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ヒロインの転落

49. 影も形もないルート

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 噂をすればヒロインの影。俺達が震えあがっていた頃、まさにローズピンクのご令嬢の襲来があったらしい。
 建物の出入口前で粘ろうとしていたのを、学園のメイドさんが追い返してくれたそうだ。

「災難でしたわね、皆様」
「僕ら、たまたまそこにいたんだよ」

 次の休み時間にクラスメイトが詳細を教えてくれた。
 ちょうど彼らがサロンを出た直後、渡り廊下でくだんの令嬢とすれ違い、気になって振り返れば、果たして彼女は警備員に通せんぼをされていた。

『お願いです。お話をしたい方がいるので、サロンに入りたいんです』
『なりません。お戻りください』
『……なら、出ていらっしゃるのを待ちます』

 言葉通り、令嬢はその場で待ち始めた。
 これは非常識な迷惑行為だった。サロンの利用者は高位貴族ばかり。ちゃんとした用があるのなら、言伝ことづてもしくは取次ぎを頼めばいい。たいして用もないのにそこで待つのを一人に許したら、ほかの生徒までやり始める。

 中年のメイドが対応を代わり、令嬢に『話をしたい方』の名前を尋ねた。いかにも手ごわそうなメイドの登場に怯みつつ、取り次いでもらえると勘違いをしたのか、彼女は迷わずルドヴィク、ラウル、そしてニコラの名前を挙げた。俺やルドヴィカや従者トリオの名は出なかった。

『ご一緒にランチをと思ったけれど、いつも食堂にお姿がないから。ほかの方に聞いたら、こちらでお食事をされていると聞いたんです』

 メイドは、もちろんその娘が要注意人物と知っていた。別の生徒に用事がある可能性もゼロではないから、念のために確認をしただけだ。
 取次ぎは不可、出入口前で待たれるのは他の方々の迷惑なのでお引き取りを……と重ねて言えば、泣きそうな顔で訴えてきた。

『そんな……どうしても会いたいんです。入れないのは我慢しますから、どうか待たせてください』

 ここのメイドは多くの生徒の対応をしてきた、百戦錬磨のプロだ。彼女らにとって、見目の良いご令嬢の泣き落としなど珍しくもない。
 何より、学園の禁止事項を個人の感情で歪めるなど言語道断だ。それを相手に要求しておきながら、断られて被害者づらをする厚かましさ。サロンに入れないことを『我慢』と表現するのも意味不明。メイドの瞳は氷点下になった。

『お引き取りを。足が動かないと仰るのであれば、学園長室まで従僕に運ばせましょう。いかがなさいますか』



 メイドさん、強い。拍手を送っていいだろうか。
 強いだけじゃなく、そのメイドさんは子爵夫人だったそうな。身分でも余裕の勝利である。
 その後、学園長指令でローザ男爵令嬢のマナーの授業がとことん厳しくなり、さらに一時間延長して、彼女のためだけの放課後特別授業が設けられた。
 先生方、お疲れ様です。徒労感ハンパないでしょうね……。

 しかし二周目なんだから、もっと向上していてもよさそうなのに、全然そうでもないのはなんでだろう。
 ゲームでどうだったか思い返してみて、合点がいった。ハーレムルートのヒロインが聖女に認定されるのは卒業式の直後。その前日、いつも厳しかった先生がヒロインにこんな言葉をかけるんだ。

『まだまだですが、入学時から比べてとても良くなりました。あなたがきちんと努力してきたことを先生はよく知っていますよ。これからも怠けずに自己研鑽を続けてください。きっと素晴らしい貴婦人になれるでしょう』

 ウルウル感動のシーンなんだけど、要するにこういうことだ。

『ダメダメだった入学時点に比べて良くなりました。怠けずに続ければ素晴らしい貴婦人になれるでしょう(注:続けなければなれません)』

 一番大事なカッコの部分が伝わってなかったんだね……。
 この学園は、物心つく頃から専門の教師に習い、入学時点で基礎がほぼ身についている猛者がたくさんかよっている。日常生活イコール訓練なのだ。スタートラインも生活環境もはなから違う以上、差を縮めて高みを目指したいならその後の努力と、そして環境も重要。

