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第一章 竜の国
8.思念を読む女
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「十年の平和が続けば、生贄が入れ替わったことも時効になる。竜の怒りはなかったと証明されると、村の中で話が決まった……。でもそれは、シーアの希望だった。
彼女が、彼女自身がそれを望んだんだ」
「一体何の話をしている?いや、どういうことだ?」
続くアンリの告白に、ラルフが混乱したように叫んだ。
デレクとヒューも黙って後ろに立つ。デレクの手はまだラーシアの腕を握っている。
苦痛に顔を歪ませたアンリの告白はまだ終わっていなかった。
「十年前、生贄に選ばれたのは村長の娘で、イシャリだった。先触れが来た時、生贄が逃げないようにまず村長に知らせることになっている。
そこに、手伝いで働きにきていたシーアがいた。先触れは生贄の名前しか知らなかった。
シーアは、生贄の家族がどれだけの金をもらえるのか、願い事がどの程度叶えられるのか先触れの説明を聞いていた。それで、先触れがもてなしのための家に連れていかれた後、シーアが村長にその生贄の役を代わりたいと言い出した。
シーアの母親は異国の女性で、故郷に戻りたがっていた。シーアは母親のために生贄になることを決めたんだ。
知っていたのはイシャリとシーア、それから村長と計算や書き物の仕事で村長の家にいた俺だった。村長は娘のイシャリを生贄にしたくなかった。顔を知らない先触れはシーアとイシャリの区別がつかない。
田舎の村で、王都からの貼り紙もまだ届いていなかった。
生贄の願いは出来る限り叶えられる。あの晩、あっという間にシーアが連れていかれたのは、シーアが望んだからだ。ラルフ、君の気持にはシーアも気づいていた。君が騒ぎ出さないように俺が監視役に選ばれた……この村から英雄が選ばれたと触れ回り、誰とは明言しなかった」
まさかとデレクとヒューは蒼白になって立ち尽くす。
「先触れが生贄を間違えたのか?名前と顔を知らないものが先触れに選ばれた?」
そんなことがあるだろうかと、二人は顔を見合わせる。
その時、重苦しい空気を切り裂くようにラーシアの声が割り込んだ。
「だいたい、誰がその、生贄を選んでいる?竜が探しにくるという言い伝えが本当だとしても、竜がやってきて生贄の名前を直接告げるわけじゃないだろう?」
ラーシアの投げかけた質問の答えは、バレア国民の全員が知っていた。
「預言者様だ」
答えたのは植物学者のフェデルだった。
「預言者様が竜の言葉を聞き、それを人々に伝える。今年が竜の年であり、いつが生贄の日なのか、それは全て預言者様の言葉を待って、国中に伝えられる。
生贄が入れ替わっていたなど……そんなことはあり得ない」
そう言いながらもフェデルは塔に入り、大量の書類を漁りだした。
一行も塔に入り、一階の書類や書物が積み重なっている部屋に椅子を置いて座った。
ヒューがさりげなく扉を閉めて鍵をかけた。
やがて、フェデルが十年前の資料が詰まったファイルを運んできた。
「竜の年の配布物は全てとってあるのです。預言者様の告げられた竜の日は、私が研究する花にも大きな影響を与えている。こちらが、当時のもので……」
差し出された紙は少し黄ばみ、文字も日焼けしている。
第七騎士団が選ばれたとあり、先触れの名前がその隣に書かれている。
そして今年の生贄の欄にはイシャリの名前があった。
「ま、まさか……じゃあ、シーアは選ばれたわけでもないのに、わざわざ生贄になったというのか?!」
貼り紙を覗き込み、自分の目でその名前を確かめたラルフが悲鳴のような声をあげた。
アンリが沈痛な顔で頷く。
「字が読める村人は当時少なかった。それに、こうした配布物は町には届けられるが、小さな辺境の村には自分たちで取りにいくしかない。しかも生贄の日が終われば、全てが回収され誰の目にも触れないように処分される」
