竜の国と騎士

丸井竹

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第一章 竜の国

17.渦中の女と次の一手

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 赤い光はぽつぽつとどこまでも続き、ついに竜に焼かれたという村の跡地までくると、それは赤い絨毯のように広がった。

「呪いの真ん中にいるみたいだな」

ラーシアは冷静だった。
ラルフは黙り込んでいる。

さすがのラルフも、焼かれた地面の上を直接歩いたことはなかった。
呪いを受けた者はそうとわかるほどの酷い死に方をすると言い伝えられている。
ラーシアはざくざくと音を立て、暗がりを進んでいく。いつの間にかラルフが後ろを歩いていた。

「地面の音も違うね。竜が焼いた土だからかな」

ラーシアは独り言のように話しながら、地面の音を確かめながらさらに進む。
突然、ラルフがラーシアの手首を掴んだ。

「湖がある。この暗がりでは落ちてしまうかもしれない。どこか野宿出来る場所を探そう」

空気もすっかり冷えてきた。
湖からくる冷気なのか、水の粒子が時折氷のように肌にぶつかる。
暗くて見えないが、夜霧が立ち込めているのかもしれない。
厚手の外套の前をしっかりとしめると、二人は手を繋ぎ、下りてきた岩壁を目指した。

そそり立つ壁に到達すると、今度はそこに沿って歩き始める。
竜の呪いを宿す赤い火が見えないところまで来ると、ようやく二人は腰を落とした。

「さすがに疲れたな……」

ラーシアが珍しく弱音を口にする。
灯りを地面に置き、ラルフが火を焚いた。
包みに入れたパンを火の傍で温める。

干し果実を荷物から取り出し、ラーシアがラルフに差し出した。

「食堂でもっと買い込んでくるべきだったな」

二人は食料を分け合って食べながら、頭上を見上げた。
昨夜の星空が嘘のように真っ暗で何も見えない。

「天気が崩れる前にここを出なければ、土砂が崩れるようなことがあったら助からない」

二人は崖の底にいる。ラルフがラーシアを抱き寄せた。

「この国の男は優しいな」

頭上からの落石があればラーシアを庇えるように、ラルフの頭が上にくる。

「相手によるさ。ラーシア……俺は……」

ぴたりとラルフが言葉を止めた。ラーシアも息をひそめる。

闇の中から草が揺れる音がした。

ラルフが素早く焚火の中で燃えている木切れを取り出そうとするが、あまりにも小さかった。
武器になるようなものを探し、ラルフがランタンをそっとかざす。

「うっ」

闇の向こうに燃えるような赤い目が現れた。
低い唸り声が耳に届く。
姿は見えないが、目の位置や声からして巨大で狂暴な獣に違いなかった。

音もなく、ラーシアの前にラルフが出た。

「ラーシア、俺が食べられている間に逃げるんだ」

その声は震えていたが、怯え切ってはいなかった。松明や長剣を探している余裕もなく、ラルフは腰の短剣を引き抜いた。

唸り声が近づき、赤い目が少し大きくなった。

「なぜ赤い目をしている?」

ラーシアがラルフの背後から囁いた。

「魔力を吸収して、獣は魔獣に変化し狂暴になる。赤く光る眼は魔獣の証だ。恐らく目と唸り声からして魔獣化したアイデンベアだ」

囁き返したラルフの肩にラーシアが手を乗せた。

「思念であの魔獣に語り掛けてみる。うまくいったら竜との対話も夢じゃない」

まさかとラルフは驚いたが、黙って動かなかった。
魔獣は唸りながらゆっくり近づいてくる。
二人は焚火に照らし出され、その動きは完璧に見張られている。
走って逃げようものなら、その方向もばれてしまいすぐに追いつかれてしまう。

どちらにしろ、先に動いた方が食べられる。

獣の唸り声が耳元の空気を震わせるほど近づき、ついに炎の明かりの中にその姿が現れた。

それは見上げるばかりの巨大な獣だった。
二つの赤い目に、大きく裂けた口、鋭い角が頭上から何本も生えている。

獣の口元から涎が溢れ、地面にぼたりぼたりと音を立てて落ちた。
頭を振り上げた獣の涎が飛び、二人の足元で燃える焚火の炎を消し去った。

完全な闇に、赤い目だけが光って見えている。
獣の熱い息が二人の肌に触れるところまで迫る。
その爪はすぐにでも二人を引き裂ける場所にある。

二人は固く手を繋いだまま動かない。

地面を歩き回る音と共に、赤い目は二人の周りを移動し、それから唸り声ばかりが続いた。
永遠とも思える張り詰めた時間が流れた。

いつの間にか獣の唸り声は遠ざかり、うろうろとしていた赤い目が不意に見えなくなった。
恐らくお尻を向けたのだ。

しかしまだ狂暴な獣の唸り声は聞こえている。
闇の中でラルフが唾を飲む音がした。
ラーシアはまだ無言だ。
赤い目が時々ちらりとこちらを振り返るように闇に浮かび上がる。

しかしそれも少しずつ小さくなり、やがて唸り声も聞こえなくなった。

静寂が戻ってくると、ラルフは後ろに庇っていたラーシアを振り向き抱きしめた。

膝から力が抜けたようにラーシアの体が地面に沈み込む。それを支えながら膝をついたラルフは、ラーシアをしっかり胸に抱き寄せた。

「どうなった?」

震える声で、ラルフがラーシアに問いかけた。

「追い払えた気がする……」

ラーシアの声も震えていた。
緊張の糸が切れたように、ラーシアは完全に全身の力を抜いた。
ラルフはその体をしっかり支えながらも、やはり立ち上がれず、二人は抱き合ったまま命があることを確かめあった。




