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生きとし生ける者の世界へ
18. リアムと王子と侯爵令息
しおりを挟む氷の節第二月がもう幾日かで終わろうかという頃、ジュール=フォルティス王子はリアム=ヴェリタスを個人的な茶会に招いた。彼は国王夫妻の唯一の息子ではあるが、まだ王太子ではないため第一王子と呼ばれている。
魔導塔の筆頭が王族に招かれることは珍しくない。特にジュール王子は次代の王として魔導塔との交流が必須であり、月に一度はリアムに招待状を送っている。今の王は賢王と呼ばれ、王妃も王子もリアムの神経を逆撫でしたことのない人格者だ。ゆえにリアムは余程の用事でもなければ、基本的に彼らからの呼び出しを断らないようにしていた。
(あの件の進捗も訊きたいのだろうしね。あれ以来一回も連絡してあげなかったし、そのつもりはなかったけれど随分焦らしてしまったかも)
絵に描いたような黄金の髪に空色の瞳のジュール王子は、公正、聡明、優雅、文武両道等々、世界が王族の理想を詰め込んで創ったと謳われるほどの王子だ。この国の未来は安泰、向かうところ敵なしと他国から羨望を集めているものの、実情、魔導塔が彼を拒絶すればジュール王子の立太子は叶わない。
他の貴族がいくらそれを忘れようとも、王家と、血の近い公爵家だけは決して忘れなかった―――忘れれば終わるという事実を。
「久しいな、ヴェリタス。堅苦しい挨拶や礼儀は不要だ。楽にしてくれ」
「お久しぶりにございます、殿下。それではお言葉に甘えまして」
普通の招待客であれば王城のサロンに席を設けられるが、リアムが通されるのは決まって王族の個人的な客間だ。私的な空間に通すことは相手への信頼を意味し、また鬱陶しい視線に晒されず込み入った話もできる利点がある。
予想に違わず、そこには侯爵令息ジスラン=ルークスの姿もあった。紅茶色の髪と目の、ジュール王子の側近候補筆頭。神経質そうに見えて、その実は視野が広く柔軟な思考の持ち主だ。
「本日お招きいただいたのは、例の件についてのお話を希望されてのことでしょうか?」
最高の茶葉と最高の焼き菓子に気を良くし、切り出しにくそうな王子の代わりにリアムから口をひらいた。
「すまぬ。催促はよくないと思ったのだが、現状どのようになっているのか気になってな。ジスランはそなたに相談した内容をすべて承知している。それでも同席が不可であるならば……」
「いえ、問題ございませんよ。もしいらっしゃらなければ、殿下からルークス殿へお伝えいただくつもりでしたから」
ジュール王子とジスランがホッとする様子を見せた。二人とも十七歳、今年誕生日を迎えれば十八になる。どちらも子供らしさが抜けて、もはや少年とは呼べないほど立派な若者達に育ったけれど、まだまだ若いな……とおじさん臭い感慨にふけるリアムは、余裕で三十を超えていた。リアムの顔を見て実年齢を聞いた相手は、大抵硬直する。
(まぁ、私の前でつい油断しちゃうのはそれだけ信頼されているから、と思えばそう嫌な気分でもないけれどね。ほかの連中の前ではきちんと隠せているみたいだし、これくらいなら及第点かな)
リアムの外見に騙され、良く言えば気軽に頼みごとをしやすいと思っている、悪く言えば舐めている点は減点要素である。それについてはおいおい教育していくつもりであるし、教えればきちんと勉強できる子達だと高く評価しているリアムだった。
「さて、その前に……」
リアムは唇に微笑みを湛えたまま、己の内に向けて語りかけた。意識しなければ感じられぬ程度の空気の流れが生じ、客間とその周辺、一般的に目と耳の届くであろう範囲を満遍なく撫でてゆく。
意味深な沈黙に、ジュール王子とジスランは固唾を飲んで押し黙った。風の愛し子の長いまつ毛がやや伏せられ、その下の緑が煌々と燃え盛っている。
(採光用の反射鏡と、使用人の身だしなみチェック用の鏡、飾り鏡……案外たくさんあるものだね。これら全部を外させるのはさすがに現実的ではないか)
高位の家ほど鏡が多いのは、守護の意味ももちろんあれど、使用人にきちんとした姿を保たせるためでもあった。働いていれば髪がほつれたり服がズレてしまうことなどいくらでもあり、気付かぬうちにみっともない姿を晒してしまわぬよう、通りすがりにサッと確認できるようにしているのである。
リアムの友人いわく、これらには悪しきものを封じ込めたり、真実の姿を晒す性質があり、魔術的な透視や盗聴などには不向きだ。
