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第一章 竜の国
5.嫉妬深い煮え切らない男
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「誰かに、気づいて欲しかった。あいつらにも奪われて欲しかった。君のことは何度かあの食堂で見かけて知っていた。歌も歌っていただろう?美人の吟遊詩人がいると評判だった。
俺から彼女を奪った騎士が、自分は好きな女とお楽しみだっていうのも気に入らなかった。
あいつらは誰かから愛する人を奪って、英雄にしたて、自分たちは奪われる痛みを知らない」
夜闇に沈むラルフの顔に視線を向け、ラーシアは同意するように笑った。
「確かに、この国の人々は痛みに鈍感だな。一人の犠牲で百人が助かる。その歪な正義に誰も気づいていないのが不思議だった。観光客からしてみたら、なんとも不思議な感覚だ。
でも、なんだかほっとしたよ。ラルフ、君のような人がこの国にいて。
たった一人の犠牲か……。百人の命に責任を取りたくないだけか、あるいはそうだな、災厄を誰かに押し付けて逃げてしまいたいだけじゃないかとさえ思うな。
人の心は弱いものだから、それも正しい在り方といえなくもないが、一石を投じるのも悪くない。ラルフ、君が調べてきたこと、ちょっと私にも教えてくれないか?」
ラルフは懐から再びノートを取り出したが、ラーシアに渡す直前、その手を止めた。
「君の恋人は騎士だ。俺がこの生贄制度に疑問を抱いていることを彼に訴えれば、俺は国の反逆者にされてしまうかもしれない。彼は、君と二人きりになりたがる俺に腹を立てていて、俺を嫌っている」
「その危険性を考えながら、ラルフ、君は私に自分の事情を話した。彼女を奪われた痛みを理解してほしかったからじゃないのか?
ただの観光客であり、この国の人間でない私になら、その痛みがわかるのではないかと、君は賭けに出た。だから私に真実を話した。
私は君が嘘をついているとは思っていない。それに君の思念には恐れもある。
安心してもらうことは難しいだろうが、これだけは約束しよう。私は君の敵じゃない」
ラルフはノートをラーシアに渡した。
携帯用のランタンをラルフに掲げてもらいながら、ラーシアはぎっしりと書きこまれたページをめくり始めた。
その頃、竜花の丘から一番近い騎士団要塞や町の集会所、自警団の待機所などに、竜の年の貼り紙を配り終えた今年の先触れ達は、今夜の宿に戻ってきていた。
デレクは苛々とした様子で部屋の中を歩き回っている。
同室のヒューは、冷めた目でデレクの様子を眺めている。
デレクが苛ついているのは、ラーシアがまだ部屋に戻っていなかったからだ。
「もう日が暮れる。一体どこまで行っているんだ」
ベッドの下に荷物を置き、デレクは装備を外して壁に立てかけた。
ヒューは、とっくに着替え終え、寝台にごろんと横になっている。
「まぁ、確かにラーシアは美人だが、異国の女だ。住み着いてくれる覚悟がないなら、一緒になるのは難しいだろう。彼女はただの観光客だ。一年遊んだのだからそれでいいだろう」
「美人か……。俺がラーシアに惹かれたのは容姿だけじゃない。彼女との出会いはお前より長い」
騎士団入門試験から一緒にいるヒューは驚いてデレクを見る。
「そうなのか?最初の出会いは初めて門の見張りに出た時じゃないのか?あの時、お前がラーシアの身分証を確認しただろう?」
「いや、実は王都に到着する前に、街道沿いの宿場町で会っている。俺は路銀もつきかけていて、浮浪者のような格好で、途方にくれていた。王都で一旗あげようなんて無謀なことを考えたものだと後悔していた。
