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第一章 竜の国
11.復讐を果たした男と二股男の告白
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「それは聞いていない話だ。なぜ君が生贄に?君は観光客で、この国の犠牲になる必要なんてないだろう」
先ほどまでヒューを床に押さえつけていたデレクが、今度はラーシアの方を揺さぶっている。
「ただの観光客だからだよ。この国の人は死ななくて済む。
この国は十年に一度の犠牲も出さなくていい。そんなこと今までなかっただろう?
他国の人間が一人死んだって、この国の人間は誰も気にしないし、私に家族はいないから悲しむ人間もいない。
もちろん、私だって、今年の生贄の替わりに喜んで死にたいわけじゃない。
竜と対話をしてみたいんだ。預言者が竜と対話をして生贄を決めているっていうならさ、その事情を竜に聞いてみることも出来るだろう?ただ私は力がそれほど強いわけじゃないから、距離が近くないと思念を読み取ることはできない。
だから、生贄になれば竜に近づくことが出来る」
「駄目だ!話が通じない相手かもしれないだろう?君が犠牲になる必要はこれっぽっちもない」
ヒューは床から起き上がり、暗い目をして、ラーシアに言われた言葉をじっと考え込んでいる。デレクはラーシアの両肩を掴み、必死の目で訴えた。
「身代わりにするなら罪人でいいだろう。今日だって悪党を捕まえた。処刑されるだれかを捧げたらいい」
「罪人を英雄にするのか?なんというか、この国はどんどん歪んでいきそうだな……。
誤解しないで欲しい。私はこの国が好きだ。一年も住んでいるしね。
ただ、この伝説はもう生贄がいなくても続いていくものだろう?竜の年だって、昔はこの日に生贄を捧げていた風習があったとすればいい話で、竜の伝説だけで十分観光客は来るし、竜の地名のついた観光地や竜の伝承も多い。作り話であろうとなんであろうと竜といえばこの国だ。だから、もう実際の生贄はいらないと思う。
生贄の日は記念日にして、生贄の儀式を再現した祭りでもやればいい。
とにかく、竜に選ばれていた生贄が、入れ替わっていたとなれば、その死は公平ではないし、やはり健康な若い娘が殺されるとなれば、恋人や家族にとっては大きな痛みになる。
恨みや憎しみを生めば、美しい英雄の話もどんどん汚れて皆が顔を背けるような話に替わるだろう。
もう、この辺りで竜にはお帰り頂いていいのではないだろうか?」
バレア国の二人の騎士はそれこそ目が落ちるほど驚き、顎が外れるのではないかと心配になるほど口を大きく開けた。
百年以上も続いてきた竜の年の生贄をやめるなど、考えたこともなかった。
この国の決まりであり、法律のようなものだ。
伝統行事というだけでなく、十年に一度の生贄の儀式はこの国の竜の伝説を象徴するものだ。
伝説に現実味が出るし、やはり生贄になる人を実際に目にすればその痛みを負う国なのだという意識を国民に抱かせる。それは国を一つにまとめるのにも役に立つ共通の意識だ。
「十年に一度に一人っていうのはさ、すごく微妙な数字だよね。十年に一度ならまぁいいかなと思えてしまう。しかも生贄もたった一人だ。ラルフが言っていたけどさ、十年に一度しか物を食べない生きものなんていないよね。
十年に一度、たった一人の生贄でこの国は竜の伝説を維持して大儲けしているのだとしたらさ、なんとなく、考えてしまわないか?
もしかして、誰かが意図的に十年に一度、竜を呼んでいるんじゃないかって」
さらに驚いて二人はラーシアをまじまじと見つめた。
「預言者様は竜と対話が出来るのだろう?しかもこんなに広い国でたった一人の生贄を指名出来る。生贄が入れ替わったことに本当に気づいていなかったのかな?
