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28.王妃の娘
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黒の館前に馬車が滑り込んでくると、ディーンはすぐにフェスターを出迎えに走った。
止まった馬車の扉を開け、弟子らしく頭を下げる。
馬車から出てきたフェスタ―は、ディーンを一瞥もせず、かなり不機嫌な様子で屋敷に向かって歩き出す。
レイシャを助けおろそうと、ディーンは馬車の中を覗きこむ。
ところが馬車の中は無人だった。
慌ててディーンはフェスターを追いかけた。
「フェスター様!レイシャがいません。一体どこに?」
フェスタ―はぴたりと足を止めた。
「レイシャは王都に置いてきた。なぜなのか知りたいか?」
無言でディーンは首を縦に振った。
忌々し気にフェスターはレイシャが王都に残った理由をディーンに端的に教えた。
「あの女、今更、娘を取り戻そうとするとは。しかもレイシャまであの愚かな連中の考えにのるとは許し難い」
不機嫌な顔で話し終えると、衝撃の事実を聞かされ絶句しているディーンを残し、フェスターは猛然と歩きだした。
慌ててディーンがそれを追う。
「王妃様の娘なのですか?レイシャが?捨てた娘を取り戻した?つまり戻ってこないのですか?」
裏口を出たフェスタ―は、焼却炉の入り口を抜け、地下室に続く階段を下りていく。
ディーンは転がるように後を追いかけた。
薄暗い地下通路をフェスターは走るように進んだ。
広くなった場所に罪人たちが吊り下げられている。
ディーンが止める間もなく、壁にかけてあった剣を抜き取り、フェスターはまだ息のある罪人を一人殺した。
「ああっ!」
悲痛な声をあげたのはディーンだった。
それはまだ実験途中の個体であり、回復の過程にあった。
フェスタ―は剣の切っ先についた血液の色を確かめ、「おや?」といった顔になった。
ディーンはフェスターのために椅子を運んできた。
フェスタ―は無言で座り、剣を床に放り投げた。
甲高い金属音が鳴り、剣はしばらく振動していたが、すぐに静かになった。
ディーンは、またもやフェスターが八つ当たりのように人を殺すのではないかと警戒し、囚人たちを背中に庇い、フェスターの前に立った。
「では、レイシャはこれから王宮で暮らすのですか?その、王様の娘として?つまり王女なのですか?」
「そうだろうな」
壁際に置かれた棚から瓶を一本つかみ取ると、フェスターはそれを乱暴に床に投げつけた。
砕け散った瓶の中から、黒い瘴気がふわりと出て、また囚人を一人あの世に連れ去った。
ディーンはがっくりと肩を落とす。
「お前はどうする?続けるのか?」
王女になったレイシャと結ばれる未来はもう望めないかもしれない。
ディーンは思ったが、その心は全く揺るがなかった。
「当然です。彼女が幸せになるためには、あの刻印を消す必要があります。あなたの刻印を消せるようになるまで諦めません。例え、俺が彼女と一緒になれなかったとしても……」
強い覚悟を秘めたその言葉に、フェスターはもう戻ってこないかもしれない女のために本気で命を捨てる気なのかと、正気を疑うようにディーンを見据える。
姿勢を正し、ディーンは両膝を床に落とした。
弟子として最もふさわしい仕草で、手をつき、恭しく頭を下げる。
「フェスター様、最後の部屋の書物は読み終えました。実験も進んでいます。魔力も十分宿りました。そろそろ実戦に連れていってください」
表情は変えなかったが、フェスターはその決然とした声の響きに、強い魔力を感じ取り驚いた。
殺し損ねたディーンを生かしたのは、たんなる気紛れであり、最初は暇つぶし程度の存在だったのだ。
