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番外・後日談

21. ヒロインだった少女のその後 -sideアンジェラ (1)

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「それでは、本日はここまでにいたしましょうか」
「はい。先生、ありがとうございました」
「せんせいありがとうございました! ごきげんよう!」
「ごきげんよう。また明日、お会いしましょうね」

 九歳と六歳の可愛い姉妹の挨拶に、自然とこっちも笑顔になる。
 私も二人に挨拶をして、会釈をするメイドさんと一緒に玄関へ向かった。

「おお、ローザ先生! これからお帰りですかな?」
「ええ、先ほど授業が終わりましたので。お嬢様方、とても熱心に取り組んでくださいますから、教え甲斐がありますわ」
「そうですか」

 ほくほくと嬉しそうなご主人の笑顔。たまたま通りかかった風に見せかけているけれど、これはお嬢さん達の様子が気になって、時間を作って待ち構えていたわね?
 お忙しいからお子さんをなかなか構ってあげられないそうなのだけど、あの姉妹はお父様のことがとても好きみたいだから、愛情はきちんと伝わっている。
 二~三言交わして、玄関を出る頃には胸が温まっていた。
 空を見上げれば、少し曇っている。日が暮れるのが早くなってきたけれど、まだ四時にもなっていないから明るい。
 門の前に迎えのメイドの姿が見えた。授業の間ずーっと何もせず座らせておくわけにいかないから、終わる頃になったら誰かが迎えに来てくれるの。いくら治安の良い王都でも、貴族のお嬢様が独り歩きなんて絶対いけないのよ。

「ありがとう、今終わったわ。―――あら?」
「こんにちは、アンジェラ」
「ミケ! どうしたの、こんなところで」

 メイドの傍で、学園の制服姿の男の子が軽く手を振った。私よりひとつ年下なんだけど、私より背が高くてしっかり者の彼に『男の子』なんて失礼かな。
 彼の名前はミケーレ。この春、両家の家族が招かれたパーティーで会ってから、なんとなく仲良くなれた。
 『ミケ』っていうのは、彼がお兄さんのご主人様に目通りを許された日に、そのご主人様が「おまえのことはミケと呼ぶ」って付けてくれた愛称なんですって。
 二人で話していた時に、「僕のことは『ミケ』って呼んでください」って言われて、私つい吹き出しちゃったのよね。

『ご、ごめんなさい! その、語感が可愛らしかったから、つい。本当にごめんなさい』

 ああ、またやっちゃった。せっかく愛称を教えてもらった直後に笑うなんて、失礼なんてものじゃないでしょ。
 必死で謝る私に、彼は『いえ、構いませんよ』って許してくれたんだけど、その代わりに不思議そうに首を傾げられた。

『でも、可愛らしいですか? 初めて言われました』
『…………』

 そうなのよね……『ミケ』って聞いて三毛猫ちゃんを想像する人なんて、ここにはいないのよ。
 どちらかといえば猫じゃなく中型犬のイメージが近くて、そのギャップが可笑しくなる……なんてもっと失礼ね。

「単位を取れた教科がいくつかあって、今日は早めに終わったんだ」
「もう? すごいわ!」

 最高学年の後半になれば、得意教科を早めに終わらせて時間に余裕のできる生徒がいる。でもそういうのができる人、上位でもごく一握りしかいないのよ。
 私も頑張ったけれど、一教科すら無理だったもの。