イシャリが生きていることも、もしかしたら既に知っているかもしれない。
時期を待っているのかも。竜を撃退した国として生まれ変わるために」
「竜を撃退?!」
異口同音にデレクとヒューが叫んだ。
「騎士達は魔獣退治もしているじゃないか。なぜ竜は倒さない?」
デレクとヒューは顔を見合わせ、しばらくの間黙っていた。
最初にデレクが口を開いた。
「一度に数百人焼き殺す規模の竜だ。王国の騎士達全員でかかっても倒せないかもしれない」
ラーシアは頷いた。
「なるほど。騎士が百人死ぬより、たった一人の罪のない民が死んだ方がましなわけだ。国の被害はたったの一人で済むからな。じゃあ私がこの国の騎士達が絶対に守ることのできない十年に一度のたった一つの命を救おうじゃないか。どうだ?夢があるだろう?これこそ英雄だ」
唖然とした二人は顔を見合わせ、今度こそ次の句が出て来なくなった。
あまりにも突飛な発想に、二人は一瞬現実を忘れ、本当にそんな夢のようなことが起きるのではないかとさえ思った。どんな屈強な騎士が何百人集まっても救えなかった、たった一人の命。
百年経ってもこの国はその一人を救えずに来たのだ。そんな風に考えた者がかつて一人でもこの国にいただろうか。
「それは……新しい考え方だ……」
やっとデレクが言葉を発した時、はっとしたようにラーシアが部屋の扉を見た。
玄関の方から物音がする。
ヒューが剣を握りしめて無言で扉に向かう。
デレクが急いで前に出て、ヒューの肩を掴んだ。
ここは町の外れにあるアンリの小屋で、生贄になるはずだったイシャリを暗殺に来たヒューは、ラーシアとデレクにその企みを阻止されたばかりだ。
つまり、この小屋に戻ってくるのは本来の住人だ。
「アンリには今夜、小屋に戻るなとだけ伝えてある」
デレクが小声でヒューに伝える。ラーシアは不愉快な顔をして、寝台に座り込んだ。
扉が閉まる音と共に足音が聞こえてくる。
「ラーシア、誰が入ってきた?思念が読めるのだからわかるだろう?」
小声でヒューがラーシアに問いかける。
ラーシアが窓辺のランプを消した。途端に室内は暗くなり、窓明かりだけがほんのりと窓辺の床を照らしている。
「読めるけど、読まないことだってある。王都の人混みで片っ端から私が人の思念を読んでいたと思うか?大抵は誰の思念も感じ取らないように気を付けている」
ラーシアが動かないことに、デレクは嫌な予感がした。
「ヒュー、剣をしまえ。この計画は失敗だ」
ヒューは剣を音もなく鞘に戻し、騎士達は扉の内側でじっと息をひそめる。
三人のいる部屋に足音が近づいてきた。
寝台のランプも消え、デレクとヒューは互いの顔も見えない。
何らかの異変を感じ取っているらしいラーシアが息をひそめているため、飛び出していくのもなんとなく出来ず、二人は気配を消す。
廊下を進んできた足音が止まり、向かいの部屋の扉が開く音がした。
かすかな女の悲鳴が聞こえる。
――あっ……いやっ……んっ……
夫婦が戻ってきて夜の営みを始めたのかと思ったが、様子がおかしい。
乱暴な男の声が聞こえてきた。
――教えてみろ。シーアがどんな風にお前の亭主に抱かれたのか、お前はそれを見ていたのだろう!……
ラルフの声だとわかり、二人の騎士は青ざめる。
ラーシアは窓の方へ顔を背け、かかわるのはごめんだと態度で示す。
――ラルフ……ごめんなさい……あっ……うう……
――所詮は使用人だから、生贄にしてもかまわないと思ったのだろう。お前の命よりシーアの命の方が軽いとそういうことなのか!……
――ち、違う……本当に……友達のように……うう……いいえ、でも死にたくなかった……
服が破られ、寝台に誰かが叩きつけられる音、それから床を押すような軋む音が続く。
シーアを奪われたラルフの復讐が行われているのだ。
アンリはラルフの恋人シーアを奪った。だから、今度はアンリの妻をラルフが奪っている。
鍵を持って戻ってきたということは、恐らく夫のアンリが同意しているのだ。
アンリは幼い息子と共に町に残り、罪を償うために妻を差し出した。
あるいは、ラルフが要求したのか、どちらかわからないが、イシャリは泣いて謝ってはいるが、助けてくれと叫びだしたりはしなかった。
「盗賊騒ぎがあって危険だから小屋に戻るなという意味だと思ったんだろうな。盗賊は捕まったし、私たちは塔に泊っていると思っている。そしてメーヤ夫妻もいない。今ならここは、こうした復讐をするにはぴったりの静かな場所だ」
ラーシアは嫌そうに囁き、窓の外を指さして、外に出ようと提案した。