ところが、一日一日を生き延び、今や本当に弟子のような存在になってしまった。
もしかしたらレイシャより貴重な存在になるかもしれないとフェスターは初めて考えた。
ディーンの原動力はレイシャだ。レイシャが生きている限り、この男は伸びるかもしれない。
「そうか……実戦か……。どこまで出来るかみてみよう」
フェスタ―は椅子を立った。
「ディーン、お前にはこれから今まで以上の地獄を見てもらう。数十年分を一カ月で終えるのだ。ろくな死に方が出来ると思うなよ」
一カ月とは、レイシャを迎えに行くまでの期間だ。
緊張で顔を強張らせ、ディーンは背筋を伸ばした。
「はい。お願いします!」
黒い風が吹き込んだ。一瞬のうちにフェスターとディーンの姿は闇に沈む地下室から消えさった。
硬い地面がディーンの両足に触れた。
そこは見知らぬ場所だった。
周囲には美しい白い花が咲き乱れている。
その向こうに視線を向けると、黒々とした大地が続き、小さな町灯りが見えた。
夜の薄闇が迫っている。
甘い香りが漂い、風が抜けるたびに白い花弁が舞いあがる。
「こ、これは……」
ディーンは地面にしゃがみ込み、白い花に触れてその形状や魔力の流れを確認した。
この花の魔力を散々利用してきたが、実物をみるのは初めてだった。
「死の花だ。我が国では発見されしだい処分されることになっている。根こそぎ焼くことになっているが、当然そんなことでは根絶できない。どこからきたのか、なぜこの花がはびこるようになったのか、それはたいした問題ではない。
この花が増幅させる呪いが問題なのだ。聖騎士が焼き、解呪師が消滅させる。他の方法はこの国では許されていない」
フェスタ―の言葉の意味が、ディーンにはすぐにわかった。
わけもわからず学習してきたこと、訓練してきたことの意味が、パズルの最後のピースを嵌めたかのようにはっきりと見えた。
「焼いたり抜いたりするなよ。咲かせたものに責任をとらせるのだ」
死の花は誰かの妬みや憎しみが養分となる。
「これは薬でも守りでもない。攻撃だ。私が王国に奪われた戦う力だ」
放たれた憎しみや呪いを本人に返すことの出来る術。
それは国が禁じた呪術師のものだ。
人は普通一人分の魔力しかもたない。
それゆえ、自分の持つ魔力の特性を理解し、職業を一つ選ぶ。
霊薬師は治癒師にはなれないし、治癒師は解呪師にはなれない。
その全てを網羅することはできないのだ。
しかし、そうではないものがいる。
信じられない思いで、ディーンはフェスターを見た。
フェスタ―は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ゆっくり白い花々の上を指でさした。
「ディーン。実戦だ。やってみろ」
残忍で、容赦のない低い声で発せられたその命令に、ディーンは直ちに従った。
その夜、打ち捨てられた憎しみは全て持ち主に返された。
それは火種となり、国中に物騒な事件を引き起こした。
しかしその翌日、白い花で埋め尽くされていた丘の上には、優しく揺れるどこにでも咲く野花だけがあった。
小さな虫たちがその楽園に戻り、鳥たちも羽を休めた。
角ウサギが飛んで現れ、さっそく巣穴を掘りだした。
死の花の痕跡は跡形もなく消えていた。
――
レイシャは豪華な王城にいた。
王妃は毎日レイシャを連れ歩き、王城内の美しい場所を案内した。
そのほとんどは王城に複数ある庭のどこかだった。
呪器であるレイシャが入った場所や、通った場所を怖がる人もいる。
しかし外であれば、その汚れは太陽の日差しで清められ、あるいは風が散らしてしまうと彼らは強引に考えることが出来る。
実際はそんなことで呪いは消えたりしないが、それを口に出す者はいない。
その日、レイシャは花の庭園に連れてこられ、明るい東屋の中でレフリアとお茶の時間を過ごしていた。
