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ロッソを継ぐ者
100. 支配者に捧げる想い (2) -sideアレッシオ
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「だから言っただろう。乗ることはできるんだぞ、乗ることは」
誰がどう聞いても負け惜しみでしかないセリフを堂々と言いながら、胸を張って馬にまたがるお姿は、確かに乗馬のできない人間の姿勢には見えなかった。
そのセリフを聞かなければ、だが。
「速歩までならなんとかなる。駆けさせるのは無理なだけだ」
「本当にまったく無理なのかと思っていましたよ。それならば特に問題がないでしょう」
俺が言うと、「そうか」と嬉しそうな得意げなお顔になった。この方の背は決して小さくないし、整った顔立ちはもうだいぶ青年らしくなっているのだが、不意にこういう子供っぽい表情を浮かべると、なんとも魅力的だ。
視察の際には機動力を優先し、馬車ではなくそれぞれ馬に乗って行くことになった。そこで、あなたは乗馬が得意ではなかったのでは……という話になったわけだ。
実際、馬は生き物なのだから長時間の駈歩など無理だ。長距離を進みたければ、馬に走らせてはならない。
今回は近場で、かつ少々遠くまで足を延ばそうという話になり、俺とニコラ殿、ラウル殿、ミラも同行する。ミラは王都にいた頃も、ニコラ殿に乗馬を教えるという名目で郊外の馬場を時々利用しており、腕は落ちていないそうだ。乗馬服を着て、横乗りではなくまたがって乗る姿が実に自然だった。
それから、護衛としてジェレミア隊の副隊長と騎士が数名。ジェレミア殿は今回、奥様の護衛に同行している。閣下の苦手分野である社交を奥様が再開し、さっそく茶会の招待状が何通も届いているのだ。
「おうさまがくるよ」
「ほんとだ!」
「王様……」
館を出てしばらくすれば、時々、領民の子供の声が耳に届くようになった。
彼らの視線の先には閣下がいる。彼らの言葉は、本人に聞こえているのかいないのか。
■ ■ ■
「閣下ご自身にそういう野心は一切、全然、粉微塵すらないですが、実際に王様っぽいですよね」
ジェレミア隊向けにそんな前置きをきっちりと入れて、ラウル様が言った。入れないと不敬どころではない話題だからな。
ジェレミア隊もそこは重々承知しているのか、苦笑するのみだ。
「僕も、ラウルくんに同感だよ。領地に近付くにつれて、閣下はどんどん王様っぽい雰囲気になっていくなと感じてた」
頷いたのは二コラ殿だ。
本邸から最も近い町で、閣下が少しだけ利用したことがあるという店で店主と昔話をしていた時も、領民達がそのように話していたのが聞こえた。
いかにも美しい貴公子なのだが、あの方を形容するに相応しい言葉は、『王子様』ではなく『王様』なのだ。
馬の休息を兼ねて食事を摂りながら、ミラと護衛騎士の二人を連れて丘から領地を眺めている背中を、少し離れた場所から見つめた。
緋色の髪が輝いている。そよ風に揺れて、ハッと目を惹かれる色だ。
遥か昔、王国に統一されてからもしばらくの間は、各領地を治める領主こそが民にとって王に等しかった。
オルフェオ=ロッソは正しく、『主君』としてこの地に戻ったのだ。
ロッソ伯爵領が近付くにつれ、あの方の纏う空気がだんだん変化していったのを、俺も気付いていた。
先日の小領主だけでなく、先代伯爵を知る世代の領民達は、閣下のお姿を目にして涙することが珍しくなかった。
ロッソの民は現在、苦境にあるわけではなく、穏やかな領地で平穏に暮らしている。重税を課されているわけでもない。
けれど昔、自分達が大変だった時に、頼もしかった領主を憶えているのだ。
何かの力に導かれ、あの方は救うために戻ってきたのではないかと、どうしてか感じている。それは寒気のような、高揚して熱くなるような不思議な感覚だった。
ずっとあの方の努力を、人となりを見てきたからそう感じるのだろうか?