そしてかの少年がリアムの友人に語るところによれば、これらは『キラキラと清浄な輝きを放っている』のが最近わかってきて、『変なものは簡単に近付けそうにない』とのことだった。
かの少年―――悠真は、友人の見立てでは悪しき存在ではない。だがそれは、単なる『幸運な一例』だっただけではないのか。
疑い始めればキリがないとはいえ、妄信による思考停止はただの害悪でしかない。たとえそこが密室であろうと、ランタンの小さな反射鏡ごときで、悠真には一切合切が筒抜けになるという前例が既に出来てしまっている。
そもそも、『鏡』とはどこまでをそう呼ぶのだろう? 広義の鏡ではなく、悠真と同じことを可能とする『鏡』の条件だ。
姿が映るだけのものならば数えきれない。窓、グラス、銀食器、金属製の装飾品、挙げればキリがなかった。けれどそれらは、悠真の『移動』には利用できなかったという。ならばおのずと条件は絞られてくる。
(古来より儀式に用いられ、祭壇に置かれていた鏡は……鏡と、台座。それから、鏡面が湾曲しているものは使えない)
彼が狭間の空間で目にしたという鏡は、それを嵌め込んでいる枠も含まれていた。手鏡は持ち手の部分も、ランタンの時はランタンまるごと闇の中に浮かんでいたらしい。
例外は水鏡の泉だけ。しかしあの泉はもともと精霊の集い場であり、月が映り込むほど凪いだ泉の前で行われる術式はいくつもあった。
(スプーンはもちろん、ナイフも微妙に湾曲しているから不可だ。それから多分、鏡面に傷がたくさんあってもいけない。食器はパッと見わからなくとも微細な傷があるものだし。未使用の平らな盆を丁寧に飾っている変人がいるなら話は別だけれど)
自分と王子と侯爵令息の周りに、風の流れの層を作る。これで内部の音や会話は外に聞こえない。もとより王族の私室には透視や盗聴を防ぐ仕掛けがあるとはいえ、念のためだ。あの少年のような存在にこれが通用するかどうかは、もう検証のしようがないけれど。
「失礼、話を続けましょうか。例の件については、おそらくご想像の通り、我が友レムレスに調べてもらいました」
「……そうか、すまない」
「で。まず結論から申し上げますと、あなた方の察知された違和感はただの気のせいではありませんでした」
「! ―――それでは」
「私の手に負えない案件でしたので、そのまま我が友に引き継いでおります。今後どのような話になるかは、レムレス次第ですね」
ジュール王子とジスランは目を見開いた。
「おまえの力が及ばぬと?」
「一体、彼の身に何が起こっているのですか?」
「お、このお菓子、さっくり加減が絶妙ですね。むむむ、この風味、何を使っているのでしょう。レシピを知りたいなぁ」
「……わかった。土産に菓子とレシピを一緒に包ませよう」
前のめりになっていた若者二人が、脱力して半眼になった。
「ヴェリタス、頼むから続きを」
「ヴェリタス卿、できれば揶揄わないでくださいませんか?」
「ははは、お断りです。若者をおちょくるのはおじさんの数少ない楽しみなのですよ。こんな絶好の機会を逃せるものですか」
「お、おじさ……」
「……あの、あなたに『おじさん』は違和感が凄まじ過ぎて、頭が拒否するのですけど」
「おやそうですか、私も捨てたものではありませんねぇ。とまぁ冗談はこれぐらいにしましょうか、キレた若者に刺されないうちに引き下がるのもおじさんの大事な心得です。それとジュール王子、今後のためにも、私めはこういう性格であると改めてご承知おきください。レムレスならおちょくらず、最初から真面目に答えてくれましたよ」
「…………猛省する。大切な弟を貶しているように誤解されるのではと、勝手に恐れた私の自業自得だ。レムレスにも失礼だったな」
「ちゃんと反省できるのはあなたの良いところです」
リアムはおや? と眉を上げ、ジュール王子の減点項目をいくつか削除した。
なるほど、こちらも王子の言動を少し誤解していたようだ。彼はどうやら、リアムを舐めて頼ってきたわけではないらしい。
「先ほど申し上げましたように、私自身も現在はレムレスの結果待ちの状態です。その結果如何で我々の行動が決まりますので、あなた方にお話しできるのはこれまでの経緯のみ、例のご友人に関しては現状維持で、引き続き何事もなかったかのように接してもらう必要があります。それでもよろしいですか?」
「ああ、聞きたい」
「お願いいたします」
二人は居住まいを正し、真剣な面持ちで頷いた。
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