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世界の異変
5. 有り得ない状態異常
しおりを挟むせっかく憶えている魔法もスキルも、何ひとつ頭に浮かばなかった。
僕は生きた中型トラックに最高速度で吹っ飛ばされるんだろうか。それとも地べたに圧し潰されてミンチになるのかな。
――そのどちらにもならなかった。
「ウゴッ!?」
猪の横から矢が放たれ、一本が左目にヒットし、動きが止まった。
その瞬間、僕の身体の左側からドン! と衝撃がきた。
あの狼族だ。目にも留まらぬ速さで僕を抱えて跳躍し、流れる動作で剣を抜く。
剣身が淡く光った。魔法剣だ。狼は肉食の大型種に分類されて、物理特化だから普通の魔法は憶えにくい。
でもこの光の色。白銀と青の中間色って、聖属性じゃないか?
聖属性を使える狼族なんて初めて見る。
その魔力のおかげなのか、頭のぐらつきと吐き気が少しやわらいだ。
狼は無駄のない動きで剣を払い、そこから「ヒュオッ」と風を切る音が耳に届いた。
あ、左利き……?
ズパン。
実にあっさりと、猪の巨躯が斜めに割れた。
噴き上がる液体。
いや待て。攻撃後の効果にあんなものはなかった。
生々しい、ムッとくるこのにおいも。
「うっ……」
頭が痛い。気分が悪い。
倒されたモンスターが重力に従い、地面へドドォ、と落ち崩れる。
同時に、僕を抱えた狼の足元からもザッと音が聞こえた。
もしかしてこの男、僕を抱えてジャンプして、着地する前に攻撃してあれを倒したのか?
他キャラを抱いた状態で攻撃なんてできない仕様だったぞ。できるわけがない。
どうなっているんだ。
「おいデューラー、そいつ大丈夫か?」
「どうしたの、その子?」
「熱がある」
「えぇっ?」
熱? ……熱だって? 誰が?
デューラーと呼ばれた狼族の男は、僕の額に手を当てた。そこから涼しくて気持ちのいい何かが流れ込んでくる。
「なんだ、だからボンヤリしてたんだな」
「怒鳴っちまって悪かったな、坊や」
「なんかの毒に当たった? 変な病?」
「どちらでもない。消耗して熱が出たんじゃないか」
消耗? 消耗する行動なんて、一度しか取っていないのに。それ以降はずっと歩いていただけだ。
というか、熱ってなんだ。このゲームの状態異常に『発熱』なんてないぞ。
「立つのもきつそうだな。ネーベルハイムに連れて戻ろう」
「うまそうな兎だからって、パクッと食うなよデューラー?」
「あ? ふざけるな。やめろというのにきさまが深入りしたせいで、予定外の仕事が引っかかったんだぞ。ヘラヘラするより先に落とし前をつけろ」
「そうだぜおっさん。あんたまずは反省しろっての」
「わ、悪い悪い! 冗談じゃねっかよ~」
「ったく、調子のいいおっさんだね。あたしらがいなかったらどうなってたと思ってんの」
「次に笑えん冗談を口にしたら、その口から上が無くなると思え」
ドスのきいた声でデューラーが脅しをかけ、おっさんとやらは震えあがったようだ。
そうだ言ってやれ、本当に冗談じゃない。肉食と草食だからって、獣人同士が食い合いなんてするか。捕食されるとわかっていたら草食なんて選ばないぞ。
ところで予定外の仕事というのは、もしや僕のことだろうか?
目が合った時に舌打ちしたのは、ひょっとして彼の攻撃線上に僕がいたせいで、攻撃できなかったからか?