幸い一階の寝室だ。簡単に窓から外に出られる。
女の苦痛の声と、ラルフの怒鳴り声、そんなものを後ろに聞きながら、窓をこじあけ、三人は外に出た。
「はぁ……」
最後に出たデレクは窓を閉め、本当にここを離れていいのだろうかと迷うように、窓越しに部屋の奥に視線を向ける。そんなデレクの背中にラーシアが声をかけた。
「デレク、残念ながらイシャリは同意している。それこそ面倒事に首を突っ込むようなものだ」
それを聞くと、デレクはラーシアを振り返り、その腰を抱いて森に向かって歩き出す。
少し先でヒューが待っていた。
三人はなんとなく小屋を離れ、森の道に入るとユロの町に繋がる分岐路で足を止めた。
少し森が切れている場所で、月明かりが眩しいほど地面を照らしている。
デレクはラーシアを抱き寄せ、一本の木の根元に座り込んだ。
ラーシアを膝の間に挟み、まるで子供を抱える獣のように夜の闇に眼を凝らす。
ヒューは少し離れた木の根元に背中を押し当て同じように座り込んだ。
「ラーシア……君に話さないといけないことがある……」
風のざわめきの中、小さな生き物たちの息遣いが森を駆け抜ける。
その中で、デレクの声が静かに響いた。
「その……生贄に選ばれたケティアという女性のことだ。その、知っていたのか?だから、ラルフと付き合うようなふりをしたのか?」
「そんなふりはしてないけど……。それに思念が読めるといっても、何もかも読んでいるわけじゃないって言っただろう?人の頭に土足で踏み込むようなまねはしないよ。世の中はさ、知らない方がいいことも多い。
ただ、今回の話は、珍しくそうはいかないと思っただけだ」
生贄の話なのか、ラルフの復讐のことなのか、それともデレクが隠していた元婚約者の話なのか、ラーシアが何について語っているのかデレクにはよくわからなかった。
ヒューは二人の会話が聞こえる位置に座り、息をひそめている。
デレクは胸につかえていたものを洗いざらい、ラーシアに告白する覚悟を決めた。
「村をでる前、ケティアと付き合っていた。だけど、仕事もなく家族もいなかった俺は、彼女に何も約束が出来なかった。ただ、待っていなくていいと言った。彼女が待っているかどうかわからないが……今は君を一番愛している」
「なんというか複雑だな……。彼女が待っているかもしれないと言いたいのだろう?生贄になるかもしれない彼女に、実は都会で女が出来たと告白するのはしんどいな」
「……君に甘えることになる……」
「私を繋ぎとめたいけど、ケティアのことも放ってはおけないということ?」
「すまない……まさか、俺とケティアのことを知って、生贄になろうと言ったのではないな?」
「デレクとケティアを幸せにしようとして私がわざと生贄になろうとしているって?それは違うよ。安心して。
ただの観光客としての素朴な疑問と提案だよ。竜の国に観光に来たのだから、やっぱり最後は竜に会いたいじゃないか。
これまでに竜を見た人ってどれぐらいいるの?」
暗い森に二人の会話ばかりが聞こえている。
辺りの気配に気を配りながら、デレクが答える。
「いない」
「え?!」
ラーシアの声が一段高くなる。
「いないの?十年に一度、生贄をさらいにくるのだろう?翼とか、炎とか、見たものはいないのか?」
「それは……禁じられているし、竜が現れると必ず嵐になる。竜にまつわる観光地や伝承はあるが、あまり深くかかわることは禁じられているのは知っているか?
竜に関わると呪いが降りかかると言われている」
「竜花の丘でラルフに聞いたな。竜にまつわることを研究している者達は教会で定期的に清めてもらい、加護をもらうとか」
「そうだ。竜を見ることも呪いを受けることになる。それ故、生贄を山頂に置いてしばりつけると、騎士達は少しばかり下りて待機所になっている岩屋に入る。
俺も経験はないが、役目については学んでいる。呪いにかからないために子供に教える絵本もある」
「へぇ……それは……興味深い話だな……」
黙り込んだラーシアは、デレクの体温に包まれうつらうつらと首を揺らし始めた。
その頭をデレクは自分の腕に乗せてやり、マントを広げてラーシアの体を包み込んだ。
「見張っているから休んでいいぞ」
答えはなかった。ただ静かな寝息だけが夜闇の中で聞こえていた。
先ほどまでヒューを床に押さえつけていたデレクが、今度はラーシアの方を揺さぶっている。
「ただの観光客だからだよ。この国の人は死ななくて済む。
この国は十年に一度の犠牲も出さなくていい。そんなこと今までなかっただろう?