「先触れが間違えたということか?ナタ村の人々は騎士を騙した?いや、預言者様の目をごまかしたのか?」
デレクは信じられないと首を横に振る。
「どうかな……。不思議に思っていたんだ。生贄に選ばれた人が大金のため、国の為、家族のためとはいえ、そんなに簡単に死を受け入れるだろうかってね。生贄をすり替えることが可能なら、金でその立場を売り買いすることだって可能じゃないか?今までの生贄は全部本当に預言者様の選んだ生贄だったのかな?」
軽い口調で疑問を投げかけたのはラーシアだった。
「ラーシア!よせ!」
国を疑う発言は、反逆罪にあたる。デレクはラーシアを引き寄せ、口を塞いだ。
ヒューは無言で部屋を見回した。
ここにいるのは、森に引きこもっている植物学者フェデルと弟子のアンリ、それから騎士のデレクとヒュー、南の島出身のラーシア、この国のラルフだ。
「ラルフ、君はこの国を観光していると言っていたが、先ほどの話の流れからすると、十年前、生贄が出た村の出身であり、英雄になった人と関係がある。
君の狙いはなんだ?」
ヒューの鋭い質問を受け、ラルフは荷物から冊子を取り出した。
「私が竜の伝説について調べていることは本当です。観光地を巡っていることも。私はこの国の人間ですから、観光客が知ること以上のことを調べています。
路銀の足しにこうした、土産になる程度の伝承を集めた冊子も作っています。
私が本当に知りたいことは、竜の居場所です。人の姿になるというなら、対話が可能なはずだ。知りたいのです。なぜ十年に一度、生贄を欲するのか、生贄をどこに連れていくのか」
「竜は生贄の山に十年に一度やってくる。その火口に住み、竜の言葉は預言者の口を通してのみ伝えられる。それが国の言葉であり、それ以外の答えはない」
断固としたヒューの言葉に反論したのは、なんと国の植物学者フェデルだった。
「それは表向きです。国はそれを調べています。私が花の変化をこうした人の少ない場所で研究しているのはそのためです。ラルフ、君はイーゼのところを訪ねていなかったか?あそこでも花の研究をしている」
「ええ、会いました。竜の痕跡を探して可能な限り、研究者の方からも話を聞いています」
またラーシアが素朴な疑問を口にした。
「預言者様に直接聞けないのか?」
ラーシアの口を覆っていたデレクの手はいつの間にか引きはがされている。
再びバレア国民全員がぎょっとした顔をした。
「生贄のすり替えが可能なら、いろんなことが推測できてしまう。だって、この国の人々は十年に一度、誰かを失う痛みに泣く人が出る。
だけど、自ら生贄になりたい人もいるというなら、悲しみは消えるかもしれない。
それが正しいことかどうかはわからないけどね」
「まて、本来の生贄であるイシャリはどこにいる?十年前の生贄のすり替えの証拠がなければ話は進まない」
デレクの発言だった。とんだ役目になったものだと、ヒューが眉間に皺をよせ、考え込む。
他の全員はアンリに視線を向ける。
「イシャリは……どこかで生きている」
「確かめられないのか?!」
デレクは叫んだが、どこかほっとしたようにヒューが息を吐く。
「生贄の入れ替えはなかった。それが通るなら問題ない」
「いいえ!生贄のすり替えはあった。だから、俺は……」
強い口調で叫んだアンリの言葉はすぐに小さくしぼんでしまった。
「面白いね」
十年前の配布物を挟んだファイルから書類を抜き出し、眺めていたラーシアが笑って一同を見回した。
「生贄がさ、入れ替わることができると知っていたら、どうするかな?王都にも身売りしてきた女の子たちがいたよ。生贄になって金が入るならそっちの方が良いと考える子だっているかもしれない。それに、身寄りのいない孤児は生存率がかなり低いね。
殺人者とかさ、酷い犯罪をおかして処刑を待つような人間なら、それは死んでも良い命になるかもしれないね。あるいはさ、英雄として家の名前をあげたい貴族とか、あるいは蹴り落としたい政敵を英雄に選ばれたことにして殺してもいいよね。
