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新たな兎の始動
55. 素材買い取りと兎の懐事情
しおりを挟むここでひとつ問題が起きた。僕の『収納空間』の中は、前の拠点で捌き切れなかった貴重な素材や高位回復アイテムでみっちり埋まっている。
なるべくスペースを圧迫するものを優先的に買い取ってもらえないかと、その場でいくつかの素材を並べてみた。
「っ……んだこりゃあ」
「レン……おまえ、これ……」
キーファーさんだけでなく、ウォルまでが素材をガン見して固まっていた。彼らだけじゃなく、解体員達も横で「ヒエッ」「すげぇ」と硬直している。
あはは……すみません。まずかったかな。
そこに出したのは、どれも迷宮ボスを倒した時に獲得したアイテムだった。
レベルアップのために、いろんな迷宮のボスを倒しまくったからね……。
アバターのレベルが上がるほど、次のレベルに達するための必要経験値が大きくなって、だんだんレベルアップが難しくなってくる。だから僕はゲーム後半になると、ボスを倒すためにレベルを上げるんじゃなく、レベルを上げるためにボスを倒していた。
それをやり過ぎて、上限に達してしまったわけだ。
「おまえよう? これ全部、難易度S級の素材ばっかじゃねぇかよう?」
「む、無理そうですか?」
「いんや! 是非買い取りてぇ! ここいらでSランク級の素材が出回るなんざ滅多にねぇことだしよ!」
ああ……そういえば、ゲームでもそうだったかもしれない。僕はネーベルハイム市の手前で中断した。つまりここは国の中枢から見ると一番遠い田舎にあたり、プレイヤーにとって旨味が少なかったんだ。
大型アップデート時に、新たなエリアへの通過点となることを想定して作られたと吉野さんからは聞いた。新エリア解放と同時に、ここも徐々に発展していく予定だったらしい。
「さっそく商人ギルドからガンガン問い合わせが来てっから、黄金鹿の素材もあっという間に捌けるだろう。ちぃと支払いが遅くなっちまうが、是非こいつらも買い取らせてもらいてぇ」
「よかった! お願いします」
ちなみに冒険者登録をした場合、原則としてギルドでなければ買い取りをお願いしてはいけない決まりだ。冒険者登録をせずに、自分で直接商人と売買すればメリットが大きいんじゃないかと思われがちだけれど、そうはならない。
冒険者ギルドには解体の専門職がいて、専用の場所も道具も揃っている。いざという時に助けも期待できる。稼いだ分を銀行に預けられるし、宿も安く住める割引システムだってあった。
翻って、商人と直接取引をしたら、よほど獲物を上手に解体して保存状態も良くしておかなければ、容赦なく買い叩かれる。むろんギルドの各種設備は利用させてもらえないから代金を預ける先もなく、冒険者登録をしないデメリットのほうが圧倒的に大きいのだ。
「支払いは一週間から十日後になる見通しだが」
「はい、問題ありません」
「んじゃ、すぐに預かり証を発行するぜ」
預かり証は簡易的な木板だった。ゲームのクエストストーリーの中には、冒険者の素材を預かっていないことにして、売却益を自分の懐に入れていた悪質ギルド員のストーリーがあった。
キーファーさん相手にそんな心配はいらないと思うけれど、多忙で手続きミスや失念をすることもあるだろうし、こういうものは紛失しないよう大事に持っておかなければ。
出した物を無事手放せることになったおかげで、『収納空間』の中にスペースができたから、僕は黄金の林檎をどんどん入れてゆく。
ここで嬉しい誤算があった。なんとこの実、空間魔法と相性が良いのか、一個分と想定していた空間に三個も入ったのだ。
ぎりぎり十個入ればいいなと思っていたら、三十個も入ったぞ。やった!
「『収納魔法』てのぁ便利でいいなぁ」
「僕も持っていてよかったと痛感してます」
「くく、そうかい。ところでおまえさんら、この後どうすんだ?」
「それがな……」
ウォルが頭の痛そうな顔になり、イヴォニーが例の荷袋を落として魔魚に食べさせてしまったこと、『水の迷宮』の討伐報酬をもらった後は魔道具店へ行って代わりの荷袋を探す予定だと話した。
「あの嬢ちゃん、意外とそんなドジやる娘じゃねぇと思ってたんだがなぁ」
「実際、普段はやらん。好物の前には理性が飛ぶんだと失念していた俺のミスでもあるな」
……僕の話かな? 違うよね?
