竜の国と騎士

丸井竹

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第一章 竜の国

30.竜の戦士現る

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 黒い遮断天幕の中は、暗闇で閉ざされてはいなかった。
そこは豪華な居住空間で、天井部分からは装飾の美しいランプがいくつも吊るされ、中央には複雑な模様を編み込んだテーブルクロスがかけられた立派なテーブルが置かれていた。

床はふかふかの絨毯で覆われ、壁にはこの国の竜の伝説になぞらえたタペストリーが飾られている。
椅子やタンス、奥には寝台まである。
全てが意匠を凝らした見事な作品で、一つ売れば貧しい村を丸ごと買えてしまいそうだった。

預言者は奥の椅子に座り、ラーシアは無言で向かいに座った。

「南の島を出たのが一年以上前か……ずいぶんかかったな」

不満そうに預言者が口火を切った。
ラーシアは腕を組み、贅沢な室内を見回してから、正面の預言者に視線を移した。

「この国を知るために必要な時間だ。それで?私の計画に乗る気があるのか?」

珍しく不機嫌な顔でラーシアが問いかける。
遮断の天幕内では思念は読めず、声に出すしかない。

「物事はそう簡単ではない」

「簡単ではなくても、やるしかない」

叩きつけるような口調でラーシアは断言した。
次第に苛立ちを募らせるラーシアを前にして、預言者は不愉快そうに顔を歪めた。

「生贄は必要だ」

「わかっている。そこは私が引き受ける。難しいが、今回限りで終わらせる」

迷いのないラーシアの言葉に、預言者は反論しなかった。
疲れ切ったように背もたれに寄り掛かり、あっさり次の指導者にその席を明け渡した。
ラーシアは自信満々で腕を組み、不敵な笑みを浮かべた。

「ではさっそく、計画を立てよう」

既に道筋は見えているのだろうと、預言者は嫌そうな顔をしたが、ラーシアに応じて身を乗り出した。


――


 ジールスとユロを繋ぐ街道沿いにある宿場町の酒場に、人だかりができていた。
吟遊詩人さえ息をひそめ、その中心にいる人物の言葉に耳を傾けている。

 そこにいたのは日に焼けた三十前後の男で、旅慣れた装いで、ゆったりと椅子に腰かけ、得意げな顔でグラスを掴んで人々に朗々とした声で語っている。

「数日前にここを通過した国王軍を見なかった者はいるか?あれだけの規模の行軍はここ十年以上、いや三十年は見たことがないはずだ。
俺が生まれてから一度もあんな行軍はみたことがない。しかも第一騎士団から第三騎士団の姿まであった。彼らは王都に勤め、王の隣に立てる身分だ。こんなところに出てくる騎士達じゃない。さらに、ガレンの町の噂は聞いたか?」

「ああ、聞いた!騎士団が封鎖している。あれはどこの部隊だったかな?」

聴衆の一人が口を出す。

「それは重要じゃないさ。重要なのは彼らが一体何を隠しているのかだ。実は俺はガレンの町にいてその秘密をみてしまったんだよ。あの大規模な騎士達の行軍はその秘密に関係している。
口止めしようと町を封鎖したらしいが、俺はうっかり封鎖前に町を出てしまった。
つまり、国の命令を受けていない。俺がうっかり話してしまったところで罪にはならないんだよ。
どうだい?あの行軍の意味、そしてガレンの町に隠された秘密。知りたいか?」

旅の男の言葉に、集まった人々は無言で身を乗り出す。
その様子を満足そうに眺め、男が続ける。

「いいだろう。実は、この国は十年前、国民に内緒でとある作戦を実行した。
秘密にされたのは、俺達の暮らしに影響を与えないためだ。しかし国中の騎士団が動き出したとなれば、その作戦はうまくいき、次なる段階に入ったことになる」

「もったいぶるなよ!騎士達は何を目的に国中を大移動している?ガレンの町には何があったんだ!教えろよ!」

野次が飛ぶ。
男がにやりとして、声を張り上げた。

「十年前、俺達に内緒にされたのは、生贄の入れ替わりだ」

「なんだって!」

悲鳴のような声が上がった。その声が膨れ上がる前に、男が立ちあがった。

「生贄を選んでいる竜が、人質の入れ替わりに気づくかどうか、怒りを買うことがあるのかどうか、国は竜を試したんだ!」

男の言葉に次々に聴衆が質問を投げかける。

「なぜ?!そんな危険なことを!」

「それでどうなった!」

「竜は怒ったのか?」

「入れ替わりということは、どういうことだ!」

男が指を高く上げる。人々が静まり、男の次の言葉を待つ。

「貼り紙には竜が望んだ生贄の名前が書かれた。しかし実際は、違う名前の娘が生贄になった。彼女が自身でそれを望んだからだ。今後の戦いに備え、彼女は勇敢にその役目を買って出た。
それから十年が経った。どうだ?何か起きたか?村が焼かれ数百人が犠牲になるような事件が起きたか?」

人々は横に首を振る。

「そうだ。竜の呪いも、怒りの炎もこの国を襲いはしなかった。
つまり、今まで竜からの要求に応えるばかりの一方通行だった交渉に、隙を作ることに成功したと言えなくはないか?」

男の言葉に戸惑ったように人々が目を見合わせる。

「どういう意味がある?怒りを買わなかったから?」

「残念ながら、王や預言者様の深いお考えはわからない。
だが、俺がこの耳で聞いてきた話では、これを計画したのは預言者様と偉大なる王だ。
目的はただ一つ。たった一人の生贄さえ竜に殺させないためだ。
彼らは、この国のため、生贄になる人を救うため、何年もかけてこの作戦を進めてきた!」

