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【006】大丈夫ですよ

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 白銀の勇者バレンシアは綺麗に手入れされた庭園を歩いている。今、彼と「白銀」を結びつけるものは何も無い。この庭園に武装や帯剣して入れるのは王族と、極一握りの親衛騎士だけである。

 だから今のバレンシアは私服であった。奮発して出来るだけ上等の服を仕立てたこともあり、若干服に着せられている感がある。トレドには「お人形だなあ」と笑われた。

 バレンシアはゆっくりと歩きながら、無意識に頭髪を弄る。くせ毛などついていないだろうか? 二ヶ月ぶりの再会を前にどうやら緊張しているらしい。

 今から会うのは西の王国、王位継承権第一位である王女ディアナ殿下である。

 緊張? そう、緊張だ。彼女に嫌われやしないだろうか。出来るだけ好かれたい。そういう感情が渦巻いている。きっとそれはバレンシアだけが抱く感情ではない。あの王女の前では、きっと誰でもそうなる——

「バレンシア!」

 まだ遠く花壇の向こうから、少し舌っ足らずな歓声が上がる。ふわりとドレスの裾を翻して、花壇の上を跳躍する少女の姿。それは花に負けぬ可憐さと可愛らしさを振りまきながら、バレンシアの胸へと飛び込んだ。

 バレンシアの首にぐるりと腕を回すと、その足はぶらりと宙に浮く。彼女の背丈は、バレンシアの半分ほどなのだ。バレンシアはその小さな体躯を優しく受け止める。それはまるで美しい人形を抱えている様にも見える。

 この少女こそがディアナ王女であった。御年六歳である。

「少しお転婆が過ぎるのではありませんか、王女殿下」
「あらバレンシア。あたしが言ったことをもう忘れたの?」

 ディアナは、少女特有のぷにぶにの頬を膨らまして不満を示す。バレンシアは動揺する。

「し、しかし私は未だ平民の身。その様な呼び方をするのは憚られます」
「あら勇者様はお堅いのね。あたし知っているのよ。今城下では、身分や性別の差を乗り越えて愛し合うお話しが流行っているのよ」
「いったい誰がそんなことを」
「侍女がね、いろんな本を買ってきてくれるのよ」
「そ、そうですか……」

 身分はともかく、性別はどうなんだ。些か倒錯的だろう。バレンシアは近くで控えている侍女たちを睨んだが、全員が明後日の方向に視線を逸らした。こいつら……。

 ディアナは足をぷらぷらさせたまま、じっとバレンシアを見つめている。ルビーの様な綺麗な瞳。待っている。彼女はバレンシアの言葉を待っている。

 バレンシアは観念した。こほんと咳払いをし、そっとディアナの耳元に唇を近づけて、そっと囁く。

「お久しぶりです。我が最愛の君よ」
「……お帰りなさい。私の勇者様」

 囁かれたディアナは耳元まで真っ赤になって、でも無邪気な笑顔を浮かべた。バレンシアがディアナを下ろすと、彼女は彼の手を引いて歩き始めた。

 奧にはこの時の為に用意した紅茶と焼き菓子が用意してある。これから一時間ばかり。それは二人にとって安らぎの一時の始まりであった。


 —— ※ —— ※ ——


 バレンシアが西の王国で勇者として活動を始めたのは三年前である。丁度「赤竜の魔王」の活動が一番活発だった頃でもある。王城にも幾度と攻め入られている。

 当時、西の王国で活動する勇者は三人ほどいたのだが、程なくしてバレンシア一人となった。一人は死亡。もう一人は恐らく死んではいない——気がついたら姿を消していた。たぶん逃げたのだろう。人々はそう囁いたものだ。

 だから、残って活動するバレンシアに対する見方も、そう良いものではなかった。彼は若い、他の勇者の様にすぐに逃げ出すだろう。

 しかしバレンシアは逃げなかった。仲間を集め、地道に魔物退治を続けた。魔王の活動は徐々に下火になっていき、それと反比例する様にバレンシアの勇名は増していった。

 そして一年前。国王に認められ、白銀の鎧を賜ったことで「白銀の勇者」と呼ばれる様になった。今では、魔王討伐が成った——恐らくそうなるだろう——その暁には、王女ディアナと結婚し王族の一員になるであろうと、そう噂されている。





 王族が勇者をその血族に取り込もうとするのには幾つか理由があるが、勇者——闘気と魔法を同時に扱う能力——が、個人に発現する希少な能力であるという点は大きい。

 勇者の能力はその子孫に発現する確率が高いとの伝承もある。だから有能な勇者が現れれば、それを婿又は嫁として迎えて、一族の血に取り込もうとするのだ。

 しかしそうはいっても、容易く王族に外部の血を迎え入れることは出来ない。王族とは、主神から与えられた神聖なる権利と義務の象徴である。その正統性は常に主神に対して、また民衆に対して示し続ける必要がある。