するとキーファーさんがふぅむとヒゲを撫でながら言った。
「商人ギルドに行ってみちゃあどうだ? 『クライン』なら非売品の魔道具も売ってくれるだろうぜ。俺もあっちのギルド長に一筆書いてやるからよ」
「助かる」
いいか? とウォルが目線で僕に尋ねた。もちろんいいとも。
非売品というのは、一概に売り物にできないわけじゃなく、店頭に並べないお得意様向けへの品がほとんどだ。新たにキーファーさんに注文して作ってもらうのは日数がかかるだろうし、それでなくとも大物が入った直後だ。作品づくりをしてもらえるヒマは当分ないだろう。
ありがたく書状をもらい、僕とウォルはギルド内の薬屋を物色していた仲間二人に声をかけた。
全員揃ってようやく『迷宮』の討伐報酬をもらうと、皆で商人ギルドへ向かう。
「そういえばさっき訊き損ねたんだが、『マナスポット』って何だ?」
道中、ウォルに尋ねられた。どうやらロルフとイヴォニーも知らなかったらしく、二人も興味津々でこちらに耳を向けている。
なるほど、これは知る人ぞ知る知識なんだな。
「迷宮が近くにない場所で、たまに魔物と遭遇することがあるだろう? その原因のひとつとも言われている現象だよ。前触れもなく魔力の溜まり場が発生して、そこから魔物が出て来るんだ。その後はさほど経たずに自然と消える。迷宮近くにうろついている魔物は、だいたい浅い層のやつが何かの拍子に出てきたものばかりだけれど、マナスポットでは深層の魔物も平気で出て来るから危険なんだ」
「そんなものがあるのか。初めて聞いた」
「稀な現象だから、知らない者は多いと思うよ。僕はマナスポットに遭遇したのはこれが初めてじゃないし、そこから出て来たやつの討伐依頼を受けたことも何度かある。だから多少は詳しいし、平原に出現しそうな時もなんとなくわかった」
マナスポット出現時には、比較的わかりやすい兆候がある。晴れていたのに急激に渦巻く空、それに気配やにおいでもビリビリと感じた。
ただ、これらがすべてに適用されるとは限らないし、ハンターの能力によっては感知できない者もいるだろう。
ウォルは早い段階で感じ取れる側だったようで、僕の姿を市門で見かけた直後、勘に従って冒険者ギルドに駆けこんだそうだ。
「じゃあ、おまえがそのタイミングでネーベルハイムに着いていたのは、俺らにとっては幸運な偶然だったわけか」
そうそう、事前に「そこに出ます」っていうのがわかる現象じゃないんだよ。
だからマナスポットの出現と同時に僕が登場したのは、あくまでただの偶然なんだ。そういうことにしておいて欲しい。
「ねえねえ、それって街なかでも出てくるの?」
イヴォニーが不安そうに尾を揺らしている。僕は「いや」と首を横に振った。
「これまでそういった事例はない。市壁に高度な結界が張られているだろう? あれで防がれているんじゃないかな」
「そ、そっかあ。よかった~。寝床の真上に出てきたらとか想像したら怖いもん!」
その後も三人から――おもにロルフとイヴォニーから質問攻めにされながら商人ギルドに着いた。
商人ギルド長は狐族の獣人だった。この世界には狐と狸の商人が多い。
冒険者ギルド長の書状を見せる前から、彼は僕が来ることを予見していたようだ。前の拠点でもたびたび商人ギルドを利用させてもらっていたから、彼らのネットワークで伝わっていたんだろう。
ウォルのお目当ての品は、見せてもらった非売品の中で無事見つけることができた。荷袋ではなく、こちらは鞄タイプだ。
目が飛び出そうな価格だったけれど、キーファーさんに作ってもらった荷袋と比べれば、質も価格も及第点レベルだったらしい。
「俺もけっこう稼げてるんだけどな~。コレを一括でポンと買うのはムリだぜ」
「ううう、あたしもだよぉ……このおねだんを魔魚のエサにしちゃったのかぁ……ホントごめんなさい。レンはここらへんの品って買えそう?」
答えられずに目を彷徨わせたら、ウォルと目が合った。そこには色々と察した色が浮かんでいる。
迷宮ボスの素材を作業台いっぱいに並べちゃったからね。そりゃあ察するだろう……。
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