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第一章 竜の国
10.殺したい男と生かしたい女
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ガレンの町は森に埋もれるようにひっそりと存在する。
木々の合間に吊り下げられたランタンの明かりは、夜空から降り注いだ光が木々に宿っているかのように幻想的で、その中に点在する家々の光景はまるで森の中で暮らす妖精たちの住処のようだった。
昼間の盗賊騒ぎは第十騎士団が駆け付け、あっという間に処理されてしまった。盗賊たちは連れていかれ、死傷者が出なかったことから、燃えた家に騎士達が調査に入ることもなかった。
さらに先触れの騎士が二人滞在していると知り、第十騎士団がデレクとヒューに最上級の敬意を払い、厳かな仕草で礼をしてみせた。
それは町の入り口で行われ、十年に一度の重大な役目を負うことになった二人の新人を激励する意味もあった。
「デレク殿、ヒュー殿、あなた方の任務の成功を心より願っております」
大先輩の騎士に頭を下げられ、ヒューは表情を引き締め、デレクは完全に固まっていた。
先触れは辛い役目だ。
英雄を迎えに行くと同時に、死の宣告をしなければならない。
彼らが去ると、町は途端に静まり返った。
既に日も暮れ、ユロの町に向けて出立するという選択肢は消えていた。
植物学者のフェデルが塔に泊まって行ってはどうかと提案し、町の役人たちもガレンの役所に客室があると伝えに来た。
宿のない小さな町で、客人が来れば役人がもてなすのだ。
四人は町の食堂で食事を終え、泊まりの部屋を決めた。
騎士二人は塔に泊まり、ラーシアとラルフは町の役所に泊まることになった。
ヒューが任務の打ち合わせがあると言って、ラーシアとラルフと同じ場所に泊まることを拒んだからだ。
だが、それが理由でないことは明らかだった。
ヒューは食事の時も盆を持って外に出て行った。
ヒューがラーシアの思念を読む能力を気味悪がっていることは誰の目にも明らかだった。
食事を終え、ヒューは塔に真っすぐに向かい、デレクはラーシアを役所に送り届けた。
ラルフは少し残ると食堂で酒を注文した。
デレクが町から塔に戻ってくると、フェデルは二階の私室にいた。
ヒューは昼間の乱闘騒ぎでさらに汚れた一階の片づけをしていた。デレクもそれを手伝い始める。
黙々と作業をしていたデレクは、散らばった書類の山から十年前の竜の年を告げる張り紙を拾い上げ、生贄の名前を食い入るように見つめた。
「デレク、お前、ケティアのことを、逃がせるなどと思っていないよな?」
脅すような物騒な声音でヒューが問いかける。
「いや……。逃がしたところで、その後のことを考えてはなんともいえないな……。結局誰かが犠牲になる。とはいえ、大切な人を失う痛みを誰かに押し付けることが、間違っているとも言えなくなったな……」
アンリがシーアにしたことは間違えていたと思うが、そんなアンリを父と慕う幼い子供には罪がない。イシャリを愛し、世界中が敵に回ったとしても愛した女を守りたいと思ったならば、その選択を悪と決めつけるのも違う気がした。
愛する者を守るためなら、どんなものでも捧げる。ラルフもそう言った。
そしてその想いをデレクも共感することができる。
もし選ばれたのがシーアで、ラルフが居合わせていたならば、イシャリを襲い、身代わりに生贄になれと迫ったかもしれない。もし、ラーシアが生贄に選ばれたら、自分はどうするのか、デレクは考えずにはいられなかった。
「俺達は国の駒だ。わかっていると思うが、疑問はいらない。任務に忠実であることだけを求められる」
念を押すようにヒューは繰り返す。
