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17.少年と二人きりになりたい男

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ゴデの町は平和だった。ルークは訓練に身が入らず、ロイダールに度々説教を受けた。
ゼルはわかりやすく落ち込んでいるルークになんと声をかけていいかわからなかった。

ルークは夕刻になるとクリスの母親の様子を見に行った。
郊外の粗末な家が見えてくると、ルークは馬を下り、その手綱をゼルに任せた。

裏庭から入り、ルークは窓越しにクリスの母親の姿を確かめた。

クリスの母親は差し込む光越しによく本を読んでいた。
それはルークがクリスにプレゼントした本だった。一度濡れたように見える本は革表紙が歪み、本のページは皺がついてよれよれで、文字のインクは滲んでいた。

クリスが町を出てからもう数か月が経っていた。
便りは一通もなかった。

ロイダールが派遣を約束した治癒師は五日に一度やってきて、食料を置いて、簡単に女の体を観察して出て行った。
最初の頃、治癒師がクリスの母親に触ろうとしたことがあった。母親は暴れ悲鳴をあげたのだ。

逃げるように家を出てきた治癒師にルークは母親に触るなと怒鳴った。


クリスが旅立ってから、ルークは何度もロイダールに一緒に行きたいと訴えたが、それは通らなかった。
さらに、ルークがクリスにかなりのお金を渡していることも知られており、ロイダールはそれに関しても苦言を呈した。父上の遺産はそんなことにつかう物ではないといわれれば、何も言えなかった。
そして必要な金があれば事前にきちんと申請するようにと決められてしまった。

成人前であれば後見人のロイダールの言葉に従わざるを得ない。

それでもなおも抗議するルークに、ロイダールはクリスとは住む世界が違うと静かに告げた。

そして夜会の招待をいつまでも断り続けることは出来ないぞと忠告した。
ロイダールは亡き友人のためにも、ルークを立派な騎士にしなければならないと思っていた。

路銀も無しで、どうやってクリスを追えばいいのかルークにはわからなかった。

ルークは何も出来ない不甲斐なさと同時に、平和な日々にも罪悪感を募らせた。
大型の馬車を頻繁に見かけるようになり、町は成長し、人々の暮らしは豊かになっているように見えた。騎士団での活動も、魔獣退治に出動するぐらいで、訓練と試合ばかりが続いていた。

自分ばかりがのうのうと安全なところにいるようで、ルークはたまらなかった。

夕闇の中、まっすぐに立つクリスの堂々とした背中、振り返った時の勝ち気で生き生きとした灰色の目。
それから、時折見せる冷え切った眼差し。

クリスの事を思い出すたびに、ルークはその傍にすぐにでも駆け付けなければいけないような気持になった。
ルークは口数を減らし、草原に通ってはクリスを待つように一人座りこんだ。



何の便りもないまま、クリスはある日突然帰ってきた。
町を出てちょうど一年経った頃だった。


その姿を最初に見つけたのはゼルで、馬を引いてきたクリスの姿に目をまるくした。
クリスはまるで昨日出かけて戻ってきたかのように、軽い調子でゼルに声をかけた。

「やあゼル。元気か?馬を頼むよ。ロイダール様に報告があるんだ」

分厚い革の鎧を身に着け、足元まである茶色のマントが風にひるがえった。フードを跳ねのけると懐かしい短い赤毛が風に揺れた。
久々の再会であるのに、クリスはあっさりしたもので、ゼルが駆け寄ってくるのも待たず、さっさと本館の方へ歩き去ってしまった。



第五騎士団隊長のロイダールもまた驚いていた。
本当に何の知らせもなかったのだ。
さらに驚いたのはその報告書だった。

「書けなかったので、その辺の字が書ける男に書かせました」

そう言って差し出された書類の文字は、震えており、ところどころ血痕がついていた。

「何と言って書かせたのだ」

ロイダールが問うと、クリスは思いだそうとするように宙を見上げ眉間にしわを寄せた。

「見たままのことを書けと言いました。城にあった書類なども、その男に確認させました」

報告書は誰かの手記のようだった。
それはクリスがザハの町に現れた夜から始まっていた。

城下町は犯罪者の町と化しており、日夜問わず悪人たちが見回り、善良な市民たちはとても外に知らせに行ける状況ではなかった。
そこにある日、一人の少年がやってきた。

物騒な町ではあったが、さらに危険な事件が起き始めた。

井戸に毒が投げ込まれ、無差別に殺人が起きた。犯人を捜すために町の人々が少しずつ殺された。その騒ぎの中、町の至るところで炎があがった。
人々を閉じ込めていた壁が爆音を立てて破壊され、門が燃え落ち、数日もたたないうちに町は大混乱に陥り収拾がつかなくなった。

何が起こっているのかわからないまま、ロドン公の兵隊が城から下りてきて犯人探しに拍車がかかった。
その隙に、城に侵入した者がいた。
ロドン公の軍隊が外に出た途端、城門が閉まり、中では静かな殺戮が始まった。
裏切り者がいると誰もが疑心暗鬼になる中、再び城門が開かれた。
悪人たちの名簿や献金の額が記載された書類、さらにこれまでの悪行の証拠となるものが盗まれていた。

記載者は司祭の名になっていた。

記録の最後にロドン公の城から盗まれた書類の束が重ねられていた。

「井戸に毒を投げたのか?」

「私がやった証拠はありません。そこにも書いてないですよね?その人みていませんから」

少しだけ言葉遣いが滑らかになったとロイダールは感づいた。
嘘をつくことに慣れたのだ。

「それでどうした?」

クリスは穏やかに微笑んだ。

「私の仕事は偵察だけですから、全部そのまま残してきました。ロドン公はザハ山の向こうに鉱脈を隠しているようです。連れて行かれた男達が働かされています。税金の都合上、王国には言いたくないのかと。
あと、騎士団から偵察部隊は出さないほうがいいですよ。
宿に泊まっただけで殺されかけましたから。あそこは町の人間全員が犯罪者です。
王国中から集まってきた犯罪者の国ですよ」

