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第一章 竜の国
15.秘密を知った騎士達
しおりを挟む天井の木目を見上げ、半ば放心状態だったラルフは、ようやく腕に抱いているラーシアに目を向けた。
ラーシアは扉の向こうに視線を向けている。
汗に濡れ、艶っぽさの漂う横顔は、どこか憂いを帯び、その目は暗く沈んで見える。
ラルフはラーシアの頬にかかっている一筋の髪を指で除け、その頬に唇を押し当てた。
「デレクのことを気にしているのか?」
視線を扉から外し、ラーシアはかすかに微笑みながら首を横に振った。
「いいや。彼とは別れた。その方がいいと思ってね。所詮、私は観光客でよそ者だからね。いつかはここを去る」
「この国を出るのか……いいな」
シーアの消えた国に留まる理由をラルフは見いだせない。
「ラルフは、まだ竜を探すのか?」
「十年は長いな……。骨すら残っているかどうかもわからない……」
ラルフは片手を突き上げ、歳を重ねた自分の手の甲を眺めた。
ラーシアも同じように手を伸ばし、ラルフの手に重ねた。
生贄になった時のシーアの手も今のラーシアの手のようだったに違いない。
「良かったらさ、その、シーアの母親の国に行ってみないか?シーアの母親は浜辺の村で一人で暮らしているよ。穏やかで、温かな人だよ。少し歳をとってきて、力仕事は大変そうだった。本当なら、故郷には娘と帰りたかったはずだ。それに、婿が来てくれたら喜ぶよ」
慰めるようにラーシアはラルフに語り掛けた。
「俺を受け入れてくれるわけがない。俺はあの日、皆と一緒に笑って見送った。英雄として彼女を見送ったんだ。あんなこと納得できないと思いながら、俺は祭りに加わった。
彼女の母親はシーアより先に騎士達に連れられて村を出た。見ていられなかったに違いない」
「ラルフ、竜のことは私に任せてみないか?私が探すよ。引き継ぐからさ、その、竜の石、私に譲ってくれないか?」
その言葉に驚いて、ラルフは上半身を起こしながらラーシアを見おろした。
「あの黒い石か?」
「そう。竜の痕跡に近づくと地面が少し赤く光る、竜の石だよ。五か所あると言っただろう?丘と、滝、それから恐らく生贄の山の近く、それから竜の爪、あとの一か所は?」
ごろりと体を回転させ、ラルフはラーシアに覆いかぶさった。
顔を近づけ、その目を覗き込む。
「なぜだ?ただの観光客だろう?なぜそこまでする?」
「それはこっちのセリフだ。まさか、十年もあの母親の娘を探している男がいるなんて思わなかった。母親でさえ諦めているのに、君は探し続けていた。ラルフ、私には力がある。たいした力じゃないけど、竜と対話が出来るかもしれない。
だから竜のことを調べるよ。それで、もし可能なら、今年で生贄制度をやめさせたい」
「君はただの観光客だろう?」
「だからさ。何者でもない私なら、消えても痛くもかゆくもない。誰も悲しまないし、こんな風に探して回る男もいないだろう?」
「デレクは?あの騎士はまだ君に好意を持っている」
ラーシアは苦笑した。
「こんな風に他の人と寝ている私のことなんてすぐに忘れる。それに、彼には故郷の村に女がいるようだし、その女とうまくいかなかったとしても、私じゃなくてこの国の女の方が良い。そうだな。私の企みがうまくいかなかったら、ラルフ、私のことは絶対に探すなって、デレクに伝えてくれよ」
まるでもうこの世から消えてしまうのがわかっているかのような口ぶりだった。
デレクはラーシアの頬を包み、口づけをした。
「だめだ。ラーシア、君は消えてはいけない」
「ラルフ、もしさ、生贄が避けられない運命だったとしたら、十年前、君は彼女とどうしたかった?」
指一本の距離に唇を近づけ、二人は見つめ合う。
「そうだな……死の瞬間まで、彼女と抱き合っていたかった」
シーアをさらって逃げようとすれば殺されただろう。
それでも、笑って祭りに参加するよりはましだ。シーアを抱いてたった一人でも、生贄は反対だと叫べばよかった。
もしどうしても死ななければならないのだとしたら、せめて、ぎりぎりまで抱き合っていたかった。
その後悔を十年も続けている。
ラルフの言葉にラーシアは微笑んだ。
「そうだろう?十年は余計だった。だからさ、生きたいように生きるのも大事だと思わないか?