 現実のアンジェラ=ローザは、卒業の数ヶ月前に子供時代へ巻き戻った。
 巻き戻って以降、彼女のマナーの教師は母親だけ。学園の教師とは比ぶべくもないが、そこでまじめな姿を見せればまた異なる展開もあったろうに、ラウルから聞いた母親のぼやき具合からして、「もうできるもの」となおざりにしてきたのではないか。

 体格に応じたバランスの取り方、全体の見え方なんかも調整すべきだったろうに、多分それもやっていない。おそらく腕力やリーチの違いのせいで、マシになっていたはずの「がっしゃーん」も完全復活している。
 なのに危機感もなくのびのびと四年経ち、案の定、さまざまなスキルまでリセットされている自覚のない田舎令嬢が入学してきましたとさ。

 学園長やローザ男爵の胃と頭皮が心配になる今日この頃だが、申し訳ない。俺は愉快だ。
 だって俺、なんにも手ぇ出していないのに、あっちが勝手にコロコロ転がり落ちてくれてるんだぜ?
 もう前回の記憶も『攻略本』の知識も、いくら駆使しようが再攻略は不可能だっていうのに。

 現状、どれほどシナリオが崩壊しているかをまとめてみると……


 ●ジルベルト→天使。母も妹も超元気。付け入る心の隙間などない。天使。

 ●ニコラ→自信がついて有能な側近が目標に変わり、勉強時間も確保されて学年主席に。官吏登用試験はもう受ける気がなく、もちろん教員になる予定もなし。

 ●ラウル→猫が行方不明(さがしてください)。ゲームではクラスメイトに嫌がらせをされていたが、現在はゼロ。今の高等部一年は初等部の新入生と比べ精神的に未熟な者が少ないのと、なんだかんだでルドヴィクによる統制が取れているためと思われる。

 ●ルドヴィク→迷信が迷信と知れ渡り、それについては誰も怖がらなくなった。夕食の席でその日の出来事を楽しそうに話す息子と娘の姿に、子煩悩の公爵から俺へ感謝の手紙が届いた。便箋には涙の痕跡があった……。

 ●アレッシオ→俺の執事。


 いやぁ、コレもう無理でしょ。
 ラウルが同じクラスにいない時点で、何がどうなっているのか調べてはみたはずだ。そこで慎重にならず、まるで「会えばどうとでもなる」という勢いでしつこく接触しようとしたのがいけない。

 もうヒロインじゃないのにね。いつになったら気付くかな?
 会えばどうにかできる頼みの綱は、とっくに消えているってのに。

 放課後はいつものメンバーで《秘密基地》に寄り、ヒロインちゃんについて今後の方針を固めた。
 ロッソ伯爵令息への接近禁止令は、既に学園長からローザ男爵を通じて娘に言い渡されている。だから俺はヒロインちゃんを徹底的に避け、声をかけられても完全無視する。非は令嬢にあり、これで俺を非難する者などない。

 しかし公爵閣下はホントいい家をくれたな。学園とロッソ邸のほぼ直線上にあって、ちょっと行けば貴族街がある。利便性が高いし、皆の家もここからそんなに遠くはない。
 ジャッロ殿のみ領住まいで、解散と同時に学園へ戻ることになるが、彼が寮住まいなのは家の教育方針であり、経済力には何ら問題ないそうだ。
 十六歳になればこの館をアレッシオに譲る約束をしたけれど、その後も俺の仕事場・兼・皆で集まる場所として使っていいと言ってくれている。

 その他情報交換などもして、俺は気分よく帰宅。
 子猫に恒例の土産話をしたら爆笑して喜んでくれた。膝の上で子猫が腹を抱えてころころころ……。

「……あ~、うけた」
「それはよかった。私も目が潤った」
「んで、今後どうすんの?」
「私は彼女に妨害も助言も何もしないよ。相手にしないし話しかけないし近付きもしない。皆と決めた通りさ」
「あきらめるかにゃー?」
「いや、きっと彼女はあきらめないだろう。明日からも頑張ってくれると信じている」
「みゅっふふふふ♪ 続報ぷりーず!」
「任せたまえ」

 ご機嫌な子猫がふにゃふにゃになるまでマッサージをして、夕食と入浴を済ませ、予習復習と試験対策と情報整理その他をひととおり済ませると、就寝の時間になった。若返ったせいか時間の感覚が長くなり、ほんの数時間がものすごく活用できている気がする。
 リミットまでの年数も確実に減っているのに、何故か今はとても充実して、以前より生きている感覚が強いのは不思議だった。

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