「俺達は試されている。無事に役目を終える必要があるんだ。お前が失敗すれば俺の出世にも関わる」
「わかっている……。だが、この事態を知らないふりをすることは、国に反することにならないか?俺達にはこの国に起きている問題を上に報告する義務がある。
今回、俺達が見なかったことにしたとしても、イシャリの存在は明らかになり、少しずつ噂が広まることになる。
生きている証人はまだたくさんいる。もし公になったら、俺達は、その前兆を見逃したことになる。
上官に相談するべきではないだろうか」
「俺達は先触れだぞ?誰に相談が出来る」
はっとして二人は十年前の配布物に飛びついた。
十年前の担当騎士団は第七騎士団だ。
「掘り返すようであれだが、聞いてみるか。ちょうどルト村の手前、ユロの次の町に要塞がある。先触れの騎士の名前もわかっている」
懐からヒューが紙を取り出し、その名前を書き写す。
『先触れ:上級騎士エリック・デルと上級騎士ウィリス・ノイス』
「なぜ今年の先触れは下級騎士の俺達だったのか、それも気になるな」
デレクが首をひねる。
「俺は出世のチャンスだとしか思わなかったけどな。それにお前はルト村の出身だし。デレク……。そうだ、まずはラーシアのことだ」
嫌そうにデレクは顔をあげる。ヒューがラーシアの能力を知り、不気味に思っていることはわかっていた。
「彼女は思念を読めると言っていた。それはお前にも隠していたことだったのだろう?」
「ああ。隠したくなる気持ちはわかるさ。でも俺の気持ちは変わらない」
ヒューは露骨にラーシアを気味悪がり、態度を一変させたのだ。
デレクは気に入らなかったが、自分の価値観を押し付けて簡単に「やめろ」と言える問題でもなかった。
「ならば、お前がラーシアから必死に隠そうとしていたケティアのこともわかっているのでは?」
ヒューに言われ、デレクは初めてそれに気づいた。
口を大きく開け、言葉を探すも、デレクは何も言えず下を向いた。
「この任務は絶対に失敗出来ない。ルト村に生贄の件を伝え、ケティアの願いを叶え、本体の到着を待って生贄の山に出発する。
生贄の日に彼女を捧げ、俺達は撤退だ。これだけで俺達の役目は終わる。
ここにお前の幼馴染への感情や、今の彼女のラーシアのこと、さらにラーシアの能力や、十年前の生贄入れ替わり事件が絡んでくると、面倒事が増える。国がこんなやっかいな問題を望むと思うか?」
「俺の感情は置いておいても、生贄の入れ替わりについては黙っているわけにはいかないだろう」
デレクは手にしている十年前の生贄の名前を記載した貼り紙に目を落とし、ため息をついた。
これが今年はケティアと書かれていただけの話だ。名前が変わっても構わないというなら、それは大変な騒ぎになる。
「第七騎士団の要塞に立ち寄ろう。話はそれからだ」
デレクはわかったと頷き、そわそわしながら急いで書類を拾い始めた。
その様子に、ヒューが困ったやつだと腰に手を当てて、大袈裟に息を吐きだした。
「ラーシアのことが気になるんだろう?打ち合わせはこれで終わりだ。ラーシアと町の役所に泊まったらいい。俺はここに泊るよ。ラーシアが既にケティアのことを知っているというなら、お前が二股している事も知っている。いろいろ話をしたいだろう」
デレクはヒューに感謝するように頷き、塔を飛びだした。
それを見送り、ヒューは部屋の明かりを消して回った。
二階に向かうと、フェデルの部屋の扉を叩く。
返事はなく、軽く扉を押すと、音もなく扉は内側に開いた。
室内には灯りが一つだけ窓辺に置かれており、その傍らに寝台がある。
白い髭をみつあみにしたフェデルがとんがった帽子をかぶり、布団の中でぐっすりと眠っている。
口を半分あけ、心地よさそうな寝息だけが聞こえる。
それを確かめ、ヒューは音を立てないように部屋を出た。
一階に戻り、外に出る。
