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幸福の轍を描く
67. みんなで仲良く嫌がらせ返し
しおりを挟む七月初旬。
日本よりも湿気が少なく、温暖化も遥か遠いこの国では、多少気温が上がっても不快指数はあまり上がらない。
不快感は少ないからといって、夕方のまだ暑い時間帯に熱い紅茶を飲みたくはない。ここにクーラーはないのだから。
アレッシオが差し出したグラスには、輪切りのレモンが浮かんでいる。氷室で冷やしたレモネードだ。
酸味が強いけれど、この季節だと美味しく感じた。
この場にいるのはアレッシオとラウルのみ。
エルメリンダは《秘密基地》への連絡係としておつかい中だ。基本的にあちらで仕事をしてくれているニコラとミラの様子見とお喋り目的なんだが、ただのお喋りでもお宝をサラッと拾ってくるメイドなので、多少のんびりしてきても構わないと許可をしてある。
「とうとう若様の門限、解除されませんでしたね」
「意地になって引っ込みがつかなくなったのだろうな、あれは」
俺がニヤリと嗤ってやると、ラウルも同じような嗤いを返してきた。
アレッシオも多分、お上品な執事スマイルの下で嗤っている。
授業が終わったら即座に帰宅の準備に取りかからなければ守れない門限は、同じクラスの女子にさえ「わたくしの家より厳しいですわ…!?」とビックリされた。
休日の外出禁止まではされなかったからそこはいいとして、平日の夕方すべてが制限されるのは少々きつかった。
なんかフェランドの奴に嫌がらせ返しできないもんかな、と頭をひねる俺に、ニコラが遠慮がちに一言。
『門限を守った上で、若様のクラスの方をお勉強会に招待するのはダメなんでしょうか?』
採用。
いやいやニコラくん、遠慮がちじゃなくていいって!
それやろう。
で、さっそく教室で休み時間の時に、クラス全員に伝えてみた。フェランドの嫌がらせで俺の門限がド厳しい、だから奴をおちょくってやりたいと歯に衣着せずお願いしてみたよ。
貴族らしい芝居がかった感じではなく、俺の素で行ったほうが効果ありますよってカルネ殿が言うからその通りにしてみたら、クラス全員が釣れた。
いやみんな、ノリがいいね!
一番最初にノってきたのが、ヴィオレット兄妹の迷信を吹っ飛ばした控えめな男子生徒なのは意外だった。でも彼が実は俺らの学年唯一の侯爵令息で、身分ではヴィオレット兄妹の次に位置する上位者なのだった。
性格的に目立つのが好きじゃないだけで、面白そうなことは好きらしい。
クラス全員、うちの平日勉強会にご招待決定。門限の厳しいお嬢さんも、遊び歩くのがダメなだけでちゃんとした勉強会ならみんな参加OKだった。うん、うちの異常さが際立つねえ。
ちなみに入学時点から、クラスメイトが全然変わっていない。俺のクラスの下位貴族の子は、相変わらず突き抜けて成績がいいし、上位貴族の子も身分にあぐらをかかない勤勉なタイプばかりだった。つまり全員が名実ともに学年のトップクラスである。
馬車を出せる家に何人か乗り合わせて、みんなでロッソ邸にGO。一応、午前中には報せを入れていたからおもてなし準備は万端だった。
決してこれはパーティーではない。全員分のフレッシュジュースと、焼き菓子と、育ち盛りの男子用に料理長自慢の軽食もあるけれど、パーティーじゃないよ。
この数年は全然使っていない広間に、ほどよい大きさのテーブルが何台か運び込まれ、みんなでお勉強会の開始。
これがまた楽しくて有意義だった。内容は学園の授業だけじゃなく、貴族の子弟としての情報交換や、誰かが何かしら詳しい分野を持っていて、この機会に教え合ったりもした。
『……これは何の騒ぎだろうか?』
そこに帰宅したフェランド。俺がちゃんと帰宅時間を守っているかだけチェックしに戻ったな。
何って、ご覧の通りお勉強会ですが?
