死の花

丸井竹

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17.優秀な呪器の条件

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 レイシャは首にかけられた黒いメダルを見おろし、頬を赤らめた。
そこは王都の屋敷前で、階段下には買い物に向かうための馬車が待っている。

「貴重な物だ。失くさないように気を付けろ」

フェスタ―の言葉に、レイシャはもちろんと喜んで頷いた。

王宮での仕事を終え、レイシャはいつものように買い物に行きたいとフェスタ―に訴えた。
関心もなさそうに、フェスタ―は買い物の許可を出したが、レイシャが馬車に乗り込む寸前に、その贈物を取り出したのだ。

レイシャはフェスターの腰に巻かれた帯を見て、喜びに声を輝かせた。

「私達、互いに贈り合ったものを身に着けていますね。その帯、持ってきてくださっていたなんて知りませんでした。このメダルも大事にしますね」

フェスターは不愉快そうに眉をひそめただけだったが、レイシャは満足だった。
なにせ、フェスターに見送られるのも初めてのことだった。

「フェスター様は本当に行かないのですか?」

もしかしたら夫婦で買い物に出かけることさえ出来るのではないかと期待し、レイシャは問いかけたが、さすがにそこまで甘くはなかった。
フェスターはレイシャの鼻先でぴしゃりと馬車の扉を閉め、レイシャは仕方なく、一人で座席に腰を下ろした。

馬車は速やかに走り出し、レイシャは窓からにこやかにフェスタ―に手を振った。


フェスターは不機嫌な顔でそれを見送り、屋敷に戻ろうと階段を上がり始めた。

その足がぴたりと止まる。
遠ざかっていたはずの馬車の音が近づいてくる。
振り返ると、レイシャを乗せた馬車が門を抜けていく向こうから、もう一台馬車がやって来ていた。

豪華な装飾を施されたその立派な馬車の前後を、王国の騎士が固めている。
それを見たフェスターは、嫌そうに顔をしかめた。

大勢の騎士に守られ、敷地に入ってきた豪華な馬車は、屋敷の階段前でぴたりと止まった。
騎士の一人が馬を下り、恭しくお辞儀をしながら馬車の扉を開けた。

それからすぐに手を差し出す。
その手に掴まり、豪華な毛皮の縁取りがされた外套に身を包んだ王妃が、かかとの高い靴で地面に降り立った。

その表情は厳しく、その目には敵意が宿っている。
王妃の射るような視線を正面から跳ね返し、フェスターは冷やかに微笑み、丁寧にお辞儀をした。

「これは、これは、王妃様。こんな死の館までようこそ」

人を小ばかにするようなそんな口調だったが、王妃は顔色一つ変えなかった。

「お話があります」

「立ち話ならば」

フェスタ―が応じた。

「墓地まで歩きましょう。それでいいですか?」

肩を小さくすくめ、フェスターは階段を下りると、さっさと墓地のある門の方に向かって歩き出した。

灰色の空の下、風除けのない墓地の中を強い風が吹き抜けた。
結い上げた髪を風になぶられながら、王妃はフェスターの後ろに続く。

またその後ろを、護衛の騎士達が追いかけた。



――

 レイシャを乗せた馬車は、一般の市民が入ることの出来ない魔法街に到着した。
王宮内を出入りできる人々にしか立ち入りが許可されていない区域であり、呪器であるレイシャにも一応利用できる場所となっている。

しかし、そこでもやはり差別は受ける。
呪器であるレイシャはどこにいっても忌み嫌われる存在であり、使い捨てられる罪人と身分はそうかわらない。
フェスターの妻であるから、こうして人らしく買い物が出来るが、本来呪器とは出歩かない物なのだ。

馬車を下りたレイシャは、噴水のある聖広場を目指した。

その先の商店街にある霊薬師の店が、レイシャの仕入れ先だった。

夫がいながら、二人の男性に贈物を買う行為が、人妻として正しいことなのかと考えると、少し胸が苦しくなるが、ディーンとは決定的なことはまだ何もしてない。

友人でもなく、ただの商売仲間だ。
それに、ディーンとは長く続かないことはわかっている。
呪器だとばれたら、きっとディーンに憎まれてしまう。

それに比べて、隠し事も秘密もないフェスタ―との関係は、一生続くものだ。
どんなに難しくても、夫との関係改善は諦めるわけにはいかない。
レイシャは胸に揺れる夫から贈られたメダルを握りしめた。

