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反撃の準備
14. 神ならぬ身では折れないフラグ
しおりを挟む「あなた様のご成長には、目を瞠らずにいられません。どのようなご心境の変化があったのですか?」
俺の変貌を数値で目の当たりにしてきた家庭教師の先生が、遠慮がちに訊いてきた。
彼は四~五年前、俺の学業態度の悪さを報告したきり、フェランドとは一度も顔を合わせていないそうだ。各教科の成績表は執事のブルーノに提出され、ブルーノがフェランドに渡すのだが、奴は目を通しもせずさっさと片付けているらしい。
折れ線グラフにしたらカキーンと良い音が鳴りそうな事実を、ブルーノは口にしなかった。
それでいいと思う。ブルーノがクビにされたら困るし、まだこれは秘密にしておきたい。
「ん……継母上とジルが思いやってくれて、ようやく息がつけたからかな……」
ほんの少し顔の角度を調節して微笑んでみせた。『オルフェオ』は幻の攻略対象なだけあって、三下っぽい金切り声を上げてなけりゃ、薄幸の美少年路線が案外いけるんだよ。
「先生にお願いしたいのですが、私が学園に入学するまで、もし父上にお会いすることがあっても、私をあまり褒めないよう気を付けてください。できれば先生には、今後ジルのことも教えてあげて欲しいのです」
「……わかりました。気を付けましょう」
高位貴族の闇あるあるが一気に浮かんだのか、先生はすごく同情的になってくれた。
成績のからくりはあれだ。当方、お子様の皮を被った中身アラサーでして。教科の中には『俺』の知識を流用できるやつがあったし、それ以外は受験生時代の語呂合わせや暗記法が大変お役立ちだった。
お子様の記憶力って素晴らしいぞ? 脳みそがほんと柔軟。
幻の攻略対象っていう裏設定も、多分俺の基本スペックに生きている。
お勉強って楽しいなあ(ドヤってみる)。……いいじゃん、どうせハタチまでの天下なんだから。
―――近頃、フェランドを見る使用人の瞳の中に、かつて俺が馴染んでいた色が混ざるようになった。
恐怖。得体の知れない何かを見る目。
誰もが大きく変化している中、フェランドだけが変わらない。
奴の中で、俺はいまだに出来損ないの我が儘坊やで固定されている。奴が使用人を思いやる言動も、単なるポーズに過ぎなかったと皆にバレた。
『オルフェオ』に負けず劣らず、奴は下々の言葉なんてこれっぽっちも気にかけちゃいない。だから俺を精神的に追い込むための行動を変えず、俺と周りがとっくに変化してしまっている事実を察せられないでいる。
中間結果は上々。心残りは―――未だブルーノに、彼の息子のことを訊けていない。
寿命の問題があるから今回も結婚予定はないけれど、それはそれ、これはこれ。
頼めば会わせてもらえそうだとしても、どうなるかわかんなくて怖いんだよな。できれば欲しい人材なんだけど……。
少なくともチートキャラの敵対だけは避けられたんだし、それで満足しとくしかないか。
■ ■ ■
ずっと理想化していた『素晴らしいお父様』は、ただの幻想に過ぎなかった。
ならばあの男は本当に、世間の評判通りの『ご立派な領主様』なのか?
領内で密かに行われていたとされる、違法な薬物の原料となる植物の栽培や密売。俺がやっていないとすれば、誰が、いつからそれを始めた?
ガリ勉お坊ちゃまにジョブチェンジした俺に、ブルーノがロッソ領の資料を見せてくれるようになった。
それを読み進めるにつれ、自分に着せられた濡れ衣の形が徐々に見えてきた。
「どいつもこいつも、買い被ってくれたものだ。私にこれは無理だろうよ……」
もし俺が本当にそんな事業を始めるとすれば、財務の関係者を仲間に引き入れ、人目につかない土地を確保し、育てる人員を確保し、侵入者や作業員の逃亡を防ぐ用心棒も確保し、どんなに最速でスムーズに事が進んでも準備段階だけで数年はかかる。
販売ルートや顧客も確保しなければ商売にはならない。その場合、新たに開拓するより既存のルートを利用したほうが手っ取り早いだろう。俺に伝手はないから、それを持つ誰かを共犯にする必要がある。
あのな。俺にこれが可能だったって?
