竜の国と騎士

丸井竹

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第一章 竜の国

18.友情と愛は両立できるのか

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 ラーシアとラルフはまだ谷底にいた。
焦げた地面を一通り明るい日中に観察し、さらに湖を回り、竜の爪痕に戻ってきた。
途中、立ち入り禁止を知らせる旗や、見張り用の石造りの塔が見えたが、やはり呪いが恐ろしいのか、人が近づいてくる気配はなかった。

「ここは観光地だが、普通は崖の上にある展望台から見る場所だ。上から見つかるかもしれないから岩陰を進もう」

何度か来たことがあるラルフは、慣れた様子でラーシアの手を引いて崖沿いを進んだ。

「山を迂回すれば次の竜の目と呼ばれる遺跡もあるが、五日ほどかかる。ルト村に行くならこのまま山沿いに進み、ジールスの町に続く森を抜ける方が早い。そこからまた三日だ」

「食料ならあるよ。あと、夜は温め合えばしのげるし、幸い寒いから汗もそんなにかかないし、体もかゆくならない。ゆっくり旅をしてもいいけど、ルト村で合流する約束もあるしね。竜の目は諦めて、ここから三日のジールスの町を目指そう」

ラルフはラーシアの手をしっかり握り、歩きながら素朴な疑問を口にした。

「ラーシアは南の島からきたのだろう?寒くはないのか?俺は北の出身だからこの程度はなんともないが、南から来たのでは寒さは体にこたえるだろう」

「もう一年この国に住んでいるしね。それに、ユロの町で買った外套も温かいよ。ラルフに温めてもらえるのも助かっている」

恥じらいもなく笑ってみせるラーシアに、ラルフの方が少し恥ずかしそうに顔を赤くした。
毎夜二人は肌を合わせ、獣のように交わっている。

「ジールスの町についたら、ラルフはどうする?シーアの母親のところに行くなら、正反対に向かっているし、長い旅路になるだろう。もし道があるなら、好きなところで別れて自分の道を行ってくれ」

「君を目的地に送っていくよ。ラーシア、君はまだ竜と対話したいと思っているのか?」

木切れを避けて、岩をよじ登りながらラーシアは答えた。

「魔獣を追い払えるぐらいは出来たのだから、自信はついたね。大きな動物の方が知能も高いと思うし、話が出来るかどうかはともかく、竜の目的ぐらいは感じ取れる気はするな。
一番問題なのは竜じゃなくて、預言者の方だ」

「なぜ?」

岩の上から手を差し出し、ラーシアを引っ張り上げたラルフは、次の岩に飛び乗り、またラーシアに手を差し伸べる。
足場の悪い場所を通り過ぎるまで少し沈黙が続き、ようやく少し歩きやすい場所に出ると、ラーシアが答えた。

「預言者が竜と対話できるなら、生贄をやめたいと伝えることも出来るはずだ。
しかしそれは続いている。さらにね、預言者って名前がないだろう?何年生きているのかな。この思念を読む能力って島でも珍しい力なんだ。つまり、代々受け継げるものじゃない。
百年以上も預言者って生きているのかな?
もしさ、預言者が十年に一度、わざと竜を呼んでいるのだとしたら、私がやろうとしていることは阻止されてしまう可能性がある。
なんらかの目的で竜を呼んでいるのだから、竜を排除したい私は邪魔者だ。
となれば、当然殺しにかかってくるだろうし、私は竜を説得するとかそういう段階に入る前に、国中の騎士に追われて殺されてしまうかもしれない」

ラーシアの前を歩きながら、話に耳を傾けていたラルフは突然足を止めた。
緊張と不安をにじませ振り返る。

「そんなことになったら、まずいじゃないか。人に殺されるかもしれないなら、生贄なんかに立候補するべきじゃない。竜と対話が出来るかどうかなんて関係ない」

「いろんな可能性があるっていうことだよ。まぁ殺されるなら、その預言者とか国の企みではなく、単純に竜に殺されたいね。ここまできたら一目でも見たいよ。
竜の痕跡ばかり見て、竜の伝説を山ほど聞いてさ、誰も本物の竜を見たことがないなんて、あんまりだろう?
ラルフだって十年もじらされている。生贄の山には登れなかったのか?」