テーブルに並べられている豪華なお茶菓子も、上品な味のお茶も、レイシャには馴染みのないものばかりで、あまり口にしたいものでもなかった。
しかし王妃の機嫌を損ねたら、何をされるかわからない。
恐ろしい女性ではないが、権力を持っているし、なによりフェスターと敵対しているようなところがある。
フェスタ―が戻ってきたら、ちゃんと戻れるようにお願いしておかなければならない。
レイシャはそう考えていたが、なかなか帰りたいと言える雰囲気を作ることが出来ず苦戦していた。
「召使はいるの?」
レフリア王妃の言葉に、レイシャは眉間に皺を寄せた。
王妃はレイシャの全てを知ろうと細かい質問を繰り返したあげく、常に不愉快な感想を口にする。
「いません。自分で料理本を買って、パンを焼いたり、肉を柔らかくするために叩いたり、いろいろ工夫をして料理をします」
レフリアは、気の毒そうに表情を曇らせる。
「可哀そうに……。不自由な生活を送っているのね。あんなに稼いでいるのに、妻に料理をさせるなんて、本当にひどいことを」
そのずれた会話をどう修正したらいいのかわからず、レイシャはさらに難しい顔になった。
「料理をすることが……ひどいことだとは思いません。確かに苦しい思いをするのは私なのに、取り分が少ないと文句を言ったことはありますが、可哀そうだとは思っていません。フェスター様には優しいところだってあります」
レフリアは驚いて、嘘でしょう?と首を傾けた。
「フェスターが優しい?騙されているのではない?」
「そ、その……口づけの時だけ優しいです……」
王妃は目を丸くして、そっと手にしていたお茶のカップをテーブルに戻した。
「レイシャの好きな人は……フェスターではないのでしょう?」
「今はそうですけど……。でも、フェスター様と結婚した時は、とてもうれしかったのです。
だって、フェスター様はとにかく見た目だけは素敵じゃないですか。
少し意地悪でも、姿かたちが良いのだから、多少は我慢するべきだとも思いました。
それに、これから一生、お前は俺の呪器だと言われたのです。
必要とされてうれしかったし、良い妻になろうと思いました。
だけど、呪器がどんな存在なのか、結婚からだいぶ経ってから教えられました。
呪器だと知られたら、世界中のどこにも居場所がなくなるのだと知り、絶望しました。
夫は相手をしてくれないし、友達だって作れない。孤独で寂しくて、お金はあっても使い道もない。
すっかり元気でいることに疲れてしまって、町を歩いている時に、優しい声をかけられました。
その笑顔と声に魅せられて、なんでしょう、心が蕩けるような、もう何も考えられなくなるような気分になったのです。彼の傍にいると、ずっと欲しかったものが全部そこにあるようで、幸せでした……」
「恋をしたのね?」
レフリアが促した。
「そうです。たぶん、そうなのだと思います。娼館に一年も通いました」
レイシャの初恋の話をうっとり聞いていたレフリアは、途端に表情を硬くした。
「娼館?!その人は娼館の人なの?!」
「はい。本当に素敵で、部屋が飛ばされてしまいそうな嵐の夜でも、その人のことを考えるだけで少し心が慰められたのです」
レイシャはディーンの姿を思い浮かべ、顔を赤くした。
レフリアは険しい表情になり、思案顔で黙り込んだ。
その翌日も、レフリアは強引に朝からレイシャを外に連れ出した。
美しい天使象が天井を押し上げるような形の東屋の中、レイシャは王妃と向き合い、いつものように座っていた。
目の前のお茶のカップには、もう手も伸ばしたくない気分だった。
そこに、仮面のような笑顔を張り付けた三人の男達が現れた。
レイシャはぞっとして体を固くした。
助けを求めて王妃に視線を向けたが、王妃はにこやかにレイシャに説明した。
