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第一章 竜の国
36.捧げられた生贄
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「黒雲だ!上空を見ろ!」
「あれは、あれが竜か?」
空を見上げると、巨大な黒雲が少しずつ渦を巻いて膨らんできているところだった。
まるで竜がとぐろを巻いていくように、黒い雲が二重、三重に膨らみ、その黒雲の向こうに、炎を吐いているかのような赤い光が稲妻のように走る。
「ラーシア!」
デレクが山頂を見上げる。その腕を誰かが下から引っ張った。
「デレク!もう戻れない。すぐに岩屋に入れ!作戦通りに動かないとすべてが台無しになる!」
ラーシアの犠牲も無駄になる。
山頂から下りてくるデレクを途中まで登って待っていたヒューが、岩屋までの最後の斜面をデレクを引きずるように一気に滑り降りた。
空はどんどん暗くなり、雷鳴が轟く。風が唸りだし、周辺にあった白い雲は黒い雲に弾かれて遠くにおいやられていく。
「こっちだ!中に入れ!」
岩屋から顔を出していたのは、第七騎士団のエリックだった。
十年前に一度これを体験したことのある騎士が駆け付けてきていたのだ。
まだ山頂を見上げているデレクを引っ張り、ヒューは仲間達の元へ急ぐ。
仲間達が手を伸ばし、二人を岩屋に引き込んだ。
エリックが最後に扉を閉め、かんぬきをかける。
窓は分厚い木の覆いで塞がれている。
明かり石を置き、騎士達はその周りに座り込んだ。
昨夜は風の音も聞こえなかったのに、岩屋はガタガタと揺れ、恐ろしい嵐の音が聞こえている。
「さっきまで晴れていたのに……」
誰かが呟く。
「十年前もこうだった。生贄を置き、小屋に戻ってきた途端に空は黒雲に覆われ、嵐が始まった。竜の咆哮のような唸り声が聞こえ、稲光のように炎が黒雲に走った。雷鳴が轟き、岩屋が木の小屋のように揺れた。
この音が止むまでここを出てはいけない。それが決まりだ」
エリックが落ち着いた声で騎士達に教える。
「ラーシアは……こんな天気の中、一人で外にいるのか?」
デレクは顔を両手で覆った。
「天気というより、竜が山頂に来ているのだろう……。対話がうまくいけば、帰って来られるかもしれない」
ヒューは言ったが、デレクは頭を抱えた。
ラーシアはそうは言ってはいなかった。
ラーシアが最後の生贄になることでこの十年に一度の生贄を終わらせると言ったのだ。
「こんな残酷なことが、もう二度と起こらないのであれば、ラーシアの犠牲は無駄ではない」
誰かが言った。
その意味は深くデレクの心に刻まれた。
今デレクが感じている痛みは、これまで生贄になった少女たちを愛していた者達の痛みだ。
もう二度と自分のような想いをする者が現れないようにただただ、デレクは願った。
嵐の音は一日中続いていた。
通信は遮断され、山のふもとに集まっている騎士達の声は聞こえなかった。
この風では野営地のテントも無事かどうかわからない。
ロープでラーシアの体を固定しておかなければ、風圧で穴の底に落ちていたかもしれない。
次第に嵐の音は小さくなったが、外に出ても良いという許可はこなかった。
その夜、第一騎士団のウィルバーと通信が繋がった。
ルシアンが岩屋に留まる騎士達に内容を伝える。
「王国にいる全ての人々は空から見えない場所に身を隠している。避難が遅れた場所はないそうだ。観光客の保護と王国の封鎖が始まった。
対話は難航している。今夜一晩かかるようだ。我らもここを離れられない」
「ラーシアが竜と対話を続けているということか?それは、もしかすると」
対話が続いているということは、うまくいけば助かるかもしれない。
デレクの言葉にルシアンは首を横に振った。
「違う。ラーシアは戻らない。今後のことについての対話が長引いている」
ヒューが小屋からデレクが飛び出していかないようにしっかり肩を抱いた。
「落ち着け。もう俺達に出来ることはない」
風の音だけが聞こえている。窓や壁は最初の時より揺れていない。