ほら、皆さんのテーブルの上にあるのは教科書や専門書にノートばっかりでしょ。
遊んでませんよ? パーティーじゃありませんよ?
お勉強会ですが、何か?
『…………』
奴はヴィオレット兄妹に挨拶をし、他の生徒達にも「家の人が心配しないよう早めにお帰りなさい(さっさと帰れ)」を遠回しに伝え、またどこかへ出かけて行った。
俺達はみんな鈍いから、カッコの声なんて聞こえなかったよ。
それぞれの家で何も言われない程度にゆっくり、それでいて活気に溢れた勉強会を続けた。
『ごきげんよう、また明日教室でお会いしましょうね』
『楽しかったですわ』
『おやつもとっても美味しかったです!』
『すごく有意義だったよ。是非また呼んでもらいたいな』
はっはっはもちろんだとも、定期的に開催するから是非来てくれたまえ!
満面の笑顔でクラスメイト達を見送り、彼らもほくほくの笑顔で帰っていった。
あれ以来、ロッソ邸では定期的にお勉強会が行われている。
俺達の学年における成績最上位クラスにして、公爵家と侯爵家と伯爵家の子が勢揃いのお勉強会だ。「大人の見ていないところで子供が何をやっているかわかったものではない」などと言えるものなら言ってみたまえ、はーっはっはっは!
「クラスメイトと交流を深められた上に勉強に集中できたし、別の文字の書き方もすっかり慣れたから、これはこれで良かったと考えるさ」
「それですけど、ぶったまげましたよ。二重筆跡なんてよくやりますね」
そうそう、勉強会の時に使っていた筆跡は本来のと違うんだよね。クラスメイト達には言っていない。
敏い子が裏事情を想像して、気まずくなるだけならまだしも「そこまでやんの? この子んちに来るのヤベえんじゃ?」ってビビられたら困るからさ。
「備えあれば憂いなしだ」
「限度がありますよ。若様の頭の中がどうなっているのか、ほんと見てみたいです」
俺の頭の中?
アレッシオの袖まくりにときめいてガン見する変態がいるから、見ないほうがいいんじゃないかな。
最近じゃアレッシオも心得たもんでさ、わざわざ袖まくりが必要になる作業を俺の前でやってくれるんだよね。ほんとよくできた執事。
「旦那様が内心で歯噛みしていそうなところを想像すると実に愉快ですが、ご不便であることに変わりはございませんでしょう。しかしそれも、お誕生日までの辛抱ですね」
『誕生日』のところで、アレッシオの視線がちらりとよこされた。
ドキリとしてつい目を伏せてしまった。……おかしく思われなかっただろうか。
……延期していなければ、『その日』にアレッシオと、その……していたんだなと、思うと。ついな……。
子猫をいじって気を散らそうと思ったら、先手を打って「暑いのヤダ!」と家具の隙間に逃げられてしまった。切ない。
「若様の本格活動はそこからとして、とりあえず報告始めていいですか?」
「あ、うむ。頼む」
「ロッソ領における店舗拡大は一旦終了し、今後は備蓄用の倉庫や集会所の建設、浴布の生産工房などを優先します。それから、商会の人員追加と習熟度の向上に予算を多めに割り振る予定です」
嵐の多発する王国西部にいた人員もどんどん回してくれるというので、実に心強い。
加えて商会のおかげで、これまでロッソ領にはなかった新たな輸送網が構築された。物をすみやかに遠方に運ぶという、あちらの世界では当たり前にあった仕組みが、こちらではまだ未熟なのだ。
大量輸送の時代はまだ遥か先だけれど、ロッソ領に限定すれば、商会の拠点を利用した輸送がだいぶ早く正確になっている。
今は領内に限定した郵便事業も形になり始めているので、これが軌道に乗ったらモデルケースとして国全体に拡大する提案をしてもいいかもしれない。
というわけでラウルくん、今のうちからいろんな種類の封筒を作れるようにしておこうか。きっと売り時が来るよ。
「ほんと若様の頭の中どうなってんですか」
「私も少々、見てみたいですね……」
やめて! 見ないで!
アレッシオに見られたら俺、終わっちゃうから!!
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