「あそこは近づけない。国が騎士団を置いて見張っている。さらに山道にも見張り用の建物が造られ、騎士達に見つからない道はない」

「じゃあやっぱり、生贄の山に登るには、生贄になるしかないのか」

「騎士になるという方法もあるが……身上調査もあるしな……」

ラーシアがラルフを追い抜いた。
急いでまたラルフがラーシアの前に出る。

「まぁ、任せておいてよ。シーアがどこに消えたのか、竜の目的が何なのか、わかったら知らせるよ。失敗したら知らせることは出来ないけど、でもラルフ、私に悔いはなかったと覚えておいてくれ。
死んだあとに、誰かが悲しい思いをするのは嫌なんだ。私を探して十年もさまよう人がいたら嫌だよ」

ラーシアがラルフの手を引き、振り返らせた。
ラルフの目は濡れている。
生贄の山の話をしている間に、シーアのことを思い出したのだ。
その目を見上げ、ラーシアは力強くラルフに語り掛けた。

「だから、シーアのことは私に任せて、南のギニー国にある浜辺の村に行ってくれ。
シタ村という名の漁村だ。私の名前を出したらきっとわかるよ」

「そうだな……」

ラルフは力なく微笑んだ。
二人は手を取り合い、複雑な地形を進み続けた。





 ユロの町を出立し、高原の道を馬で進むのはデレクとヒューだった。
ラーシアは結局宿に戻ってこなかった。捜索は他の騎士団が担当し、デレクとヒューは先触れとしての仕事に専念することになった。

 黙々と馬を走らせ、山間を抜ける段階で、多少血なまぐさい事件が起きた。
山賊が出たのだ。しかしユロの町に向けて多くの騎士団が出動していたため、先触れの二人がそこに差し掛かった時にはすでに事件は片付いていた。

血まみれの死体を積み上げていた第七騎士団の分隊が、先触れの二人に手を振った。
腕を胸にあて、無言の挨拶をかわし、二人はそこを通り抜けた。

 それでもその日のうちに人里に到着するのは無理だった。

「早朝から出ないとだめだな。もう少しで宿場町だったのに」

ヒューは道を外れ、野宿の準備を始めた。
石を積み上げかまどを作る。
高原の夜は寒い。デレクはテントを張り、荷物から毛布を引っ張り出す。

「ラーシア達は馬を持っていかなかった。今頃どこにいるのか……」

「心配ないだろう。ラルフが一緒だ。相当旅慣れているぞ、あの男は。それに、ルト村で合流すると言っていたならそうするさ」

意外にもヒューはラーシアの言葉を疑っていない。
デレクはそれも心配だと口にした。

「国はラーシアをどうするつもりだ?ただの観光客なのに。思念が読めることは黙っておくべきだった。どうしてあんなことを話した」

「俺を責めるのか?ラーシアがいなければこの秘密は暴けなかった。アンリに口を割らせたのはラーシアのあの一言があったからだ」

なぜか二人とも、あの時のラーシアの言葉を鮮明に覚えていた。
初対面のアンリの心情をわかりきっているかのような口調だった。

『アンリさん、ラルフに言いたいことがあったのではないか?
勘違いかな?なんとなくそんな表情に見えたから。十年前のことならもう時効だと思うけど』

皆が一体何を言いだしたのかとぽかんとした途端、膨れ上がった罪悪感で押しつぶされそうだったアンリは、堰を切ったように自身の罪を告白し始めた。

その時のことを思い出しながらデレクが暗く沈んだような声で話し出す。

「時効ではなかったな……憎しみも恨みも残っていた。十年経っても罪は消えない。十年に一度の生贄は良い事だと疑ったこともなかった。
たった一人の犠牲で百人以上も救われる。そのための多少の犠牲は仕方がないと……」

