77 / 170
幸福の轍を描く
75. 薔薇と悪魔
しおりを挟む色とりどりの薔薇の前で、無邪気にはしゃぐ声が聞こえる。はしたないですよと注意する声さえ楽しそうに弾んでいた。
……シンプルに。俺はどうしたいのか。
俺はアレッシオの笑顔を奪いたくない。
これを選択することで、ひょっとしたらいつか、守ろうとしたそれを俺自身がまた奪ってしまうことになるかもしれない。
問題の先送りだ。
でもここで俺が逃げたら、未来だなんだと語る以前に、現在のアレッシオを酷く傷付けてしまう結果になる。
俺はワゴンに歩み寄った。またお喋りの声がシンと消えた。俺は誰の顔も見ないようにした。誰かの視線や反応が視界に入ったら、くじけて動けなくなりそうだったから。
見なくてもわかる。この周辺の人々の目が、意識が、すべて俺に集中している。俺が何をしようとしているのか、一挙手一投足に注目している。何を命じずとも少し離れた場所で待ってくれている、対の衣装の男にも気付いているだろう。
同じ花でもこれほど色の種類があるんだな。
俺は最も自分に近いと感じる色をすぐに見つけた。他の花弁から浮き上がって見える、まざりけのない緋色。おまえを俺の色に染めてくれるわと言わんばかりの。
「これを」
「はっ……」
指で示した一輪をスタッフが抜き取り、手早く茎を適度な長さに切った。棘はない。装着するための金具は要るかと尋ねられ、首を横に振った。女性の多様な衣装ならともかく、自分の服には不要だとわかっている。
沈黙が痛くて耳鳴りがしそうだ。スタッフの顔すらまともに見られず、それを受け取ると一呼吸おいて、先ほどから俺を待ってくれている男の元へ行った。
周囲の息を呑む気配から意識を逸らし、変に足を止めず、ほんの数歩の距離を縮める。
視線だけは相変わらず斜めに逃げたまま、無言で薔薇を差し出した。
―――ああ、やってしまった。
いくつもの目が集中する中で、堂々と。
もう後戻りはできない。
茎を持つ俺の右手が、両手で包み込まれた。
どきりとして、反射的に顔を上げてしまった。
そこに笑みはなかった。でも無表情でもない。怒ってもいないし不機嫌でもない、何とも形容する言葉の見つからない表情があった。
切ない、というのが近いだろうか?
彼はやんわりと薔薇を掬い取り、どこか厳かな空気さえ漂わせながら、その花弁に口づけを……
どさり。
「きゃっ!?」
「えっ?」
物体の落ちる音と女性の悲鳴―――うおっ? なんかご婦人が倒れてるぞ!?
一瞬俺が倒れそうになってたわ、危ない危ない。じゃなくて、その人大丈夫?
即座に男女両方のスタッフが駆け寄った。
お恥ずかしいですわ、少々お衣装をきつくしてしまったみたいですの―――とお連れ様の女性がしきりに詫びている。
ウエストを細く見せようとして締め過ぎる女性っているよね。この国に拷問具みたいなコルセットはないけど、よその国にはあるみたいだし。窒息しても骨を歪めても細く見せたいって執念がすごいよね……早く介抱してあげて。
スタッフさんとお連れさん達が倒れた女性を運んでいくのを見送ると、小さくクスリと笑うのが聞こえた。
アレッシオだ。苦笑している。うん、今ので緊張感やら厳かな空気やらがパーンとどっかへ飛んでっちゃったな。
助かったようなそうでないような、複雑な気持ちだ。
彼は薔薇を大切そうに持ち直し、上着の左の襟にある穴へ丁寧に刺した。
そして俺に向き直り、今度は仮面越しでも喜びが百パーセント伝わる笑顔になった。取り澄ました執事の笑みではなく、大切に愛しむ相手への、甘い甘い微笑み―――……
どさっ。
「きゃっ!?」
「……」
なんか、今度はあっちのご令嬢が倒れたぞ。その娘大丈夫?
