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第一章 竜の国
26.合流
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暖炉の燃える温かな部屋で、ケティアは床に敷かれたマットに座り込んでいた。
食べて寝て、お風呂に入り、さらに食べて寝る。そんな自堕落な生活を続けている。
ケビンは毎日届けられる美味しい食事に、舌鼓を打ちそうになりながら、悲愴な顔を作り続けている。
ケティアは怒っていた。家族や村の人たちの豊かな生活、ケビンへの補償、そんなものに追い詰められ、英雄になりたくないと叫ぶことすら許されない。
「デレク、絶対私を恨んでいるんだわ」
デレクは剣を抱いて扉の前に座っている。
「なんとか言ってよ!私が殺されるのよ!」
無言のデレクから標的をケビンに変え、ケティアはケビンにすがりついた。
数分おきに繰り返されるこのやりとりに、ケビンは幾分げっそりしている。
その時、裏口を叩く音がした。
デレクは立ち上がり、食べ終わった食器をまとめて盆に乗せ、裏口に向かう。
扉を開けると盆を突き出した。
お盆を受け取った女が不思議そうな声を出す。
「ん?なんだ?デレク、これをどこに持っていけばいい?」
それは生贄の世話係を引き受けているいつもの村女の声ではなかった。
驚いたデレクは、急いで室内からこぼれる灯りに浮かび上がる女の顔を確認した。
「ラーシア!」
ユロ産のあたたかそうな外套に身を包み、帽子をかぶったラーシアが立っている。
頬は赤く、目は生き生きと輝いている。
デレクは素早く盆を取り上げ地面に置くと、ラーシアの腕を掴んで室内に引っ張り込む。
「ラーシア、なぜここに来た」
「約束しただろう?ルト村で合流しようって」
声を下げたデレクに合わせ、ラーシアも小声になる。
「ラーシア、あの話は無しだ。君がこの国の犠牲になることはない。ここをすぐに出て行くんだ。故郷に帰り、この国のことは忘れろ」
目をぱちくりし、ラーシアはデレクを見上げる。
デレクは、今度はラーシアを扉の外へ押し出そうとする。
その腕を振り払い、ラーシアは歩き出す。
「ラーシア!」
デレクが伸ばした手はラーシアに届かなかった。
台所を通り過ぎ、奥の部屋に飛び込む。
暖炉前に座っていた男女が、突然飛び込んできたラーシアに驚いて硬直する。
ラーシアは構わず声をかけた。
「やあ、君がケティア?まだ君が生贄?私が身代わりになりたいのだけど?君に代わる気はあるのかな?」
「よせ!ラーシア!」
デレクが追い付き、ラーシアを背後から取り押さえようとするが、ラーシアは背中を向けたままひらりとよける。
意味を理解するより早く、ケティアは下りてきた糸にすがった。
「かわってよ!かわって!なんでもするわ!なんでもあげる!子供がいるのよ!」
ラーシアはケティアの隣に座る男をちらりと見た。
「ずいぶん気が早い言葉だな。まだ出来ていないだろう」
その言葉は、場を凍り付かせた。
熱くなってラーシアを止めようとしていたデレクが、声を低くして問いかける。
「まて、ケティアに子供はいないのか?」
「まだね。それともこれから子作りか?」
屈託なく質問するラーシアに、デレクは額を押さえ、大きく息を吐きだした。
思念の読めるラーシアが断言するのだから、きっとそうなのだ。
子供まで生贄にするのかと思ったが、それだけは免れた。
「い、いるのよ。お腹に……」
ラーシアはやっとその意図に気が付き、うんざりとした顔になった。
「またその言い訳か。イシャリと同じ手を使うわけだ。まぁいい、わかった。ここだけの話にしよう。でも、無事に生贄を代わることが出来たらその嘘はやめた方がいい」
あたたかな暖炉の前に座り、ラーシアは水差しに手を伸ばし、傍にあった空いているグラスに注いだ。
喉を潤して、空になったグラスを元の場所に戻す。
「さあ、さっそく作戦をたてよう。まずは、十年前に生贄が入れ替わった話は外に出したか?」
ユロの町からラルフと姿を消したラーシアは、その話が外に出ているのかどうかさえも知らない。