預言者って人間だろう?欲のない人間なんてそうそういないよ。ラルフ、君ならどうする?シーアが生贄に選ばれ、逃れる方法があると知ったら、何を差し出せる?」
「何でもだ!彼女を取り戻せるなら」
激しい熱を込めてラルフは立ち上がった。
「彼女を取り戻せるなら?親友の彼女を身代わりに差し出してもいい?」
激しい物音が鳴り、ラーシアの体が床に投げ出される。
その上に覆いかぶさっていたのはアンリだった。その手はラーシアの首にかけられている。
「何をする!ラーシアを放せ!」
デレクが飛び出す。
あっさり引きはがされたアンリは正気を失ったように怒りと憎しみに顔を歪ませ、ラーシアを睨みつけた。
「お前!お前!何を知っている!何者だ!だ、誰に言われてきた!」
激しく動揺するアンリの常軌を逸したような言動に、ラルフは青ざめた。
「何をした?どういうことだ?アンリ!シーアに何をした!」
「罪悪感を抱くぐらいいの良心はあったということだろう?」
アンリに押し倒れされたラーシアが、書類の山の間からゆっくり体を起こす。
「南の島から来たといっただろう?これは出来れば言いたくはなかったが……実は少しだけ人の思念が読めるんだ。なんとなくね、アンリ、君からは大きな罪悪感と、少しの良心が見える。ラルフに友情を抱いているけど、それを台無しにした自分に怒っている。そんな風に見えるね」
南の島では不思議な力を持つ子供が生まれやすいというのは有名な話で、大陸の占い師や、魔術師、あるいは治癒師などの仕事についている者の大半が南の出身だと言われるほどだ。
市井に多いのは魔法使いと呼ばれる人々で、大抵が占い師で、探し物や恋愛相談にのる程度のことしかできない。
客寄せのために、南の出身でもないのに、南の島から来たと名乗りたがる占い師も多い。
王宮に雇われている魔法使いは本物で、小さな魔法を開発したり、魔核に魔力を込めてランプを作ったり、魔道具師や魔術師など能力に応じ職業が細分化される。
しかし思念を読む力が存在するという話は聞いたことがなかった。
驚く一同を前に、ラーシアは事も無げに続ける。
「思ったこともなかったが、竜と対話できる預言者様っていうのはさ、もしかして南の島出身の人間じゃないのか?思念なら、言葉が通じなくても多少はわかる。
力の強いものなら、思念から言葉を読み取ることも出来るかもしれない」
「気味が悪いな」
ヒューがぞっとした顔をして、素早くラーシアから距離をとった。
アンリをラーシアから引き離していたデレクが、ラーシアを書類の山から引き揚げた。
「ラーシア、大丈夫か?」
「大丈夫だけど、怖がらせたね。ごめん。まぁ気味は悪いよね……」
デレクの腕に抱き上げられながら、ヒューに露骨に気味悪がられたラーシアは、気まずそうにふいっと顔を背ける。
そんなラーシアをデレクは強く抱きしめた。
「お前がこの国に、俺の傍に居つかないのはそのせいか?ラーシア、今俺が何を考えているのかもわかるのか?」
「言葉とか、そうしたはっきりしたものではなくて、その、ぼんやりとした思念だよ。だけど、これはわかるかな」
両手を伸ばし、ラーシアはデレクの頬に口づけをした。
「キスしたいって思っただろう?」
「それは目を見ればわかるだろう?」
人目を気にせず、デレクがラーシアと唇を重ねる。
しかしそれどころじゃない男がいた。
「アンリ!シーアに何をした!イシャリのためにシーアに身代わりを強要したのか?母親のために喜んで生贄になったわけでもなかったのか?」
ラルフはアンリの胸元を掴み、激しく揺する。
硬く口を閉ざし語ろうとしないアンリを見ると、ラルフはラーシアを振り返った。
「ラーシア、言ってくれ!アンリは何を隠している!思念が読めるならわかるだろう?ぼんやりでもいい、わかることを教えろ!」
激しい口調に、デレクはラーシアを守るようにしっかりと抱きしめる。