デレクはのろのろと皆から離れ、昨夜ラーシアと一緒に使った毛布がまるめられているところまで行くと、それを広げて中に潜り込んだ。
ラーシアの熱を思い出そうとするように小さくなり、頭を隠す。
声を殺し泣くデレクに、話しかけられる者はいなかった。
翌朝、嵐の音はぴたりと止んでいた。
騎士達は石屋を出た。デレクは走るように山頂によじ登った。
ラーシアを縛り上げた石の王座を目指す。
火口に落ちそうになりながら、四つん這いでそこに到達すると、椅子には誰もいなかった。
岩には切れたロープだけが残っていた。それを手に取り、デレクはロープの端を確かめた。
まるで短剣で切ったようなすっぱりとした切り口だった。
逃げたのかもしれない。
そう思ったが、逃げられるような道はないのだ。
後ろの穴か、デレクが上ってきた細い岩の合間しかない。
「う、うううう……」
ラーシアを縛り付けた岩にしがみつき、デレクは顔を押し付け、肩を震わせた。
追ってきたヒューが大きく息を吐いて、デレクの肩を抱いた。
冷たい風が吹き抜け、頬を切り裂くような痛みが走る。
耳は赤くなり、感覚が失われていく。
「デレク……帰ろう。預言者様からの指示を待たなくては。対話が成功しているかどうか、答えが来る。
それによってはこれから戦いにいくことになる」
デレクは涙を拭った。
空っぽの石の王座を目に焼き付け、ヒューを振り返る。
「ああ。そうなれば、俺は最前線で戦うつもりだ」
竜と戦うことをまるで望んでいるかのようにデレクは言った。
二人は岩屋に戻り、ルシアンに山頂の様子を報告した。
「まずはふもとを目指す」
三日かけて登ってきた山を騎士達は慎重に下り始めた。
この山は一般の人々の立ち入りを禁止している。
ふもとに近づくといたるところに見張り用の小屋や入山を禁じる看板、柵などが増えてくる。
第四騎士団は黙々と山を下り、二日目、最初の小屋に到着した。
そこから見えたのはふもとで待機する千人近い騎士達の姿だった。
竜が襲ってくるのではないかと身構えつつ、下山を続ける。
ふもとに到着する前に、斜面に配置についた第一騎士団が現れた。
ルシアンのもとに第一騎士団の騎士が近づき、隊列に加わるように告げた。
竜が現れたらなんとか地上に誘導しなければならない。
騎士達は預言者の指示を待った。
これから村一つ滅ぼした竜と戦うことになる。
そんな緊張の中、第一騎士団のウィルバーのもとに王から連絡が入った。
ウィルバーが他の騎士達に伝達する。
「すぐに預言者様の言葉をきくようにと王命だ。全員下山!」
遠くから生贄の山に向かって黒い馬車が近づいてきていた。
斜面にいる騎士達が一斉に下山すると、馬車はすでに要塞の門の前に止まっていた。
第一から第三騎士団が馬車の周りを取り囲み、その後ろに他の騎士団が並ぶ。
全員が動きを止めるのを待っていたかのように、馬車の入り口が開き始めた。
預言者が姿を現した。
金色の髪を風になびかせ、皺深い瞼の下から青い目を光らせる。
突然騎士達の頭の中で声が響いた。
『生贄となったラーシアから連絡があった』
ざわめきが広がった。
『竜は対話に応じ、彼女を最後の生贄として受け入れた』
信じがたい言葉に、騎士達は互いにその意味を確認し合う。
「最後ということは次がないということか?」
「戦いはないのか?」
騒がしくなったが、預言者の言葉は、変わらない声量で頭に響き、そのざわめきによって遮られることはない。
『竜の脅威は去った。皆、長い間、ご苦労だった』
預言者は箱の中に消え、奇妙な扉がゆっくり閉まる。
その時、一人の騎士が叫びながら駆け寄ってきた。
「待ってくれ!待ってください!ラーシアは?どこに、どこにいるんです!連絡があったからには生きているのですよね?ラーシアは!」
馬車を取り囲んでいた第一騎士団は預言者を守るように前に出た。
「デレク!よせ!」
まだ新人の騎士が声をかけられるような相手ではない。
ヒューがデレクを引き止めようと必死に腕を引っ張っている。
「生きているのか、死んでいるのかだけでも教えてくれ!」