私は軽い気持ちで観光にきて、この国の姿を知った。全ては私の選択だ。
だから、ただの思い付きだけど、心のままに生き抜きたい。
それがあの生贄の山だ。生贄になる者しか登れないその頂で竜が見てみたい」
「壮大な夢だな……」
再びラルフは寝台の上に体を落とし、ラーシアの体を抱き寄せた。
しばらくの間、二人はだまって天井を見上げていた。
窓から差し込む光は夕焼け色に染まり、あっという間に暗くなった。
互いの顔も見えず、天井は闇に沈む。
「食事にいく?」
ラーシアの明るい声につられるように、ラルフも軽い口調で「そうだな」と答えた。
ユロの町の騎士団拠点に王都からの配布物を届け、ついでに第七騎士団に手紙を転送すると、デレクとヒューは、宿に戻ってきた。
一階の食堂に足を踏み入れたデレクがぴたりと動きを止めた。
食堂の一角に、楽しそうに食事をするラーシアとラルフの姿があった。
デレクの後ろから、その様子を覗き込んだヒューが、不機嫌な顔をしているデレクの肩を叩いた。
「他の店で食べてこよう。恋人たちの邪魔になる」
ヒューはもともとラーシアに近づきたくないのだ。
二人は付き合いたての恋人たちを残し、店を出ると、他の食堂を探して通りに出た。
ユロの町は高原の町でありながら、高い山々に囲まれた場所であり、その立地自体を観光にしている。
霧が立ちのぼる日、少し高い場所から町を見おろすと、町は雲の中に浮いてみえる。
そして夜になれば、黒々とした山に囲まれ、町の灯はまるで地上に落ちた星々のように見える。
それは竜が山から町を見下ろすような、そんな光景であり、そうした斜面には多くの観光客用の食堂が並んでいた。
その一つに足を踏み入れたデレクとヒューは、二階の窓辺の席で、明日の予定を話し始めた。
「本体がルト村に到着するのはまだ先だ。十分時間はある。問題はラーシアだ。彼女を連れていくべきかどうか。第七騎士団の返事を待ってからここを出立するか?」
「ラーシアを連れていけば、本当に生贄にされてしまうかもしれない」
ソースのかかった麺をフォークで巻きながら、デレクは表情を曇らせた。
「彼女も生贄になることを希望しているし、竜を説得出来れば、命をとられるようなこともないかもしれない。
彼女が国の上層部で活躍してくれたら彼女を見つけた俺達の手柄にもなる」
ヒューの目的はあくまでも騎士としての出世だ。
「手柄か……喉から手が出るほど欲しかったが、今はよくわからないな……。俺達は国を守るためにいるのに、たった一つの命も守れないと言われてしまう」
「相手は竜だぞ?」
ヒューは大きく切り取った血の滴る肉を頬張り、半分に割って焼いたカブにフォークを突き刺した。
「まぁ俺達は情報を上にあげただけだ。入れ替わりの話も嘘だと決めつけられ、上層部が無視することだってあり得る」
デレクの皿にも豪勢なぶつ切りの肉が乗っているが、生贄のことを考えると、どうにも食欲がわかない。
ロマンチックな地上の星空を窓から眺め、デレクはもう何度目かもわからない憂鬱な溜息をついた。
――
ユロの町から三日離れたジールスの町に最も近い第七騎士団の要塞は、険しい山肌を利用して建てられていた。
強い風の中、胸壁を走ってきた副官から手紙を受け取ったオーガン隊長は火の下でそれに目を通した途端、表情を一変させた。
それは今年の先触れである第四騎士団所属、下級騎士のデレクとヒューからの手紙だった。
「受け取ったものは?」