――


 ユロの町に集結した騎士団は、先触れの二人に話しを聞くため、ユロの町の騎士団要塞に集まっていた。
ユロの町に近い第十、第七、第五騎士団の幹部たちが集まり、新人の先触れを取り囲んだ。

「王都にすぐに確認の手紙を出した。返事はまだだが、詳しい話を聞かせてもらおう」

正面に立っていたのは第七騎士団のエリックだ。
十年前に先触れとして役目を果たした騎士だった。
険しい表情には怒りがある。

十年前の生贄が入れ替わっていたという話が本当であれば、エリックは任務を失敗していたことになる。

デレクは事情を話すことが出来ず俯いた。
口を開けば、ラーシアが生贄をかわると発言したことも、話さなければならなくなるかもしれない。
思念が読めるということは、竜と対話が可能だということになるのだ。

代わりにヒューが淡々と話し出す。
ガレンの町に十年前の生贄を逃れた女が隠れていたこと。
それを庇った男の告白、呪いを受けることなく十年が過ぎたこと。
竜を欺けたのだとすれば、これは預言者の計画の一部なのではないかという疑問。
その考えに至った理由として、ヒューはラーシアという名の異国の観光客が、思念を読む能力で生贄の入れ替わりがあったことを暴き出したことを語った。

知り得た情報を余すことなく伝え、上官に判断を仰ぎたいとヒューは淡々と告げた。

「当然ながらこの話を漏らしたことはありません。
アンリの話が本当ならばナタ村でも村長の家にいたイシャリ、アンリ、シーア以外でその入れ替わりに関与した者はいないはずです。
ただ、イシャリがアンリのもとに来るまでに数年あり、やはり気づいている者から逃げてきた可能性もあります」

「その異国の女が、思念を読むというのは本当なのか?預言者様のような能力を?」

騎士達の質問に、デレクが耐えきれず口を出した。

「彼女は異国の観光客です。それ故、私たちが当たり前に思っていたことに疑問を抱くのです。ただ疑問に思っただけだと思います」

ラーシアの能力に注目されては、本当に生贄にされてしまうかもしれない。
何の関係もないただの観光客だとデレクは主張した。

「預言者様は、生贄が入れ替わることをご存じだったのでは?」

ヒューが踏み込んだ。
その時、扉を叩く音がした。
一同が口を閉ざし、近くの騎士が扉を開ける。

入ってきた騎士が王城から転送されてきた書状を差し出した。
エリックが受け取り、素早く文面に目を走らせる。
全員が息を飲んで見守る中、エリックは書面から顔をあげた。

「王都からの返事だ。デレク、ヒュー、お前達は決まりに従い先触れとして与えられた任務を続行だ。
その生贄が入れ替わったという話は外に出すな。情報は必要な時に必要な場所で使われる。それから、この話は所属の第四騎士団にも既に伝達済みだ。
ラーシアという異国の女は見つけ次第、騎士団が身柄を確保する」

「な、なぜです?まさか生贄に?!」

立ち上がろうとするデレクをヒューが片腕を伸ばして押さえ込んだ。

「デレク!俺達は国の手足となって動くのみだ。知り得た情報も全て国の物だ。彼女のことを決めるのもお前じゃない」

ヒューの言葉は第七騎士団のエリックを満足させた。

「その通りだ。優秀な新人ではないか。我が隊にこの情報を知らせてきたことは高く評価している。しかしこの情報は慎重に扱うべきものだ」

「国は、預言者様は、やはりこのことをご存じだったのですか?」

ヒューの質問に、周囲の騎士達は表情こそ変えなかったが、わずかな緊張を走らせた。

「答えるわけにはいかない」

エリックの言葉自体がその答えだった。
「やはり」と、ヒューとデレクは肩の力を抜いた。

生贄の入れ替わりは意図したものであり、十年平和が続き、竜を欺けた。
それがどういう意味を持つのかわからないが、しかし決まりにないことが一つ起きた。
その次の一手もまた、決まりにないことに違いない。
新しい時代が動き出すのだ。

「まずは与えられた任務を全うしろ。それ以外のことは第四騎士団の本体がいろいろと動いてくれるはずだ」

「はっ」

騎士団の上に立つエリックの言葉は、新人であるデレクとヒューにとって最も重い。
二人は背筋を伸ばし、忠誠の構えをとった。


 
 バレア国の王都イーランの王城にある預言者の塔は、主城から一番遠い場所にある。
滅多に足を運ばないその塔に自らやってきた王は、黒く塗られた重い扉を叩いた。
見上げるばかりの分厚い扉がゆっくりと開く。しかし、そこに扉を開けた人物の姿はなかった。

誰も手を触れていないのに、その重い鉄の扉は勝手に動いたのだ。
そうした仕様であったが、王はやはりぞっとしたように顔を強張らせた。

「預言者殿、各騎士団へ連絡は出したが、まだ例の女は見つからない」

真っ黒な部屋の奥からしわがれた声が響く。

「問題はありません王よ。必ず見つかります。我が国の未来を変える女です」

「し、しかし、そんな予言はこれまで一度も聞いたことがない」

王は部屋の入り口に留まり、不気味な室内に向かって声をあげる。

「全てを口に出すことが正解であるとは限らないのです。口に出した途端に運命が変わってしまうこともある。ただ、私の予知より少し早かったようです。いや遅すぎたか、とにかく細かい時期までは読み切れませんでした。しかしまだ星は我らの手の内にある。必ずや、その女はまた現れます。王よ、ご安心ください。
全ては私の計画した通りに進んでいます」

どこまでも暗い部屋から響くその声に、王は少しだけ安堵の表情を浮かべ、通路を戻り始める。
その後ろで、やはり誰の手も借りずに黒い扉はゆっくりと閉まった。

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