デレクは渋い顔をした。報告は上層部にあげたが、結局その後どうなるのかという話は下りてきていない。
「その話はよせ。今、上層部が何か考えているはずだ。あるいは、預言者様はこのことをわかっていたのかもしれない」
「そうだろうね。なにせ竜と対話し、竜の指定した生贄の居場所すらわかってしまうのだからね。私のことだって見えているかもしれないね」
虚空に向かってなんとなくラーシアは手を振った。
「こ、子供は……いないのか?」
震える声で割って入ってきたのはケビンだった。
「生贄を逃れるためだろう?」
答えたのはラーシアだった。
「そういう嘘は、気分が悪くなるからやめた方がいい。私もずっと嫌な気分だ。仕方がない時もあるけど、人の心を無理やり捻じ曲げたようでもやもやしている。嘘が良い結果を生めばいいけどね」
「き、君が、子供が出来たというから結婚したのに!」
ケビンは、突然激昂して立ち上がった。ラーシアが一瞬ぽかんとした。
「ああ……そっちのための嘘だったのか……。ちょっとセンサーが間違えていたな。ごめん……」
その嘘は、生贄を逃れるための嘘でもあったが、その前は結婚するために使われた嘘だったのだ。
使いまわしをされていた嘘だとは気づかず、ラーシアは気まずい顔をした。
助けを求めるようにラーシアはデレクに視線を向けたが、ケティアがデレクの婚約者であることも思い出した。
「ん?ということは、デレクは失恋か。ちょっと焦り過ぎたな。状況を最初に聞くべきだった」
ラーシアはそう口にしながらも言い訳をした。
「疲れていて頭が回っていないんだ。昨晩は歩き通しだった。朝方到着して、家畜の中で眠ったのだけど、昼間にちらりとデレクの姿を見つけてね、とりあえず話をするべきだと思って、夜になるのを待っていた。
大勢に取り囲まれてああだこうだと話しをする気力はわかなくてね。
旅慣れたラルフが一緒で助かったけど、さすがにくたくただ。」
「ラルフは?」
緊張の面持ちで、デレクが問いかける。
二人の甘い交わりの声を扉越しに聞いたし、食堂で楽しそうに話をしている姿も見た。旅先でそれ以上の関係になるのではないかと心配で仕方がなかった。
「別れたよ。彼はシーアの母親の国を目指す」
シーアと聞き、デレクは顔をしかめた。
「生贄になった?」
「そう。ああ、デレクには話していなかったけど、シーアの母親と知り合いなんだ」
さらりと発したラーシアの言葉に、デレクは口をあんぐりとさせた。
どういうことかと聞き返そうとしたデレクは、ケティアとケビンに聞かせられない話であることを思い出した。
「ラーシア、生贄を代わることができるかどうか、まだ何もわからない。彼女に希望を抱かせるようなことは言わないでくれ」
あまりにも今更の発言に、何一つ隠す気のないラーシアは肩をすくめる。
十年前の生贄の入れ替わりを知らなくても、ケティアは、ラーシアの言葉だけで既に生贄を代わってもらう気満々だ。
「代わってよ!代わってくれるのでしょう?じゃ、じゃあ今からでもいいじゃない。ベールか、何かフードを被って私の真似をしてくれたらいいわ。
食器を下げにきた人みたいなふりをして私は外に出る。村を出れば私の顔を知る人なんていないし、名前だって変えればいいじゃない」
ケティアがラーシアに掴みかかった。
それをデレクが急いで引き離す。
ラーシアから引き離されたケティアに今度はケビンが掴みかかった。
「俺を騙したのか?なぜだ」
子供が出来たと騙されて結婚したケビンの話はまだ終わっていなかった。
生死がかかっているケティアはそれどころではない。
「なぜですって?そんなこと今はどうでもいいでしょう?私が殺されるのよ?助かるかもしれないのだから協力してよ!」
「どうでもよくない!お前は、俺と俺の父を喜ばせた。子供が出来たと言っただろう!」
「だって、だって、結婚したかったのよ!私と関係を持っていたのは確かじゃない。デレクと付き合っていた時だって、デレクの目を盗んで私を抱いていたくせに!」
また衝撃の告白が飛び出した。
デレクは今更ながら、ケティアに二股されていたことを知ることになった。
さらに友である、ケビンにも裏切られていた。
