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第三章 騎士の未来
52.騎士だった男
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翌朝、ヒューは扉を叩く音で目を覚ました。
横を見ると、デレクの寝台は使われた形跡がない。
きれいに整えられた寝台に、カーテンの隙間から差し込む朝日が降り注いでいる。
「お前の部屋でもあるだろう。デレク。普通に入ってこい」
面倒そうに声をあげると、やはり入ってきたのはデレクだった。
扉を閉め、神妙な顔つきでヒューの前に立つ。
「ヒュー。お前には世話になった、俺は」
ただならぬ決意を漲らせ、話し始めたデレクを見上げ、ヒューは嫌そうな顔をした。
「辛気臭い話はしなくていい。ラーシアと行くんだろう?」
あっさり言い当て、ヒューは毛布を押しのけると床に足を下ろした。
「あんな気味の悪い女と付き合えるのはお前ぐらいだ。お似合いだ」
愛する女性を気味が悪いと言われてもデレクは怒ったりしなかった、ただ申し訳なさそうにうなだれている。
国に命を捧げた騎士が国を捨てるのだ。
情に厚く流されやすいが、その忠誠心をヒューは疑ったことはなかった。
ラーシアを生贄に捧げたときも、デレクはその痛みに耐えたのだ。
そんな男が国を捨てる決意をした。今更、説得する言葉もないだろうとヒューは思った。
「ヒュー……すまない」
ヒューは不機嫌な顔でデレクを見上げる。
「なにがすまないだ。俺はお前の交際相手じゃないぞ?やめてくれ。だいたい俺がどれだけ苦労したと思っている。お前は剣の腕はいいが、いつも危なっかしくて目が離せない。ラーシアがお前を引き受けてくれるというなら有難い話だ。今だから言うが、お前に騎士は向いていない」
目を丸くしたデレクは、さすがにちょっと機嫌を損ねたような顔つきになった。
「そんなことはないだろう。順調に出世している」
「俺がいなければ無理だっただろうな」
ヒューの言葉にデレクはぐっと言葉を詰まらせた。
それはその通りだった。
「まぁ、俺もお前のおかげで点数を稼がせてもらったところもある。互いに対等だったということでもいいだろう」
あくまで上から目線だが、ヒューはにやりとして立ち上がった。
どちらからともなく片手をあげ、宙で手を打ち合う。
「決めたなら貫けよ」
「ああ」
それぞれに貫くものを決めたのだ。
デレクが自分の荷物を持って引き上げていくと、ヒューは寝台下の物入れから、通信具を取り出し耳に嵌めた。
「ヒューです。竜の呪いは全て消えたようです。ラーシアは南の島に戻ります。デレクも一緒です。王国を出るまで監視が必要ですか?」
しばらくして第四騎士団ルシアン団長の大きすぎる声が飛んできた。
『何!デレクが?!惜しいな……だが、デレクなら我が国の敵になることはないな。竜とラーシアの傍にデレクがいればある意味我が国は安泰だ。わかった。とりあえず南国境までは一緒に行け』
騎士が優先すべきことは国の安全だ。
ヒューはそれを心得ている。
「了解」
通信を切ると、ヒューも荷物をまとめた。
再び扉が鳴った。
「ヒュー、朝ごはんを頼んでおいたからな。早く下りて来い」
「今行く」
平静を装うデレクの声に苦笑しながらヒューは答え、立てかけてあった剣をベルトにさした。
旅慣れた三人の朝食の光景は少しだけいつもと違っていた。
デレクは少し浮かれているが、リジーの死をまだ引きずっている様子で、四つ目の椅子の上を時折寂しそうに見る。
リジーは三人が食事中、誰かの膝の上か、空いている椅子で丸くなっていた。
巨大な口を開けて食事をする姿を人前では見せなかったのだ。
ラーシアの表情は浮かない。
リジーのこともあるだろうが、デレクと別れようとする姿勢を貫いてきただけに、今回の決断にはまだ迷いが生じる隙があるのかもしれない。
ヒューはシチューにパンを付けて食べながら、二人の様子を慎重に観察した。
しかし、どうせいろいろ考えても、ラーシアには全部読まれてしまうのだ。
そう考えると、言葉を選び、表情を取り繕うことすら面倒になる。
そんなことを考えていたヒューは、ふと、この二人の前でほとんど言葉を飾ったことがないことに気が付いた。
デレクには調子よく嘘をついたが、ラーシアにはどうせ読まれていると思い、飾らない言葉を吐き続けた。
ラーシアが思念を読む能力を持つことが発覚したにも関わらず、この二人といる時の空気はあまりかわらない。
ヒューはデレクの静かな横顔を眺め、実直で情のあつい男がそれほど嫌いではないことに気が付いた。
次の相棒を決めなければならないと考えて、初めてヒューはデレクがこの国を去ることを惜しいと感じた。
国を愛し、苦しみながらもラーシアを山頂に運んだ。
相棒としても、裏表なく、真っすぐでこれほど扱いやすい男はいない。
デレクは間違いなくこの国の騎士だったのだ。
やがて静かな食事を終えた三人は、小さな宿場町を後にした。
再び王都に向けて街道を進む。
明るい日差しが乾いた街道を照らし、観光客や商人の姿が増えてきた。竜の国のパンフレットを片手に旅をする者も多い。時々見回りの騎士とすれ違い、ヒューは片手をあげて挨拶をする。
フードを被り、ラーシアは顔を隠している。
竜がいなくても、ラーシアはいろいろ有名になり過ぎた。
国中に散らばる騎士団要塞に寄り、馬を交換しながら三人は数日で王都に到着した。
ヒューとデレクにとっては懐かしい我が家だった。
「ここが国をでる前の最後の宿だ。ラーシア、俺達が一年付き合っていた時の宿をとらないか?」
宿舎に泊まる気のないデレクの言葉に、ラーシアは了承した。
宿にはヒューもついてきた。
主人のガーナはラーシアとデレクを覚えていた。
「また泊ってくれるのかい?うれしいねぇ」
宿の主人はラーシアが昔使っていた部屋の鍵を差し出した。
それを受け取る二人の背中にヒューがすかさず声をかける。
「デレク!騎士団に寄って正式に話を通すぞ」
国を去るということは、国の騎士をやめるということだ。
デレクにその覚悟があるのか、要塞に行けばまた心が変わるかもしれない。
ヒューはデレクがこちらを向くのを待って、宿の外に出る。
「ラーシア、すぐに戻る」
本当に戻るのだろうか。戻ることを願っていいのだろうか。
ラーシアは曖昧に微笑み、デレクを見送った。
二人が消えると、ラーシアは昔使っていた二階の部屋に向かった。
寝台が一つに机とその上に置かれたランプ。外套かけの隣に棚が一つ置いてある。
灯り石の予備が積まれ、観光案内のガイドブックが棚に数冊並んでいる。
一冊抜き取り開いてみると、そこには竜の伝説やそれにまつわる観光地が書かれていた。
ラーシアは椅子に座り、窓辺でその本を読み始めた。
まだ観光していない場所がたくさんある。
ほとんど何も知らない状態でこの国にきて、たった一人で旅を続けた。
もう二度と戻らないと思うとこれほど寂しいことはない。
この国の最大の魅力は竜じゃない。人であり、この国を愛し、守っている騎士だ。
そんな騎士をこの国から引き離してもいいのだろうかと、ラーシアは考えた。
ラーシアは本を閉じ、寝台に横になった。
長旅で疲れた体が睡眠を欲している。
ラーシアは目を閉じ、迷いのある心の内に意識を向けながら、ゆっくり眠りに落ちた。
第四騎士団の要塞内は厳かな静けさに包まれていた。
国にはびこる竜の呪いを解くことに貢献した二人の騎士が帰還したのだ。
デレクとヒューが、団長のルシアンと副官レイクの前に立っている。
仲間達がその後ろに並んでいる。
ヒューの事前の連絡で、デレクが騎士団を去ることは既に要塞の皆に知られていた。
二人は並んで仕事の報告を終えると、デレクが一歩前に出て、退団の意思を伝えた。
団長のルシアンは、腕組みしながら厳しい表情を見せた。
「ヒューからだいたい聞いているが……戻ってくることはないのか?籍だけでもおいておける」
「戻りません」
迷いなくデレクは答えた。仲間達が残念そうに目を伏せる。
「そうか……わかった。退団処理をする必要があるが、もし戻ってくることがあれば、騎士に戻る、戻らないは別として必ずここに顔を出せ」
団長のルシアンの言葉にデレクは感謝を込めて一礼した。団長と副官が去ると、要塞の仲間達がデレクを取り囲んだ。
「もう本当に戻らないのか?」
「デレク、どこにいてもお前は俺達の仲間だ」
肩を抱き合い、別れを惜しみ合う。
思わず涙ぐみ、袖で目元を拭いながらも、デレクは笑顔を見せ続けた。
愛する女性の傍にいるために国を出ると決めたのだ。
ヒューはその様子を少し離れたところから眺めていた。
今夜は皆で飲まないかと仲間に誘われ、デレクは残念そうに首を横に振った。
「ラーシアとこの国で過ごす最後の夜だ。例の宿をとった。皆、すまない」
デレクの言葉を、やはり仲間達は温かく受け入れた。
この国の騎士達の団結は強い。
要塞の騎士達は一人残らずやってきて、デレクと軽く抱き合い、最後の挨拶を交わした。
国境まで見送ることになっているヒューは、今夜は宿舎の方に泊まることにした。
二人と同じ宿に泊って、ラーシアとデレクの喘ぎ声をきかされるのはごめんだし、もしどちらかに迷いが生じればもめ事になる。そんなものに巻き込まれるのもご免だった。
執務室で手続きを終え、デレクが騎士の剣を返却しようとすると、副官のレイクがそれを止めた。
「丸腰の旅ではないだろう?武器は持って行け」
第四騎士団の紋章入りの武器は思い出になる。
デレクは再びその剣を腰のベルトにさした。
門番にも熱烈に別れを惜しまれ、デレクは一般市民として要塞の門を出た。
宿の一階にある食堂は、すでに客でいっぱいだった。
デレクは食事を注文し、部屋で食べると告げるとしばらく待った。
盆に食事と水差しが載せられてくると、それを持って二階に向かう。
ラーシアの待つ懐かしい部屋の扉を叩く。
すぐにラーシアが顔を出す。
困惑したように微笑み、ラーシアが後ろに下がり場所を空ける。
「食事にしないか?」
部屋の壁際に寄せてあるテーブルを中央に引っ張り出し、デレクはその上に盆を乗せた。
ラーシアは黙ってデレクを見つめている。
「どうした?」
テーブルに椅子を配置し、食事の支度を始めたデレクは、後ろを振り返る。
扉の前に立ち尽くしていたラーシアが突然床に膝をついた。
「ラーシア!一体どうした?」
驚愕したデレクは、ラーシアに駆け寄ると、同じように床に膝を付きその顔を覗き込もうとした。
ラーシアは頑なに下を向いている。
頬を抱き、ラーシアの顔をあげようとすると、その手をラーシアが両手でつかんだ。
「聞いて欲しい……」
デレクは手を離した。
視線を床に向けたまま、ラーシアは静かに語りだした。
「デレク……私は嘘をついていた。そのことを黙ったまま君を連れていくことは出来ない」
「嘘?」
何のことだかわからず、デレクはラーシアの肩を抱きしめる。
「どういうことだ?ラーシア、俺は君を求めているし、君もそうだと俺は知っている。それ以上に大切なことはないだろう」
例え、ラーシアが竜の妻であっても、デレクはこの愛を貫くと決めている。
「デレク……私たちが出会ったのは偶然じゃない。君が恋に落ちたのも偶然じゃないんだ。
この国に来て、私はいろいろ調べた末に、目的を遂げるためにはこの国の騎士の協力が不可欠だと知った。
それで、私は利用できる騎士を探していた。新人で、まだ規則に染まっていない、生贄の儀式に疑問を抱きやすい、この国のほころびに気づきやすい騎士が必要だった。
だから、騎士になろうとしていた君に、食事をふるまった。思念を読んだのもあるが、君が腕の良い騎士の素質を持ち合わせていると確信した。
騎士になった君に見つけてもらうため、私は王都の門をくぐった。君は私を覚えていて、すぐに声をかけてきた。
誘惑し、怪しまれないように時間をかけて付き合えば、君は知らずに私の駒になってくれると思った。
私達の出会いも、恋に落ちたことも、運命じゃないんだ」
初めての出会いと、騎士になってからの奇跡的な再会、運命的に恋に落ち、恋人になれたことに浮かれ、一緒に過ごした幸福な一年間が全て計画されたものだったと聞かされ、デレクはあまりの衝撃に言葉を失い、床に崩れ落ちた。
横を見ると、デレクの寝台は使われた形跡がない。
きれいに整えられた寝台に、カーテンの隙間から差し込む朝日が降り注いでいる。
「お前の部屋でもあるだろう。デレク。普通に入ってこい」
面倒そうに声をあげると、やはり入ってきたのはデレクだった。
扉を閉め、神妙な顔つきでヒューの前に立つ。
「ヒュー。お前には世話になった、俺は」
ただならぬ決意を漲らせ、話し始めたデレクを見上げ、ヒューは嫌そうな顔をした。
「辛気臭い話はしなくていい。ラーシアと行くんだろう?」
あっさり言い当て、ヒューは毛布を押しのけると床に足を下ろした。
「あんな気味の悪い女と付き合えるのはお前ぐらいだ。お似合いだ」
愛する女性を気味が悪いと言われてもデレクは怒ったりしなかった、ただ申し訳なさそうにうなだれている。
国に命を捧げた騎士が国を捨てるのだ。
情に厚く流されやすいが、その忠誠心をヒューは疑ったことはなかった。
ラーシアを生贄に捧げたときも、デレクはその痛みに耐えたのだ。
そんな男が国を捨てる決意をした。今更、説得する言葉もないだろうとヒューは思った。
「ヒュー……すまない」
ヒューは不機嫌な顔でデレクを見上げる。
「なにがすまないだ。俺はお前の交際相手じゃないぞ?やめてくれ。だいたい俺がどれだけ苦労したと思っている。お前は剣の腕はいいが、いつも危なっかしくて目が離せない。ラーシアがお前を引き受けてくれるというなら有難い話だ。今だから言うが、お前に騎士は向いていない」
目を丸くしたデレクは、さすがにちょっと機嫌を損ねたような顔つきになった。
「そんなことはないだろう。順調に出世している」
「俺がいなければ無理だっただろうな」
ヒューの言葉にデレクはぐっと言葉を詰まらせた。
それはその通りだった。
「まぁ、俺もお前のおかげで点数を稼がせてもらったところもある。互いに対等だったということでもいいだろう」
あくまで上から目線だが、ヒューはにやりとして立ち上がった。
どちらからともなく片手をあげ、宙で手を打ち合う。
「決めたなら貫けよ」
「ああ」
それぞれに貫くものを決めたのだ。
デレクが自分の荷物を持って引き上げていくと、ヒューは寝台下の物入れから、通信具を取り出し耳に嵌めた。
「ヒューです。竜の呪いは全て消えたようです。ラーシアは南の島に戻ります。デレクも一緒です。王国を出るまで監視が必要ですか?」
しばらくして第四騎士団ルシアン団長の大きすぎる声が飛んできた。
『何!デレクが?!惜しいな……だが、デレクなら我が国の敵になることはないな。竜とラーシアの傍にデレクがいればある意味我が国は安泰だ。わかった。とりあえず南国境までは一緒に行け』
騎士が優先すべきことは国の安全だ。
ヒューはそれを心得ている。
「了解」
通信を切ると、ヒューも荷物をまとめた。
再び扉が鳴った。
「ヒュー、朝ごはんを頼んでおいたからな。早く下りて来い」
「今行く」
平静を装うデレクの声に苦笑しながらヒューは答え、立てかけてあった剣をベルトにさした。
旅慣れた三人の朝食の光景は少しだけいつもと違っていた。
デレクは少し浮かれているが、リジーの死をまだ引きずっている様子で、四つ目の椅子の上を時折寂しそうに見る。
リジーは三人が食事中、誰かの膝の上か、空いている椅子で丸くなっていた。
巨大な口を開けて食事をする姿を人前では見せなかったのだ。
ラーシアの表情は浮かない。
リジーのこともあるだろうが、デレクと別れようとする姿勢を貫いてきただけに、今回の決断にはまだ迷いが生じる隙があるのかもしれない。
ヒューはシチューにパンを付けて食べながら、二人の様子を慎重に観察した。
しかし、どうせいろいろ考えても、ラーシアには全部読まれてしまうのだ。
そう考えると、言葉を選び、表情を取り繕うことすら面倒になる。
そんなことを考えていたヒューは、ふと、この二人の前でほとんど言葉を飾ったことがないことに気が付いた。
デレクには調子よく嘘をついたが、ラーシアにはどうせ読まれていると思い、飾らない言葉を吐き続けた。
ラーシアが思念を読む能力を持つことが発覚したにも関わらず、この二人といる時の空気はあまりかわらない。
ヒューはデレクの静かな横顔を眺め、実直で情のあつい男がそれほど嫌いではないことに気が付いた。
次の相棒を決めなければならないと考えて、初めてヒューはデレクがこの国を去ることを惜しいと感じた。
国を愛し、苦しみながらもラーシアを山頂に運んだ。
相棒としても、裏表なく、真っすぐでこれほど扱いやすい男はいない。
デレクは間違いなくこの国の騎士だったのだ。
やがて静かな食事を終えた三人は、小さな宿場町を後にした。
再び王都に向けて街道を進む。
明るい日差しが乾いた街道を照らし、観光客や商人の姿が増えてきた。竜の国のパンフレットを片手に旅をする者も多い。時々見回りの騎士とすれ違い、ヒューは片手をあげて挨拶をする。
フードを被り、ラーシアは顔を隠している。
竜がいなくても、ラーシアはいろいろ有名になり過ぎた。
国中に散らばる騎士団要塞に寄り、馬を交換しながら三人は数日で王都に到着した。
ヒューとデレクにとっては懐かしい我が家だった。
「ここが国をでる前の最後の宿だ。ラーシア、俺達が一年付き合っていた時の宿をとらないか?」
宿舎に泊まる気のないデレクの言葉に、ラーシアは了承した。
宿にはヒューもついてきた。
主人のガーナはラーシアとデレクを覚えていた。
「また泊ってくれるのかい?うれしいねぇ」
宿の主人はラーシアが昔使っていた部屋の鍵を差し出した。
それを受け取る二人の背中にヒューがすかさず声をかける。
「デレク!騎士団に寄って正式に話を通すぞ」
国を去るということは、国の騎士をやめるということだ。
デレクにその覚悟があるのか、要塞に行けばまた心が変わるかもしれない。
ヒューはデレクがこちらを向くのを待って、宿の外に出る。
「ラーシア、すぐに戻る」
本当に戻るのだろうか。戻ることを願っていいのだろうか。
ラーシアは曖昧に微笑み、デレクを見送った。
二人が消えると、ラーシアは昔使っていた二階の部屋に向かった。
寝台が一つに机とその上に置かれたランプ。外套かけの隣に棚が一つ置いてある。
灯り石の予備が積まれ、観光案内のガイドブックが棚に数冊並んでいる。
一冊抜き取り開いてみると、そこには竜の伝説やそれにまつわる観光地が書かれていた。
ラーシアは椅子に座り、窓辺でその本を読み始めた。
まだ観光していない場所がたくさんある。
ほとんど何も知らない状態でこの国にきて、たった一人で旅を続けた。
もう二度と戻らないと思うとこれほど寂しいことはない。
この国の最大の魅力は竜じゃない。人であり、この国を愛し、守っている騎士だ。
そんな騎士をこの国から引き離してもいいのだろうかと、ラーシアは考えた。
ラーシアは本を閉じ、寝台に横になった。
長旅で疲れた体が睡眠を欲している。
ラーシアは目を閉じ、迷いのある心の内に意識を向けながら、ゆっくり眠りに落ちた。
第四騎士団の要塞内は厳かな静けさに包まれていた。
国にはびこる竜の呪いを解くことに貢献した二人の騎士が帰還したのだ。
デレクとヒューが、団長のルシアンと副官レイクの前に立っている。
仲間達がその後ろに並んでいる。
ヒューの事前の連絡で、デレクが騎士団を去ることは既に要塞の皆に知られていた。
二人は並んで仕事の報告を終えると、デレクが一歩前に出て、退団の意思を伝えた。
団長のルシアンは、腕組みしながら厳しい表情を見せた。
「ヒューからだいたい聞いているが……戻ってくることはないのか?籍だけでもおいておける」
「戻りません」
迷いなくデレクは答えた。仲間達が残念そうに目を伏せる。
「そうか……わかった。退団処理をする必要があるが、もし戻ってくることがあれば、騎士に戻る、戻らないは別として必ずここに顔を出せ」
団長のルシアンの言葉にデレクは感謝を込めて一礼した。団長と副官が去ると、要塞の仲間達がデレクを取り囲んだ。