フェランドが病に倒れ、ハリボテ領主を始めたのは十七歳の夏。
投獄されたのは翌年、十八歳の春。命が尽きたのは、おおよそ半年後ぐらい。後半は意識が朦朧としていたけれど、誕生日は来ていなかったように思う。
俺のハリボテ領主期間は、わずかもわずか。
この俺が、そんな短期間で、そんな大事業を成功に導けるわけがなかろう?
何年も前から着手していたとするなら、その時俺はいくつなんだ。天才か俺。
そんな才覚があれば、あんなに腐るかってんだ。
「長男の不始末の責任を取り、家督を優秀な次男に譲って、子爵領に移り住んだ……」
地図を片手にロッソ家の収入源を学び直したら、笑いそうになった。
そうかそうか、あれはそういうことだったか。やっぱりな、あの野郎がそんな殊勝な人間なのか疑わしかったんだよ。
ロッソ家が豊かなのは、領内で良質の宝石が採れるからだった。
そのうち、最大の採掘場が、例の子爵領にある。
『あなたがいなくとも、この愚弟がちゃんと領地を立て直しますので、どうかご安心を』
つまりあいつは、体よく押し付けられたわけだ。
義兄の不始末を。傾ききった領地の立て直しを。
大勢の民の生活を元に戻すために身を粉にして働くのはジルベルトの責務になり、フェランドは悠々とそれを逃れ、豊かな子爵領に引っ込んだ。
療養の名目でしばらく住んでいた別邸が本邸になるぐらいで、奴の生活はたいして変わらなかったろう。
そういうことだった。
頭の中でフェランドの脳天に五寸釘をぶっ刺しながら資料を閉じれば、窓を叩く音がした。
飾り格子に嵌め込んだガラスに、外側から水滴が散っている。
雨だ。
「…………」
そういえば。
嵐が来るんだよな。
俺がいかに悪党かを語るためだけに用意された事件のひとつ。
……それって、どんなものだ?
ジルベルトが十六歳の年の、『夏の名残が色濃く残る季節』。
残暑。
発達した熱帯低気圧。
海上で発達したそれは上陸直後からどんどん弱まり、後半はスピードを上げて駆け抜けてゆく。
だいたい似たような進路を通るのに、たまに変な進路を取ることがあるんだよな。強い勢力を保ったまま備えの乏しい地域を直撃した日には、被害がえらいことに―――いや、まさか。
「まさか」
慌てて王国の地図を広げた。
アルティスタ王国は国土の南が海に面し、国土は横長で、右側が少し上に傾いている。
北寄りの中央に王都があり、ロッソ伯爵領は王都から見て東。
ロッソの南に豊かな田園地帯を挟み、さらに南は王族の直轄領だ。港があり、気候は年じゅう穏やかで、貿易や漁業で栄えている。
王都を含めた東側では嵐が少ない。
逆に西側、海寄りの地域は特に、季節になるとたびたび猛烈な嵐に見舞われているそうだ。
―――台風フラグなんて、神にでもならなきゃ折れやしないじゃないか!
どうすんだよ。この世界、それをちゃんと研究する学問はないんだぞ。
空模様に一喜一憂するのは農民か船乗りぐらいで、自分の生活や仕事に直接関わりがなければ気にしない人が大多数だ。
天災は人の身で読み通すことなどできず、来たらとにかく耐えるしかない。
去った後で被害状況を確認し、順次手を入れる。
すべて領主の裁量によって行われ、その土地だけで完結し、国への報告はすれど、他領には共有されない。近隣の領地が気にするのは、食糧不足が自領にまで波及しないか、難民が流れ込んで来ないかどうかだけだ。
うちの領はどうだ?
……領主側にも、民の側にも、いざそれが降りかかった時のノウハウは、おそらくない。
飛躍し過ぎだろうか。
でも、これが当たりだったとしたら。
「青い猫型の何かを召喚して、上陸前に消してもらうしかない」
いや、あの猫型の何か自身はそんな道具を持っていないんだったか? 彼の生まれた時代にそんな技術があるという話だったかな?
結論。ムリ。来るものは来る。どうしようもない。
前回は、その後の対処がまずくて被害が拡大した。だから今回俺がやるべきは、その逆を考えておくことだ。
この世界がもしゲーム世界であれば、PCを召喚してムリゲーをスキップできる機能を追加してやるのに……!
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