お手間をかけて申し訳ないことね、少々朝から貧血気味で、楽しみだから絶対に来たいとこの子ったら無理をして―――と母親らしきご婦人がスタッフに詫びている。
貧血か。女性は多いって聞くしな。大変そうだな。早く介抱してあげて。
「……参りましょうか」
「ん」
あの女性達の魂を刈り取った奴が目の前に立っている気がするし、早くこの場をトンズラするに限る。
頷くと、彼はまた俺の横に来て、壊れ物を扱うみたいに腕を背に回してきた。
うあぁ……やばい、衣装越しなのに相手のたくましさが何となくわかっちゃうこの体勢、ときめきなんて生易しいもんじゃなく心臓が過重労働だ。しかも薔薇がすごく似合ってて居たたまれないよ……顔がめちゃくちゃ熱い……。
あ、あの女性倒れそうだ。早くあっち行こう。
すみませんね、すぐに連れて行きますんで。お騒がせしました。
■ ■ ■
開き直りの境地には程遠かったけれど、アレッシオのエスコートが上手いせいか、俺は転ぶことなく待ち合わせの場所まで到達できた。
一度つまづいて転びそうになったけどね。すかさず腰を支えてくれたから転倒は免れたよ。その代わりに気絶しそうになったよ。もはや風前の灯と化したポーカーフェイスを再召喚して、ここまで乗り切ったさ。
今日は俺達より早く待ち合わせのテーブルに着いている面々がいた。
ヴィオレット兄妹の一行だ。
「おめでとう」
おはようもその格好は何事だもなく、開口一番、ルドヴィクの口から出たのがそれ。
それから次々と、「とっても似合うわ」「やあ、とうとうだね」「おめでとう」と笑顔で声をかけられる。それはもう普通に。そして何故アレッシオが平然とお礼を言っているのだろうか。
あの……ひょっとして、皆さんにも、バレバレ、でした……?
俺、今日一日だけで、何度気が遠くなりかけているんだろう?
さほど間を置かず、ラウルが現われ。
ニコラとミラが現われ。
イレーネ、ジルベルト、シルヴィア、乳母が集まり。
「すごいですね、このお二人。目立ち具合が半端ありませんよ。注目され過ぎて仕事の話はちょっとしにくいな」
「いやラウルくん、ここで仕事の話はやめよう、さすがに」
「うわ~……若様はともかく、アレッシオさんもすごいな……」
皆はアレッシオの衣装がめちゃくちゃ似合っていて、いつもと雰囲気が全然違うのを驚いているけれど、お揃いの事実自体には驚いていない。
シルヴィアは俺とアレッシオの顔を見比べ、俺の金細工の薔薇とアレッシオの緋色の薔薇を見比べた。
「シシィ。これはね、しー、なんだよ」
「ん、ジル兄さま。しー、なのね」
完全理解された!?
俺はがっくりとテーブルに突っ伏した。
「オルフェ兄さま、どうしたの!?」
「……なんでもない、シシィ。兄様は少し、どこに穴を掘って埋まろうかなと悩んでいるだけさ……」
―――おいこら、誰だ噴き出しやがった奴。複数聞こえたぞ! アレッシオ、おまえもだ!
最後に到着したのはエルメリンダだった。
「おまえ……」
「えへ♪」
いや、えへ、じゃなくてね。
「……アルジェント殿?」
「はい、若君」
「あー、ごめんロッソくん、当日まで内緒と言われてて……」
アルジェント兄とアルジェント弟が両方答えた。
エルメリンダと一緒に現われたのは、《秘密基地》の門番―――ジェレミア=アルジェント殿だ。
あの館の譲渡と一緒に、彼を手配してくれたのは公爵閣下だった。フェランドが絶対に突破できない門番として派遣されたのもあるだろうけれど、俺の監視の意味も強いんだろうなと思っていた。
それが、うちのメイドとお揃い衣装で登場ときた。
すまなそうに自白したのはアレッシオだ。
「私が彼を若君の使用人枠で申請しました。公爵閣下からの要請で、内密にとの指示もありましたので……」
それは俺がおまえに手続き全部任せたんだし、この門番さんは信用できる人だからいいけど。知らない間に、これ以外でも何かいろいろやっていそうだよな、おまえ……。
それにしても、『公爵からの』要請か。
エルメリンダが監視の青年をこっちへ取り込むために距離を縮めたのか。
監視兼門番が、俺の動向を掴みやすくするために専属メイドに近付いたのか。
……メイドの衣装の背中には、可愛い蝙蝠の羽根がピロリンとついている。
お互いの理解はどうやらバッチリのようだ。幸せになれ。
4,442
お気に入りに追加
7,698
あなたにおすすめの小説
大好きな彼氏に大食いだって隠してたらなんだかんだでち●ち●食べさせられた話
なだゆ
BL
世話焼きおせっかい×大食いテンパリスト
R-18要素はフェラ、イラマチオのみ。
長くスランプの中ひねり出したものなので暖かい目で読んでもらえると助かります。
愛されすぎて、溢れ出ちゃう
tomoe97
BL
★特殊性癖(小スカ)詰め込み小説です。
苦手な方はカムバック推奨。
大体おしっこ我慢して漏らしてます。(故意有)
主人公は、山奥にある全寮制の中高一貫男子校で生徒会長を勤める男前。
彼は『抱かれたい男』として生徒から人気を博しているが、ストレス解消の為に自室でわざとおもらしをする趣味を抱えていた。
それは、過去に受けた虐めが少なからず関係していて…。
王道(ではないかもしれない)転校生✖️男前会長です。
王道学園設定は、全くないと言っても過言ではありません。雰囲気と要素だけ王道学園?