ランタンに覆いを被せ、森の中を進み始める。
向かったのは日中に盗賊が火を放った小屋のある場所だ。
メーヤ夫妻は家が焼けたため、町に泊まっている。
二軒目にはアンリと、十年前に生贄として死んだはずのイシャリ、それから小さな男の子が住んでいる。
星明りが木立の隙間に差し込みはするが、周囲はほとんど真っ暗で、覆いを被せたランタンは足元しか照らしていない。
ヒューは、アンリ家族の住む小屋の前に立つ。
戸口からも窓からも明かりは漏れていない。
ごくりと唾を飲み、ヒューは剣の柄を握った。
裏口に回り、ヒューは祈るように目を閉ざし、扉を押した。
あっさりと扉は開き、暗い室内の床が覆いを被せたランタンの明かりに浮かび上がる。
震える手で剣を握りしめ、ゆっくりと台所を通過する。
天井に取り付けられた窓から廊下に星明かりが差し込んでいる。
廊下の両側に扉がある。
右の扉を押し、ヒューは中に入った。
暗い部屋の窓際に寝台があり、夜の薄闇で眠っている女の影が見える。
この家に住むのは、アンリ、イシャリ、そして子供の三人。
顔は見えないが、眠っている女はイシャリに違いなかった。
アンリは隣の部屋かもしれない。小さな膨らみが女の傍らにある。
剣を振り上げ、ヒューはその首を狙って振り下ろした。
その瞬間、火花が散ると共に激しい金属音が鳴った。
ヒューの剣は空中で止まっていた。
寝台下から飛び出してきた男がヒューの剣を受けとめている。
寝台で眠っているはずの女が起き上がった。
すぐに枕元のランプを付ける。
ヒューが剣を引き、身を翻して逃げようとしたが、その手首は現れた男に掴まれ、後ろに引き倒された。
床に倒れたヒューは、自分を見おろす男を睨みつけた。
「デレク。どういうつもりだ」
「それはこっちのセリフだ。女、子供を手にかけようとしたのか?」
盗賊騒ぎの後、ラーシアがデレクにこっそり囁いたのはこうした内容だった。
夜にヒューに悟られないようにアンリ達の眠る小屋に見張りにいこうと告げたのだ。
半信半疑で待ち構えていたデレクは、ヒューが剣を振りかざした瞬間飛び出した。
盗賊に襲われ、怖い思いをしたアンリ達家族は役所に泊まる。それをヒューに知られないようにしていた。
寝台から立ち上がった女が、部屋の扉を閉めに行く。
その姿をちらりと見て、ヒューが舌打ちした。
「ラーシアか。俺の考えを読んだな」
扉を閉め終えたラーシアはヒューを振り返る。
「それは正確じゃないな。だって、私が思念を読めると知って、ヒューは私を避けていただろう?距離が離れている相手の思念はそれほど強く読み取れない。
ただね、考えたんだ。私が君ならどうするか。
面倒なことは抜きにさっさとうまく任務を終わらせるには、生きているはずのない人間は消してしまった方がいい。証拠さえなければ入れ替わった事実もなかったことになる。
シーアが同じ時期に消えたことだって死体もないしね。小さな村の少女が一人消えたぐらい、なんてことはない。
この国は竜の伝説にどっぷりつかり、それを中心に回っている。この伝統を変えてしまうのは大変だ。
だけどさ、ヒュー、奪った命は後で後悔しても戻らないんだ。だからこれは最終手段だよ。
国が消し去ると決めたならきっとそうなるさ。どんなにややこしい問題になったとしてもね。
だから、ヒュー、君が自己判断でこの手段をとる必要はない。考え直してくれないか」
「ラーシア、君はただの観光客でよそ者だ。俺達の事情に首を突っ込まないでもらおう」
忌々し気に、ヒューはデレクに押さえ込まれながら叫んだ。
「確かに私は部外者だ。だけど、さすがに子供が殺されるかもしれないっていうのは見逃せない。それに、ちょっと考えたんだ。
生贄の身代わりの話はもう抑えておけないと思うんだ。だからさ、もし身代わりをたてることが可能だというならば、私が生贄になったらどうだろう?」