そんな時、ラーシアが歌を歌っているのを見つけたんだ。彼女の前に置かれた木の椀には金がたんまり入っていた。俺はうまいものが喰いたいなぁと考えていた。
そうしたら、まるで、俺の気持ちがわかったかのように彼女が目を合わせ、俺に食事に付き合わないかと誘ってきた。
なんとなく食べて飲んで、それから……成り行きで彼女の部屋に泊った。
名前も何も知らず、もちろん、指一本触れなかった。久しぶりに屋根のある場所でぐっすり寝た。
朝起きたら彼女は消えていた。宿代と食事代が置かれていて、俺はそれを使って無事に王都に辿り着いた。
門で俺は彼女を見つけて駆け寄った。身分証を見て名前を知った。
宿泊予定の宿や、旅の目的、いろいろ聞き出して、そのあと会いに行った」
「職権乱用だな。それで、付き合いだしたと?」
「いや……。食事代と宿代を返して、それから彼女の宿に通いだした。一階が食堂だろう?歌を聞く口実で通って、それから、酔ったふりをして……彼女の部屋で休んだ。
彼女は、なんというか、俺が弱っているとそれに気づいたように励ましてくれる。頑張れとかじゃなくて、なんとなく寄り添ってくれるような気がする。
彼女の傍は居心地が良いと気づいて、好きだと告げた……。そういえば付き合おうとかそうした直接的なことは言ったことがないな……」
恋焦がれる少年のようにうっとりと虚空を見上げるデレクに、困った男だなとヒューは呆れたように吐き捨てた。
「村に残してきたケティアのことは考えたのか?そっちとも約束はしていないというなら、だいぶずるい男だぞ」
「王都に出て成功した男なんて、村じゃ一人もいない。だから、ケティアも俺が成功して戻って来るなんて期待していなかったはずだ。それに、彼女はもてたし、俺は……ダメもとで彼女に告白して付き合えたけど、なぜ俺と付き合ってくれているのかわからなかった。
金も家もない、本当に何もない男だった。結婚を匂わせたことはあったが、彼女は考えられないと言っていた……。家も金もない男じゃ、待っていてくれなんて言えるわけがない。それこそ無責任だろう」
無職の男が結婚しようと言っても、説得力がない。
村の仕事は食べていくので精一杯で、家族もなく、受け継いだ田畑や家畜もない男には、何の約束もできなかった。
「ならばケティアはもう誰かと良い感じになっているかもな」
「それはそれで……嫌な仕事だな。ケティアにふられたとしても、俺は彼女に幸せになって欲しいと思っていた。だから、待っていなくて良いと告げたんだ」
正直な男の告白に、ヒューは面倒な話だなとため息をついた。
「俺達はケティアを国の英雄にしなくちゃいけない。彼女の最後の願いをきき、それを叶え、この国のために喜んで死ぬのだと思ってもらわなければならない。
俺達が叶えられることならどんな願いも受け入れる。それが決まりだ。
ケティアがお前を欲しいと望めば、お前は逆らえないぞ。それに、ラーシアをどこまで連れて行く気だ?目的地のルト村まで観光地だらけだ。
お前が旅先で、ラーシアに夢中だったと噂になれば、田舎じゃあっというまに広まるぞ。
次か、その次辺りの観光地で別行動を提案した方がいい」
「あの男にラーシアを取られるかもしれない!」
ラルフは突然現れた謎の男だ。そんな怪しい男にラーシアは任せられないとデレクは主張した。
「そうかな?ラーシアも似たようなものだろう。顔の良い吟遊詩人は大抵、金持ちの客を手に入れて貴族屋敷で歌うものじゃないのか?金払いの良い客が屋敷に誘っても、ラーシアは一度もそうしたところに足を運んだことがないと聞いた。
吟遊詩人が宮廷楽師にもなれるような話に見向きもしないというのは、どうもひっかかるけどな」
「そ、それは……俺を好きだからじゃないかな……。俺は新人だし、市井を離れては会えなくなるだろう」
顔を赤くするデレクに、ヒューはもう言葉もないと首を振った。