屈強な騎士達の壁に阻まれながら、デレクが叫ぶ。
馬車の扉が少しだけ開いた。
『我らはもうそこには関われない。あとは竜とラーシアの問題だ』
頭に響いた言葉に、デレクは力なく崩れ落ちた。
黒い馬車の扉が閉まる。
「デレク!」
ヒューはデレクの両肩に手を置いた。
「しっかりしろ。生贄になったんだ。捧げられたんだ。もうラーシアは竜の物だ」
その瞬間、デレクはなぜ竜が若い女ばかり生贄に求めるのか理解した。
竜にまつわる話はたくさんある。ほとんどが作り話だが、それらは真実を元に作られるものだ。
人間の姿にかわり、竜は人の女と愛し合う。
なぜ竜と対話が出来る預言者では竜を鎮めることができなかったのか。
なぜ若い女ばかりが生贄に選ばれたのか。
竜はきっと男で、女が欲しかったのだ。
若く健康で、話が通じるならなおいいだろう。
妻を竜に奪われた夫は、世界広しといえども、自分だけだろうと、デレクは自嘲気味に考えた。
いや、竜の妻になるはずの女を横からさらい、わずかな間、夫の真似事をしただけだ。
デレクは、ラーシアにプロポーズをしようかと迷っていたことを思い出した。
それはついこの間のことだ。
王都の宿に一年通い、ラーシアへの想いを募らせた。
村で待たせているケティアのことやまだ新人の騎士であることなど、自信のない部分もあり迷っていた。
そのせいで、大切な一言を告げられないままだった。
ラルフと良い感じになり、二人で消えた時も、いつか取り戻せると、どこかで思っていた。
同じ世界に生きていたからだ。手の届く世界にいれば取り返せると思った。
思った時に決断しなければ、取り返しがつかないことになる。
「俺は……馬鹿だな……一番大切なものをそうだと気づかずに疎かに扱った。もっと早く、気持ちを告げるべきだった……」
預言者を乗せた黒い馬車が王都に向かって動き出す。
第四騎士団の仲間がデレクとヒューを迎えにきた。
「拠点に戻る。デレク、ヒュー、お前達は出世するぞ」
新人には異例の活躍だったとルシアンが二人の肩を叩いた。
二人は馬に乗り、竜など欠片も見えない静かな空の下、王都に向けて移動を始めた。
「あれは、あれが竜か?」
空を見上げると、巨大な黒雲が少しずつ渦を巻いて膨らんできているところだった。
まるで竜がとぐろを巻いていくように、黒い雲が二重、三重に膨らみ、その黒雲の向こうに、炎を吐いているかのような赤い光が稲妻のように走る。
「ラーシア!」
デレクが山頂を見上げる。その腕を誰かが下から引っ張った。
「デレク!もう戻れない。すぐに岩屋に入れ!作戦通りに動かないとすべてが台無しになる!」
ラーシアの犠牲も無駄になる。
山頂から下りてくるデレクを途中まで登って待っていたヒューが、岩屋までの最後の斜面をデレクを引きずるように一気に滑り降りた。
空はどんどん暗くなり、雷鳴が轟く。風が唸りだし、周辺にあった白い雲は黒い雲に弾かれて遠くにおいやられていく。
「こっちだ!中に入れ!」
岩屋から顔を出していたのは、第七騎士団のエリックだった。
十年前に一度これを体験したことのある騎士が駆け付けてきていたのだ。
まだ山頂を見上げているデレクを引っ張り、ヒューは仲間達の元へ急ぐ。
仲間達が手を伸ばし、二人を岩屋に引き込んだ。
エリックが最後に扉を閉め、かんぬきをかける。
窓は分厚い木の覆いで塞がれている。
明かり石を置き、騎士達はその周りに座り込んだ。
昨夜は風の音も聞こえなかったのに、岩屋はガタガタと揺れ、恐ろしい嵐の音が聞こえている。
「さっきまで晴れていたのに……」
誰かが呟く。
「十年前もこうだった。生贄を置き、小屋に戻ってきた途端に空は黒雲に覆われ、嵐が始まった。竜の咆哮のような唸り声が聞こえ、稲光のように炎が黒雲に走った。雷鳴が轟き、岩屋が木の小屋のように揺れた。
この音が止むまでここを出てはいけない。それが決まりだ」
エリックが落ち着いた声で騎士達に教える。
「ラーシアは……こんな天気の中、一人で外にいるのか?」
デレクは顔を両手で覆った。
「天気というより、竜が山頂に来ているのだろう……。対話がうまくいけば、帰って来られるかもしれない」
ヒューは言ったが、デレクは頭を抱えた。
ラーシアはそうは言ってはいなかった。
ラーシアが最後の生贄になることでこの十年に一度の生贄を終わらせると言ったのだ。
「こんな残酷なことが、もう二度と起こらないのであれば、ラーシアの犠牲は無駄ではない」
誰かが言った。
その意味は深くデレクの心に刻まれた。
今デレクが感じている痛みは、これまで生贄になった少女たちを愛していた者達の痛みだ。
もう二度と自分のような想いをする者が現れないようにただただ、デレクは願った。
嵐の音は一日中続いていた。
通信は遮断され、山のふもとに集まっている騎士達の声は聞こえなかった。
この風では野営地のテントも無事かどうかわからない。
ロープでラーシアの体を固定しておかなければ、風圧で穴の底に落ちていたかもしれない。
次第に嵐の音は小さくなったが、外に出ても良いという許可はこなかった。
その夜、第一騎士団のウィルバーと通信が繋がった。
ルシアンが岩屋に留まる騎士達に内容を伝える。
「王国にいる全ての人々は空から見えない場所に身を隠している。避難が遅れた場所はないそうだ。観光客の保護と王国の封鎖が始まった。
対話は難航している。今夜一晩かかるようだ。我らもここを離れられない」
「ラーシアが竜と対話を続けているということか?それは、もしかすると」
対話が続いているということは、うまくいけば助かるかもしれない。
デレクの言葉にルシアンは首を横に振った。
「違う。ラーシアは戻らない。今後のことについての対話が長引いている」
ヒューが小屋からデレクが飛び出していかないようにしっかり肩を抱いた。
「落ち着け。もう俺達に出来ることはない」
風の音だけが聞こえている。窓や壁は最初の時より揺れていない。
デレクはのろのろと皆から離れ、昨夜ラーシアと一緒に使った毛布がまるめられているところまで行くと、それを広げて中に潜り込んだ。
ラーシアの熱を思い出そうとするように小さくなり、頭を隠す。
声を殺し泣くデレクに、話しかけられる者はいなかった。
翌朝、嵐の音はぴたりと止んでいた。
騎士達は石屋を出た。デレクは走るように山頂によじ登った。
ラーシアを縛り上げた石の王座を目指す。
火口に落ちそうになりながら、四つん這いでそこに到達すると、椅子には誰もいなかった。
岩には切れたロープだけが残っていた。それを手に取り、デレクはロープの端を確かめた。
まるで短剣で切ったようなすっぱりとした切り口だった。
逃げたのかもしれない。
そう思ったが、逃げられるような道はないのだ。
後ろの穴か、デレクが上ってきた細い岩の合間しかない。
「う、うううう……」
ラーシアを縛り付けた岩にしがみつき、デレクは顔を押し付け、肩を震わせた。
追ってきたヒューが大きく息を吐いて、デレクの肩を抱いた。
冷たい風が吹き抜け、頬を切り裂くような痛みが走る。
耳は赤くなり、感覚が失われていく。
「デレク……帰ろう。預言者様からの指示を待たなくては。対話が成功しているかどうか、答えが来る。
それによってはこれから戦いにいくことになる」
デレクは涙を拭った。
空っぽの石の王座を目に焼き付け、ヒューを振り返る。
「ああ。そうなれば、俺は最前線で戦うつもりだ」
竜と戦うことをまるで望んでいるかのようにデレクは言った。
二人は岩屋に戻り、ルシアンに山頂の様子を報告した。
「まずはふもとを目指す」
三日かけて登ってきた山を騎士達は慎重に下り始めた。
この山は一般の人々の立ち入りを禁止している。
ふもとに近づくといたるところに見張り用の小屋や入山を禁じる看板、柵などが増えてくる。
第四騎士団は黙々と山を下り、二日目、最初の小屋に到着した。
そこから見えたのはふもとで待機する千人近い騎士達の姿だった。
竜が襲ってくるのではないかと身構えつつ、下山を続ける。
ふもとに到着する前に、斜面に配置についた第一騎士団が現れた。
ルシアンのもとに第一騎士団の騎士が近づき、隊列に加わるように告げた。
竜が現れたらなんとか地上に誘導しなければならない。