フェデルは椅子に座って黙っている。他の椅子は後ろに倒され、書類や書物は床に散らばっている。
この場を収めようとする者はいなかった。
ラーシアは躊躇いがちに口を開いた。
彼女が、彼女自身がそれを望んだんだ」
「一体何の話をしている?いや、どういうことだ?」
続くアンリの告白に、ラルフが混乱したように叫んだ。
デレクとヒューも黙って後ろに立つ。デレクの手はまだラーシアの腕を握っている。
苦痛に顔を歪ませたアンリの告白はまだ終わっていなかった。
「十年前、生贄に選ばれたのは村長の娘で、イシャリだった。先触れが来た時、生贄が逃げないようにまず村長に知らせることになっている。
そこに、手伝いで働きにきていたシーアがいた。先触れは生贄の名前しか知らなかった。
シーアは、生贄の家族がどれだけの金をもらえるのか、願い事がどの程度叶えられるのか先触れの説明を聞いていた。それで、先触れがもてなしのための家に連れていかれた後、シーアが村長にその生贄の役を代わりたいと言い出した。
シーアの母親は異国の女性で、故郷に戻りたがっていた。シーアは母親のために生贄になることを決めたんだ。
知っていたのはイシャリとシーア、それから村長と計算や書き物の仕事で村長の家にいた俺だった。村長は娘のイシャリを生贄にしたくなかった。顔を知らない先触れはシーアとイシャリの区別がつかない。
田舎の村で、王都からの貼り紙もまだ届いていなかった。
生贄の願いは出来る限り叶えられる。あの晩、あっという間にシーアが連れていかれたのは、シーアが望んだからだ。ラルフ、君の気持にはシーアも気づいていた。君が騒ぎ出さないように俺が監視役に選ばれた……この村から英雄が選ばれたと触れ回り、誰とは明言しなかった」
まさかとデレクとヒューは蒼白になって立ち尽くす。
「先触れが生贄を間違えたのか?名前と顔を知らないものが先触れに選ばれた?」
そんなことがあるだろうかと、二人は顔を見合わせる。
その時、重苦しい空気を切り裂くようにラーシアの声が割り込んだ。
「だいたい、誰がその、生贄を選んでいる?竜が探しにくるという言い伝えが本当だとしても、竜がやってきて生贄の名前を直接告げるわけじゃないだろう?」
ラーシアの投げかけた質問の答えは、バレア国民の全員が知っていた。
「預言者様だ」
答えたのは植物学者のフェデルだった。
「預言者様が竜の言葉を聞き、それを人々に伝える。今年が竜の年であり、いつが生贄の日なのか、それは全て預言者様の言葉を待って、国中に伝えられる。
生贄が入れ替わっていたなど……そんなことはあり得ない」
そう言いながらもフェデルは塔に入り、大量の書類を漁りだした。
一行も塔に入り、一階の書類や書物が積み重なっている部屋に椅子を置いて座った。
ヒューがさりげなく扉を閉めて鍵をかけた。
やがて、フェデルが十年前の資料が詰まったファイルを運んできた。
「竜の年の配布物は全てとってあるのです。預言者様の告げられた竜の日は、私が研究する花にも大きな影響を与えている。こちらが、当時のもので……」
差し出された紙は少し黄ばみ、文字も日焼けしている。
第七騎士団が選ばれたとあり、先触れの名前がその隣に書かれている。
そして今年の生贄の欄にはイシャリの名前があった。
「ま、まさか……じゃあ、シーアは選ばれたわけでもないのに、わざわざ生贄になったというのか?!」
貼り紙を覗き込み、自分の目でその名前を確かめたラルフが悲鳴のような声をあげた。
アンリが沈痛な顔で頷く。
「字が読める村人は当時少なかった。それに、こうした配布物は町には届けられるが、小さな辺境の村には自分たちで取りにいくしかない。しかも生贄の日が終われば、全てが回収され誰の目にも触れないように処分される」
「先触れが間違えたということか?ナタ村の人々は騎士を騙した?いや、預言者様の目をごまかしたのか?」
デレクは信じられないと首を横に振る。