「おめでたい男だな……」
その時、部屋の扉が鳴った。
飛び上がってデレクが扉を開けに行く。
ラーシアが立っていた。
「デレク、私とラルフはちょっと食事をしに出てくるよ。明日の予定のことなんだけど、ちょっと話してもいいかな?」
デレクが赤くなりながら、ラーシアの手を握りしめた。
「わかった。その、君の部屋で話してもいいかな?」
「ヒューが一緒の方がよくないか?」
ラーシアが部屋を覗き込もうとする。
ヒューが寝台に寝そべったまま手を振った。
「俺はちょっと疲れた。寝ているから、デレクと話してくれ」
心配そうなラーシアに、問題ないとヒューが声を飛ばし、デレクが押し出すようにラーシアを廊下に連れ出した。
ラルフが階段の手すりに、体を預けながら待っている。
それを目にした途端、デレクの表情が険しくなる。
ラーシアがラルフに声をかけた。
「ラルフ、下で待っていてくれないか?デレクに明日の予定を話しておく」
わかったと頷き、ラルフはあっさり一階に下りていく。
デレクはラーシアを部屋に入れ、まるで階段を下りていくラルフに聞かせようとするように、大きな音を立てて扉を閉めた。
二人きりになった途端、デレクはラーシアを抱き上げて寝台に運ぶ。
そこにラーシアの体を横たえ、デレクはその上にのしかかった。
「ラーシア、あんな得体の知れない男と二人で観光なんて危険すぎる」
「身分証は見ただろう?北の小さな町の出身で物書きだ。竜の伝説を調べて本にして土産物屋にも置いている。竜の伝説で儲けているのは彼だけじゃない」
「それでも昨日、今日会ったばかりの男だ。君と二人きりにしておくのは心配なんだ」
「女二人旅よりよっぽど安心だろう?悪い男じゃないよ」
デレクはラーシアを抱きしめた。
他の男と親しくしてほしくはないが、恋人でいることすら今の状況では約束出来ない。
「ラーシア……。君が好きだ。他の男と親しくしている姿は見たくない……。だけど、君は俺のものじゃない。俺も……君に何か約束出来る立場じゃない。ただ、心配なんだ」
「それは、身の危険の心配か?それとも私が他の男に心が奪われるのではないかという方の心配か?」
なんとも複雑な話に、デレクは顔を歪める。実はルト村に結婚を匂わせた女性がいるとは言えない。ラーシアに嫌われたくないし、かといって、繋ぎとめるための言葉もつかえない。
「その……君は……故郷に好きな男をおいてきたということはないのか?」
話が思いもかけない方向にとび、ラーシアは顔をしかめた。
「いないな。というか、明日の話をしたいのだけど、いいかな?ラルフと明日、ガレンの町の植物学者のところに行ってくる。竜花のことを調べている人らしくて、王都の研究所にも籍を置いたことがある人らしい」
「学者?明日はユロ高原を越えて竜の滝のあるユロ町に入る予定だ。ガレンの町に立ち寄れば野宿しなくてはいけなくなる」
「野宿か……ガレンに泊まってもいいかな」
「ラルフと二人で泊まるのか?!」
デレクは頭をかきむしる。二人の女に良い顔をしたい男は、どちらを立てることもできない。
「俺も行く」
「は?!仕事があるだろう?ヒューに怒られるぞ」
「ラーシア、君は、ラルフとその、だから、ラルフに惹かれているのか?彼と二人きりになりたいのか?」
嫉妬に顔を赤くするデレクを見上げ、ラーシアは言葉を探すように唇を舐めた。
「デレク……。困ったな……。じゃあはっきり言うけど、デレク、君は私の初めての男で、初めて付き合ったと言える男だ。でも、一年そんな関係を続けてきたけれど、将来的な約束は何もしてない。そうだろう?君の好意は感じるけど、それ以上の関係に進むことを君は怖がっている。
結婚も恋人でいることも、君は決断出来ていないようだ。