他国の人間が一人死んだって、この国の人間は誰も気にしないし、私に家族はいないから悲しむ人間もいない。
もちろん、私だって、今年の生贄の替わりに喜んで死にたいわけじゃない。
竜と対話をしてみたいんだ。預言者が竜と対話をして生贄を決めているっていうならさ、その事情を竜に聞いてみることも出来るだろう?ただ私は力がそれほど強いわけじゃないから、距離が近くないと思念を読み取ることはできない。
だから、生贄になれば竜に近づくことが出来る」
「駄目だ!話が通じない相手かもしれないだろう?君が犠牲になる必要はこれっぽっちもない」
ヒューは床から起き上がり、暗い目をして、ラーシアに言われた言葉をじっと考え込んでいる。デレクはラーシアの両肩を掴み、必死の目で訴えた。
「身代わりにするなら罪人でいいだろう。今日だって悪党を捕まえた。処刑されるだれかを捧げたらいい」
「罪人を英雄にするのか?なんというか、この国はどんどん歪んでいきそうだな……。
誤解しないで欲しい。私はこの国が好きだ。一年も住んでいるしね。
ただ、この伝説はもう生贄がいなくても続いていくものだろう?竜の年だって、昔はこの日に生贄を捧げていた風習があったとすればいい話で、竜の伝説だけで十分観光客は来るし、竜の地名のついた観光地や竜の伝承も多い。作り話であろうとなんであろうと竜といえばこの国だ。だから、もう実際の生贄はいらないと思う。
生贄の日は記念日にして、生贄の儀式を再現した祭りでもやればいい。
とにかく、竜に選ばれていた生贄が、入れ替わっていたとなれば、その死は公平ではないし、やはり健康な若い娘が殺されるとなれば、恋人や家族にとっては大きな痛みになる。
恨みや憎しみを生めば、美しい英雄の話もどんどん汚れて皆が顔を背けるような話に替わるだろう。
もう、この辺りで竜にはお帰り頂いていいのではないだろうか?」
バレア国の二人の騎士はそれこそ目が落ちるほど驚き、顎が外れるのではないかと心配になるほど口を大きく開けた。
百年以上も続いてきた竜の年の生贄をやめるなど、考えたこともなかった。
この国の決まりであり、法律のようなものだ。
伝統行事というだけでなく、十年に一度の生贄の儀式はこの国の竜の伝説を象徴するものだ。
伝説に現実味が出るし、やはり生贄になる人を実際に目にすればその痛みを負う国なのだという意識を国民に抱かせる。それは国を一つにまとめるのにも役に立つ共通の意識だ。
「十年に一度に一人っていうのはさ、すごく微妙な数字だよね。十年に一度ならまぁいいかなと思えてしまう。しかも生贄もたった一人だ。ラルフが言っていたけどさ、十年に一度しか物を食べない生きものなんていないよね。
十年に一度、たった一人の生贄でこの国は竜の伝説を維持して大儲けしているのだとしたらさ、なんとなく、考えてしまわないか?
もしかして、誰かが意図的に十年に一度、竜を呼んでいるんじゃないかって」
さらに驚いて二人はラーシアをまじまじと見つめた。
「預言者様は竜と対話が出来るのだろう?しかもこんなに広い国でたった一人の生贄を指名出来る。生贄が入れ替わったことに本当に気づいていなかったのかな?