熱を帯びた男の声に呼応するように人々が歓声をあげた。

「おおおおおおおっ!」

「バレア国万歳!」

「バレア国、国王軍万歳!」

聴衆の声は小さな宿場町を揺るがした。
そんなことがあるものかと疑いの目を向けている男を酒場の隅に見つけ、得意げに語っている男が近づいた。

「疑っているだろう?当然だ。俺は十年、竜を探し続けた。
なぜ俺が、そんなことを知っているか教えてやる。
十年前、生贄に選ばれたのはナタ村のイシャリという女性だった。それは国が表向きに用意した人質だ。しかし、本当に選ばれたのは俺の婚約者、シーアという女性だった」

生贄に選ばれた家族や村には大金が支払われる。
まさかと再び酒場が静まる。

「俺は婚約者で結婚もしていない。彼女の死の代償を一つも手にしていない。与えられたとしても受け取らなかっただろう。
彼女はこの国の計画に賛同し、竜を倒せる手がかりを得るために、自ら犠牲になると決めた。
俺は、悲しかった。止めたかった。行くなと言いたかった。
彼女がなぜ死ななければならなかったのか、なぜ生贄になったのか、名前には他の女の名前があったのに。俺は探し続けた。十年だ!ガレンの町に表向きの生贄、イシャリがいた。
国が封鎖しているのは、竜が欲しがったイシャリをかくしているからだ。
竜は欲しかった女を手に入れていない。それが交渉材料になるのか、あるいは、誰でもいいのであれば、生贄の選択権は我が国に移るかもしれないぞ?
国は竜を倒すための糸口を模索している。
それを見てきた。もし、信じられないならガレンに乗り込み騎士達に聞いてみるがいい!
十年竜を欺くことに成功した。次の一手は竜退治だ!
俺から恋人を奪った竜を、騎士達が倒してくれると俺は信じている!」

誰かが立ちあがった。
それは一人の年老いた男で、無言で熱く語る旅の男に近づき、肩を抱いた。

「俺の村からも生贄が選ばれた。英雄だと言われた。俺も、俺も悲しかった……」

旅の男は相手の肩を抱き返し、拳を突き上げた。

「この国はもう竜に何も奪われない!誰の妻も、誰の娘も、誰の恋人も、もう二度と奪われない!そのための準備を騎士達は始めたのだ!預言者様と偉大なる王が必ず我らの国を守って下さる!」

再び歓声が上がる。

「この店にも竜の年の貼り紙があるな?生贄の名前が書いてある。だが、それは偽りの名前だ。
今年、竜の日に選ばれた生贄は竜の戦士、ラーシア!我らの最後の生贄だ。
彼女は竜と交渉するため、自らこの大役を買って出た。
真の名はまだ伏せられている。王国は我らに不安を与えまいと、また真の英雄の名を隠そうそうとしているが、彼女の犠牲を、戦いを、我らも後押しするべきだ。
それ故、俺はこの秘密をここにぶちまける!ラーシアが竜の日、最後の生贄だ!」

「ラーシア!ラーシア!ラーシア!」

「讃えよう、我らが英雄!最後の生贄だ!」

「バレア国万歳!」

男の言葉に呼応し、人々は熱狂的に声をあげる。
その日、その小さな酒場には大勢の人が詰めかけた。
行商人は誰よりも早く次の町にこの秘密を届けようと夜のうちに旅立った。
誰もが浮足立ち、国の秘密を知った特別な一般人になりたがった。

国の秘密をぶちまけ、ラーシアの名を伝えた旅の男は、夜が明ける前に宿を出た。

「一人でも多くにこの国の秘密を伝えたい。ラーシアは一人で戦いに行く。生贄ではなくこれを終わらせるために行くんだ。だから、生きて帰れるように彼女に応援していることを伝えたい」

荷物を担ぎ、薄暗い道を歩き出した男の背を、宿の主人が小走りで追いかけてきて声をかけた。

「あんた、名前は?」

「ラルフ、ナタ村のラルフだ」

十年前、生贄を出した村であることを宿の主人はぼんやり思い出した。
張り紙は宿や酒場、あらゆる店に張り出される。
主人は宿に引き返し、急いで物入れを漁った。

十年前の竜の日の貼り紙が出てきた。
生贄の欄にはナタ村のイシャリと書いてある。ラルフという名の男が語った名前は全部合っている。
竜退治という言葉が、にわかに現実味を帯びてくる。

「もう客が出たのかい?」

宿の主人の妻が目をこすりながらやってきた。

「昨日の酒場で大演説した客だよ。今出て行った。俺もその話を聞いていた。十年前に婚約者が生贄になったそうだ……」

「それは……悲しいね……」

身近な人間の悲しみならなんとなくわかる。
既に下ごしらえを始めていた年配の料理女が顔を出した。

「娘が生まれたら必ず数えるんだ。十六年後が竜の年じゃないかどうか。もし竜の年に当たってしまうとわかったら、男の子の名前を付ける。竜に見つからないようにね……」

それは表には出ない、女達の間で広まっている話だった。
生贄は数百人を助けるために必要な犠牲だ。
その生贄を逃れようとすれば国に非難されるだろう。
あるいは竜の報復を恐れる人々に責められるかもしれない。
表向きは英雄になれる機会を持って生まれた娘だと喜ばなければならない。

宿屋の主人は、今年の張り紙をあらためて眺め、ペンを持って来いと妻に叫んだ。
妻が持ってくると、宿屋の主人は生贄の欄を横線で消し、『竜の戦士ラーシア』と書きこんだ。

「王様や預言者様がどんな計画を立てているのかわからないが、この子が終わらせてくれるっていうなら、応援しなくちゃいけないな」

「ラーシア……良い名前じゃないか」

隣で女将がまるで自分の娘のように誇らしげに頷いた。

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