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28.闇に沈む少年は孤独を抱く

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ルークはもうクリスと会えなくなるのではないかと心配し、クリスを必死に引き留めた。
自分の屋敷で雇うとまで言ったのだ。ロイダールが発狂するだろうと思い、クリスは鼻で笑った。
このおめでたい男を黙らせるため、クリスは訓練所には行けないけど、これからも草原で会おうと甘く囁いた。

「仕事は別にいいけど、俺もお前と離れるのは寂しいよ。だから、同じぐらいの時間に草原に行くよ。次の仕事が決まったら教えるよ」

「やっぱりお金が足りないのか?」

母親も一緒に屋敷に来てはどうかと言いかけて、ルークはクリスの母親が他人を怖がっていることを思いだした。

「あの草原でまた会えるな?」

クリスは頷いた。ルークはまだ不安そうだったが、クリスが笑いかけると、信じるよと口にした。


クリスは表の仕事を失ってももうそれほど困らなかった。
不思議と夜の仕事は増えていたのだ。

ある時、復讐の依頼が入った。それは小さな集落で起きた事件で、国は本気で対処してくれないのだと村人は訴えた。
顔を黒布で隠し、目だけを覗かせた少年は、数日かけて集落を襲い、娘たちに乱暴した犯人と思われる男達を連れてきた。

依頼者たちがその中の一人を指さし、こいつだと叫ぶと、クリスはそいつの仲間が五人いたが、全員必要かと問いかけた。
犯人ではなかった男達は秘密保持のために殺してしまった。

仕事を終えて立ち去ろうとするクリスを依頼者たちは引き留めた。
拷問に付き合ってほしいと言うのだ。

「殺しは受けるが、拷問は仕事達成のために必要な時だけだ。だが、お前達が拷問している途中で耐えきれなくなれば、殺してやることは引き受けるぞ。
こつは、復讐や恨みの全てを一度心から切り離すことだ。意外と憎しみのない人間の方がこうした仕事はうまくやる。待ってやるから最後を頼むかどうかは後で決めたらいい」

彼らは顔を見合わせ、一人一回ずつ復讐の一撃を犯人に加えると、少年にとどめを頼んできた。金を受け取り、少年は速やかにその仕事を終えたのだ。



日中の仕事がなくなり、クリスは母親の世話に専念することが出来るようになった。
常に傍に居て、守ってやれば母親は人がいる通りにも出られるようになった。

毎日少しずつ慣らし、クリスはついに子供学習院に母親を連れてきた。
その立派な建物に母親は怯えたように顔を曇らせた。

「大丈夫だよ。ちゃんとした手続きを踏んで手に入れたんだ」

クリスが建てたものだと知り、ルイゼはさらに怯えた。それでも必死にその恐れから目を逸らした。
笑顔で階段を上がっていくクリスを追いかけ、施設に入ると、そこは普通の立派な屋敷で、子供たちが飛び出してきた。

「クリス!おかえり!」

そんな風に挨拶をするように教えたことはなかったが、なぜかゼルの仲間たちはクリスをそう言って受け入れたのだ。
クリスは穏やかに微笑み、母親を紹介した。

アニーが下りてきて、スカートを摘まんでお辞儀をした。

「ゼルから聞いています。先生になって下さるのでしょう?よろしくお願いします」

他の子供達も顔を輝かせてお辞儀をすると、ルイゼは涙を浮かべ頷いた。
クリスは一対一で教えられる教室と、母親のために作った部屋に案内した。

最上階の眺めの良い部屋で、立派な両開きの扉を開けて中に入ると、貴族屋敷並みの美しい家具の数々が並んでいた。
クローゼットにはドレスが並び、タンスには装飾品まで揃っていた。

「こんなの……どこに付けていくの?」

ルイゼが困ったように口にすると、クリスは青いペンダントを取り出し、母親の首元に空中で合わせて見せた。

「屋敷の中なら好きに着飾ってもいいじゃないか」

クリスはブラシを取り出し、母親の長く豊かな赤毛をとかした。
磨き抜かれた鏡の中にはかつての輝きを取り戻しつつあるルイゼの姿があった。
昔を思い出すことなど何年もなかったことだった。

そんな心の余裕もなかったのだ。かつてクリスの父親と恋に落ちた、甘く楽しい日々を思い出し、ルイゼはうっとりとその首元の石に指で触れた。

「欲しいものがあったら何でも言ってよ。教材もよくわからなかったから、本屋で適当にきいたんだ」

思い出して、クリスは青い宝石の埋め込まれた指輪を取り出した。

「これ、良い物じゃないかな?似合いそうだ」

かつてルイゼに贈った赤い宝石は結局加工もせず飾られたままだった。
ルイゼは指輪を受け取り、指にはめて見せた方がいいのだろうかと考えた。
クリスが運んでくるものには何か恐ろしい秘密がありそうで、身に着けることに躊躇いがあったのだ。