イシャリが生きていることも、もしかしたら既に知っているかもしれない。
時期を待っているのかも。竜を撃退した国として生まれ変わるために」
「竜を撃退?!」
異口同音にデレクとヒューが叫んだ。
「騎士達は魔獣退治もしているじゃないか。なぜ竜は倒さない?」
デレクとヒューは顔を見合わせ、しばらくの間黙っていた。
最初にデレクが口を開いた。
「一度に数百人焼き殺す規模の竜だ。王国の騎士達全員でかかっても倒せないかもしれない」
ラーシアは頷いた。
「なるほど。騎士が百人死ぬより、たった一人の罪のない民が死んだ方がましなわけだ。国の被害はたったの一人で済むからな。じゃあ私がこの国の騎士達が絶対に守ることのできない十年に一度のたった一つの命を救おうじゃないか。どうだ?夢があるだろう?これこそ英雄だ」
唖然とした二人は顔を見合わせ、今度こそ次の句が出て来なくなった。
あまりにも突飛な発想に、二人は一瞬現実を忘れ、本当にそんな夢のようなことが起きるのではないかとさえ思った。どんな屈強な騎士が何百人集まっても救えなかった、たった一人の命。
百年経ってもこの国はその一人を救えずに来たのだ。そんな風に考えた者がかつて一人でもこの国にいただろうか。
「それは……新しい考え方だ……」
やっとデレクが言葉を発した時、はっとしたようにラーシアが部屋の扉を見た。
玄関の方から物音がする。
ヒューが剣を握りしめて無言で扉に向かう。
デレクが急いで前に出て、ヒューの肩を掴んだ。
ここは町の外れにあるアンリの小屋で、生贄になるはずだったイシャリを暗殺に来たヒューは、ラーシアとデレクにその企みを阻止されたばかりだ。
つまり、この小屋に戻ってくるのは本来の住人だ。
「アンリには今夜、小屋に戻るなとだけ伝えてある」
デレクが小声でヒューに伝える。ラーシアは不愉快な顔をして、寝台に座り込んだ。
扉が閉まる音と共に足音が聞こえてくる。
「ラーシア、誰が入ってきた?思念が読めるのだからわかるだろう?」
小声でヒューがラーシアに問いかける。
ラーシアが窓辺のランプを消した。途端に室内は暗くなり、窓明かりだけがほんのりと窓辺の床を照らしている。
「読めるけど、読まないことだってある。王都の人混みで片っ端から私が人の思念を読んでいたと思うか?大抵は誰の思念も感じ取らないように気を付けている」
ラーシアが動かないことに、デレクは嫌な予感がした。
「ヒュー、剣をしまえ。この計画は失敗だ」
ヒューは剣を音もなく鞘に戻し、騎士達は扉の内側でじっと息をひそめる。
三人のいる部屋に足音が近づいてきた。
寝台のランプも消え、デレクとヒューは互いの顔も見えない。
何らかの異変を感じ取っているらしいラーシアが息をひそめているため、飛び出していくのもなんとなく出来ず、二人は気配を消す。
廊下を進んできた足音が止まり、向かいの部屋の扉が開く音がした。
かすかな女の悲鳴が聞こえる。
――あっ……いやっ……んっ……
夫婦が戻ってきて夜の営みを始めたのかと思ったが、様子がおかしい。
乱暴な男の声が聞こえてきた。
――教えてみろ。シーアがどんな風にお前の亭主に抱かれたのか、お前はそれを見ていたのだろう!……
ラルフの声だとわかり、二人の騎士は青ざめる。
ラーシアは窓の方へ顔を背け、かかわるのはごめんだと態度で示す。
――ラルフ……ごめんなさい……あっ……うう……
――所詮は使用人だから、生贄にしてもかまわないと思ったのだろう。お前の命よりシーアの命の方が軽いとそういうことなのか!……
――ち、違う……本当に……友達のように……うう……いいえ、でも死にたくなかった……
服が破られ、寝台に誰かが叩きつけられる音、それから床を押すような軋む音が続く。
シーアを奪われたラルフの復讐が行われているのだ。
アンリはラルフの恋人シーアを奪った。だから、今度はアンリの妻をラルフが奪っている。
鍵を持って戻ってきたということは、恐らく夫のアンリが同意しているのだ。
アンリは幼い息子と共に町に残り、罪を償うために妻を差し出した。
あるいは、ラルフが要求したのか、どちらかわからないが、イシャリは泣いて謝ってはいるが、助けてくれと叫びだしたりはしなかった。
「盗賊騒ぎがあって危険だから小屋に戻るなという意味だと思ったんだろうな。盗賊は捕まったし、私たちは塔に泊っていると思っている。そしてメーヤ夫妻もいない。今ならここは、こうした復讐をするにはぴったりの静かな場所だ」