「ラーシア!何を言っている!」
ヒューを押さえていたデレクは飛び上がり、ラーシアに駆け寄った。
木々の合間に吊り下げられたランタンの明かりは、夜空から降り注いだ光が木々に宿っているかのように幻想的で、その中に点在する家々の光景はまるで森の中で暮らす妖精たちの住処のようだった。
昼間の盗賊騒ぎは第十騎士団が駆け付け、あっという間に処理されてしまった。盗賊たちは連れていかれ、死傷者が出なかったことから、燃えた家に騎士達が調査に入ることもなかった。
さらに先触れの騎士が二人滞在していると知り、第十騎士団がデレクとヒューに最上級の敬意を払い、厳かな仕草で礼をしてみせた。
それは町の入り口で行われ、十年に一度の重大な役目を負うことになった二人の新人を激励する意味もあった。
「デレク殿、ヒュー殿、あなた方の任務の成功を心より願っております」
大先輩の騎士に頭を下げられ、ヒューは表情を引き締め、デレクは完全に固まっていた。
先触れは辛い役目だ。
英雄を迎えに行くと同時に、死の宣告をしなければならない。
彼らが去ると、町は途端に静まり返った。
既に日も暮れ、ユロの町に向けて出立するという選択肢は消えていた。
植物学者のフェデルが塔に泊まって行ってはどうかと提案し、町の役人たちもガレンの役所に客室があると伝えに来た。
宿のない小さな町で、客人が来れば役人がもてなすのだ。
四人は町の食堂で食事を終え、泊まりの部屋を決めた。
騎士二人は塔に泊まり、ラーシアとラルフは町の役所に泊まることになった。
ヒューが任務の打ち合わせがあると言って、ラーシアとラルフと同じ場所に泊まることを拒んだからだ。
だが、それが理由でないことは明らかだった。
ヒューは食事の時も盆を持って外に出て行った。
ヒューがラーシアの思念を読む能力を気味悪がっていることは誰の目にも明らかだった。
食事を終え、ヒューは塔に真っすぐに向かい、デレクはラーシアを役所に送り届けた。
ラルフは少し残ると食堂で酒を注文した。
デレクが町から塔に戻ってくると、フェデルは二階の私室にいた。
ヒューは昼間の乱闘騒ぎでさらに汚れた一階の片づけをしていた。デレクもそれを手伝い始める。
黙々と作業をしていたデレクは、散らばった書類の山から十年前の竜の年を告げる張り紙を拾い上げ、生贄の名前を食い入るように見つめた。
「デレク、お前、ケティアのことを、逃がせるなどと思っていないよな?」
脅すような物騒な声音でヒューが問いかける。
「いや……。逃がしたところで、その後のことを考えてはなんともいえないな……。結局誰かが犠牲になる。とはいえ、大切な人を失う痛みを誰かに押し付けることが、間違っているとも言えなくなったな……」
アンリがシーアにしたことは間違えていたと思うが、そんなアンリを父と慕う幼い子供には罪がない。イシャリを愛し、世界中が敵に回ったとしても愛した女を守りたいと思ったならば、その選択を悪と決めつけるのも違う気がした。
愛する者を守るためなら、どんなものでも捧げる。ラルフもそう言った。
そしてその想いをデレクも共感することができる。
もし選ばれたのがシーアで、ラルフが居合わせていたならば、イシャリを襲い、身代わりに生贄になれと迫ったかもしれない。もし、ラーシアが生贄に選ばれたら、自分はどうするのか、デレクは考えずにはいられなかった。
「俺達は国の駒だ。わかっていると思うが、疑問はいらない。任務に忠実であることだけを求められる」
念を押すようにヒューは繰り返す。
「俺達は試されている。無事に役目を終える必要があるんだ。お前が失敗すれば俺の出世にも関わる」
「わかっている……。だが、この事態を知らないふりをすることは、国に反することにならないか?俺達にはこの国に起きている問題を上に報告する義務がある。