でもそれは君だけじゃない。私も君が初めてだから、他の男を知らない。この辺りで一旦別れて別の人と付き合うというのもありじゃないかな?」
凍り付いたデレクの顔を見上げ、ラーシアは両手を伸ばしてデレクの頬を抱いた。
俺から彼女を奪った騎士が、自分は好きな女とお楽しみだっていうのも気に入らなかった。
あいつらは誰かから愛する人を奪って、英雄にしたて、自分たちは奪われる痛みを知らない」
夜闇に沈むラルフの顔に視線を向け、ラーシアは同意するように笑った。
「確かに、この国の人々は痛みに鈍感だな。一人の犠牲で百人が助かる。その歪な正義に誰も気づいていないのが不思議だった。観光客からしてみたら、なんとも不思議な感覚だ。
でも、なんだかほっとしたよ。ラルフ、君のような人がこの国にいて。
たった一人の犠牲か……。百人の命に責任を取りたくないだけか、あるいはそうだな、災厄を誰かに押し付けて逃げてしまいたいだけじゃないかとさえ思うな。
人の心は弱いものだから、それも正しい在り方といえなくもないが、一石を投じるのも悪くない。ラルフ、君が調べてきたこと、ちょっと私にも教えてくれないか?」
ラルフは懐から再びノートを取り出したが、ラーシアに渡す直前、その手を止めた。
「君の恋人は騎士だ。俺がこの生贄制度に疑問を抱いていることを彼に訴えれば、俺は国の反逆者にされてしまうかもしれない。彼は、君と二人きりになりたがる俺に腹を立てていて、俺を嫌っている」
「その危険性を考えながら、ラルフ、君は私に自分の事情を話した。彼女を奪われた痛みを理解してほしかったからじゃないのか?
ただの観光客であり、この国の人間でない私になら、その痛みがわかるのではないかと、君は賭けに出た。だから私に真実を話した。
私は君が嘘をついているとは思っていない。それに君の思念には恐れもある。
安心してもらうことは難しいだろうが、これだけは約束しよう。私は君の敵じゃない」
ラルフはノートをラーシアに渡した。
携帯用のランタンをラルフに掲げてもらいながら、ラーシアはぎっしりと書きこまれたページをめくり始めた。
その頃、竜花の丘から一番近い騎士団要塞や町の集会所、自警団の待機所などに、竜の年の貼り紙を配り終えた今年の先触れ達は、今夜の宿に戻ってきていた。
デレクは苛々とした様子で部屋の中を歩き回っている。
同室のヒューは、冷めた目でデレクの様子を眺めている。
デレクが苛ついているのは、ラーシアがまだ部屋に戻っていなかったからだ。
「もう日が暮れる。一体どこまで行っているんだ」
ベッドの下に荷物を置き、デレクは装備を外して壁に立てかけた。
ヒューは、とっくに着替え終え、寝台にごろんと横になっている。
「まぁ、確かにラーシアは美人だが、異国の女だ。住み着いてくれる覚悟がないなら、一緒になるのは難しいだろう。彼女はただの観光客だ。一年遊んだのだからそれでいいだろう」
「美人か……。俺がラーシアに惹かれたのは容姿だけじゃない。彼女との出会いはお前より長い」
騎士団入門試験から一緒にいるヒューは驚いてデレクを見る。
「そうなのか?最初の出会いは初めて門の見張りに出た時じゃないのか?あの時、お前がラーシアの身分証を確認しただろう?」
「いや、実は王都に到着する前に、街道沿いの宿場町で会っている。俺は路銀もつきかけていて、浮浪者のような格好で、途方にくれていた。王都で一旗あげようなんて無謀なことを考えたものだと後悔していた。
そんな時、ラーシアが歌を歌っているのを見つけたんだ。彼女の前に置かれた木の椀には金がたんまり入っていた。俺はうまいものが喰いたいなぁと考えていた。
そうしたら、まるで、俺の気持ちがわかったかのように彼女が目を合わせ、俺に食事に付き合わないかと誘ってきた。
