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【005】だからわたしは知りたいのよ

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 ——今でも夢に見ることがある。

『……どうして、迎えに来て下さらなかったのですか?』

 涙を流しながら縋り付いてくる、純白のドレスを着た美女。白雪の様に透き徹った肌、腰まで伸びた綺麗な金髪、そして碧い瞳。姫という言葉の理想像が姿を現した様な——それが王女セレティアだった。

『……私はずっと、待っていたのに。待つことしか出来なかったのに』

 王女の足には枷が嵌められている。それは太い鎖で、彼女の後ろの方に続いている。セレティアを抱き留めたセレドが、その鎖の先を見つめる。

 鎖の果てには、何か異様なものがあった。赤黒い、岩でも海でも空でも無い何か。分からない。目を凝らして見ても、その姿は判然としない。

 でも。

 それを見つめるセレドの心は、ざわついた。これはなんだろう? 分からない。心の中がざらついている。初めての感情だった。だから「その時」のセレドには分からなかったが、年を経た今なら分かる。

 それは重しであり、恐怖だったのだ。

 だからセレドは逃げ出したのだ。地を這い、名を捨て、無様に遁走した。

 ——それはきっと、セレドにとって初めての敗北だった。


 —— ※ —— ※ ——


 朝日が差し込んできて、セレドはようやく目を覚ました。セレドはベッドで寝ていた。見慣れた天井だ。冒険者組合の宿屋の一室、定宿にしている部屋だ。

「いてて」

 顔が痛い。まだ眠気が残る頭で記憶を探る。あの少女、シエラに殴られたところまでは残っている。どうやらそのまま気絶した様だ。部屋まで運んでくれたのはマルシーか?

 シエラの顔を思い浮かべたところで、夢の内容を思い出す。ああ、くそ。最近は見なくなっていたのに。

 シエラとセレティアの顔は、瓜二つだった。ということは、恐らくは彼女の娘ということか。そうだな、あれから二十年。誰かと結婚し、子をもうけて、しかもその子が成人していてもおかしくない。むしろ当然といえる。

 だけどなあ。改めて突きつけられると凹む。セレドはうなだれる。逃げ出したのは自分だが、彼女が別の男と結婚して子をもうけたという事実に嫉妬を感じるなんて。そんな自分がイヤだ。あー、イヤだイヤだ。こんな枯れた中年にも、独占欲というものが残っているらしい。

「あー、やめやめ」

 セレドは脳裏からそれらの雑念を振り払った。今更考えてもしょうがないことだ。こういう時は身体を動かして忘れるに限る。今日も何か依頼を受けて仕事をしよう。

 そうやって起き上がろうとしたセレドの手に、何か生暖かい感触が伝わった。人の肌だ。そしてセレドがいかに中年でウブでも、男の乳と女の乳を間違えるはずも無い。それがどんなに慎ましいものであったとしてもだ。

「ん……うんん」

 ゆっくりとそれは目を開けた。碧い瞳。シエラだった。同じベットの上に、セレドの隣に、シエラが寝ていたのだ。同衾していたともいう。

「なっななななッ?!」
「ん……あれ? 何もされて、いない……?」

 ウブな乙女の様に動揺するセレドと、寝ぼけ眼で周囲を見回すシエラ。シエラは全裸だった。いや、腰から下は毛布に隠れていて見えないが、恐らく全裸だ。セレドはベッドの上から転げ落ちる様にして、部屋の隅まで逃げた。たぶん反応が逆である。

「ど、どうしてここにいるんだよ?!」
「……いや、その方が話が早いかなと思って」
「なんの?!」

 シエラも目が覚めた。自らの全身を確かめてから、はああと深い溜息をつく。

「あんた、本当にチキン野郎なのね。ここまでお膳立てして手を出さないなんて」
「いやいや。昨日殴られた相手が、朝全裸で横で寝ていたら、普通怖くて手を出さないと思うんだが」
「えー。男は、女と違って我慢出来ない瞬間がある生き物だって言ってたけど?」
「だれよ、そんなこと教えたの?!」
「ワシだ」

 そういってドアを開けて登場したのはビスケーだった。セレドの表情に「あー」という文字が浮かぶ。お前か、お前の入れ知恵か。

 シエラは相変わらず全裸のままで、ビスケーに不平を漏らす。

「言われた通りにしたけど、ダメだったじゃん。本当に男ってそこまで即物的なの?」
「うむむ。セレドはこれでも元勇者。その強靱な意志で性欲を封じ込めたのか。これは誤算だったわ。単にチキンなだけとも言うが」
「そうね、チキンよね」
「紳士に振る舞ったのに、酷い言われようだね……」

 傷ついたセレドは放置して、ビスケーはシエラに視線を向ける。

「それと、全裸なのが不味かったのかもしれん」
「え、なんで? 男って、女の裸が見たいもんじゃないの?」
「それはそうだが、東方にはチラリズムという言葉があると聞く。つまり、制約を課すことにより、効果を高める術だな」
「なるほど……下着は着ていた方が良かったのかな?」

 真剣な表情でシエラが床に脱ぎ捨てた下着を見つめる。そしてその視線はそのまま部屋の隅で震えているセレドに向けられる。

「な、何かな? それよりもいい加減服を着ろ、服を!」
「まあいいわ。作戦変更」
「は?」

 シエラがセレドの方に向かって跳躍した。

「過程はどうあれ、やってしまえば同じことよ!」
「お前それでも王女かッ!」

 セレドは飛び掛かってきたシエラをすんでの所で躱し、部屋の外へと遁走した。シエラの舌打ちが背後から聞こえてくる。さすがに全裸で部屋の外まで追ってくる程、羞恥心は捨てていない様だった。