「王宮で働いてくれている解呪師の方たちよ」
その雰囲気はあまりにも禍々しい。
レイシャは無言で顔をしかめた。
王城にいる間に、少しずつレイシャの体調は悪くなっていた。
原因はわかりきっていた。
死の呪いがじわじわとレイシャに吸い込まれているからだ。
それに追い打ちをかけるような気持ち悪さを、レイシャはこの男達から感じていた。
「レイシャ、彼らは王立解呪研究棟の中でも特に優秀な解呪師なのよ」
王妃の後押しがあれば、出世は思いのままだ。
野心溢れる三人の若い男達は、紳士的に微笑みながらも、自分を選べとレイシャに無言で迫っている。
「このお庭の三か所にお茶の用意をしておいたわ。一人ずつそこで待っていてもらうから、順番に回ってお話してみてね」
王妃の言葉を受け、男達はそれぞれの持ち場に向かっていく。
「さあレイシャ、誰から回ってもいいのよ。行ってきて」
王妃は満面の笑顔でレイシャを送りだした。
なんとか全員と強制的なお見合いを終えると、レイシャはさらに気分が悪くなっていた。
その顔色は真っ青だったが、王妃は誰も選ばず戻ってきたレイシャを見て、残念そうな顔をしただけだった。
翌日も、王妃は騎士達と共にレイシャを誘いにやってきた。
ところが、レイシャの部屋の前には、大勢の解呪師達が詰めかけていた。
その中心に、王立解呪研究棟の最高責任者であるイウレシャの姿があった。
「何をしているの!」
憎い男の姿に、レフリアは鋭く叫んだ。
イウレシャは恭しく頭を下げたが、扉の前をどこうとはしなかった。
「レイシャ様は国一番の解呪師、フェスターの呪器。彼女の刻印の秘密を知りたいのです。
それを知ることが出来れば、フェスターをいちいち呼び出さなくてもよくなります。
これは国の平和のために必要な研究なのです」
解呪師であれば誰であれ、フェスタ―のように、国に頼られ、求められるようになりたいと野心を抱く。
イウレシャと共に集まった解呪師達も、レイシャのような呪器を求めていたのだ。
呪器とは本来、使い捨ての道具であるが、レイシャはフェスターの管理のもと、かなり長持している。
まるで呪器ではないかのように、普通の生活も送れている。
それは王都にいる解呪師達から見たら、驚異的な事だった。
「刻印を観察するだけです」
イウレシャの手にはレイシャの部屋の鍵があった。
王が既にそれを許可していたのだ。
王妃は抗議したが、レイシャは強引に部屋に入ってきた男達によって部屋から運び出された。
レイシャは抵抗しなかった。
刻印の模様は既にだいぶ上の方まであがってきており、気分は最悪だった。
体が死んでいくような恐怖や、苦痛に苛まれ、寝台で呻くばかりになっていた。
王妃はレイシャから離されまいと、研究棟までついてきたが、レイシャが実験台に横たえられると悲鳴をあげた。
あろうことか、彼らは仰向けになったレイシャの足を開き、股間の中を覗き込もうとしたのだ。
止めようとしたが、台の周囲は透明な壁で覆われ、解呪師の男達しか中には入れないようになっていた。
「なんということを!レイシャを放しなさい!レイシャは人妻なのよ?夫の許可なくそんなこと許されるわけがないわ!」
王妃は叫んだ。
王の言葉に対抗できる存在は、結婚の宣誓でその立場を守られている夫しかいない。
「新たな結婚相手を探していたのでは?となれば、レイシャ様は独身の女性と同じ扱いでよいということになりませんか?」
イウレシャが淡々と告げる。
夫がいないとなれば、両親が身動きできないレイシャの意思決定を行うことになる。
しかし王妃の意見は採用されない。
なぜなら、王がレイシャの研究を許可しているからだ。
この状況で、レイシャを助けることが出来る人物は、夫のフェスターだけだ。
王妃は悔しさに唇を噛みしめた。