ラーシアは嫌そうに囁き、窓の外を指さして、外に出ようと提案した。
幸い一階の寝室だ。簡単に窓から外に出られる。
女の苦痛の声と、ラルフの怒鳴り声、そんなものを後ろに聞きながら、窓をこじあけ、三人は外に出た。
「はぁ……」
最後に出たデレクは窓を閉め、本当にここを離れていいのだろうかと迷うように、窓越しに部屋の奥に視線を向ける。そんなデレクの背中にラーシアが声をかけた。
「デレク、残念ながらイシャリは同意している。それこそ面倒事に首を突っ込むようなものだ」
それを聞くと、デレクはラーシアを振り返り、その腰を抱いて森に向かって歩き出す。
少し先でヒューが待っていた。
三人はなんとなく小屋を離れ、森の道に入るとユロの町に繋がる分岐路で足を止めた。
少し森が切れている場所で、月明かりが眩しいほど地面を照らしている。
デレクはラーシアを抱き寄せ、一本の木の根元に座り込んだ。
ラーシアを膝の間に挟み、まるで子供を抱える獣のように夜の闇に眼を凝らす。
ヒューは少し離れた木の根元に背中を押し当て同じように座り込んだ。
「ラーシア……君に話さないといけないことがある……」
風のざわめきの中、小さな生き物たちの息遣いが森を駆け抜ける。
その中で、デレクの声が静かに響いた。
「その……生贄に選ばれたケティアという女性のことだ。その、知っていたのか?だから、ラルフと付き合うようなふりをしたのか?」
「そんなふりはしてないけど……。それに思念が読めるといっても、何もかも読んでいるわけじゃないって言っただろう?人の頭に土足で踏み込むようなまねはしないよ。世の中はさ、知らない方がいいことも多い。
ただ、今回の話は、珍しくそうはいかないと思っただけだ」
生贄の話なのか、ラルフの復讐のことなのか、それともデレクが隠していた元婚約者の話なのか、ラーシアが何について語っているのかデレクにはよくわからなかった。
ヒューは二人の会話が聞こえる位置に座り、息をひそめている。
デレクは胸につかえていたものを洗いざらい、ラーシアに告白する覚悟を決めた。
「村をでる前、ケティアと付き合っていた。だけど、仕事もなく家族もいなかった俺は、彼女に何も約束が出来なかった。ただ、待っていなくていいと言った。彼女が待っているかどうかわからないが……今は君を一番愛している」
「なんというか複雑だな……。彼女が待っているかもしれないと言いたいのだろう?生贄になるかもしれない彼女に、実は都会で女が出来たと告白するのはしんどいな」
「……君に甘えることになる……」
「私を繋ぎとめたいけど、ケティアのことも放ってはおけないということ?」
「すまない……まさか、俺とケティアのことを知って、生贄になろうと言ったのではないな?」
「デレクとケティアを幸せにしようとして私がわざと生贄になろうとしているって?それは違うよ。安心して。
ただの観光客としての素朴な疑問と提案だよ。竜の国に観光に来たのだから、やっぱり最後は竜に会いたいじゃないか。
これまでに竜を見た人ってどれぐらいいるの?」
暗い森に二人の会話ばかりが聞こえている。
辺りの気配に気を配りながら、デレクが答える。
「いない」
「え?!」
ラーシアの声が一段高くなる。
「いないの?十年に一度、生贄をさらいにくるのだろう?翼とか、炎とか、見たものはいないのか?」
「それは……禁じられているし、竜が現れると必ず嵐になる。竜にまつわる観光地や伝承はあるが、あまり深くかかわることは禁じられているのは知っているか?
竜に関わると呪いが降りかかると言われている」
「竜花の丘でラルフに聞いたな。竜にまつわることを研究している者達は教会で定期的に清めてもらい、加護をもらうとか」
「そうだ。竜を見ることも呪いを受けることになる。それ故、生贄を山頂に置いてしばりつけると、騎士達は少しばかり下りて待機所になっている岩屋に入る。
俺も経験はないが、役目については学んでいる。呪いにかからないために子供に教える絵本もある」
「へぇ……それは……興味深い話だな……」
黙り込んだラーシアは、デレクの体温に包まれうつらうつらと首を揺らし始めた。
その頭をデレクは自分の腕に乗せてやり、マントを広げてラーシアの体を包み込んだ。
「見張っているから休んでいいぞ」
答えはなかった。ただ静かな寝息だけが夜闇の中で聞こえていた。
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