ルイゼは指輪を指に通して、少しサイズが合わなかったことに安堵した。

「直せるのかな?」

残念そうにクリスは言ったが、ルイゼは断った。

「持っているわ。あなたからの贈り物だもの。手を加えたくないし」

クリスはにっこりして母親の手をまた引っ張って屋敷の中を案内して回った。
その夜、ルイゼは新しい屋敷の自分のために作られた豪華な部屋で贅沢な眠りについた。


それを見届け、クリスはまた夜の仕事に出ていった。


草原のずっと先にはうっすらと白い山が見えていた。
その裾野にはタルナ湖と呼ばれる海のように広い湖があると聞いたことがあった。
見晴らしの良いその草原にも起伏があり、ざらついた小石を散りばめた隆起した地面の陰には大きな落とし穴が見つかることもよくあった。

その一つの中にうずくまり、クリスは足りない睡眠を補った。
雨が降れば茂みに覆われた小山の裏に掘った穴の中で丸くなった。

もうずいぶん前から母親と同じ寝台で寝ることはやめていた。
ただ、クリスは自分がどこにいていいのかわからなかった。
まるで真っ暗な泥の中に沈んでいるようで、行ける場所などないような気がしたのだ。

草原の風の中に時々、ルークの声が聞こえる気がした。
能天気なおめでたい男はいつも光の中にいる。

糞山の隅に生えたクムのキノコを思いだした。咲いた花は意外にも真っ白で、糞から咲いた花だとは思えない可憐さだった。
クリスはその花を全部焼いて潰してやりたい衝動にかられた。


母親が新しい屋敷での生活に慣れてくると、クリスは日中の仕事を見つけたと言って、草原にやってきては眠るようになった。
泥の中に沈みこむように眠り、夕方になると起きる。

ルークに見つかれば相手をするし、夜になれば仕事に出る。
毎日がその繰り返しだった。


第五騎士団隊長ロイダールの執務室ではロイダールが部下達の報告を聞いていた。

それはクリスに関する調査報告であった。そこで、そもそもクリスが孤児院の出身でないことが発覚したのだ。

「ならばどこからきたのだ?」

「密偵だったのかもしれませんね……」

闇の組織と通じ、騎士団の情報を流していたか、あるいは組織を抜けたくなって国王軍を隠れ蓑に敵を抹殺したのか。
無垢な子供を教育し、暗殺者に育てる組織があることは知られていた。
無垢であるが故に洗脳も容易い。

さらに、最近見つかった死体は完全にプロの暗殺者によるものだった。
子供と母親が死体で見つかったのだ。
その身元を調べて、驚きの事実が判明した。
母親は国の上層部においては有名な女であり、国宝級の指輪を持っていたことが発覚したのだ。
しかし発見された死体からその指輪は出てこなかった。

前王の時代から伝わる由緒正しい品だった。

殺され、金目の物が盗まれた。相当な目利きであることも確かだ。

ロイダールは訓練時のクリスのことを思いだした。
訓練試合ではとても本気を出しているようには見えなかった。
表の仕事を隠れ蓑に裏で暗殺仕事をしていたに違いないとロイダールは考えた。
拷問されたような酷い遺体もかなり発見されている。感情を殺すことに長けたものの仕業だ。

クリスの感情を消し去った冷酷な目を思いだし、ロイダールはぞっとして背筋を震わせた。
暗殺を仕込まれた子供は善悪を知らない。それはもう恐ろしい化け物だ。
首にしたのは時期尚早だったかもしれない。クリスの居所がわからない。

母親がいることをまたもやロイダールは失念していた。

「母親は逃げられないのでは?」

側近のゲインの言葉にロイダールはすぐにその家の場所を知る治癒師に確認に行かせた。しかし、その粗末な家に母親はいなかった。
まるで長年誰も住んでいなかったかのように、家は空っぽだったのだ。
全ての痕跡を消してクリスとクリスの母親は姿を消したのだ。

ロイダールは次にクリスと交流のあった者を調べるように命じた。
それはゼルとルークしかいなかった。
他の誰もクリスと親しく口をきいたものはいなかったのだ。

騎士団がクリスを本格的に探し始めたが、クリスは国の調査が進んでいることを知っているかのように、姿を現さなかった。



クリスは子供学習院に行く時でさえ、抜け穴を使い自分が出入りしているところをみられないように用心していた。
アニーに金の入った袋を渡し、買い物や管理を任せていたため、クリスが子供学習院で果たす役目は何もなかったのだ。
クリスは子供たちを教える母親の様子を覗き見た。

穏やかに微笑むようになったルイゼを教室の窓越しに眺め、クリスはそれでもやはりまだ何か足りないと感じていた。
クリスが一番欲しいものはまだ手に入っていなかったのだ。

安全で温かな大きな屋敷に、子供たちを教えられる環境、十分な食事にきれいな服に装飾品、高価な本をたくさん揃えた。
それでも、ルイゼはクリスに昔のような真っすぐで温かい笑顔を向けてはくれなかった。

胸の中に苦しいほどの疑問が渦巻いた。

(母さん、俺を見てよ。前みたいに笑って……どうして?どうしてなの?)

何を持ってきても何をしても、ルイゼはぎこちなく笑い、心配そうにクリスを見つめて何も言わない。

自分だけが闇の中に取り残されていくようで、クリスは胸が痛かった。
ずっと一緒に生きてきた母親さえ光の中にいる。

「なんで俺だけ……」

クリスは徐々に子供学習院にも顔を出さなくなっていった。
クリスがいなくても、母親は子供達と穏やかに暮らしているように見えたのだ。

居場所をなくしていくようで、クリスはさらに孤独を深めていった。

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