なんとなく食べて飲んで、それから……成り行きで彼女の部屋に泊った。
名前も何も知らず、もちろん、指一本触れなかった。久しぶりに屋根のある場所でぐっすり寝た。
朝起きたら彼女は消えていた。宿代と食事代が置かれていて、俺はそれを使って無事に王都に辿り着いた。
門で俺は彼女を見つけて駆け寄った。身分証を見て名前を知った。
宿泊予定の宿や、旅の目的、いろいろ聞き出して、そのあと会いに行った」
「職権乱用だな。それで、付き合いだしたと?」
「いや……。食事代と宿代を返して、それから彼女の宿に通いだした。一階が食堂だろう?歌を聞く口実で通って、それから、酔ったふりをして……彼女の部屋で休んだ。
彼女は、なんというか、俺が弱っているとそれに気づいたように励ましてくれる。頑張れとかじゃなくて、なんとなく寄り添ってくれるような気がする。
彼女の傍は居心地が良いと気づいて、好きだと告げた……。そういえば付き合おうとかそうした直接的なことは言ったことがないな……」
恋焦がれる少年のようにうっとりと虚空を見上げるデレクに、困った男だなとヒューは呆れたように吐き捨てた。
「村に残してきたケティアのことは考えたのか?そっちとも約束はしていないというなら、だいぶずるい男だぞ」
「王都に出て成功した男なんて、村じゃ一人もいない。だから、ケティアも俺が成功して戻って来るなんて期待していなかったはずだ。それに、彼女はもてたし、俺は……ダメもとで彼女に告白して付き合えたけど、なぜ俺と付き合ってくれているのかわからなかった。
金も家もない、本当に何もない男だった。結婚を匂わせたことはあったが、彼女は考えられないと言っていた……。家も金もない男じゃ、待っていてくれなんて言えるわけがない。それこそ無責任だろう」
無職の男が結婚しようと言っても、説得力がない。
村の仕事は食べていくので精一杯で、家族もなく、受け継いだ田畑や家畜もない男には、何の約束もできなかった。
「ならばケティアはもう誰かと良い感じになっているかもな」
「それはそれで……嫌な仕事だな。ケティアにふられたとしても、俺は彼女に幸せになって欲しいと思っていた。だから、待っていなくて良いと告げたんだ」
正直な男の告白に、ヒューは面倒な話だなとため息をついた。
「俺達はケティアを国の英雄にしなくちゃいけない。彼女の最後の願いをきき、それを叶え、この国のために喜んで死ぬのだと思ってもらわなければならない。
俺達が叶えられることならどんな願いも受け入れる。それが決まりだ。
ケティアがお前を欲しいと望めば、お前は逆らえないぞ。それに、ラーシアをどこまで連れて行く気だ?目的地のルト村まで観光地だらけだ。
お前が旅先で、ラーシアに夢中だったと噂になれば、田舎じゃあっというまに広まるぞ。
次か、その次辺りの観光地で別行動を提案した方がいい」
「あの男にラーシアを取られるかもしれない!」
ラルフは突然現れた謎の男だ。そんな怪しい男にラーシアは任せられないとデレクは主張した。
「そうかな?ラーシアも似たようなものだろう。顔の良い吟遊詩人は大抵、金持ちの客を手に入れて貴族屋敷で歌うものじゃないのか?金払いの良い客が屋敷に誘っても、ラーシアは一度もそうしたところに足を運んだことがないと聞いた。
吟遊詩人が宮廷楽師にもなれるような話に見向きもしないというのは、どうもひっかかるけどな」
「そ、それは……俺を好きだからじゃないかな……。俺は新人だし、市井を離れては会えなくなるだろう」
顔を赤くするデレクに、ヒューはもう言葉もないと首を振った。
「おめでたい男だな……」
その時、部屋の扉が鳴った。
飛び上がってデレクが扉を開けに行く。
ラーシアが立っていた。
「デレク、私とラルフはちょっと食事をしに出てくるよ。明日の予定のことなんだけど、ちょっと話してもいいかな?」