攻の方が線の細い美青年、受の方が体格の良い男前設定。
全編R-18描写予定。
アホアホエロお漏らし物。中身はありません。
権田剛専用肉便器ファイル
かば
BL
権田剛のノンケ狩りの話
人物紹介
権田剛(30)
ゴリラ顔でごっつい身体付き。高校から大学卒業まで柔道をやっていた。得意技、寝技、絞め技……。仕事は闇の仕事をしている、893にも繋がりがあり、男も女も拉致監禁を請け負っている。
趣味は、売り専ボーイをレイプしては楽しんでいたが、ある日ノンケの武田晃に欲望を抑えきれずレイプしたのがきっかけでノンケを調教するのに快感になってから、ノンケ狩りをするようになった。
ある日、モデルの垣田篤史をレイプしたことがきっかけでモデル事務所の社長、山本秀樹を肉便器にし、所属モデル達に手をつけていく……売り専ボーイ育成モデル事務所の話に続く
武田晃
高校2年生、高校競泳界の期待の星だったが……権田に肉便器にされてから成績が落ちていった……、尻タブに権田剛専用肉便器1号と入墨を入れられた。
速水勇人
高校2年生、高校サッカーで活躍しており、プロチームからもスカウトがいくつかきている。
肉便器2号
池田悟(25)
プロの入墨師で権田の依頼で肉便器にさせられた少年達の尻タブに権田剛専用肉便器◯号と入墨をいれた、権田剛のプレイ仲間。
権田に依頼して池田悟が手に入れたかった幼馴染、萩原浩一を肉便器にする。権田はその弟、萩原人志を肉便器にした。
萩原人志
高校2年生、フェギアかいのプリンスで有名なイケメン、甘いマスクで女性ファンが多い。
肉便器3号
萩原浩一(25)
池田悟の幼馴染で弟と一緒に池田悟専用肉便器1号とされた。
垣田篤史
高校2年生
速水勇人の幼馴染で、読者モデルで人気のモデル、権田の脅しに怯えて、権田に差し出された…。肉便器4号
黒澤竜也
垣田篤史と同じモデル事務所に所属、篤史と飲みに行ったところに権田に感づかれて調教される……。肉便器ではなく、客をとる商品とされた。商品No.1
山本秀樹(25)
篤史、竜也のモデル事務所の社長兼モデル。
権田と池田の毒牙にかかり、池田悟の肉便器2号となる。
香川恋
高校2年生
香川愛の双子の兄、女好きで弟と女の子を引っ掛けては弟とやりまくっていた、根からの女好きだが、権田はの一方的なアナル責で開花される……。商品No.2
香川愛
高校2年生
双子の兄同様、権田はの一方的なアナル責で開花される……。商品No.3
佐々木勇斗
高校2年生
権田によって商品に調教された直後に客をとる優秀商品No.4
橘悠生
高校2年生
権田によってアナルを開発されて初貫通をオークションで売られた商品No.5
モデル達の調教話は「売り専ボーイ育成モデル事務所」をぜひ読んでみてください。
基本、鬼畜でエロオンリーです。
【連作ホラー】幻影回忌 ーTrilogy of GHOSTー
至堂文斗
ホラー
――其れは、人類の進化のため。
歴史の裏で暗躍する組織が、再び降霊術の物語を呼び覚ます。
魂魄の操作。悍ましき禁忌の実験は、崇高な目的の下に数多の犠牲を生み出し。
決して止まることなく、次なる生贄を求め続ける。
さあ、再び【魂魄】の物語を始めましょう。
たった一つの、望まれた終焉に向けて。
来場者の皆様、長らくお待たせいたしました。
これより幻影三部作、開幕いたします――。
【幻影綺館】
「ねえ、”まぼろしさん”って知ってる?」
鈴音町の外れに佇む、黒影館。そこに幽霊が出るという噂を聞きつけた鈴音学園ミステリ研究部の部長、安藤蘭は、メンバーを募り探検に向かおうと企画する。