しかし、やっと取り戻した娘は、身動き一つ出来ず、女性のもっとも秘められた部分を男達に覗き込まれている。
王妃は身を翻し部屋を飛び出した。
止まった馬車の扉を開け、弟子らしく頭を下げる。
馬車から出てきたフェスタ―は、ディーンを一瞥もせず、かなり不機嫌な様子で屋敷に向かって歩き出す。
レイシャを助けおろそうと、ディーンは馬車の中を覗きこむ。
ところが馬車の中は無人だった。
慌ててディーンはフェスターを追いかけた。
「フェスター様!レイシャがいません。一体どこに?」
フェスタ―はぴたりと足を止めた。
「レイシャは王都に置いてきた。なぜなのか知りたいか?」
無言でディーンは首を縦に振った。
忌々し気にフェスターはレイシャが王都に残った理由をディーンに端的に教えた。
「あの女、今更、娘を取り戻そうとするとは。しかもレイシャまであの愚かな連中の考えにのるとは許し難い」
不機嫌な顔で話し終えると、衝撃の事実を聞かされ絶句しているディーンを残し、フェスターは猛然と歩きだした。
慌ててディーンがそれを追う。
「王妃様の娘なのですか?レイシャが?捨てた娘を取り戻した?つまり戻ってこないのですか?」
裏口を出たフェスタ―は、焼却炉の入り口を抜け、地下室に続く階段を下りていく。
ディーンは転がるように後を追いかけた。
薄暗い地下通路をフェスターは走るように進んだ。
広くなった場所に罪人たちが吊り下げられている。
ディーンが止める間もなく、壁にかけてあった剣を抜き取り、フェスターはまだ息のある罪人を一人殺した。
「ああっ!」
悲痛な声をあげたのはディーンだった。
それはまだ実験途中の個体であり、回復の過程にあった。
フェスタ―は剣の切っ先についた血液の色を確かめ、「おや?」といった顔になった。
ディーンはフェスターのために椅子を運んできた。
フェスタ―は無言で座り、剣を床に放り投げた。
甲高い金属音が鳴り、剣はしばらく振動していたが、すぐに静かになった。
ディーンは、またもやフェスターが八つ当たりのように人を殺すのではないかと警戒し、囚人たちを背中に庇い、フェスターの前に立った。
「では、レイシャはこれから王宮で暮らすのですか?その、王様の娘として?つまり王女なのですか?」
「そうだろうな」
壁際に置かれた棚から瓶を一本つかみ取ると、フェスターはそれを乱暴に床に投げつけた。
砕け散った瓶の中から、黒い瘴気がふわりと出て、また囚人を一人あの世に連れ去った。
ディーンはがっくりと肩を落とす。
「お前はどうする?続けるのか?」
王女になったレイシャと結ばれる未来はもう望めないかもしれない。
ディーンは思ったが、その心は全く揺るがなかった。
「当然です。彼女が幸せになるためには、あの刻印を消す必要があります。あなたの刻印を消せるようになるまで諦めません。例え、俺が彼女と一緒になれなかったとしても……」
強い覚悟を秘めたその言葉に、フェスターはもう戻ってこないかもしれない女のために本気で命を捨てる気なのかと、正気を疑うようにディーンを見据える。
姿勢を正し、ディーンは両膝を床に落とした。
弟子として最もふさわしい仕草で、手をつき、恭しく頭を下げる。
「フェスター様、最後の部屋の書物は読み終えました。実験も進んでいます。魔力も十分宿りました。そろそろ実戦に連れていってください」
表情は変えなかったが、フェスターはその決然とした声の響きに、強い魔力を感じ取り驚いた。
殺し損ねたディーンを生かしたのは、たんなる気紛れであり、最初は暇つぶし程度の存在だったのだ。
ところが、一日一日を生き延び、今や本当に弟子のような存在になってしまった。
もしかしたらレイシャより貴重な存在になるかもしれないとフェスターは初めて考えた。
ディーンの原動力はレイシャだ。レイシャが生きている限り、この男は伸びるかもしれない。