「どうかな……。不思議に思っていたんだ。生贄に選ばれた人が大金のため、国の為、家族のためとはいえ、そんなに簡単に死を受け入れるだろうかってね。生贄をすり替えることが可能なら、金でその立場を売り買いすることだって可能じゃないか?今までの生贄は全部本当に預言者様の選んだ生贄だったのかな?」
軽い口調で疑問を投げかけたのはラーシアだった。
「ラーシア!よせ!」
国を疑う発言は、反逆罪にあたる。デレクはラーシアを引き寄せ、口を塞いだ。
ヒューは無言で部屋を見回した。
ここにいるのは、森に引きこもっている植物学者フェデルと弟子のアンリ、それから騎士のデレクとヒュー、南の島出身のラーシア、この国のラルフだ。
「ラルフ、君はこの国を観光していると言っていたが、先ほどの話の流れからすると、十年前、生贄が出た村の出身であり、英雄になった人と関係がある。
君の狙いはなんだ?」
ヒューの鋭い質問を受け、ラルフは荷物から冊子を取り出した。
「私が竜の伝説について調べていることは本当です。観光地を巡っていることも。私はこの国の人間ですから、観光客が知ること以上のことを調べています。
路銀の足しにこうした、土産になる程度の伝承を集めた冊子も作っています。
私が本当に知りたいことは、竜の居場所です。人の姿になるというなら、対話が可能なはずだ。知りたいのです。なぜ十年に一度、生贄を欲するのか、生贄をどこに連れていくのか」
「竜は生贄の山に十年に一度やってくる。その火口に住み、竜の言葉は預言者の口を通してのみ伝えられる。それが国の言葉であり、それ以外の答えはない」
断固としたヒューの言葉に反論したのは、なんと国の植物学者フェデルだった。
「それは表向きです。国はそれを調べています。私が花の変化をこうした人の少ない場所で研究しているのはそのためです。ラルフ、君はイーゼのところを訪ねていなかったか?あそこでも花の研究をしている」
「ええ、会いました。竜の痕跡を探して可能な限り、研究者の方からも話を聞いています」
またラーシアが素朴な疑問を口にした。
「預言者様に直接聞けないのか?」
ラーシアの口を覆っていたデレクの手はいつの間にか引きはがされている。
再びバレア国民全員がぎょっとした顔をした。
「生贄のすり替えが可能なら、いろんなことが推測できてしまう。だって、この国の人々は十年に一度、誰かを失う痛みに泣く人が出る。
だけど、自ら生贄になりたい人もいるというなら、悲しみは消えるかもしれない。
それが正しいことかどうかはわからないけどね」
「まて、本来の生贄であるイシャリはどこにいる?十年前の生贄のすり替えの証拠がなければ話は進まない」
デレクの発言だった。とんだ役目になったものだと、ヒューが眉間に皺をよせ、考え込む。
他の全員はアンリに視線を向ける。
「イシャリは……どこかで生きている」
「確かめられないのか?!」
デレクは叫んだが、どこかほっとしたようにヒューが息を吐く。
「生贄の入れ替えはなかった。それが通るなら問題ない」
「いいえ!生贄のすり替えはあった。だから、俺は……」
強い口調で叫んだアンリの言葉はすぐに小さくしぼんでしまった。
「面白いね」
十年前の配布物を挟んだファイルから書類を抜き出し、眺めていたラーシアが笑って一同を見回した。
「生贄がさ、入れ替わることができると知っていたら、どうするかな?王都にも身売りしてきた女の子たちがいたよ。生贄になって金が入るならそっちの方が良いと考える子だっているかもしれない。それに、身寄りのいない孤児は生存率がかなり低いね。
殺人者とかさ、酷い犯罪をおかして処刑を待つような人間なら、それは死んでも良い命になるかもしれないね。あるいはさ、英雄として家の名前をあげたい貴族とか、あるいは蹴り落としたい政敵を英雄に選ばれたことにして殺してもいいよね。
預言者って人間だろう?欲のない人間なんてそうそういないよ。ラルフ、君ならどうする?シーアが生贄に選ばれ、逃れる方法があると知ったら、何を差し出せる?」