「浮気をしていたのか?まさか、ケビンが本命か?」
村長の息子であるケビンの方が結婚相手としては有力だ。
それならばなぜ自分と付き合っていたのかと、デレクは今更過ぎる疑問を問いかけた。
命を奪われるというのに、今更の疑問を投げかけてくる二人の男にケティアは苛立った。
その胸の内はたいして複雑でもなんでもなかった。
ケティアは女としての幸せを考えただけだった。
好きだったのはデレクだ。
長身で逞しく、剣の腕も村で一番だった。分厚い胸に抱きしめられ、熱く組み敷かれたら骨まで蕩けそうなほど夢中になった。だけど、結婚は現実だ。
家も受け継いだ財産もないデレクは常にケティアに少しの不安を抱かせた。
そんな不安に付け込んできたのは村長の息子であるケビンだった。
デレクは結婚を匂わせてくるが、ケティアは将来的な不安でデレクの気持ちに気づかないふりをし続けた。しかしこのままでは結婚適齢期を逃してしまう。ケビンは繋ぎとめておきたい。
そんな時、デレクが騎士になるために王都に行く決心をした。
こんな田舎の村の女が、騎士の花嫁になれるなら、それはもう夢物語だ。
デレクならその夢を叶えてくれるかもしれないと少しは思ったが、現実は甘くない。
この辺りで都会に出て成功した男は一人もいない。
それでも、万が一ということもある。騎士の妻であれば自慢できるし、デレクと完全に別れるのはもったいない。それ故、デレクが別れ際に告げた、「待っていなくてもいい」という最後の言葉はケティアにとっても都合が良かった。
待てないと思えばケビンと結婚していいし、もしうまく騎士になれたとデレクから連絡がくれば、デレクと結婚すればいい。
デレクが去って、たった数か月で、ケティアは結婚適齢期を逃すのではないかとやはり心配になった。
そんな時、村長の息子のケビンに縁談の話が持ち上がった。しかも相手はケティアではなかった。
デレクが失敗して騎士になれず、ケビンまで他の女のものになったら、本当に結婚できなくなってしまう。
ケティアは焦り、ケビンにデレクとは別れたと言って積極的に体の関係を持った。
ところが、狭い村のことであり、デレクとケティアが結婚間近だったと全員が知っていた。
村長は、ケティアと息子の結婚話にあまり良い顔をしなかった。
ケビン自身も、デレクがいながら自分と体の関係を続けていたケティアとはなかなか結婚に踏み切れなかった。
そこで、ケティアは子供が出来たとケビンに嘘をついた。孫が出来ると知れば村長は喜び、ケビンも覚悟を決めた。
村長は、多少無理をして家を建て、二人の結婚を祝福したのだ。
子供はすぐに作ればいいし、出来なければ流産したことにしてしまおうとケティアは軽く考えた。
幸せな結婚生活が始まった。
その矢先のことだった。デレクが突然戻ってきたのだ。
しかも、立派な騎士になり、一瞬ケビンとの結婚をはやまったのではないかと頭に過った。
奪って逃げてくれるなら王都で暮らせると少しだけ夢を見た。
しかし現実は残酷だ。
デレクはケティアを迎えにきたわけじゃなかった。ケティアが生贄に選ばれたことを告げに来たのだ。
何もかもうまくいかなかったことに、ケティアは泣き出した。
それをかき消すようにラーシアが笑い出した。
呆然とする男二人と、ぴたりと泣き止んだケティアが振り返る。
「ハハハ、なかなか面白いじゃないか。ここにいる全員が、誰かを責められる立場じゃないだろう?ケビンはデレクを裏切っていたわけだし、ケティアは煮え切らない男を捕まえるために嘘をついた。デレクと約束をしていないことは確かだし、デレクは一年も経たないうちに私と良い関係を築いていたよ?誰もが少しやましい気持ちを抱えて、誰かとうまくやろうとしていたわけだ。
まぁ、完璧な相手なんてものはいないよ。私だって、デレクと別れてすぐにラルフとやりまくったし」
やはりと、デレクはがっくりと肩を落とす。
「でも、ケティアとケビンだっけ?二人はお似合いだよ。全部が全部許せないわけじゃないだろう?一緒に生きていく覚悟を持ったぐらいだし、これから子供を作ればいい。なんだったら今から奥の部屋で子作りしてきたら?