騎士達は預言者の指示を待った。
これから村一つ滅ぼした竜と戦うことになる。
そんな緊張の中、第一騎士団のウィルバーのもとに王から連絡が入った。
ウィルバーが他の騎士達に伝達する。
「すぐに預言者様の言葉をきくようにと王命だ。全員下山!」
遠くから生贄の山に向かって黒い馬車が近づいてきていた。
斜面にいる騎士達が一斉に下山すると、馬車はすでに要塞の門の前に止まっていた。
第一から第三騎士団が馬車の周りを取り囲み、その後ろに他の騎士団が並ぶ。
全員が動きを止めるのを待っていたかのように、馬車の入り口が開き始めた。
預言者が姿を現した。
金色の髪を風になびかせ、皺深い瞼の下から青い目を光らせる。
突然騎士達の頭の中で声が響いた。
『生贄となったラーシアから連絡があった』
ざわめきが広がった。
『竜は対話に応じ、彼女を最後の生贄として受け入れた』
信じがたい言葉に、騎士達は互いにその意味を確認し合う。
「最後ということは次がないということか?」
「戦いはないのか?」
騒がしくなったが、預言者の言葉は、変わらない声量で頭に響き、そのざわめきによって遮られることはない。
『竜の脅威は去った。皆、長い間、ご苦労だった』
預言者は箱の中に消え、奇妙な扉がゆっくり閉まる。
その時、一人の騎士が叫びながら駆け寄ってきた。
「待ってくれ!待ってください!ラーシアは?どこに、どこにいるんです!連絡があったからには生きているのですよね?ラーシアは!」
馬車を取り囲んでいた第一騎士団は預言者を守るように前に出た。
「デレク!よせ!」
まだ新人の騎士が声をかけられるような相手ではない。
ヒューがデレクを引き止めようと必死に腕を引っ張っている。
「生きているのか、死んでいるのかだけでも教えてくれ!」
屈強な騎士達の壁に阻まれながら、デレクが叫ぶ。
馬車の扉が少しだけ開いた。
『我らはもうそこには関われない。あとは竜とラーシアの問題だ』
頭に響いた言葉に、デレクは力なく崩れ落ちた。
黒い馬車の扉が閉まる。
「デレク!」
ヒューはデレクの両肩に手を置いた。
「しっかりしろ。生贄になったんだ。捧げられたんだ。もうラーシアは竜の物だ」
その瞬間、デレクはなぜ竜が若い女ばかり生贄に求めるのか理解した。
竜にまつわる話はたくさんある。ほとんどが作り話だが、それらは真実を元に作られるものだ。
人間の姿にかわり、竜は人の女と愛し合う。
なぜ竜と対話が出来る預言者では竜を鎮めることができなかったのか。
なぜ若い女ばかりが生贄に選ばれたのか。
竜はきっと男で、女が欲しかったのだ。
若く健康で、話が通じるならなおいいだろう。
妻を竜に奪われた夫は、世界広しといえども、自分だけだろうと、デレクは自嘲気味に考えた。
いや、竜の妻になるはずの女を横からさらい、わずかな間、夫の真似事をしただけだ。
デレクは、ラーシアにプロポーズをしようかと迷っていたことを思い出した。
それはついこの間のことだ。
王都の宿に一年通い、ラーシアへの想いを募らせた。
村で待たせているケティアのことやまだ新人の騎士であることなど、自信のない部分もあり迷っていた。
そのせいで、大切な一言を告げられないままだった。
ラルフと良い感じになり、二人で消えた時も、いつか取り戻せると、どこかで思っていた。
同じ世界に生きていたからだ。手の届く世界にいれば取り返せると思った。
思った時に決断しなければ、取り返しがつかないことになる。
「俺は……馬鹿だな……一番大切なものをそうだと気づかずに疎かに扱った。もっと早く、気持ちを告げるべきだった……」
預言者を乗せた黒い馬車が王都に向かって動き出す。
第四騎士団の仲間がデレクとヒューを迎えにきた。
「拠点に戻る。デレク、ヒュー、お前達は出世するぞ」
新人には異例の活躍だったとルシアンが二人の肩を叩いた。
二人は馬に乗り、竜など欠片も見えない静かな空の下、王都に向けて移動を始めた。
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