「そうか……実戦か……。どこまで出来るかみてみよう」
フェスタ―は椅子を立った。
「ディーン、お前にはこれから今まで以上の地獄を見てもらう。数十年分を一カ月で終えるのだ。ろくな死に方が出来ると思うなよ」
一カ月とは、レイシャを迎えに行くまでの期間だ。
緊張で顔を強張らせ、ディーンは背筋を伸ばした。
「はい。お願いします!」
黒い風が吹き込んだ。一瞬のうちにフェスターとディーンの姿は闇に沈む地下室から消えさった。
硬い地面がディーンの両足に触れた。
そこは見知らぬ場所だった。
周囲には美しい白い花が咲き乱れている。
その向こうに視線を向けると、黒々とした大地が続き、小さな町灯りが見えた。
夜の薄闇が迫っている。
甘い香りが漂い、風が抜けるたびに白い花弁が舞いあがる。
「こ、これは……」
ディーンは地面にしゃがみ込み、白い花に触れてその形状や魔力の流れを確認した。
この花の魔力を散々利用してきたが、実物をみるのは初めてだった。
「死の花だ。我が国では発見されしだい処分されることになっている。根こそぎ焼くことになっているが、当然そんなことでは根絶できない。どこからきたのか、なぜこの花がはびこるようになったのか、それはたいした問題ではない。
この花が増幅させる呪いが問題なのだ。聖騎士が焼き、解呪師が消滅させる。他の方法はこの国では許されていない」
フェスタ―の言葉の意味が、ディーンにはすぐにわかった。
わけもわからず学習してきたこと、訓練してきたことの意味が、パズルの最後のピースを嵌めたかのようにはっきりと見えた。
「焼いたり抜いたりするなよ。咲かせたものに責任をとらせるのだ」
死の花は誰かの妬みや憎しみが養分となる。
「これは薬でも守りでもない。攻撃だ。私が王国に奪われた戦う力だ」
放たれた憎しみや呪いを本人に返すことの出来る術。
それは国が禁じた呪術師のものだ。
人は普通一人分の魔力しかもたない。
それゆえ、自分の持つ魔力の特性を理解し、職業を一つ選ぶ。
霊薬師は治癒師にはなれないし、治癒師は解呪師にはなれない。
その全てを網羅することはできないのだ。
しかし、そうではないものがいる。
信じられない思いで、ディーンはフェスターを見た。
フェスタ―は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ゆっくり白い花々の上を指でさした。
「ディーン。実戦だ。やってみろ」
残忍で、容赦のない低い声で発せられたその命令に、ディーンは直ちに従った。
その夜、打ち捨てられた憎しみは全て持ち主に返された。
それは火種となり、国中に物騒な事件を引き起こした。
しかしその翌日、白い花で埋め尽くされていた丘の上には、優しく揺れるどこにでも咲く野花だけがあった。
小さな虫たちがその楽園に戻り、鳥たちも羽を休めた。
角ウサギが飛んで現れ、さっそく巣穴を掘りだした。
死の花の痕跡は跡形もなく消えていた。
――
レイシャは豪華な王城にいた。
王妃は毎日レイシャを連れ歩き、王城内の美しい場所を案内した。
そのほとんどは王城に複数ある庭のどこかだった。
呪器であるレイシャが入った場所や、通った場所を怖がる人もいる。
しかし外であれば、その汚れは太陽の日差しで清められ、あるいは風が散らしてしまうと彼らは強引に考えることが出来る。
実際はそんなことで呪いは消えたりしないが、それを口に出す者はいない。
その日、レイシャは花の庭園に連れてこられ、明るい東屋の中でレフリアとお茶の時間を過ごしていた。
テーブルに並べられている豪華なお茶菓子も、上品な味のお茶も、レイシャには馴染みのないものばかりで、あまり口にしたいものでもなかった。
しかし王妃の機嫌を損ねたら、何をされるかわからない。