デレクだって、付き合いたての頃は私を抱いて眠った後に、寝言で私をケティアと呼んでキスしていたぞ。
本命でも浮気でもたいしたことじゃないだろう。
全部終わったことだし、自分だけの愛がほしかった。それだけだ。
そんなことより、この先のことだ。生贄の話をしよう。私は生贄になりたい。竜を間近で見るためにね」
異国からきた観光客のラーシアが、胡坐をかいて座り、膝をぽんぽんと叩いている。
なんとなく三人はラーシアの周りに座り込んだ。
ただの傍観者であるのに、ラーシアはこの中で一番現実的で、この先の未来を切り開くための準備が出来ているように見えた。
食べて寝て、お風呂に入り、さらに食べて寝る。そんな自堕落な生活を続けている。
ケビンは毎日届けられる美味しい食事に、舌鼓を打ちそうになりながら、悲愴な顔を作り続けている。
ケティアは怒っていた。家族や村の人たちの豊かな生活、ケビンへの補償、そんなものに追い詰められ、英雄になりたくないと叫ぶことすら許されない。
「デレク、絶対私を恨んでいるんだわ」
デレクは剣を抱いて扉の前に座っている。
「なんとか言ってよ!私が殺されるのよ!」
無言のデレクから標的をケビンに変え、ケティアはケビンにすがりついた。
数分おきに繰り返されるこのやりとりに、ケビンは幾分げっそりしている。
その時、裏口を叩く音がした。
デレクは立ち上がり、食べ終わった食器をまとめて盆に乗せ、裏口に向かう。
扉を開けると盆を突き出した。
お盆を受け取った女が不思議そうな声を出す。
「ん?なんだ?デレク、これをどこに持っていけばいい?」
それは生贄の世話係を引き受けているいつもの村女の声ではなかった。
驚いたデレクは、急いで室内からこぼれる灯りに浮かび上がる女の顔を確認した。
「ラーシア!」
ユロ産のあたたかそうな外套に身を包み、帽子をかぶったラーシアが立っている。
頬は赤く、目は生き生きと輝いている。
デレクは素早く盆を取り上げ地面に置くと、ラーシアの腕を掴んで室内に引っ張り込む。
「ラーシア、なぜここに来た」
「約束しただろう?ルト村で合流しようって」
声を下げたデレクに合わせ、ラーシアも小声になる。
「ラーシア、あの話は無しだ。君がこの国の犠牲になることはない。ここをすぐに出て行くんだ。故郷に帰り、この国のことは忘れろ」
目をぱちくりし、ラーシアはデレクを見上げる。
デレクは、今度はラーシアを扉の外へ押し出そうとする。
その腕を振り払い、ラーシアは歩き出す。
「ラーシア!」
デレクが伸ばした手はラーシアに届かなかった。
台所を通り過ぎ、奥の部屋に飛び込む。
暖炉前に座っていた男女が、突然飛び込んできたラーシアに驚いて硬直する。
ラーシアは構わず声をかけた。
「やあ、君がケティア?まだ君が生贄?私が身代わりになりたいのだけど?君に代わる気はあるのかな?」
「よせ!ラーシア!」
デレクが追い付き、ラーシアを背後から取り押さえようとするが、ラーシアは背中を向けたままひらりとよける。
意味を理解するより早く、ケティアは下りてきた糸にすがった。
「かわってよ!かわって!なんでもするわ!なんでもあげる!子供がいるのよ!」
ラーシアはケティアの隣に座る男をちらりと見た。
「ずいぶん気が早い言葉だな。まだ出来ていないだろう」
その言葉は、場を凍り付かせた。
熱くなってラーシアを止めようとしていたデレクが、声を低くして問いかける。
「まて、ケティアに子供はいないのか?」
「まだね。それともこれから子作りか?」
屈託なく質問するラーシアに、デレクは額を押さえ、大きく息を吐きだした。
思念の読めるラーシアが断言するのだから、きっとそうなのだ。
子供まで生贄にするのかと思ったが、それだけは免れた。
「い、いるのよ。お腹に……」
ラーシアはやっとその意図に気が付き、うんざりとした顔になった。
「またその言い訳か。イシャリと同じ手を使うわけだ。まぁいい、わかった。ここだけの話にしよう。でも、無事に生贄を代わることが出来たらその嘘はやめた方がいい」
あたたかな暖炉の前に座り、ラーシアは水差しに手を伸ばし、傍にあった空いているグラスに注いだ。
喉を潤して、空になったグラスを元の場所に戻す。
「さあ、さっそく作戦をたてよう。まずは、十年前に生贄が入れ替わった話は外に出したか?」
ユロの町からラルフと姿を消したラーシアは、その話が外に出ているのかどうかさえも知らない。
デレクは渋い顔をした。報告は上層部にあげたが、結局その後どうなるのかという話は下りてきていない。