その企画に巻き込まれる形で、彼女を含め七人が館に集まった。
疑いつつも、心のどこかで”まぼろしさん”の存在を願うメンバーに、悲劇は降りかからんとしていた――。
【幻影鏡界】
「――一角荘へ行ってみますか?」
黒影館で起きた凄惨な事件は、桜井令士や生き残った者たちに、大きな傷を残した。そしてレイジには、大切な目的も生まれた。
そんな事件より数週間後、束の間の平穏が終わりを告げる。鈴音学園の廊下にある掲示板に貼り出されていたポスター。
それは、かつてGHOSTによって悲劇がもたらされた因縁の地、鏡ヶ原への招待状だった。
【幻影回忌】
「私は、今度こそ創造主になってみせよう」
黒影館と鏡ヶ原、二つの場所で繰り広げられた凄惨な事件。
その黒幕である****は、恐ろしい計画を実行に移そうとしていた。
ゴーレム計画と名付けられたそれは、世界のルールをも蹂躙するものに相違なかった。
事件の生き残りである桜井令士と蒼木時雨は、***の父親に連れられ、***の過去を知らされる。
そして、悲劇の連鎖を断つために、最後の戦いに挑む決意を固めるのだった。
憧れの剣士とセフレになったけど俺は本気で恋してます!
藤間背骨
BL
若い傭兵・クエルチアは、凄腕の傭兵・ディヒトバイと戦って負け、その強さに憧れた。
クエルチアは戦場から姿を消したディヒトバイを探し続け、数年後に見つけた彼は闘技場の剣闘士になっていた。
初めてディヒトバイの素顔を見たクエルチアは一目惚れし、彼と戦うために剣闘士になる。
そして、勢いで体を重ねてしまう。
それ以来戦いのあとはディヒトバイと寝ることになったが、自分の気持ちを伝えるのが怖くて体だけの関係を続けていた。
このままでいいのかと悩むクエルチアは護衛の依頼を持ちかけられる。これを機にクエルチアは勇気を出してディヒトバイと想いを伝えようとするが――。
※2人の関係ではありませんが、近親相姦描写が含まれるため苦手な方はご注意ください。
※年下わんこ攻め×人生に疲れたおじさん受け
※毎日更新・午後8時投稿・全32話
モブに転生したはずが、推しに熱烈に愛されています
奈織
BL
腐男子だった僕は、大好きだったBLゲームの世界に転生した。
生まれ変わったのは『王子ルートの悪役令嬢の取り巻き、の婚約者』
ゲームでは名前すら登場しない、明らかなモブである。
顔も地味な僕が主人公たちに関わることはないだろうと思ってたのに、なぜか推しだった公爵子息から熱烈に愛されてしまって…?
自分は地味モブだと思い込んでる上品お色気お兄さん(攻)×クーデレで隠れМな武闘派後輩(受)のお話。
※エロは後半です
※ムーンライトノベルにも掲載しています
兄がいるので悪役令嬢にはなりません〜苦労人外交官は鉄壁シスコンガードを突破したい〜
藤也いらいち
恋愛
無能王子の婚約者のラクシフォリア伯爵家令嬢、シャーロット。王子は典型的な無能ムーブの果てにシャーロットにあるはずのない罪を並べ立て婚約破棄を迫る。
__婚約破棄、大歓迎だ。
そこへ、視線で人手も殺せそうな眼をしながらも満面の笑顔のシャーロットの兄が王子を迎え撃った!
勝負は一瞬!王子は場外へ!
シスコン兄と無自覚ブラコン妹。
そして、シャーロットに思いを寄せつつ兄に邪魔をされ続ける外交官。妹が好きすぎる侯爵令嬢や商家の才女。
周りを巻き込み、巻き込まれ、果たして、彼らは恋愛と家族愛の違いを理解することができるのか!?
短編 兄がいるので悪役令嬢にはなりません を大幅加筆と修正して連載しています
カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる