竜の国と騎士

丸井竹

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第二章 竜の国の騎士

39.去った預言者

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 三日目は最後の岩屋だった。輿を運ぶスペースもなくなり、デレクは預言者を背負って一人で後半の斜面を登り切った。
岩屋の扉を開け、預言者を床に下ろすと、さすがのデレクも肩で大きく息をして、床に四つん這いになって動けなくなった。
ラーシアへの贈り物を胸の前に括り付け、老人とはいえ人を一人背負って山を登ったのだ。

「はぁ……はぁ……」

「若いな……」

言葉もなくぜいぜい息をしているデレクを見おろし預言者が呟いた。
杖をつきながら室内に足を踏み入れ、暗い岩屋内を見回す。
それからデレクを振り返り、預言者は不愉快そうにデレクを睨みつけた。

「お前、仲間達の前でよくもそんな卑猥なことを」

デレクは驚いたが、頭の中を読まれたのだとすぐに気が付いた。
この小屋に来ればあの夜のことを思い出さずにはいられない。
仲間達が雑魚寝をしているというのに、ラーシアは毛布の中でデレクの男性器を取り出し、優しく擦って自分の胎内に埋め込んだのだ。

完全に仲間達に何をしているか知られた状態で、声をあげてしまった。
その後のラーシアの一言はデレクの羞恥心をはね飛ばした。
大胆で美しいラーシア。

預言者はさらに皺を深く刻み、余計なことは考えるなと警告するように咳払いをした。

「山頂へ向かう」

「え?!あの、この荷物を置いてきたら戻ってくるので、それからでいいですか?」

デレクがもう一度この荷物と老人を背負って登るのかと、焦って問いかけると、預言者は冷徹に言い放った。

「荷物は置いていけばいいだろう」

そういうわけにはいかなかった。
デレクはもう一度預言者を背負い、ラーシアへの贈り物をお腹にくくりつけると、山頂に続く斜面をよじ登った。
這うように登らなければ荷物の重さに引っ張られてしまう。

「はぁ……はぁ……」

空ばかりが見えてくると、今度は巨大な穴が現れる。
細い山の縁をさらに腰を曲げて進み、岩の王座を目前にして、デレクは崩れるように膝をついた。

「はぁ……。と、到着しました……」

預言者は慎重にデレクの背中から下り、よろよろと岩の椅子に向かう。
そこにはデレクが一年前に置いていった、女性物の服や装飾品が残されている。
軽いものは風で飛ばされどこかにいってしまったが、ロープに引っかかったままのドレスや少し重さのあるものは岩の窪みに沈み、なんとか原型を留めている。

「このガラクタは何だ」

預言者はいらいらとおいてあるものを払いのけようとした。

「すみません。今片づけます」

デレクは急いで岩の上から去年自分が置いていった品々を取り除いた。
新しい包みは出さず、預言者のために場所を空ける。
預言者は天然の石の椅子に腰を下ろした。

「デレク……」

初めて名前を呼ばれ、デレクはちょっと意外な顔をした。

「はい」

「こんなことをしてもラーシアは戻ってこない」

「はい……」

デレクの思考を読んでいたらしく、預言者は額に皺を刻んだ。

「諦めが悪い男だな。彼女はもてる。しらないのか?」

「は、はい……」

まるで生きているかのように話し出した預言者にデレクは少し嬉しそうに返事をした。

「お前は、彼女が竜と愛し合っている場所に行けるとしたら行きたいか?」

「行きたいです!」

「聞いていたのか?彼女は竜の妻で、竜の子供を産む。お前はそれを見ているだけだ」

「見ているだけ?……」

意味がわからず、デレクは狼狽えた。

「お前がいくら彼女を想っても、ラーシアはもう竜の妻だ。お前は指一本触れられない。お前が傍にいられるとすれば、世話係とか、召使といったそうした役割だ」

「そ、それは……私は……彼女が幸せであればいいと思います。もし彼女が竜の傍で幸せであるなら、それでいいのです。でも、もし、そうでないなら、指一本触れられなくても傍にいたい。彼女の心に少しでも寄り添いたい」

「お前が想っているような女ではないかもしれない。傲慢で、したたかで、冷徹な女だ。男をいじめて遊ぶのが好きな傾向もある。
お前に見せた顔が全て嘘であったらどうする?お前は竜のもとへ行けばもう二度とこの世界には戻っては来られない。
それでも、後悔しないと言えるか?」

預言者はデレクの心をずたずたにしようと毒の染みこんだ刃を繰り出す。

「この国で、お前は騎士として役目を果たし、十分充実した人生が送れる。ラーシアは南の島から来た、少々変わった女だったが、束の間お前達の道は交わった。それだけだ」

「彼女はこの国の犠牲になった。彼女が囚われているなら助けたい。竜の妻でいなければならず、彼女が不幸であるなら寄り添いたい。騎士としても国を救った彼女に尽くす権利がある」

デレクの口調が激しいものに変わった。

「権利か……。面白いことを言うな。それで人生を棒に振る気か」

「私にとってはただ一人の女性です」

打てば響くようにデレクは言葉を返す。
預言者は老人とは思えない眼力でデレクを射抜く。

「お前には指一本触れられない。彼女が竜と幸せに暮らす姿を傍で見ているだけだ。いや、見ていられるかどうかもわからない。殺されて捨てられるだけかもしれない。
私がお前に、彼女が幸せかどうか教えるとでも思うか?自分の目で確かめろと言えばどうする?
あの女は帰る場所を失ったお前になぜ来たのか、今すぐ死ねと言うかもしれないぞ?
お前の覚悟や愛は何一つ報われず終わるかもしれない」

預言者が何を告げようとしているのかデレクにはわからなかったが、心のままにデレクは答えた。

「彼女が死ねといえば死ねばいい。私は普通の男です。他の女に心を残しながらラーシアを愛したこともあります。
都合の良い愛し方をして、それでも手放せないとようやく気付きました。
だけど、その時には彼女はもう生贄になることを決めていた。彼女の生き方を邪魔する気はありません。彼女が私に一人寂しく死ねというならば、私は喜んで従う。他の男を愛しているというなら、それでもかまいません。私は心を決めています。だから彼女と結婚した」

思念が読めるというのに、まるで、知らなかった事実を聞かされたかのように、預言者の目が大きく見開いた。

「そうか……他の男を愛しても構わないと?」

「構いません」

その答えは淀み無い。
預言者は石の椅子に座り、上空を見上げた。

「お前はちっぽけでなんの能力もない、ただの男だ。彼女に相応しい力をもたない」

デレクは黙った。しかしその目は迷いなく燃えている。
預言者はゆっくり立ち上がると、よろよろと岩の横に腰を落とした。
それから岩の側面を指でゆっくりなぞり、額を押し付けた。

祈りの姿勢なのだろうかと、デレクは思い、岩の反対側に回り、預言者の祈りが終わるのを待った。
山の向こう側にあった雲が反対側に流れて消え、風が少し強まった。
老人にはこたえる寒さではないだろうかと、デレクが心配し始めた時、ようやく預言者はよろよろと起き上がり、咳払いをした。

「私の用は済んだ。お前もそのガラクタを並べるのだろう?待ってやるから早くしろ」

意外にもデレクに配慮した言葉が預言者の口から飛び出し、預言者から敵意さえ感じていたデレクはちょっと驚いた。
預言者の気が変わらないうちにと、デレクは急いで運んできた袋の口を開く。

赤や水色、黄色など明るい色彩のドレスや小物が岩の上を彩っていく。
全てを積み上げると、デレクは岩の上からロープを巻いてしっかり固定した。
岩には刃物で削ったようなへこみがあり、ロープが滑らないように加工されている。

最後に、デレクはそこに手紙を挟んだ。
それを見た預言者は、鼻に皺をよせ、そんなもの数日後には読めなくなっているだろうと小さく毒づいた。
デレクは聞こえなかったふりをして、上空を見上げる。

「ラーシア……俺はいつも迷ってばかりだ。今でも考える。君の意思を尊重したが、俺は君を無理やり山から引きずり降ろして逃げることだって出来たはずだと。
君を英雄にして国を守ったことが正しいことだったのかどうか、俺にはまだわからない。
だけど、今日は少し安心した。君は生きているのだろう?預言者様は意外と口が軽い」

仏頂面で待っていた預言者は、デレクの独り言にさらに不愉快な顔をした。

「希望が出来た。君が幸せであればいい。俺には君しかいない。待つよ」

ゴミになった一年前の贈り物を袋に戻し、胸に括り付けると、デレクは再び預言者に背中を向け膝をついた。
嫌そうに預言者はデレクの背に乗り、デレクは紐でその体を自分にくくりつけると、立ち上がる。
山の縁を這うように進み、岩の間を通る急斜面を後ろ向きで、ゆっくり下りていく。

岩屋でヒューが待っていた。

「代わります」

預言者に頭を下げ、ヒューが背中を向けた。
心底助かったと、既に息があがっていたデレクはほっと息をついたが、汗だくの額をぬぐいながら、ヒューに心配そうな視線を向けた。
ヒューは思念が読める能力を嫌っている。

しかしそんなことはおくびにも出さず、ヒューは預言者を背中に乗せると紐でくくり、無言で歩き始めた。
表情は硬かったが、無心を貫く覚悟のようだった。

デレクは余計なことは言わず、ヒューの前に出て危険に備えた。
夕刻前に、二人は交代で預言者をおぶってなんとか、二番目の小屋まで辿り着いた。

その日、小屋に入った預言者は、世話を担当するデレクにさりげない口調で告げた。

「南の島に帰ることにした」

「はい」

デレクが用意した食事を前に預言者は話し始めた。
水差しの水をグラス注いでいたデレクは、返事をしながらグラスを預言者の前に置いた。

「ラーシアも南の島からきた娘だと知っていたか?」

「はい」

「私は彼女を長い間、待ち望んでいた」

「え?!」

「ギニー国への出国手続きをとり、旅券と馬車を用意しろ」

さりげなく偉大な予知能力をひけらかすと、預言者はもう用はないと手を振って、デレクに出て行けと合図した。

デレクの報告を受け、ルシアンはすぐに王城に確認をとった。
まさか一度も王城に戻ることなく預言者が旅立つとは思わず、慌ただしく旅の手続きがとられ、第四騎士団が山のふもとに下りてくると、第一騎士団から第三騎士団が整列していた。

預言者は黒い馬車に乗せられ、ギニー国の南の浜辺にあるとある村に向かうことになった。
その馬車を第四騎士団は整列して見送った。

戻った騎士団の話では、預言者は無人の浜辺に降り立ち、そこでバレア国からの騎士達を帰らせたという話だった。
その後、たったひとり残された預言者がどこに消えたのか、誰も知らなかった。


ラーシアが消えて、五年の歳月が過ぎた。

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