバレア国の門に背を向けた。
そこからはギニー国で、街道は途端に人気がなくなる。
バレア国と異なり、観光資源も海しかない。
にもかかわらず、漁村の生活は貧しく、内陸ばかりに大きな町が集中していた。

大荷物を担いだ行商人や商隊の馬車と時々すれ違いながら二人はさらに南へ進んだ。
ラーシアは迷いなく馬を走らせ、海が見えてきたところで乗ってきた馬を売った。
二人は徒歩で進み、やがて小さな漁村に辿り着いた。

人気のない白い浜辺の周辺に平屋の小家がぽつんぽつんと建っている。

「ここがシタ村だ」

ラーシアがデレクに教えた。
一軒、一軒が離れていて、どこが村の中心地なのかわからない。
浜辺も人気がなく、見てわかるほど寂れている。

ラーシアは迷いなく進み、村はずれの平屋に近づいた。
その家は村の中では比較的新しく、きれいに見えた。
庭には海風に強い、花弁の大きな藍色の花が植えられている。
さらに真新しい子供用の遊具まである。

「少し気が早いのではないか?」

ラーシアは呟きながら、その家の扉を叩く。
ばたばたと慌ただしい足音がして、扉が開いた。

「あっ!」

ラーシアと同じ歳ぐらいの少女が顔を出す。

「やあ、シーア、ラルフはいる?」

驚き過ぎた少女は声を出せず、指で海の方をさす。

「外か」

二人はそのまま引き返して浜辺に向かう。
流木の影に男の姿が見えてきた。
日に焼けた逞しい背中を向け、ひっくり返した船底を点検している。

「ラルフ」

ラーシアの声に、肩を跳ね上げた男は、驚きの顔で振り返った。

デレクはあまり良い顔が出来なかったが、ラーシアがラルフとの関係を慰めただけだと言い切った意味がようやくわかった。

ラルフからシーアを奪ったのはラーシアと同族の竜であり、その過ちをを正しにきたラーシアは、その竜にかわってラルフを慰め、十年苦労をかけた罪を償ったのだ。

ラルフはラーシアに駆け寄り、旅の間何度も抱いたその体を抱きしめた。
もう五年も昔の話だ。

「シーアと同じだな。向こうでは年をとらなかったのだと聞いて驚いた。なんだか妙な気分だよ」

「幸せな気分だろう?」

ラーシアに訂正され、ラルフは照れくさそうに笑った。
二十歳も若い花嫁を娶ることになった。しかも不思議なことに、ラルフの外見は既に中年だが、肉体的には全く歳を感じない。ラーシアと抱き合ってから、まるでシーアが追いつくのを待っているように寿命がゆっくり流れているような気がしてならないのだ。
ラーシアはそんなラルフの疑問を肯定するように、微笑み頷いた。

「これから十分取り戻せる」

「そうだな。全ては君の言葉通りだ。シーアへの愛を貫いて報われたよ。最高に幸せだ」

「それが聞きたかった」

二人は体を離し、固く握手を交わした。
それからラルフは後ろで立っているデレクにも手を差し出した。

「元気そうだな」

デレクがちょっと不機嫌になってしまうのは仕方がない。ラーシアからラルフと旅先でやりまくったなどと聞いてしまっている。
握手を交わし、ラルフは穏やかに笑う。
デレクよりひとまわりも年上だ。

「君たちも幸せそうだ。ラーシアは目的を達成し、無事に生贄になり、戻ってきて愛を手に入れた。そんなところだな?」

それも正解だとラーシアは頷いた。

「そんなところだ。それに、ラルフ、君がばらまいた噂も良かった。竜の戦士ラーシアだって?大層な呼び名を付けてくれたな」

あれはラルフの仕業だったのかと、デレクは初めて知って驚いた。

「君の目的達成に少しでも力になれたらと思ってね。生贄の入れ替わりは人々にとって思いがけないものだ。国からの説明で納得できるものではない。こういうことは噂があった上に確実になれば、受け入れられやすい。
君の目的の助けになれたのなら良かった」

浜辺の家からシーアと母親が顔をのぞかせている。
ラーシアはそれに気づき、二人に手を振った。

そんなラーシアの姿に、ラルフが素朴な疑問を投げかけた。

「ラーシア、君はシーアの母親に、希望を捨てるなと話していたそうだな。
俺には、シーアを探すのはもう十分だと言って諦めさせた。
君にはどこまで見えていた?最初からシーアや生贄を取り戻すつもりでバレア国に入ったのか?」

その答えは明かせない。
ラーシアは肩をすくめた。

「勢いだよ。娘を失った母親を励ましたかっただけだ。だから言っただろう?とにかくシーアを愛し抜いてシーアの母親のところに行ってくれと。
君がシーアの母親のところに来てくれたら、あの母親は寂しい思いをしなくてすむからね。
さらに運よく、娘も取り戻せたら、私の勢いだけの軽い言葉も重みが増す。
結果的に希望を捨てなくてよかったと思わせることに成功した」

「そうだな」

ラルフは笑って、小屋に向かって歩きだす。

「今日は泊まっていけよ。二人とも大歓迎だ」

「いや。もう行くんだ。顔を見に来ただけだ」

ラーシアの言葉に、ラルフは足を止めて振り返った。
動こうとせず、黙って微笑むラーシアに、ラルフは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに穏やかな微笑を浮かべる。