「こういうことを言ってはいけないのかもしれませんが。僕は少し、不満です」
ニコラ殿が言った。
「だって今までここの領民は、あの方を『どうしようもない悪童』ってつい最近まで信じていたのでしょう? あの方の悪口で盛り上がっていた人達を助けるために、閣下があんなにも身を削ってまで働く必要があるのかなと思ってしまう」
誰も否定できなかった。たしなめたほうがいいのかもしれないが、その気が起きない。何故なら俺達も同感だったからだ。
あの方は忙し過ぎる。出会った頃から、気が付けば勉強をするか仕事をしているかのどちらかで、遊んでいるのを見た記憶がない。領地に戻ってからはその傾向がますます酷くなっている。
お倒れになる前になんとしても止めろ、が俺達の合言葉だ。
一番その役目を期待されているのが、間違いなく俺だな……。
「この領地の民は、恵まれております」
副隊長が珍しく会話に入ってきた。気になることや意見があれば言って欲しい、遠慮は無用だと彼ら全員に伝えてあったが、慣れないうちはどうしても無言のほうが長くなる。
だが今回は口を開く気になってくれたようだ。
「閣下が執務室にいらっしゃる間、我々はできるだけ周辺の地に足を運び、気になる点があればご報告できるよう、ここしばらく見て回っておりました。結論としましては、悪い言い方をすれば、呑気な民が多い。平穏が長く続けば危機感が薄れる、この者達はちょうどその時期にあるのだと感じました」
副隊長の言葉を皮切りに、ほかの騎士も遠慮がなくなった。
「自分も、ロッソ領に入ってから周辺を気にして見るようにいたしましたが、これほど領主に恵まれている土地も滅多にないと思いました。愕然としたのは、造りかけで放置されてはおりましたが、堤が遠目に見えたことです。あれが私の故郷にあれば、村が流されることもなかったのにと……」
「自分の住んでいたところも、毎年季節になれば嵐がくるのです。ですから、領主も気にかけてくれていたのですが、貧しい土地柄でしたので……」
「西部はそういう地域が多いのです。特に嵐の多い土地は毎年被害が出てしまうために、豊かになりにくい。なんとかしたくともできない事情が……」
王国西部で生まれた者、そちらで活動していた騎士などは、先代伯爵がやろうとしていたことも、閣下の危機感も、おそらくこの中の誰よりも理解できるのだ。
あれほど大々的な工事が行われている場所など滅多にない。歴代のロッソの君主がどれほど有能だったのかが、それだけでわかるという。
宝石の採掘場があり、かなり裕福であるにもかかわらず、国の中枢に食い込んだり、豪遊して暮らすといった道を選ばなかった。
毎年来るものではなく、『いつか来るかもしれない』ものから民を守るために、莫大な金を迷わずつぎこめる。
その流れを途絶えさせたのがフェランドであり、そんな男の後押しをしたのが、平穏を享受し続けてきた民だった。
そして知らなかったとはいえ、ほとんどの民があの方を嘲っていた。
手の平返しだと―――おまえ達は何もしていないくせに、結局あの方に救われるのかと、ニコラ殿が憤るのもわかってしまう。
だが俺達がこんなことを言っても、なんとなくあの方は「まあまあ落ち着け」で済ませてしまいそうなんだよな……。
我々の中にある、領民への屈託については、いずれあの方にも話そうと思う。だが今はただ、少しでもお心が晴れるようにと、それを優先したかった。
「何か盛り上がっているな?」
「ええ。……料理長の作ったパンがなかなかの美味です。食べませんか?」
「食べる」
―――待て、閣下。何故そこで俺のパンを齧るんだ。
いや確かに、「食べませんか」と言った瞬間に俺のパンを軽く振ったから勘違いをさせてしまったのかもしれないがそれにしても。
「ん、本当だ! チーズを練って一緒に焼いているんだな。ハムも美味い!」
騎士達の目が痛いんだが。
ニコラ殿の視線は泳ぎ、ラウル殿は俺への同情を浮かべ、ミラは赤面している。
……気にしないでおこう。
だいぶサッパリとした様子で美味しそうにもぐもぐするお顔が、かなり可愛らしいしな。
俺はパンの残りを食べ始めた。その段階に至って自分のやったことに気付いたのか、彼は徐々に赤くなる。口付けをしたくなるから、そういうお顔は後にしてください。
自分の心を支配してやまない主君に、俺はつい笑ってしまった。
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