「うん、自分でもよくやれたなって思う。兄上みたいには到底なれないけど、これで胸を張って末席に加えてもらうことができるよ」

 兄上―――ヴェルデ子爵家のニコラ様。
 彼はすべての教科において、単位を早めに取ってしまったそうだ。自分自身が三年生になってから、それがどれだけ尋常でないことだったのかがよくわかった。
 正しくは今の自分になってからわかるようになった、かな。巻き戻り前、私と同じクラスだったラウルも同じことをしていたのに、あんまり印象に残ってなかったのよ。
 当時の私は、「ラウルすごーい」ぐらいの軽さでしか受け止めていなかった。なんなら、ふくれっ面で「ずるい」と文句を言ったことすらある。私がこんなにレポート書くのに必死なのに、ラウルは余裕の笑顔で横から眺めてるだけなんてずるいって。
 でも、さりげなくアドバイスはくれてた。彼だけじゃなく、ニコラ先生やアレッシオさんもヒントみたいなアドバイスをくれた。……私は彼らのおかげで、実力以上の評価をもらえていたんだと思う。
 ありがたみを理解できず、ろくに感謝もしないような子だったのに。

「最近新しいカフェができたから、客としてどんな感じなのか見てきてくれないかってラウル様に言われているんだ。甘味を提供する店だから、アンジェラもどうかなって」
「甘いものを出すお店なの?」
「それと、コーヒー。ミルクと砂糖を入れたら全然苦くなくて、甘味との相性もいいらしいよ」

 コーヒーとスイーツのお店かぁ。行ってみたい。
 メイドに目を向けると、にこりと笑って頷いてくれた。

「旦那様にはお伝えしておきます」
「ありがとう! お願いね」

 彼とお出かけするのは今回が初めてじゃない。毎回必ず日が暮れる前に送り届けてくれるから、お父様達にも信頼されているのよね。

「よかった。じゃあ、行こうか」

 自然に腕を出してエスコートしてくれる男の子に、少しドキリとした。



   ■  ■  ■ 



 私はアンジェラ。ローザ男爵家の末の娘。
 今年の春、無事に学園を卒業し、家庭教師として働いている。
 自分のことしか見ずに、とんでもない失敗を何度も繰り返して、家族をたくさん傷付けてしまったんだと自覚したあの日。私は生まれ変わらなきゃいけない、今までの自分じゃいけないんだって決意して、とにかくもっと周りを見ることと、一旦立ち止まって客観的に考えることを意識してきた。
 一年ぐらい経った頃、私はつくづく大事なことに気付くのが遅過ぎるんだって悟った。だってそのどちらも、ほかの人は当たり前にやっていることだったんだもの。
 たまに私以外にもそれができていない人はいたけれど、そういう人はだいたい傍若無人な印象が強くて、周囲の人々に眉をひそめられている。
 あの頃の私、こんな風に見えていたんだなって思い知って、顔から火が出そうだった。

 とうとう縁談がひとつも来なかったから、卒業後は働く以外に選択肢がなかった。
 先生との面談で、巻き戻り前の私は本当に無知というか、どれだけ周りを全然見ずに育っていたのか、また思い知った。
 女性の勤め先はとても少なくて、限られた職業しかないの。募集要項をどこかに張り出すなんてこと自体がないから、学生時代に得たコネを利用して雇ってもらうか、ちゃんとした人に推薦状を書いてもらう以外にない。
 私の場合、推薦状はマナーの先生が書いてくれた。

「あなたがきちんと頑張ってきたことを先生は知っていますよ。努力した分は身についておりますから、その気持ちを忘れずにいれば、卒業後もしっかりとやっていけるでしょう」

 滅多に笑顔を浮かべない先生が、その日はとても優しく笑いかけてくれて、涙が出そうになった。
 ―――ごめんなさい、先生。昔の私、本当にひどい子だった。
 あの頃、心のどこかで『たかが』マナーの先生だって、バカにしてたの。なんて傲慢で嫌な子だったんだろう。
 私は学園の教員にはなれない。私の成績はどの教科も上の下か、ぎりぎり上の中ぐらいだった。そのぐらいじゃ、学園では教鞭を執れないのよ。
 大勢の貴族の子息令嬢を教えられるぐらい知識と技術を身につけている、そんなすごい人だったのに。

 私はあれから問題行動を全然起こさなくなったし、真面目にやってきたから大丈夫でしょうって、先生の知人の商家に紹介してもらえた。
 十歳に満たないお嬢さんが二人いて、読み書きと単純な計算、それからマナーを教えてもらいたいんですって。