今回、俺達が見なかったことにしたとしても、イシャリの存在は明らかになり、少しずつ噂が広まることになる。
生きている証人はまだたくさんいる。もし公になったら、俺達は、その前兆を見逃したことになる。
上官に相談するべきではないだろうか」
「俺達は先触れだぞ?誰に相談が出来る」
はっとして二人は十年前の配布物に飛びついた。
十年前の担当騎士団は第七騎士団だ。
「掘り返すようであれだが、聞いてみるか。ちょうどルト村の手前、ユロの次の町に要塞がある。先触れの騎士の名前もわかっている」
懐からヒューが紙を取り出し、その名前を書き写す。
『先触れ:上級騎士エリック・デルと上級騎士ウィリス・ノイス』
「なぜ今年の先触れは下級騎士の俺達だったのか、それも気になるな」
デレクが首をひねる。
「俺は出世のチャンスだとしか思わなかったけどな。それにお前はルト村の出身だし。デレク……。そうだ、まずはラーシアのことだ」
嫌そうにデレクは顔をあげる。ヒューがラーシアの能力を知り、不気味に思っていることはわかっていた。
「彼女は思念を読めると言っていた。それはお前にも隠していたことだったのだろう?」
「ああ。隠したくなる気持ちはわかるさ。でも俺の気持ちは変わらない」
ヒューは露骨にラーシアを気味悪がり、態度を一変させたのだ。
デレクは気に入らなかったが、自分の価値観を押し付けて簡単に「やめろ」と言える問題でもなかった。
「ならば、お前がラーシアから必死に隠そうとしていたケティアのこともわかっているのでは?」
ヒューに言われ、デレクは初めてそれに気づいた。
口を大きく開け、言葉を探すも、デレクは何も言えず下を向いた。
「この任務は絶対に失敗出来ない。ルト村に生贄の件を伝え、ケティアの願いを叶え、本体の到着を待って生贄の山に出発する。
生贄の日に彼女を捧げ、俺達は撤退だ。これだけで俺達の役目は終わる。
ここにお前の幼馴染への感情や、今の彼女のラーシアのこと、さらにラーシアの能力や、十年前の生贄入れ替わり事件が絡んでくると、面倒事が増える。国がこんなやっかいな問題を望むと思うか?」
「俺の感情は置いておいても、生贄の入れ替わりについては黙っているわけにはいかないだろう」
デレクは手にしている十年前の生贄の名前を記載した貼り紙に目を落とし、ため息をついた。
これが今年はケティアと書かれていただけの話だ。名前が変わっても構わないというなら、それは大変な騒ぎになる。
「第七騎士団の要塞に立ち寄ろう。話はそれからだ」
デレクはわかったと頷き、そわそわしながら急いで書類を拾い始めた。
その様子に、ヒューが困ったやつだと腰に手を当てて、大袈裟に息を吐きだした。
「ラーシアのことが気になるんだろう?打ち合わせはこれで終わりだ。ラーシアと町の役所に泊まったらいい。俺はここに泊るよ。ラーシアが既にケティアのことを知っているというなら、お前が二股している事も知っている。いろいろ話をしたいだろう」
デレクはヒューに感謝するように頷き、塔を飛びだした。
それを見送り、ヒューは部屋の明かりを消して回った。
二階に向かうと、フェデルの部屋の扉を叩く。
返事はなく、軽く扉を押すと、音もなく扉は内側に開いた。
室内には灯りが一つだけ窓辺に置かれており、その傍らに寝台がある。
白い髭をみつあみにしたフェデルがとんがった帽子をかぶり、布団の中でぐっすりと眠っている。
口を半分あけ、心地よさそうな寝息だけが聞こえる。
それを確かめ、ヒューは音を立てないように部屋を出た。
一階に戻り、外に出る。
ランタンに覆いを被せ、森の中を進み始める。
向かったのは日中に盗賊が火を放った小屋のある場所だ。
メーヤ夫妻は家が焼けたため、町に泊まっている。