「そうか、わかった。長旅か?そんな顔だな。気をつけてな」

三人は肩を抱き合い、最後の別れを交わした。
ラーシアが背を向け歩き出すと、デレクはその後ろに続いた。

村からだいぶ離れ、日も少しずつ陰ってきた。
道は上り坂で、少し先の岬に続いている。

まさかあの岬の先端から竜になって空に飛ぶのだろうかと、デレクは陸地のない果てしない海に目を向ける。
泳げるとはいっても海の中を泳いだことはない。
バレア国は内陸の国だ。

緊張に大きく息を吐きだしたデレクをラーシアは振り返った。

「来てよ」

差し出されたラーシアの手を取り、デレクは仕方がないと覚悟を決めた。
二人は並んで歩き続ける。

なだらかな斜面から道が消え、緑に覆われていた地面がどんどん潮風に削られた荒れた岩土に変わった。
ついに岬の先端に立つと、そこは海に突き出した切り立った崖で、眼下では波が激しく陸地にぶつかり、容赦なく岩肌を削っていた。
その勢いに飲み込まれたら一瞬で体を持って行かれ、海の底に沈んでしまう。

緊張で強張っているデレクの手をラーシアがまた引っ張った。
もうすでに崖の縁ぎりぎりに立っている。

「飛ぶのか?ここから?」

デレクが確認する。

「そうだ。よくわかったな。こんな恐ろしい海に飛び込みたい人間はそうそういない。皆怖がってここには近づかない。特にこんな薄暗い時間帯にはね」

そうだろうなと、デレクは眼下の恐ろしい景色に息を飲んだ。
こんな時間にここに立つ人間は既に死を覚悟した者だけだ。

「じゃあ行こう」

「え?!」

デレクは地面から離されまいと、足を踏みしめた。

「待て、やり方をまず教えろ。その通りにするから、どうすればいい?踏み出すのか?ここから?君は何秒で竜に変われる?人に見られないために崖の下で竜になり、俺が背中に乗って海のすれすれを飛ぶとなれば、俺は君が飛び下りて数秒後に飛び降りた方がいいのではないか?同時に飛び降りて大丈夫なのか?」

立て続けに繰り出される質問に、ラーシアは安心させるように明るく笑った。

「大丈夫。一緒に行こう。三、二、一でここから飛び出す。それで大丈夫だ。私を抱いて飛んでもいい」

「ヒューに命をかけて決めたら貫けと言われたが、まさか本当に命をかけるとは思わなかったな。しかもこんなに早い段階で……」

デレクはラーシアを抱き上げた。
もしも失敗するなら、ラーシアだけは助けたい。

「行くぞ?」

ラーシアが問いかける。乾いた口の中でデレクは舌を動かしながら頷いた。
腰を少し屈める。

「三、二、一!」

迷いのない強いラーシアの声に押され、デレクは岬から飛びだした。
ふわりと潮風に包まれ、急速に落下が始まった。
切り裂くような風と海から吹き上げる水のしぶきを全身に感じ、水面に叩きつけられる衝撃に備える。

その風がぴたりと止まった。
腕の中を見ると、ラーシアはまだ竜の姿ではない。
二人の体は何か明るい丸いものに包まれ、そのまま海に落下していく。
ずぶりと二人の体が水面に沈んだ。

波打つ水面を通過して、深い海の中に明るい球体に包まれ潜っていく。
海底から何か大きなものがせり上がってきた。

それは巨大なまゆの形に似たボートで、ラーシアとデレクを包む球体をさらに下から包み込む。
観光地の「竜の目」の光景をデレクは思い出した。

透明のガラスのドームがボートの後ろから突然現れ、二人の頭上を覆い始める。
ボートの上にガラスのドームがぴたりと被さると、二人を包んでいた光の球体がふっと消えた。

浮いていた体に重さが戻り、デレクはラーシアを抱いたまま、ボートのクッションの上に落ちた。

目を丸くして体を強張らせているデレクはなんとか状況を把握しようとした。
二人は海底にいて、上半分がガラス張りの繭型のボートの中にいる。

海の中にいるのに、体は一切濡れていないし、息も出来る。
座っている場所は恐ろしく快適なクッションを置いた椅子の上で、上半分がガラスで出来た馬車のようだともいえる。
しかし車輪は見えない。

ラーシアがデレクの腕を出て隣に座った。

「シートベルトを締めるよ」

手を伸ばしたラーシアが何かに触ると、聞きなれない音がボート内に響いた。
途端にデレクの腰の周りに鉄のベルトが現れる。
腰をぐるりと囲み、椅子から立てないように固定されてしまった。

「うっ……拘束されたぞ?」

「そうなんだ。ちょっとここからはかなり高速になるからね。眠っていていいよ」

ラーシアはまた腕を伸ばし、ボート内で奇妙な音が鳴りだした。

「眠るだと?この状況で?恐ろしすぎてとてもそんなっ」

その時、座席の後ろから白いガスが噴き出した。

「うわっガスだ!ラーシア!口をふさげ……」

デレクは最後まで言い終えることは出来なかった。
ラーシアを助けようと腕を伸ばしたまま、デレクは既に眠っていた。

ラーシアは慣れた様子でベルトを締めると、宙に映し出されたパネルのボタンを数個押した。
それから少し重要な赤いキーを押す。

『目的地セット終了。発進します』

無機質な音声がどこからともなく流れ、その不思議なボートが海の中を走り出す。
ラーシアは快適な旅に備えてゆっくり目を閉じた。


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