 —— ※ —— ※ ——


「あんた、あの娘に襲われたんだって?」
「……この組合にプライバシーってものはないんですかね……」

 朝食を済ませてから冒険者組合の事務所に行くと、マルシーがゆっさゆっさと身体を揺らしながら聞いてきた。笑っているのだ。どこから聞きつけたのか、今朝の騒動をもう知っているらしい。

「あんたがそこまでのチキン野郎だとは思わなかったね。だから覇気が無いって言われるんだよ」
「ご婦人なら、そこは紳士だったと褒めるべきところでは?」
「まあ思い人の娘じゃ、仕方が無いか」

 マルシーに苦虫を噛み締めた様な表情でそう言われると、セレドは黙るしか無かった。そこに複雑な思いがあるのは事実だ。セレティアの顔を同じ顔を持った女性。思わず抱き締めたいという感情がなかったといえば嘘になるし、しかしセレティアの娘という事実にそういう感情が霧散したのもまた事実……。

「で、結婚するの?」
「しないよ」

 それは即答だった。先程の朝食のテーブルでもシエラにははっきりとそう告げた。めちゃくちゃ機嫌悪くしていたが。

「でもさ、誓約となるとあの子も諦めないんじゃないのかね」
「でも今更じゃない? 二十年も放置していた誓約だよ。王女がシエラでも良いという理屈なら、勇者だって別にオレである必要はないだろ?」
「で、本心は?」
「まさか今更北方王国に戻れってのか。どの面下げて? 勘弁してくれ」

 セレドは天井を仰いだ。北方王国の人間だって、二十年前に逃げ出した元勇者が戻ってきたところで困るだけだろう。

 家族で仲良くやってたら、昔に家出した長男が中年になってひょっこり帰ってくる——その後の家族団らんは地獄だろうな。長男だって無神経でなければやっていられない。セレドは人並みの羞恥心は持っていると自負している。そんな団らんには耐えられない。

 セレドはカウンターに肘をつき、とんとんと指で叩く。渋い顔で考えを巡らせる。

「大体あの子だって、本心でこんな中年と結婚したいなんて思っていないだろ」
「どうだろうね? あたしにゃ真剣に見えたけど」
「それは誓約があるからだろ? ……誓約さえどうにか出来れば、あの子だってこんなおっさんにかまう必要がなくなる訳だよ。あの子だってその方が嬉しいんじゃないのか?」
「そう思うんなら、本人に聞いてみればいいじゃないか」
「……」
「はあ。だからチキン野郎だって言われるんだよ」

 マルシーはばんと、カウンターの上に書類を叩きつけた。冒険者への依頼書だ。近くの村からの魔物討伐依頼。この手の依頼は最近多い。理由は簡単だ。近日中に行われると噂されてる魔王討伐の為に、守備兵力を前線に送っているからだ。

 セレドは心の中で思う。どうやら西の国の国王は、白銀の勇者に全ベットする腹を括ったらしい。まあ妥当だな。彼ならば上手くやるだろう。魔王討伐も、そしてその後のことも——。セレドは苦笑いを浮かべた。


 —— ※ —— ※ ——


 事務所のカウンターでマルシーと話し込むセレドを見つめる瞳がある。

 金髪の少女、シエラである。

 彼女は老齢の魔術師ビスケーと共に、酒場の席で待っている。フードはしていない。昨日と違い肌も汚していない。じっとセレドの背中を見つめつつ、ちょいちょいと短い金髪の毛先を整える。本当は香油でも馴染ませたいところだが、ここは王宮では無いので諦めた。

 ——まあ、そんなところまで「彼」が見ているとは……思えない。それはそれで腹が立つのではあるが。

「ねえビスケー」
「何かな、シエラ嬢」
「あいつって、どんなヤツ?」

 シエラとビスケーは出会ってまだ一日経っていないが、意気投合して酒を飲み交わした仲である。しかもシエラが誓約と結婚のことを告げると、ビスケーは喜んで協力すると申し出た。今朝の作戦はビスケーの案である。

 今もビスケーはニコニコとしていて、シエラに協力的だ。

「端的にいえば、誠実で優しい男だな」
「それって、褒めるところが無いって意味?」
「ははは、手厳しい。まあ女性が男性をそう評する時は、そういう意味だな」
「男同士だと違うの?」
「そうだな。誠実な男とは一生の友になりえる。その程度には評価が高い」
「ふーん……」
「シエラ嬢は、本当にセレドと結婚する気なのかな?」
「勿論よ。言ったでしょ? 王族の誓約舐めんなって」
「しかし、王族であれば政略結婚は世の常とは言え、全く会ったことのない人物と結婚するのに抵抗はないのかな?」
「——会ったことが無いって気がしないのよね」

 シエラは据えた目で、じっとセレドの背中を見続けている。

「母さまからは、子供の頃から勇者の話は聞いていたわ。それこそ暗記できるぐらいにね。だから正直、初めて会った気はしないわ」
「お母上は、セレドのことを何と言っていたのかな?」
「誠実で優しい勇者様」
「……それは、褒めることが無いと?」
「それが正真正銘の褒め言葉なのよね、これが」

 少し困った顔で、シエラは溜息をついた。

「だからわたしは知りたいのよ」
「何をかな?」
「そんな誠実で優しい勇者様が——何で母さまを裏切って、逃げたのか。その理由を」
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