「その話はよせ。今、上層部が何か考えているはずだ。あるいは、預言者様はこのことをわかっていたのかもしれない」
「そうだろうね。なにせ竜と対話し、竜の指定した生贄の居場所すらわかってしまうのだからね。私のことだって見えているかもしれないね」
虚空に向かってなんとなくラーシアは手を振った。
「こ、子供は……いないのか?」
震える声で割って入ってきたのはケビンだった。
「生贄を逃れるためだろう?」
答えたのはラーシアだった。
「そういう嘘は、気分が悪くなるからやめた方がいい。私もずっと嫌な気分だ。仕方がない時もあるけど、人の心を無理やり捻じ曲げたようでもやもやしている。嘘が良い結果を生めばいいけどね」
「き、君が、子供が出来たというから結婚したのに!」
ケビンは、突然激昂して立ち上がった。ラーシアが一瞬ぽかんとした。
「ああ……そっちのための嘘だったのか……。ちょっとセンサーが間違えていたな。ごめん……」
その嘘は、生贄を逃れるための嘘でもあったが、その前は結婚するために使われた嘘だったのだ。
使いまわしをされていた嘘だとは気づかず、ラーシアは気まずい顔をした。
助けを求めるようにラーシアはデレクに視線を向けたが、ケティアがデレクの婚約者であることも思い出した。
「ん?ということは、デレクは失恋か。ちょっと焦り過ぎたな。状況を最初に聞くべきだった」
ラーシアはそう口にしながらも言い訳をした。
「疲れていて頭が回っていないんだ。昨晩は歩き通しだった。朝方到着して、家畜の中で眠ったのだけど、昼間にちらりとデレクの姿を見つけてね、とりあえず話をするべきだと思って、夜になるのを待っていた。
大勢に取り囲まれてああだこうだと話しをする気力はわかなくてね。
旅慣れたラルフが一緒で助かったけど、さすがにくたくただ。」
「ラルフは?」
緊張の面持ちで、デレクが問いかける。
二人の甘い交わりの声を扉越しに聞いたし、食堂で楽しそうに話をしている姿も見た。旅先でそれ以上の関係になるのではないかと心配で仕方がなかった。
「別れたよ。彼はシーアの母親の国を目指す」
シーアと聞き、デレクは顔をしかめた。
「生贄になった?」
「そう。ああ、デレクには話していなかったけど、シーアの母親と知り合いなんだ」
さらりと発したラーシアの言葉に、デレクは口をあんぐりとさせた。
どういうことかと聞き返そうとしたデレクは、ケティアとケビンに聞かせられない話であることを思い出した。
「ラーシア、生贄を代わることができるかどうか、まだ何もわからない。彼女に希望を抱かせるようなことは言わないでくれ」
あまりにも今更の発言に、何一つ隠す気のないラーシアは肩をすくめる。
十年前の生贄の入れ替わりを知らなくても、ケティアは、ラーシアの言葉だけで既に生贄を代わってもらう気満々だ。
「代わってよ!代わってくれるのでしょう?じゃ、じゃあ今からでもいいじゃない。ベールか、何かフードを被って私の真似をしてくれたらいいわ。
食器を下げにきた人みたいなふりをして私は外に出る。村を出れば私の顔を知る人なんていないし、名前だって変えればいいじゃない」
ケティアがラーシアに掴みかかった。
それをデレクが急いで引き離す。
ラーシアから引き離されたケティアに今度はケビンが掴みかかった。
「俺を騙したのか?なぜだ」
子供が出来たと騙されて結婚したケビンの話はまだ終わっていなかった。
生死がかかっているケティアはそれどころではない。
「なぜですって?そんなこと今はどうでもいいでしょう?私が殺されるのよ?助かるかもしれないのだから協力してよ!」
「どうでもよくない!お前は、俺と俺の父を喜ばせた。子供が出来たと言っただろう!」
「だって、だって、結婚したかったのよ!私と関係を持っていたのは確かじゃない。デレクと付き合っていた時だって、デレクの目を盗んで私を抱いていたくせに!」
また衝撃の告白が飛び出した。
デレクは今更ながら、ケティアに二股されていたことを知ることになった。
さらに友である、ケビンにも裏切られていた。
「浮気をしていたのか?まさか、ケビンが本命か?」
村長の息子であるケビンの方が結婚相手としては有力だ。
それならばなぜ自分と付き合っていたのかと、デレクは今更過ぎる疑問を問いかけた。
命を奪われるというのに、今更の疑問を投げかけてくる二人の男にケティアは苛立った。
その胸の内はたいして複雑でもなんでもなかった。
ケティアは女としての幸せを考えただけだった。
好きだったのはデレクだ。
長身で逞しく、剣の腕も村で一番だった。分厚い胸に抱きしめられ、熱く組み敷かれたら骨まで蕩けそうなほど夢中になった。だけど、結婚は現実だ。
家も受け継いだ財産もないデレクは常にケティアに少しの不安を抱かせた。
そんな不安に付け込んできたのは村長の息子であるケビンだった。
デレクは結婚を匂わせてくるが、ケティアは将来的な不安でデレクの気持ちに気づかないふりをし続けた。しかしこのままでは結婚適齢期を逃してしまう。ケビンは繋ぎとめておきたい。
そんな時、デレクが騎士になるために王都に行く決心をした。
こんな田舎の村の女が、騎士の花嫁になれるなら、それはもう夢物語だ。
デレクならその夢を叶えてくれるかもしれないと少しは思ったが、現実は甘くない。
この辺りで都会に出て成功した男は一人もいない。
それでも、万が一ということもある。騎士の妻であれば自慢できるし、デレクと完全に別れるのはもったいない。それ故、デレクが別れ際に告げた、「待っていなくてもいい」という最後の言葉はケティアにとっても都合が良かった。
待てないと思えばケビンと結婚していいし、もしうまく騎士になれたとデレクから連絡がくれば、デレクと結婚すればいい。
デレクが去って、たった数か月で、ケティアは結婚適齢期を逃すのではないかとやはり心配になった。
そんな時、村長の息子のケビンに縁談の話が持ち上がった。しかも相手はケティアではなかった。
デレクが失敗して騎士になれず、ケビンまで他の女のものになったら、本当に結婚できなくなってしまう。
ケティアは焦り、ケビンにデレクとは別れたと言って積極的に体の関係を持った。
ところが、狭い村のことであり、デレクとケティアが結婚間近だったと全員が知っていた。
村長は、ケティアと息子の結婚話にあまり良い顔をしなかった。
ケビン自身も、デレクがいながら自分と体の関係を続けていたケティアとはなかなか結婚に踏み切れなかった。
そこで、ケティアは子供が出来たとケビンに嘘をついた。孫が出来ると知れば村長は喜び、ケビンも覚悟を決めた。
村長は、多少無理をして家を建て、二人の結婚を祝福したのだ。
子供はすぐに作ればいいし、出来なければ流産したことにしてしまおうとケティアは軽く考えた。
幸せな結婚生活が始まった。
その矢先のことだった。デレクが突然戻ってきたのだ。
しかも、立派な騎士になり、一瞬ケビンとの結婚をはやまったのではないかと頭に過った。
奪って逃げてくれるなら王都で暮らせると少しだけ夢を見た。
しかし現実は残酷だ。
デレクはケティアを迎えにきたわけじゃなかった。ケティアが生贄に選ばれたことを告げに来たのだ。
何もかもうまくいかなかったことに、ケティアは泣き出した。
それをかき消すようにラーシアが笑い出した。
呆然とする男二人と、ぴたりと泣き止んだケティアが振り返る。
「ハハハ、なかなか面白いじゃないか。ここにいる全員が、誰かを責められる立場じゃないだろう?ケビンはデレクを裏切っていたわけだし、ケティアは煮え切らない男を捕まえるために嘘をついた。デレクと約束をしていないことは確かだし、デレクは一年も経たないうちに私と良い関係を築いていたよ?誰もが少しやましい気持ちを抱えて、誰かとうまくやろうとしていたわけだ。
まぁ、完璧な相手なんてものはいないよ。私だって、デレクと別れてすぐにラルフとやりまくったし」
やはりと、デレクはがっくりと肩を落とす。
「でも、ケティアとケビンだっけ?二人はお似合いだよ。全部が全部許せないわけじゃないだろう?一緒に生きていく覚悟を持ったぐらいだし、これから子供を作ればいい。なんだったら今から奥の部屋で子作りしてきたら?
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本命でも浮気でもたいしたことじゃないだろう。
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そんなことより、この先のことだ。生贄の話をしよう。私は生贄になりたい。竜を間近で見るためにね」
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なんとなく三人はラーシアの周りに座り込んだ。
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