「お前にはぴったりだったわけか?」

ロイダールの言葉に、クリスは無言で微笑んだ。作られたような微笑みは最初に会った時にはなかったものだった。生意気なきらきらした目と、強気な口調は、若さ故の勢いがあった。

しかし今は若いのに年寄りのように落ち着いている。

超えることのできない一線を踏み越えてしまった者だけが持つ得体のしれない覚悟を前に、ロイダールはルークの身だけを案じていた。

「ロイダール様、私は信用を得るために母の存在を明かしました。言うなれば人質です。約束通り母の面倒はみていただけたでしょうか?」

ロイダールは幼さを残す少年を見据え、母親との交流はこの少年を更生させることが出来るのだろうかと考えた。
とにかくルークの傍に戻すのは危険だと感じていた。

その時、ロイダールの許しも得ず後ろの扉が開いた。

「す、すみません。止めようとしたのですが」

見張りの声が聞こえたが、飛び込んできたのはルークだった。

「クリス!」

ルークはロイダールが制止するより早く、クリスの腕をつかみ強引に振り向かせると胸に抱きしめた。
たった一年離れていただけなのに、ルークはまるで女の子のように腕に収まったクリスの細く小さな体に驚いた。

分厚い革鎧が胸と背中を覆い、感触は固かったがそれでも肩は細く、もう大きくならないかもしれないとクリスが心配していた通り、戦士になるには未熟な体だった。

「ルーク、苦しいよ」

クリスの声もまだ声変わりしていない。体を少し離し、ルークはクリスを見おろした。
穏やかな微笑みがルークを見上げ、困ったように目もとを潤ませている。

ルークは時間が止まったかのようにクリスの顔に魅せられた。

「ルーク!何をしている!」

ロイダールの鋭い声が飛び、ルークは我に返り、クリスから腕を離し姿勢を正した。
クリスも隣に立った。

「すみません。戻ったと聞きかけつけてしまいました。任務を終えて戻ってきたのなら私が連れて行きます。彼は私の従者だったはず。今度から私の許可を取ってください。ロイダール様とはいえ、人の部下を使うなど、それこそ規律違反ではないのですか?」

「部下として与えたのは俺だ」

ロイダールは苛々とクリスとルークを引き離そうと手を伸ばしたが、ルークはクリスの腕を引っ張り逃げるように戸口に向かった。

「ルーク!」

まるで本物の父と息子のように怒鳴り合う姿をクリスは冷やかに眺め、ルークに引っ張られるまま外に出た。廊下で待っていたゼルと目が合うと、クリスはにやりと笑った。ゼルもいつの間にか背が伸びている。

廊下を逃げていくルークとクリスを追って部屋を出てきたロイダールは、二人の後を追おうとするゼルを呼び止めた。

「ゼル!来い!」

ゼルは顔をルークに向け、それからロイダールに向け、それからまたルークに向けた。ルークはクリスと共にもう廊下の角を曲がるところだった。
どう考えても今のあの二人にとってゼルは邪魔者だった。
ゼルは諦めて、ロイダールの執務室に入った。


ルークはクリスの手を握り真っすぐ馬を取りに走った。

「ゼルは待たなくていいのか?」

クリスの問いかけに、待たなくていいとルークは叫び、馬上からクリスを引っ張り上げようとした。

「え?俺が前に?」

思いっきり顔をしかめたクリスに、ルークは顔を赤くした。
明るい笑い声が響いた。それはクリスのものだった。

「いいけどさ、男二人で馬に乗るなんて見たことあるか?お前が恥ずかしい思いをするんじゃないのか?」

ルークは気にせずクリスを自分の前にひっぱりあげ、腕の中にその体を挟むと、ほっとしたように息を吐いて馬を進めた。

「二人きりになりたいんだ」

そこでようやくクリスはルークが自分に好意を持っていることを思いだした。

「まじか?お前、あれから一年だぞ?好きな女の子の一人も出来なかったのか?」

クリスの発言はルークを傷つけたが、それより喜びが勝っていた。

「待っていたんだ。迎えに行けなくて悪かった」

「迎えにって……俺は仕事中だったんだ。迎えに来られるわけがないだろう。大丈夫なのか?そんな甘いことでは戦争が起きたら生き抜けないぞ」

一年も間があったとは思えない、懐かしい言い合いに、ルークの心は浮き立った。

「クリス、草原に向かっていいか?」

「選んでいいなら母さんのところだよ。一年ぶりに戻ってきてまだ顔も見に行っていない。勤勉な俺は上官への報告を優先したんだ」

ルークは少しがっかりしたが、クリスの言い分は当然だった。
長いことあんな状態の母親を一人にして心配だったはずだ。

「クリスはいつから一人で母親の面倒をみていたんだ?修道院に預けてはいたんだろう?孤児院を出たのは俺と出会って二年ぐらいたってからか?」

クリスは自分が孤児院出身だと偽っていたことを思いだした。今更そんなことを気にする者もいないだろうと思ったが、ルークはいろいろよく覚えている。

「それぐらいかな。よくなったり悪くなったりだったからね。変わったことはなかったか?」

「ああ、毎日様子を見に行っていた。俺が送った本、読んでいたよ。あんなにぼろぼろになっていたんだな。新しい本を差し入れていいか?」

助かるよとクリスは言った。

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