デレクが赤くなりながら、ラーシアの手を握りしめた。
「わかった。その、君の部屋で話してもいいかな?」
「ヒューが一緒の方がよくないか?」
ラーシアが部屋を覗き込もうとする。
ヒューが寝台に寝そべったまま手を振った。
「俺はちょっと疲れた。寝ているから、デレクと話してくれ」
心配そうなラーシアに、問題ないとヒューが声を飛ばし、デレクが押し出すようにラーシアを廊下に連れ出した。
ラルフが階段の手すりに、体を預けながら待っている。
それを目にした途端、デレクの表情が険しくなる。
ラーシアがラルフに声をかけた。
「ラルフ、下で待っていてくれないか?デレクに明日の予定を話しておく」
わかったと頷き、ラルフはあっさり一階に下りていく。
デレクはラーシアを部屋に入れ、まるで階段を下りていくラルフに聞かせようとするように、大きな音を立てて扉を閉めた。
二人きりになった途端、デレクはラーシアを抱き上げて寝台に運ぶ。
そこにラーシアの体を横たえ、デレクはその上にのしかかった。
「ラーシア、あんな得体の知れない男と二人で観光なんて危険すぎる」
「身分証は見ただろう?北の小さな町の出身で物書きだ。竜の伝説を調べて本にして土産物屋にも置いている。竜の伝説で儲けているのは彼だけじゃない」
「それでも昨日、今日会ったばかりの男だ。君と二人きりにしておくのは心配なんだ」
「女二人旅よりよっぽど安心だろう?悪い男じゃないよ」
デレクはラーシアを抱きしめた。
他の男と親しくしてほしくはないが、恋人でいることすら今の状況では約束出来ない。
「ラーシア……。君が好きだ。他の男と親しくしている姿は見たくない……。だけど、君は俺のものじゃない。俺も……君に何か約束出来る立場じゃない。ただ、心配なんだ」
「それは、身の危険の心配か?それとも私が他の男に心が奪われるのではないかという方の心配か?」
なんとも複雑な話に、デレクは顔を歪める。実はルト村に結婚を匂わせた女性がいるとは言えない。ラーシアに嫌われたくないし、かといって、繋ぎとめるための言葉もつかえない。
「その……君は……故郷に好きな男をおいてきたということはないのか?」
話が思いもかけない方向にとび、ラーシアは顔をしかめた。
「いないな。というか、明日の話をしたいのだけど、いいかな?ラルフと明日、ガレンの町の植物学者のところに行ってくる。竜花のことを調べている人らしくて、王都の研究所にも籍を置いたことがある人らしい」
「学者?明日はユロ高原を越えて竜の滝のあるユロ町に入る予定だ。ガレンの町に立ち寄れば野宿しなくてはいけなくなる」
「野宿か……ガレンに泊まってもいいかな」
「ラルフと二人で泊まるのか?!」
デレクは頭をかきむしる。二人の女に良い顔をしたい男は、どちらを立てることもできない。
「俺も行く」
「は?!仕事があるだろう?ヒューに怒られるぞ」
「ラーシア、君は、ラルフとその、だから、ラルフに惹かれているのか?彼と二人きりになりたいのか?」
嫉妬に顔を赤くするデレクを見上げ、ラーシアは言葉を探すように唇を舐めた。
「デレク……。困ったな……。じゃあはっきり言うけど、デレク、君は私の初めての男で、初めて付き合ったと言える男だ。でも、一年そんな関係を続けてきたけれど、将来的な約束は何もしてない。そうだろう?君の好意は感じるけど、それ以上の関係に進むことを君は怖がっている。
結婚も恋人でいることも、君は決断出来ていないようだ。
でもそれは君だけじゃない。私も君が初めてだから、他の男を知らない。この辺りで一旦別れて別の人と付き合うというのもありじゃないかな?」
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