聖広場を抜け、いつもの霊薬師の店に入ると、笑顔で客を迎えようとしていた店員が顔を強張らせた。
すぐに嫌悪の表情に変わり、カウンターの向こうに消えてしまう。

その反応は毎回のことであり、レイシャはいつもの霊薬を棚から取り上げカウンターに運んだ。
嫌そうな顔をしながらも、店員の女性が出てきて会計を始める。

「あの……」

レイシャが言いかけると、店員がぴしゃりと遮った。

「いつもの霊薬で良いですね?」

店内に置けない霊薬もあり、それが欲しいのであれば店員に直接頼むしかない。
特別な札をつけた霊薬の瓶が置かれる。
レイシャは代金を支払い、瓶を自分のかごに詰めた。

逃げるように店を出ると、今度は聖衣を売る店に立ち寄った。

店員が悲鳴を上げてにげたが、レイシャは気にせず、そこでフェスターのための黒い長衣を購入した。
会計に出てきた店員は、逃げた店員とは別の人物だった。

レイシャは、震える手で差し出されたお釣りを受け取り、今度は手芸屋に向かう。

そこではフェスタ―の衣類に刺繍をするための金色のまじない糸と、飾られていた服を購入した。
店員がレースを施した美しい布で包む。

「聖なる加護がついていますが……あなたには無駄だと思いますよ?」

その声には明らかな侮蔑の響きがあった。
レイシャは不快に思ったが、黙って店を出た。

全ての買い物を終えると、レイシャは道を引き返した。
途端に、背後から清めの呪文を唱える声が聞こえてくる。
それは呪器が通った場所で必ず行われることであり、レイシャは不愉快な顔で歩調を速めた。

美しい街並みから少し外れたところに、乗ってきた馬車が待っていた。
無愛想な顔の御者が、手綱を持って御者席に座っている。

レイシャが乗り込むと、すぐに馬車が動きだす。

まだ座っていなかったレイシャは、よろめいて倒れ、向かいの座席に頭を打ち付けた。

額を押さえながら、やっと腰を落ち着けたところで、また馬車が強い衝撃に揺れた。
今度はカーテンにつかまり、転倒を免れる。

そのまま馬車はぴたりと動かなくなった。
何があったのかと、レイシャは馬車の扉を開けた。
遠くから人々の悲鳴が聞こえてくる。

視線を上げると、遥か上空から黒い鳥の群れのようなものが押し寄せてくるのが見えた。

馬車には魔除けの印がこれでもかというほど刻まれている。
急いで扉を閉めようとしたが、黒い群れが飛び込んでくる方が速かった。

馬車を守っていたはずの護符で身を固めた御者も、とっくに逃げてしまっている。

「た、助けて!」

一応叫んだが、手遅れであることはわかっていた。
真っ黒な物はレイシャの体を覆いつくし、体の中にとりこまれていく。

体の内側から真っ黒に塗りつぶされていくような不快な感覚は馴染みのものだった。

全身に黒い蔓のような文様が浮かび上がり、網のようにレイシャの体を覆い隠す。
こうなっては成す術はない。

レイシャの体は呪いを入れる器になったのだ。
苦痛は感じるが、人間らしい動きは出来ない。

悲鳴を上げることも出来ず、レイシャは馬車の外に転がり落ちた。
首から下げていた黒いメダルが、弾みで石畳に叩きつけられ、甲高い音を立て跳ね返った。
メダルは半分に砕け、欠片がくるくる回り、レイシャの目の前で振動しながらぱたりと倒れた。

それを見届け、レイシャはゆっくり瞳を閉じた。


――


 風に乗って空を駆ける黒い霧を、フェスターと王妃も墓地から見上げていた。
フェスタ―は一人だけ、木陰のベンチに座っている。

王妃は距離を空け、立っていた。
不吉な影が空を横切る様子を見て、護衛の騎士達が王妃の傍に集まってくる。
戦うことはできないが、それが飛んで来れば、体を盾替わりに受けとめなければならない。

フェスターは残忍な微笑を浮かべ、それらが飛んでいく方向に目をやった。

「あれは死の花の胞子、小さな呪いの集合体です。呪器であるレイシャが全て吸収するでしょう。王都には死の呪が流行っていると聞いていたので、全て彼女に集まるように細工しました。死の呪いは呪器の中に閉じ込められ、悪さは出来ないでしょう」

歌うように語りながら、フェスタ―は王妃の顔色を眺めた。
王妃は怒りに顔を赤くし、わなわなと震えていた。

「そ、そんな。死の呪いが入れば、何度も死ぬほどの苦しみを味わうのに、死ねない状態になると、言っていたではないですか!」

なぜ助けに行かないのかと、王妃は責めるようにフェスターを睨む。

「ええ。呪いが多すぎればさすがに死にますが、あの量ならぎりぎり大丈夫でしょう」

「そんな不確かなことでは大丈夫だとは言えないわ!」

「呪いを閉じ込めた体では動けない。死んでいなければ、そこで生きているでしょう」

道具はひとりでに動いたりしないものだ。

「そ、そんな!死んでしまう可能性があるなら、早く、助けに行ってください!」

甲高い声で王妃が叫んだ。
フェスターはしばらく黙って座っていたが、にやりと笑い、優雅な仕草で立ち上がった。
それからわざと時間をかけて、恭しく王妃にお辞儀をする。