まずったな、味方の大技を妨害するなんて、チームプレイでは嫌われる。
好感度が低いと、今後の活動に支障が出るかもしれないし、謝ったほうがいいか。
「……ご……」
「喋るな」
デューラーに止められた。
……すみません。
しかしこの人、いい声だな……。
「デューラー。俺とイヴォニーでこいつの解体やっとくから、おまえおっさんと馬車回収しに行けよ」
「はぁ~。無事かなあ、俺っちの馬車~」
「今んとこ無事だろ。だからさっさと回収行け」
「酷ぇ目に遭ったぜ、ったくよう」
「そいつはあたしらのセリフだっての! 皮剥いで放っぽり出すよ!」
「ひえッ! ろろロルフ、助けてくれ! こいつらおっかねぇよう!」
「おめーが懲りねえからだろ。つか、わざとやってねえ……?」
デューラーと呼ばれる狼族の男。
イヴォニーと呼ばれる猫族の女。
ロルフと呼ばれる犬族の男。
おっさんと呼ばれる狸族のおっさん。……あ、他の三人から当たりが強いの、納得した。
狸は人情味があって愛嬌のあるキャラが多いけれど、こんな風におちゃらけて調子に乗る奴も多い。
「坊や、大丈夫かい? 馬車ん中にスッキリする草あるからな、もうちょい我慢だぞ」
ポンポコ鳴りそうな腹のおっさんは、心配そうに声をかけてくれた。
三人は怒っていても、本気でおっさんを嫌っている感じではなかった。なんだかんだ、こういう性格の獣人だとわかっているからなのだろう。
そんなことより、さっきからずっとデューラーに片腕で運ばれているのをどうにかしなければ。
体重の軽い小型種にしたから、腕に負担をかけなくてよかったと思う一方、小型種にしたせいで気軽に運ばれている気がする。
いくら不調だからといって、初対面の男にグッタリもたれかかるのは、中身成人男性として微妙な気持ちになるんだが。
「おろし……」
顔を上げた途端、強烈なめまいに襲われてブラックアウトしそうになった。
情けなくも再び肩に顔をうずめる。そうしたら少し気分が楽になるのは、聖属性の魔力に触れているおかげだろうか。
それになんだか、いいにおいがする。
「おおっ、よかったよかった、無事だな! 馬も無事だな!」
おっさんの歓声に耳をひくつかせ、デューラーのにおいと体温の心地良さに包まれながら、僕はほんの少しだけ意識を飛ばしたようだ。
その後もガタガタ揺れる幌馬車の中で、気絶と覚醒を何度か繰り返した。断続的に接続が切れているのだろうか。
狸のおっさんは御者席にいる。それ以外は全員荷台に座っていた。
僕は布にくるまれ、デューラーに抱きかかえられていた。小柄な兎族の身体は、彼の立てた長い足の間にすっぽりおさまる。
うつらうつらとしながら、無意識に草を噛んでいた。どうやらおっさんがくれた草だ。
サトウキビみたいな甘みと、何かのハーブに似た爽やかさが噛むたびに広がって、少し気分が楽になる。
それ以上に、デューラーがいいにおいだった。発熱のせいでゾクゾク震え、きゅっと身体を丸めて、つい彼の懐にもぐり込もうとしてしまう。
「なんか、可愛いねえ……」
「だな。兎ってこのへん、あんま見かけないよな」
……なんだろう。小声でもすごく聞き取れるのに、うるさい感じがしない。
「どっから来たのかなあ、この子。あたしらと同業っぽくない? 駆け出しかな」
「どーだろ。こいつ小型種じゃねえ? 多分『この子』ってトシじゃねえぞ」
「えっ、そうなのデューラー?」
「なんで俺に訊く」
「だってあんたさっきから……や、なんでもない。それよか、兎ってみんな尻尾が短くて丸っこいんでしょ? 見てみたいなぁ」
「おいやめろてめぇ、痴女って言われんぞ。仲良くなってからこっそり眺めろ!」
「やかましいぞ二人とも。兎は耳がいいんだ」
「おっと、悪り」
「ゴメン」
声は全然気にならなかったが、それを教えてやれる状態ではなかった。
彼らの声より、近くに積まれている『荷』が嫌だ。
さっきチラリと見えたのは、どっしり大きな肉と骨と皮。獲物が巨体だから、全部はこの馬車に積み切れず、一部を捨てるのが勿体ないという話も聞こえた。
――獲物を、解体したんだ。本当に。
嘘だろう。このゲームにそんな要素はなかったのに。ホラーゲームじゃない、ほのぼのファンタジーなんだぞ。
倒したモンスターは、自動的にインベントリへまるごと入り、どこかのギルドに持ち込んで、解体依頼をする。そこで初めて肉や毛皮といったアイテムに変わり、換金や道具の作成に使えるようになる。そういう仕組みだった。
「食い終わったか。これも食っていいぞ」
「ん……」
口の中にさっきより硬めの茎が追加されて、もぐもぐと噛む。これも甘くて美味しい。
「噛み噛みしてる……可愛い……撫でたい……お口ちっちゃい……」
「やめとけ。狼が噛む」
「ううぅ~、デューラーばっかずるい~」
獲物の周りには香る草も大量に積まれていた。これは臭気を誤魔化すものらしい。
間近にいる僕らには、あまり意味があるとは言えなかった。充満する幌馬車の中では避けようがない。
だから余計に、息のできる場所を求めてデューラーにくっつく。この狼の発する香りと、甘い茎の味わいでなんとか耐えられていた。
もしかして前のテストプレイヤーが生き残れなかったのは、これが原因だったのか。
宣伝目的でなければ、わざとモンスターに負ける必要なんてない。プレイヤースキルの高い奴らが、このやさしいゲームで命だいじに行動したのに殺られるなんて、どういう状況だったのかと不思議だったんだ。
僕みたいに、初見で動けなくなって殺られた奴もいるんじゃないか。
「もうすぐ着くぞ」
デューラーがややぎこちなく、僕の耳と耳の間を撫でた。
心地良くて、また不意に意識が途切れた。
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