「疑問を抱くな」

デレクの言葉をヒューが遮る。

「俺達は役目を果たすのみだ。情報はもう俺達の手を離れた。命じられたことだけをやっていればいい」

ラーシアの素朴な言動は、伝統を重んじてきたこの国の生真面目な騎士達を動かしたのか。
それともそれすらも預言者の手中にあることなのか。
まだ二人には何も見えてこない。

「もし、ラーシアが生贄になるなら……それはもちろん、対話が目的だろう?騎士が護衛を任されるかもしれない。その時は、俺が隣にいたい……」

デレクの気の早い決意表明をヒューが鼻で笑った。

「下級騎士のお前が竜を相手に何が出来る?それに、彼女はラルフと寝まくっているぞ。とっくに縁は切れているだろう。気味が悪い女だ……いなくなった方がいい」

「よせ!彼女がそんな力を持っているのは、彼女のせいじゃないだろう!
お前が嫌うのは仕方がないが、そうした偏見を周りにばらまくのはよせ。お前との付き合いだって長いだろう。
一緒に食事をしたこともあるし、夜祭に出たこともある。俺の帰りが遅れた時に二人で話しながら待っていたこともあるだろう。彼女はいつも思念を読んでいるわけじゃないと言っていた。
読んでいたとしても、彼女は互いが秘めていることに関して土足で踏み込むような真似もしないし、非難めいた言動をとることもない。
これまでの彼女の姿を見てきてわかるだろう?お前だって彼女のことを一年前から知っている!」

「気に入らない。何もかもわかっていながら、何も知らないような顔をしてそこにいたのかと思うと、ぞっとするよ。そっちの方が性格が悪いだろう」

「じゃあどうすればいい?頭の中が読めると最初に告白されていたら、彼女は」

「人を不快にさせることを自覚し、誰とも親しくならないことだ」

ヒューがするどく遮る。

「お前がもし、そんな能力を持っていたとしても、そんな風に扱われて平気なのか?」

デレクが強く問いかける。
好意を寄せる女性を悪く言われるのはどうしても我慢が出来ない。

「預言者様は王城の一番奥にある預言者の塔にこもられている。滅多に人前に姿を現さないということは、そういうことじゃないのか?思念を読める者の立場をわきまえておられるのさ」

竜と対話が出来るほどの力がある預言者なら、人の思考など簡単に読めてしまう。
その能力を人のために役立てながら、人に恐怖を与えないために自らを塔に閉じ込めている。
そういうことだろうか。

デレクは言葉に詰まった。ラーシアは好奇心旺盛な吟遊詩人で、人々を歌や演奏で楽しませる。
宿屋の主人や店の女の子たちとも親しく話し、どんな欠点のある人間にも真っすぐに向き合う。王城の預言者とは真逆の生き方をしている。

「あの能力は彼女の一部だ。彼女は秘密を抱える人をまるごと受け止め、心地良い距離感で付き合ってくれるだろう?俺の卑劣な態度にも彼女なりに気を使ってくれていた。一旦別れようと提案してくれたのは、俺が任務と彼女への愛で板挟みになって苦しんでいたからだ」

「俺達の意見はどこまでいっても平行線だ」

互いの考え方を否定することは出来ない。
デレクは興奮し立ち上がっていたことにようやく気が付き、火の傍に座り直した。

「お前が……ラーシアを好きでも、俺がお前を嫌うことはない。ずっと仲間でやってきた。それで十分だろう?」

赤い炎を真っすぐに見つめたまま、ヒューが言った。
ヒューはデレクの大事な相棒だ。厳しい訓練も、危険な任務も一緒に乗り越えてきた仲間だ。
デレクの心の熱は収まり、再び静けさが戻る。

「そうだな……。まずは仕事だな……」

二人の男は石のかまどで作ったスープを椀に注ぎ、食べ始めた。
冷えてきた体が温まり、二人の間にあった張り詰めたものまでがとけていく。
湯気を吸い込み、鼻をすすりながら二人は黙って食べ続けた。

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