二軒目にはアンリと、十年前に生贄として死んだはずのイシャリ、それから小さな男の子が住んでいる。
星明りが木立の隙間に差し込みはするが、周囲はほとんど真っ暗で、覆いを被せたランタンは足元しか照らしていない。
ヒューは、アンリ家族の住む小屋の前に立つ。
戸口からも窓からも明かりは漏れていない。
ごくりと唾を飲み、ヒューは剣の柄を握った。
裏口に回り、ヒューは祈るように目を閉ざし、扉を押した。
あっさりと扉は開き、暗い室内の床が覆いを被せたランタンの明かりに浮かび上がる。
震える手で剣を握りしめ、ゆっくりと台所を通過する。
天井に取り付けられた窓から廊下に星明かりが差し込んでいる。
廊下の両側に扉がある。
右の扉を押し、ヒューは中に入った。
暗い部屋の窓際に寝台があり、夜の薄闇で眠っている女の影が見える。
この家に住むのは、アンリ、イシャリ、そして子供の三人。
顔は見えないが、眠っている女はイシャリに違いなかった。
アンリは隣の部屋かもしれない。小さな膨らみが女の傍らにある。
剣を振り上げ、ヒューはその首を狙って振り下ろした。
その瞬間、火花が散ると共に激しい金属音が鳴った。
ヒューの剣は空中で止まっていた。
寝台下から飛び出してきた男がヒューの剣を受けとめている。
寝台で眠っているはずの女が起き上がった。
すぐに枕元のランプを付ける。
ヒューが剣を引き、身を翻して逃げようとしたが、その手首は現れた男に掴まれ、後ろに引き倒された。
床に倒れたヒューは、自分を見おろす男を睨みつけた。
「デレク。どういうつもりだ」
「それはこっちのセリフだ。女、子供を手にかけようとしたのか?」
盗賊騒ぎの後、ラーシアがデレクにこっそり囁いたのはこうした内容だった。
夜にヒューに悟られないようにアンリ達の眠る小屋に見張りにいこうと告げたのだ。
半信半疑で待ち構えていたデレクは、ヒューが剣を振りかざした瞬間飛び出した。
盗賊に襲われ、怖い思いをしたアンリ達家族は役所に泊まる。それをヒューに知られないようにしていた。
寝台から立ち上がった女が、部屋の扉を閉めに行く。
その姿をちらりと見て、ヒューが舌打ちした。
「ラーシアか。俺の考えを読んだな」
扉を閉め終えたラーシアはヒューを振り返る。
「それは正確じゃないな。だって、私が思念を読めると知って、ヒューは私を避けていただろう?距離が離れている相手の思念はそれほど強く読み取れない。
ただね、考えたんだ。私が君ならどうするか。
面倒なことは抜きにさっさとうまく任務を終わらせるには、生きているはずのない人間は消してしまった方がいい。証拠さえなければ入れ替わった事実もなかったことになる。
シーアが同じ時期に消えたことだって死体もないしね。小さな村の少女が一人消えたぐらい、なんてことはない。
この国は竜の伝説にどっぷりつかり、それを中心に回っている。この伝統を変えてしまうのは大変だ。
だけどさ、ヒュー、奪った命は後で後悔しても戻らないんだ。だからこれは最終手段だよ。
国が消し去ると決めたならきっとそうなるさ。どんなにややこしい問題になったとしてもね。
だから、ヒュー、君が自己判断でこの手段をとる必要はない。考え直してくれないか」
「ラーシア、君はただの観光客でよそ者だ。俺達の事情に首を突っ込まないでもらおう」
忌々し気に、ヒューはデレクに押さえ込まれながら叫んだ。
「確かに私は部外者だ。だけど、さすがに子供が殺されるかもしれないっていうのは見逃せない。それに、ちょっと考えたんだ。
生贄の身代わりの話はもう抑えておけないと思うんだ。だからさ、もし身代わりをたてることが可能だというならば、私が生贄になったらどうだろう?」
「ラーシア!何を言っている!」
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