「中身を見た者は自ら拘束して欲しいと名乗り出ました。北の牢にいれ、見張りを立てています。誰とも接触していません」
「ガレンの町へ第十騎士団を向かわせろ。事情を知っている者を全員拘束する」
走り出す副官をオーガンが呼び止めた。
「待て!情報が外に漏れないように必ず用心させろ。知っている可能性のある者は一人残らず拘束だ。俺はすぐに王城と通信に入る」
副官に続きオーガンも走り出す。
見張りの兵士たちはあえて顔を見合わせることもせず、何も聞いていない態度を貫いた。
要塞の胸壁からは宝石箱をひっくり返したような町の灯が眼下に見えている。
灯りの下には人がいる。秘密を抱えた者もそうでない者も混ざり合い、時間が経てばその判別はますます難しくなる。
強い風がうなりをあげて岩山を駆け抜けた。
見張りの騎士達は、少し寒そうに体を震わせ、松明の炎に少しだけ近づいた。
ガレンの町、植物学者のフェデルの塔では「パパ」「ママ」が言えるようになった小さな男の子が困った事件を立て続けに起こしていた。
積み重ねられた本によじ登り、つみきがわりにして遊び、大事な書類を引き裂き、涎で汚した。さらに今は寝台の下に隠れて母親を困らせている。
その間、子供が触れては危険な物を三階に移動させていたフェデルとアンリは、窓の外に視線を向け、同時に息を飲んで固まった。
真っ暗な森の中をたくさんの火がこちらに近づいてきている。
アンリがはっとして反対側の窓を振り返る。
町の門が見える窓からは、明かりを掲げた大勢の騎士達の姿が見えた。
「先生……」
震えるアンリに、フェデルがなだめるように声をかける。
「預言者様は全てご存じなのだ。全てを告白するしかない」
一階で女の悲鳴があがった。
アンリが階段を駆け下りる。
塔の玄関扉がこじ開けられ、騎士達が雪崩れ込んできていた。
イシャリが寝台の下に入り込んだ息子に向かって手を伸ばしている。
「は、はやくこっちに!」
イシャリの体が騎士の一人に担ぎ上げられた。
「ま、待って!子供があの下に!」
足をばたつかせ、寝台の方に手を伸ばすイシャリを騎士が扉の外に運び出そうとする。
「待ってくれ!待ってくれ!俺の妻だ!」
アンリが叫ぶと、すぐに別の騎士が飛んでくる。
「隠れたり逃げたりしない。だから手荒なことはやめてくれ!」
騎士が無言でアンリの腕をつかみ上げ、一階に引きずり下ろす。
「待ってもらおう」
階上からフェデルが年寄りとは思えないような朗々とした声をあげた。
「ここは私の研究所。王より賜った私の城だ。ここで働く者を勝手に連れ出されては困る」
騎士達は目配せし合うと、イシャリを床に下ろした。
イシャリは走って寝台に向かう。そのあとをアンリが追いかけた。
「フェデル殿、ならばここを一歩も出ないようにお願いします。通信可能な魔道具は全て回収します」
騎士達が室内を点検し、外部と連絡が取れる魔道具を運び出す。
しばらくして、第十騎士団の指揮官、タイラーが現れた。
国章印の入った書面を掲げる。
「王城から今しがた届きました。フェデル様、イシャリ、アンリ、そして秘密を知る全ての者を拘束します」
やっと寝台の下から出てきた男の子が、物々しい騎士達の姿に驚き泣き出した。
イシャリが素早く抱きしめ、二人をアンリが抱きしめる。
その前に、フェデルが静かに立った。
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