恐ろしい女性ではないが、権力を持っているし、なによりフェスターと敵対しているようなところがある。
フェスタ―が戻ってきたら、ちゃんと戻れるようにお願いしておかなければならない。
レイシャはそう考えていたが、なかなか帰りたいと言える雰囲気を作ることが出来ず苦戦していた。
「召使はいるの?」
レフリア王妃の言葉に、レイシャは眉間に皺を寄せた。
王妃はレイシャの全てを知ろうと細かい質問を繰り返したあげく、常に不愉快な感想を口にする。
「いません。自分で料理本を買って、パンを焼いたり、肉を柔らかくするために叩いたり、いろいろ工夫をして料理をします」
レフリアは、気の毒そうに表情を曇らせる。
「可哀そうに……。不自由な生活を送っているのね。あんなに稼いでいるのに、妻に料理をさせるなんて、本当にひどいことを」
そのずれた会話をどう修正したらいいのかわからず、レイシャはさらに難しい顔になった。
「料理をすることが……ひどいことだとは思いません。確かに苦しい思いをするのは私なのに、取り分が少ないと文句を言ったことはありますが、可哀そうだとは思っていません。フェスター様には優しいところだってあります」
レフリアは驚いて、嘘でしょう?と首を傾けた。
「フェスターが優しい?騙されているのではない?」
「そ、その……口づけの時だけ優しいです……」
王妃は目を丸くして、そっと手にしていたお茶のカップをテーブルに戻した。
「レイシャの好きな人は……フェスターではないのでしょう?」
「今はそうですけど……。でも、フェスター様と結婚した時は、とてもうれしかったのです。
だって、フェスター様はとにかく見た目だけは素敵じゃないですか。
少し意地悪でも、姿かたちが良いのだから、多少は我慢するべきだとも思いました。
それに、これから一生、お前は俺の呪器だと言われたのです。
必要とされてうれしかったし、良い妻になろうと思いました。
だけど、呪器がどんな存在なのか、結婚からだいぶ経ってから教えられました。
呪器だと知られたら、世界中のどこにも居場所がなくなるのだと知り、絶望しました。
夫は相手をしてくれないし、友達だって作れない。孤独で寂しくて、お金はあっても使い道もない。
すっかり元気でいることに疲れてしまって、町を歩いている時に、優しい声をかけられました。
その笑顔と声に魅せられて、なんでしょう、心が蕩けるような、もう何も考えられなくなるような気分になったのです。彼の傍にいると、ずっと欲しかったものが全部そこにあるようで、幸せでした……」
「恋をしたのね?」
レフリアが促した。
「そうです。たぶん、そうなのだと思います。娼館に一年も通いました」
レイシャの初恋の話をうっとり聞いていたレフリアは、途端に表情を硬くした。
「娼館?!その人は娼館の人なの?!」
「はい。本当に素敵で、部屋が飛ばされてしまいそうな嵐の夜でも、その人のことを考えるだけで少し心が慰められたのです」
レイシャはディーンの姿を思い浮かべ、顔を赤くした。
レフリアは険しい表情になり、思案顔で黙り込んだ。
その翌日も、レフリアは強引に朝からレイシャを外に連れ出した。
美しい天使象が天井を押し上げるような形の東屋の中、レイシャは王妃と向き合い、いつものように座っていた。
目の前のお茶のカップには、もう手も伸ばしたくない気分だった。
そこに、仮面のような笑顔を張り付けた三人の男達が現れた。
レイシャはぞっとして体を固くした。
助けを求めて王妃に視線を向けたが、王妃はにこやかにレイシャに説明した。
「王宮で働いてくれている解呪師の方たちよ」
その雰囲気はあまりにも禍々しい。
レイシャは無言で顔をしかめた。
王城にいる間に、少しずつレイシャの体調は悪くなっていた。
原因はわかりきっていた。
死の呪いがじわじわとレイシャに吸い込まれているからだ。
それに追い打ちをかけるような気持ち悪さを、レイシャはこの男達から感じていた。
「レイシャ、彼らは王立解呪研究棟の中でも特に優秀な解呪師なのよ」
王妃の後押しがあれば、出世は思いのままだ。
野心溢れる三人の若い男達は、紳士的に微笑みながらも、自分を選べとレイシャに無言で迫っている。
「このお庭の三か所にお茶の用意をしておいたわ。一人ずつそこで待っていてもらうから、順番に回ってお話してみてね」
王妃の言葉を受け、男達はそれぞれの持ち場に向かっていく。
「さあレイシャ、誰から回ってもいいのよ。行ってきて」
王妃は満面の笑顔でレイシャを送りだした。
なんとか全員と強制的なお見合いを終えると、レイシャはさらに気分が悪くなっていた。
その顔色は真っ青だったが、王妃は誰も選ばず戻ってきたレイシャを見て、残念そうな顔をしただけだった。
翌日も、王妃は騎士達と共にレイシャを誘いにやってきた。
ところが、レイシャの部屋の前には、大勢の解呪師達が詰めかけていた。
その中心に、王立解呪研究棟の最高責任者であるイウレシャの姿があった。
「何をしているの!」
憎い男の姿に、レフリアは鋭く叫んだ。
イウレシャは恭しく頭を下げたが、扉の前をどこうとはしなかった。
「レイシャ様は国一番の解呪師、フェスターの呪器。彼女の刻印の秘密を知りたいのです。
それを知ることが出来れば、フェスターをいちいち呼び出さなくてもよくなります。
これは国の平和のために必要な研究なのです」
解呪師であれば誰であれ、フェスタ―のように、国に頼られ、求められるようになりたいと野心を抱く。
イウレシャと共に集まった解呪師達も、レイシャのような呪器を求めていたのだ。
呪器とは本来、使い捨ての道具であるが、レイシャはフェスターの管理のもと、かなり長持している。
まるで呪器ではないかのように、普通の生活も送れている。
それは王都にいる解呪師達から見たら、驚異的な事だった。
「刻印を観察するだけです」
イウレシャの手にはレイシャの部屋の鍵があった。
王が既にそれを許可していたのだ。
王妃は抗議したが、レイシャは強引に部屋に入ってきた男達によって部屋から運び出された。
レイシャは抵抗しなかった。
刻印の模様は既にだいぶ上の方まであがってきており、気分は最悪だった。
体が死んでいくような恐怖や、苦痛に苛まれ、寝台で呻くばかりになっていた。
王妃はレイシャから離されまいと、研究棟までついてきたが、レイシャが実験台に横たえられると悲鳴をあげた。
あろうことか、彼らは仰向けになったレイシャの足を開き、股間の中を覗き込もうとしたのだ。
止めようとしたが、台の周囲は透明な壁で覆われ、解呪師の男達しか中には入れないようになっていた。
「なんということを!レイシャを放しなさい!レイシャは人妻なのよ?夫の許可なくそんなこと許されるわけがないわ!」
王妃は叫んだ。
王の言葉に対抗できる存在は、結婚の宣誓でその立場を守られている夫しかいない。
「新たな結婚相手を探していたのでは?となれば、レイシャ様は独身の女性と同じ扱いでよいということになりませんか?」
イウレシャが淡々と告げる。
夫がいないとなれば、両親が身動きできないレイシャの意思決定を行うことになる。
しかし王妃の意見は採用されない。
なぜなら、王がレイシャの研究を許可しているからだ。
この状況で、レイシャを助けることが出来る人物は、夫のフェスターだけだ。
王妃は悔しさに唇を噛みしめた。
しかし、やっと取り戻した娘は、身動き一つ出来ず、女性のもっとも秘められた部分を男達に覗き込まれている。
王妃は身を翻し部屋を飛び出した。
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