「もう本当に戻らないのか?」
「デレク、どこにいてもお前は俺達の仲間だ」
肩を抱き合い、別れを惜しみ合う。
思わず涙ぐみ、袖で目元を拭いながらも、デレクは笑顔を見せ続けた。
愛する女性の傍にいるために国を出ると決めたのだ。
ヒューはその様子を少し離れたところから眺めていた。
今夜は皆で飲まないかと仲間に誘われ、デレクは残念そうに首を横に振った。
「ラーシアとこの国で過ごす最後の夜だ。例の宿をとった。皆、すまない」
デレクの言葉を、やはり仲間達は温かく受け入れた。
この国の騎士達の団結は強い。
要塞の騎士達は一人残らずやってきて、デレクと軽く抱き合い、最後の挨拶を交わした。
国境まで見送ることになっているヒューは、今夜は宿舎の方に泊まることにした。
二人と同じ宿に泊って、ラーシアとデレクの喘ぎ声をきかされるのはごめんだし、もしどちらかに迷いが生じればもめ事になる。そんなものに巻き込まれるのもご免だった。
執務室で手続きを終え、デレクが騎士の剣を返却しようとすると、副官のレイクがそれを止めた。
「丸腰の旅ではないだろう?武器は持って行け」
第四騎士団の紋章入りの武器は思い出になる。
デレクは再びその剣を腰のベルトにさした。
門番にも熱烈に別れを惜しまれ、デレクは一般市民として要塞の門を出た。
宿の一階にある食堂は、すでに客でいっぱいだった。
デレクは食事を注文し、部屋で食べると告げるとしばらく待った。
盆に食事と水差しが載せられてくると、それを持って二階に向かう。
ラーシアの待つ懐かしい部屋の扉を叩く。
すぐにラーシアが顔を出す。
困惑したように微笑み、ラーシアが後ろに下がり場所を空ける。
「食事にしないか?」
部屋の壁際に寄せてあるテーブルを中央に引っ張り出し、デレクはその上に盆を乗せた。
ラーシアは黙ってデレクを見つめている。
「どうした?」
テーブルに椅子を配置し、食事の支度を始めたデレクは、後ろを振り返る。
扉の前に立ち尽くしていたラーシアが突然床に膝をついた。
「ラーシア!一体どうした?」
驚愕したデレクは、ラーシアに駆け寄ると、同じように床に膝を付きその顔を覗き込もうとした。
ラーシアは頑なに下を向いている。
頬を抱き、ラーシアの顔をあげようとすると、その手をラーシアが両手でつかんだ。
「聞いて欲しい……」
デレクは手を離した。
視線を床に向けたまま、ラーシアは静かに語りだした。
「デレク……私は嘘をついていた。そのことを黙ったまま君を連れていくことは出来ない」
「嘘?」
何のことだかわからず、デレクはラーシアの肩を抱きしめる。
「どういうことだ?ラーシア、俺は君を求めているし、君もそうだと俺は知っている。それ以上に大切なことはないだろう」
例え、ラーシアが竜の妻であっても、デレクはこの愛を貫くと決めている。
「デレク……私たちが出会ったのは偶然じゃない。君が恋に落ちたのも偶然じゃないんだ。
この国に来て、私はいろいろ調べた末に、目的を遂げるためにはこの国の騎士の協力が不可欠だと知った。
それで、私は利用できる騎士を探していた。新人で、まだ規則に染まっていない、生贄の儀式に疑問を抱きやすい、この国のほころびに気づきやすい騎士が必要だった。
だから、騎士になろうとしていた君に、食事をふるまった。思念を読んだのもあるが、君が腕の良い騎士の素質を持ち合わせていると確信した。
騎士になった君に見つけてもらうため、私は王都の門をくぐった。君は私を覚えていて、すぐに声をかけてきた。
誘惑し、怪しまれないように時間をかけて付き合えば、君は知らずに私の駒になってくれると思った。
私達の出会いも、恋に落ちたことも、運命じゃないんだ」
初めての出会いと、騎士になってからの奇跡的な再会、運命的に恋に落ち、恋人になれたことに浮かれ、一緒に過ごした幸福な一年間が全て計画されたものだったと聞かされ、デレクはあまりの衝撃に言葉を失い、床に崩れ落ちた。
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