「何でもだ!彼女を取り戻せるなら」
激しい熱を込めてラルフは立ち上がった。
「彼女を取り戻せるなら?親友の彼女を身代わりに差し出してもいい?」
激しい物音が鳴り、ラーシアの体が床に投げ出される。
その上に覆いかぶさっていたのはアンリだった。その手はラーシアの首にかけられている。
「何をする!ラーシアを放せ!」
デレクが飛び出す。
あっさり引きはがされたアンリは正気を失ったように怒りと憎しみに顔を歪ませ、ラーシアを睨みつけた。
「お前!お前!何を知っている!何者だ!だ、誰に言われてきた!」
激しく動揺するアンリの常軌を逸したような言動に、ラルフは青ざめた。
「何をした?どういうことだ?アンリ!シーアに何をした!」
「罪悪感を抱くぐらいいの良心はあったということだろう?」
アンリに押し倒れされたラーシアが、書類の山の間からゆっくり体を起こす。
「南の島から来たといっただろう?これは出来れば言いたくはなかったが……実は少しだけ人の思念が読めるんだ。なんとなくね、アンリ、君からは大きな罪悪感と、少しの良心が見える。ラルフに友情を抱いているけど、それを台無しにした自分に怒っている。そんな風に見えるね」
南の島では不思議な力を持つ子供が生まれやすいというのは有名な話で、大陸の占い師や、魔術師、あるいは治癒師などの仕事についている者の大半が南の出身だと言われるほどだ。
市井に多いのは魔法使いと呼ばれる人々で、大抵が占い師で、探し物や恋愛相談にのる程度のことしかできない。
客寄せのために、南の出身でもないのに、南の島から来たと名乗りたがる占い師も多い。
王宮に雇われている魔法使いは本物で、小さな魔法を開発したり、魔核に魔力を込めてランプを作ったり、魔道具師や魔術師など能力に応じ職業が細分化される。
しかし思念を読む力が存在するという話は聞いたことがなかった。
驚く一同を前に、ラーシアは事も無げに続ける。
「思ったこともなかったが、竜と対話できる預言者様っていうのはさ、もしかして南の島出身の人間じゃないのか?思念なら、言葉が通じなくても多少はわかる。
力の強いものなら、思念から言葉を読み取ることも出来るかもしれない」
「気味が悪いな」
ヒューがぞっとした顔をして、素早くラーシアから距離をとった。
アンリをラーシアから引き離していたデレクが、ラーシアを書類の山から引き揚げた。
「ラーシア、大丈夫か?」
「大丈夫だけど、怖がらせたね。ごめん。まぁ気味は悪いよね……」
デレクの腕に抱き上げられながら、ヒューに露骨に気味悪がられたラーシアは、気まずそうにふいっと顔を背ける。
そんなラーシアをデレクは強く抱きしめた。
「お前がこの国に、俺の傍に居つかないのはそのせいか?ラーシア、今俺が何を考えているのかもわかるのか?」
「言葉とか、そうしたはっきりしたものではなくて、その、ぼんやりとした思念だよ。だけど、これはわかるかな」
両手を伸ばし、ラーシアはデレクの頬に口づけをした。
「キスしたいって思っただろう?」
「それは目を見ればわかるだろう?」
人目を気にせず、デレクがラーシアと唇を重ねる。
しかしそれどころじゃない男がいた。
「アンリ!シーアに何をした!イシャリのためにシーアに身代わりを強要したのか?母親のために喜んで生贄になったわけでもなかったのか?」
ラルフはアンリの胸元を掴み、激しく揺する。
硬く口を閉ざし語ろうとしないアンリを見ると、ラルフはラーシアを振り返った。
「ラーシア、言ってくれ!アンリは何を隠している!思念が読めるならわかるだろう?ぼんやりでもいい、わかることを教えろ!」
激しい口調に、デレクはラーシアを守るようにしっかりと抱きしめる。
フェデルは椅子に座って黙っている。他の椅子は後ろに倒され、書類や書物は床に散らばっている。
この場を収めようとする者はいなかった。
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