 だから王族が勇者をその血族に迎え入れる時には「誓約」を立てることが多い。



『見事、魔王を斃した者には望む報酬と、そして我が息子/娘を与えることを約する』



 つまり魔王討伐は、王族の末席に加わるに足る偉業であると宣言するのだ。結果に対して報酬を約束する。それはかつて王族の祖が、主神から王権神授した経緯と同じであり、だから万人を納得させられる。

 そうすることでようやく、物語に語られるような「魔王を斃した勇者は王女と結ばれ、国王となって王国を末永く幸せに統治しました。めでたしめでたし」となるのだ。


 —— ※ —— ※ ——


 執務室では、国王が種類の束に埋もれていた。国王はまだ若い。ようやく三十歳を迎えたばかりである。威厳を出す為に口髭を伸ばしているが、王妃に「似合わない」と笑われている。正直傷ついたが、凹んでいる暇も無い。

 書類に次々と目を通り、決裁していく。決裁された書類はそばに控えた秘書たちが仕分け、各部署へと運んでいく。だから秘書たちが往来しやすい様に、執務室のドアは常に開けたままである。

 そのドアを形だけノックして、侍従長が入室する。綺麗な白髪を後ろで纏めている。国王のおしめを取り替えたことのある、そういう人物だ。侍従長は秘書たちの間を擦り抜け、そっと国王の席の横に立つ。

 国王は書類に目を落としたまま話しかける。

「ディアナはどうしている? あの我が儘娘め。あの男と会わせなければ不倫してやるとぬかしおった。誰だ、そんな言葉を教えたのは?」
「ディアナ様は勇者殿とご歓談中です。大層ご機嫌のご様子。ちなみにその言葉をお教えになられたのはお妃様ですよ」

 国王はめっちゃ渋い顔をした。

「まあいい……勇者のこと、お前はどう見る?」
「先日もお聞きになられましたな」
「娘の夫になるかも知れない人物だ。普通何度だって聞くだろう?」
「良き御仁です。誠実で優しい。まさに勇者という名にふさわしいご性格かと思います」
「褒めるところが無いからって、そう言ってないよな?」
「私、女性ではありませんので」

 決裁した書類を秘書に手渡しし、そして国王は改めて侍従長と向き合った。国王の鋭い視線が侍従長に突き刺さる。

「腕前はどうだ? 少しは成長したか?」
「はい。少なくとも我が国において、彼より強い者はそうはいないでしょう。ただ……」
「ただ? なんだ?」
「先日討伐した南の森の魔竜、あれは「自分が斃したものではない」と言われておりました」
「そうなのか? じゃあ誰が斃したんだ?」
「調査させてますが、今のところは。バレンシア殿によれば、恐らく別の勇者がいるのではないかと……」
「ふむ」

 国王はふむと考え込んだ。ころりとペンを机に投げ出す。ちょっと不満顔だ。

「すこし馬鹿正直だな。自分の手柄にしてしまうぐらいの器用さは欲しいな」
「バレンシア殿のことでしょうか?」
「そうだ。王族に加わるのであれば、多少は腹芸も出来ないとな」
「しかしその実直さであれば、不倫はしないでしょう」
「無論だ。ディアナの様な可愛い娘を娶って不倫する様なヤツは、そもそも人間ではない」
「そのご様子ですと、決心はついたのですね」
「……そうだな」

 国王は大きく溜息をついた。百点満点が欲しいが、及第点の八十点で我慢してやる。そんな表情だ。

「北の谷の魔竜の征伐が完了したら「誓約」を出す。魔王討伐した者にディアナをくれてやる」
「それで、よろしいのですか?」
「我が王家は勇者の血が薄い。今回も身内に勇者は出なかった。「次」に備えて、出来る手は打っておかないとな。子孫たちが苦労するだろう?」

 国王は苦笑する。国王の苦労した側だ。先代国王——父は戦士だったが、勇者では無かった。五年前に「赤竜の魔王」と戦って戦死している。父が勇者であれば、もしかしたらそこで魔王は討伐出来ていたのかも知れない。そうすれば——

 国王は頭を振った。かもしれないを考えるのは職業病ともいえたが、昔のことで頭を悩ましても仕方が無い。今を、その先を見なくては。

「オレも国王じゃなく勇者だったらなあ。もっと気楽な人生だったのに」
「そうでしょうか? 勇者殿も勇者殿で、大変だとは思いますが」
「勇者は身体が擦り切れるが、国王は心が擦り切れる。オレは意外と脳筋なんだよ」
「それは残念でしたな」
「それに勇者であればディアナに愛される。ああ、オレもディアナにだけ愛される人生を送ってみたかった……」
「それは……残念でしたな」

 侍従長が退室しようとするところを、国王が今一度呼び止めた。

「そういえば、冒険者組合に話は通っているんだろうな?」
「はい。腕利きの冒険者に心当たりがあるそうです」
「バレンシアには魔王を斃してもらう。秘密は厳守だぞ、大丈夫か?」
「誠実で優しい御仁だそうです。不誠実な真似はしないでしょう」
「……女の褒め言葉じゃないよな?」
「大丈夫ですよ」

 侍従長は冒険者組合のカウンターに座る、ふくよかな女性を思い浮かべながら、ニッコリと微笑んだ。

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