「そんなことは良いから、早く行って!」

地団太でも踏みだしそうな王妃を、フェスターは満足そうに眺め片手を上げた。

どこからともなく黒い風が吹き込み、フェスターの体を包み込む。
瞬きをする間もなく、フェスターの体は消えさった。


それからしばらくして、屋敷の前にレイシャの馬車が戻ってきた。
豪華な馬車で待っていた王妃が、騎士達に守られ外に飛び出してきた。

大抵は、外にいる誰かが馬車の扉を開けるものだが、呪器の乗った馬車の扉を開ける者はいない。

フェスタ―は自分で馬車の扉を開けて、外に出てきた。
颯爽と地面に降り立つと、その後ろから何かが転がり落ちてきた。

「きゃあああっ」

悲鳴をあげたのは王妃だった。
駆け寄ろうとする王妃を護衛の騎士達が体で止める。

馬車の下で、二度転がって動きを止めたそれは、黒い編み目模様に覆われたレイシャだった。
まだ呪いを体内に留めたまま、苦悶の表情を浮かべている。

それなのに悲鳴もあげず、暴れる様子もない。
道具として、そこにあるだけなのだ。

フェスターが床に転がるレイシャを足先で押した。
ぐらりと揺れたが、一回転するには力が足りず、また元の位置に戻る。

「呪器とは壊れやすいものです。幸福しか知らない人間では呪器になれない。孤独、苦痛、恐怖、そうした感情にすぐに負けてしまうからです。それ故、呪器になるには、苦痛に耐える訓練が必要なのです。苦痛や悲しみ、絶望、そうしたものだけを味わうことで、良い呪器になる」

レイシャがそうした人生を歩んできたと言っているようなものだった。
ついに耐えきれず、王妃は騎士達を押しのけ前に出ようとした。

「失礼します!」

騎士団長がそう叫び、飛び出そうとする王妃の体を両腕で抱え、後ろの馬車に引き戻した。
王妃は地面に転がるレイシャから目を離さず、悲痛な叫び声をあげた。

「早く、早く助けなさい!フェスター!」

フェスターは首を傾け、優雅な仕草で王妃の方をまっすぐに向いた。

「私は彼女を完璧な呪器にするために、不幸に育てました。
生かさず殺さず、残酷に育ててくれそうな貧しい家に大金と一緒に預け、育てさせたのです。
彼女は暖炉の傍で犬や猫のように寝起きし、召使よりも酷い扱いで十五になるまで育ちました。
何度か死にかけましたが、幸いにも生き延びました。
そして、ある日突然、家族だと思っていた者たちに売られ、私の花嫁になった……。
忌み嫌われる呪器となるために。
残酷な夫と愛のない孤独な生活、そして月に一度味わう辱めと死ぬほどの苦痛。それから最近は鞭打ちも始めました。これだけの不幸に慣れている呪器はそうそう壊れません。これは……優秀な呪器です」

王妃は崩れ落ち、すすり泣いた。

「お願いです。フェスター、早く……」

取り乱す王妃の姿を、フェスターは楽し気に眺め、またレイシャを足で小さく蹴った。

「大昔、私は説明したはずです。解呪師では呪いを解くことしかできない。やられてもやり返すことも出来ず、やられる前に戦うことも出来ない。武器のないただの盾だと。それでは、牙を抜かれたオーガと同じだ。
私が出来ることは、ただこうして呪器を不幸に保ち、既に放たれてしまった呪いを呪器に封じて少しずつ消し去るだけ。
そうそう、最近、彼女はこんな境遇にも関わらず恋する相手を見つけたようです。
さらなる絶望と悲しみが彼女をより壊れにくい呪器に変えることでしょう。
そうなれば、彼女は長くこの国を守ることが出来る。王国にとっては喜ばしいことだ」

ようやくフェスターはレイシャを抱き上げ、肩にかつぎあげた。
レイシャの体は絨毯のようにフェスターの肩にかつぎあげられ、長い髪がゆらりと落ちた。

屋敷の扉を開けたフェスターは、扉を閉める前に王妃を振り返った。

「あなたの娘は優秀な呪器だ。大切に長く使います。あなたが奪った、私の誇りのかわりに」

二人の姿は扉の中に消え、鍵のかかる音が冷たく響いた。

抜け殻のように座り込んでいた王妃の体を、騎士団長が抱え上げ馬車に強引に戻した。
一刻も早くここを立ち去りたい騎士達がすばやく隊列を組む。

走り出した馬車は、あっという間に門を抜け、黒の屋敷を遠ざかった。
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