「昨年病で亡くなられた奥様が読み書きだけは教えていらしたのですけれど、ご主人も奥様もどちらも平民ですから、マナーには詳しくないのです。お嬢様の将来のために、最低限でいいから身につけさせたいとのことでした。おおらかで良い方ですよ」

 私は家庭教師のことを、気楽なアルバイトみたいに思い込んでいた。
 でも違った。実は限られた人しかなれない、専門職の扱いだった。
 ……私の家で長く勤めてくれているメイドさんより、遥かにお給金が良いの。
 ちゃんとした身分の人かも確かめられるから、昔アレッシオさんが私の家庭教師をしていたのって、もしかして書類の偽造とかやっていたのかしら。
 あの人ならやれそう。目的のためには手段を選ばない人だったもの。
 だけど、きっともうそんなことはしない。
 する必要がないんだから。

 あの頃、私が失敗を重ねたのは、別世界の記憶に振り回されたからなのかなって、ちょっと思いかけたこともある。
 でも、それこそずるい『逃げ』でしかなかった。
 巻き戻る前から、私はずっとあんな子だった。
 幸せなのを当然と思い、謝れば許してもらえるのが当たり前。許してくれない相手がいたら、その人は酷い人。
 周りの人々が優しいのに甘えて、その人達の気持ちや背景に思いを巡らせたことが実は全然なくて、だからなんにも知らなかった。
 不思議な記憶のせいにして、「だから私のせいじゃない」って言い張るのは卑怯よ。あの頃の私がちょっとでも周りに関心を向けていたら、あの世界とこの世界の違いなんて、すぐに気付けることばかりだったんだもの。

 小さい頃、お母様やお姉様が何度も「やめなさい」って言ったのに、強引にお茶を淹れようとして茶葉をぶちまけた。
 クッキーを作ろうとして、粉をぶちまけたことだってある。
 私はお母様に説教されて、「ごめんなさぁい…」って謝り、自室で反省するだけ。私の失敗の後始末をするのは、いつだって使用人だった。
 そしてまた、似たようなことを繰り返す。本当はあんまり悪いと思っていないから。
 ―――「どうして私はこんなにつらいの」なんて、よく言えたものだわ。
 貴族の家に生まれて、使用人が何でもやってくれて、家族から大切にされてきた、すごく恵まれた娘だったのに。

 推薦状をもらえたと報告したら、お父様とお母様はとても喜んでくれた。
 ごめんなさい、お父様、お母様。
 こんな娘を、ずっと見捨てないでくれてありがとう。

 そうして卒業式を終え、私はやっと、お姉様に会わせてもらえることになった。
 お姉様は勤め先で素敵なご縁を得られて、結婚できたんですって。
 結婚式には双方の両親しか招待されていなかったから、今回その人との結婚記念のパーティーで、両家の家族が全員招かれることになった。
 すごくホッとして涙が出た。あんなに最低な言葉をぶつけてしまって、ずっと気になっていたのよ。
 だけどそのパーティーをどこでやるのかを知って、なんとなく予感があった。
 好意と可笑しみをもって、人々から《秘密基地》っていう愛称で呼ばれているお館。

「アンジェラ。久しぶりね」
「お姉様……!」

 お姉様のお腹は大きくなっていた。そのお腹を守るように手を添えているお姉様の表情は、とても穏やかだった。
 幸せなんだって、雰囲気でわかったわ。
 お腹に触ったらいけないかしらって躊躇ちゅうちょしていたら、お姉様のほうから抱きしめてくれた。

「……会えると信じていたの、アンジェラ。私の妹」

 私はもう、顔面が崩壊。うっすらとだけどお化粧していたのに、もう台無し。

「お姉様……ごめんなさい……」

 昔みたいに、その場しのぎの子供の反省じゃない。
 ずっとお姉様に伝えたかった心底からの謝罪を、やっと私は口にすることができた。


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