死の花

丸井竹

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32.王妃の決断

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 暗い牢内の寝台に横たわり、フェスターは天井から滴る水滴をじっと見ていた。
死の花によって増幅された呪いは、フェスターに確実に迫っていた。

呪器は遠くに逃がし、安全な結界の中にある。
守護する者はフェスターが全てを教え、王国最強の魔力を身につけさせた、たった一人の弟子だ。

かつてフェスターが学び研究したその部屋にこもらせ、残された力の全てを学ばせた。
一人の男娼を一人前の魔法使いに作り上げたのだ。たいした研究成果といえるだろう。

フェスターは清々しい敗北感に浸りながら、死の時を待っていた。

冷え切った牢内の空気には、ある種の瘴気が含まれている。そこへ軽い足音が近づいてきた。
ぴちゃんぴちゃんと水を跳ね上げ、フェスターのいる牢に迫ってくる。

「フェスター!」

突然鉄格子にしがみついてきた女を、フェスターは寝台に横になったままちらりと見た。
そこにはローブで顔を隠したレフリアの姿があった。

「レイシャは?レイシャはどこにやったの?」

王とイウレシャより先に、抜け道を使いここまで駆けてきた王妃は鉄格子を握りしめ、フェスターに必死の形相で訴えた。

「答えて!レイシャはどこなの!」

「彼女は……残念ながら無事です……」

フェスターは視線を天井に戻した。

「残念ながらって?……」

誰かが入ってこないか、後ろの通路を気にしながら、王妃はフェスターに答えを促した。
湿った牢内に、フェスターの静かな声が響きだした。

「あなたの娘は、私の復讐の道具になるはずだった。どこまでも苦しめ、見るも無残な哀れな姿にして、あなたの前に連れて行こうと、何年もかけて準備をしてきた。
なのに……レイシャには計画を狂わされっぱなしだった。
酷い家族に育てさせたというのに、レイシャはやられっぱなしでもなかった。
不幸な結婚で虐げてやろうと思ったのに、とにかくめげない妻で、口答えばかりする。
男娼と恋に落ちた時は、今度こそ不幸にしてやれると楽しみだった。
想いを遂げたら相手の男を殺し、彼女を絶望させてやろうと計画を立てていた。
それなのに、人妻であることも忘れず、男娼相手に手も繋がず、口づけもしない。
男娼を娼館から自由にしてやれば今度こそ、自由に恋愛を始めるのではないかと思ったら、逆に彼女は私と夫婦として向き合わないできたから、妻としてやり直すと言い出した。
レイシャのせいで、俺の計画はすっかり狂わされた。
あんな女は妻にしておけない。レイシャは……俺からもあなたからも解放され、自由に生きるだろう……きっと……」

フェスタ―の言葉は次第に弱々しくなり、最後には萎むように消えてしまった。
その顔は紙のように青ざめ、呪いの印が浮き出ていた。

通路の向こうから複数の足音が聞こえてきた。

「王妃様……」

見張りに立っていた侍女が飛び込んできた。
王とイウレシャが騎士達を従えこちらに向かってきているのだ。
レフリアは唇を噛みしめると、身をひるがえし、来た道を引き返した。

王たちに会わないよう、抜け道を使い、走り続けるレフリアの脳裏には、少年時代のフェスターの姿があった。
その姿は大人になってもそう大きくはかわらない。

色白できれいな黒髪をした、物腰の穏やかな少年だった。
謎めいた眼差しをレフリアに向け、皮肉めいた微笑みを浮かべていた。
すぐに魔法使いだと気づき、様々なお願いをした。
ピンクの花で道をいっぱいにしてみせてと頼めば、その道は一瞬でピンクの花に彩られ、喉が渇いたと言えば空中にコップをかざし、水を呼び寄せた。

フェスターに愛されている自信があった。
その高慢さで、王都に戻りたいから協力して欲しいと頼んだ。

レフリアは王国で起こる事件の数々を、フェスターの力を使って解決に導いた。
すぐれた魔法使いを抱えているとレフリアの家は評判になり、フェスターを連れて王都に戻れることになった。

王都には好きな男性がいた。それがデノン王だった。
王妃になりたかったわけではない。ただ彼と結ばれたかった。

王都に戻ってもフェスターの力は必要だった。
魔力が無ければ読めない古代の魔術書を愛読しているフェスターに、王室の書庫を自由に使わせてあげると約束し、フェスターを王城に留まらせた。
案の定、彼は様々な場所で問題を解決し、レフリアの評判を上げた。

フェスタ―はレフリアの家のお抱え魔法使いとして、国の契約に縛られない立場でいられた。
しかしさらに欲をかいた。
フェスタ―を国の契約魔法使いにするために、デノン王に協力することになった。
死の花のことはそのきっかけに過ぎなかったのだ。

どこで間違えてしまったのか。
途中まで順調だったのに、最愛のものを手放してしまった。
王都に戻ってきた時に、フェスターを手放しておけばよかったのではないだろうか。

娘を奪われた時、因果応報だとどこかで考えていた。
してもらうばかり、奪ってばかり、何もお返しをしたことがない。
挙句の果てには騙して国の奴隷にしたのだ。

それなのに、自分のしたことを棚に上げ、娘を取り返そうと考えた。
確かに悪い事はしたが、王妃なのだ。
出来ないことはないと思い込もうとした。
酷い夫に虐げられている娘なら、助けてあげると言えば飛びついてくると思ったのだ。
若くて優しい男性を紹介し、母の傍で暮らしたいと思わせようと考えた。

それなのに、母としても王妃としてもレイシャを守ることができなかった。
フェスターはレイシャを忌み嫌われる呪器にしたが、妻にして何年も守ってきたのに、レフリアは半月も守れなかった。

レフリア王妃は取り返しのつかない過去にどうやって向き合っていけばわからず、途方にくれていたが、レイシャを諦める気にだけはならなかった。
フェスタ―が死んだら、レイシャの居場所はもうわからない。

先頭を走っていた侍女が足を止め、通路の外をうかがい振り返った。

「大丈夫です。外には誰もいません」

抜け道から外に出ると、そこは花咲く庭園だった。

腰丈まである植え込みが迷路のように広がっており、花壇には鮮やかな花々が溢れている。
薄暗い地下室とは真逆の光景が広がっている。

花をたくさん咲かせて見せてくれたフェスターの少年時代の顔が、またしてもレフリアの脳裏にちらついた。
ただ謝罪し、レイシャに定期的にでも会わせて欲しいと頼めばよかったのではないだろうかと心に過った。

しかしもう手遅れだ。
王妃は涙を拭い、後宮に戻った。
心配する侍女たちを下がらせ、王妃は一人寝台に座った。
レイシャが産まれた時、寝台に横たわり、その小さな体を抱きしめた。

レイシャと過ごした思い出はそれだけだった。
両手で顔を覆い、溢れる涙に任せ、声をあげようとしたとき扉が鳴った。

レフリアは顔を上げた。
その視線の先で扉が開いた。

金色の髪をした愛らしい顔が覗き、飛び出すように全身が現れた。
その後ろにひっそりと黒い人影が立っている。
驚きのあまり、声も出ないレフリアの前に、レイシャが進み出た。
その後ろからついてくる人物はフェスターではなかった。

「レイシャ?」

王妃は立ち上がり、娘に走り寄る。
しかしレイシャは数歩下がり、急いでお辞儀をした。
抱きしめられたくないのだと察し、王妃は拳を握りしめ足を止めた。

レイシャは顔を上げ、ぎこちなく微笑んだ。

「お願いがあります。お、お母様……」

「レイシャ……」

無理にレイシャが「お母様」という言葉を使ったのだとわかったが、王妃はレイシャの両手を強引に握った。

「なんでも、なんでもするわ。レイシャ、あなたのためなら」

愛する者に頼まれたら、利用されているだけだとわかっていても断ることは難しい。
レフリアがフェスタ―に対してしてきたことだ。

「お母様、あの、フェスター様を助けたいのです。フェスター様は私を手放し、好きな人と生きられるように考えて下さった。だけど、私達だけ幸せになるなんてできません。どうか力を貸してください」

わずかでも償いができるかもしれないとレフリアは考えた。
フェスタ―を憎んできたが、フェスターだけが悪いわけではなかった。
自分の罪から目を逸らし続けてきたが、今こそ向き合う時なのだとレフリアはやっと覚悟を決めた。

「私に出来ることならば、どんなことでもしてあげる。何をしたらいいの?」

レフリアの言葉にレイシャはほっとした。
その強い眼差しと、不屈の意思を湛えた微笑みに、レフリアは魅せられた。

――レイシャには計画を狂わされっぱなしだった……

牢内のフェスターの言葉が蘇る。
一流の魔法使いであるフェスターに復讐を諦めさせ、それどころか幸せまで勝ち取った。
不幸に育てられたはずのレイシャは、確かに、どこからどうみても不幸なだけの少女には見えない。

レイシャは王妃の気が変わらないうちに話を進めようと、さっそく計画を説明した。

「とても危険なことですが、どうしてもお願いしたいのです!」

その内容は、確かに王妃でなければ出来ないようなことだったが、王宮に住んでいながら王妃さえも知らないことが含まれていた。

かなり危険な橋を渡ることになると判明したが、レフリアの心に迷いはなかった。
その不思議な高揚感の正体に、レフリアは初めて気が付いた。

レフリアは、初めて誰の意見にも左右されず、自身の心が欲することをしようとしているのだ。
王を裏切り、国の制度に反する行為だ。
レイシャの頼みとはいえ、流されているわけではない。

その代償を自ら引き受ける覚悟で、レイシャの味方をしようとしている。

「いいわ。必ず成功させてみせる。さっそく行きましょう」

全ての打ち合わせが終わると、レフリアは自らそう言って立ち上がった。
レイシャも目を輝かせ立ち上がる。
ディーンも続き、フェスターにそっくりな皮肉めいた微笑を湛え、魔力を湛えた指輪を指先で静かにこすった。

そこからはもう言葉はいらなかった。
三人は速やかに行動を開始した。
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