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2章 王子とペット

5.落とされた肉

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 食堂に入ってきた第3王子ブレーズは明らかにラシャとレオンを目の敵にしていた。
 上半身をほとんど晒すような魔族仕様の服装なので、鋼のような褐色の筋肉が上半身を覆っているのが見て取れる。
 ブレーズはいつもの定位置に座らず、レオンのそばに立った。

「ラシャの奴隷人間」

 不遜な態度でレオンを上から下まで睨め付ける。
 ブレーズの青い短髪は気性の荒さを表すようにかき上げられ、青い目は冷たい色をしていた。
 ラシャはそんな目つきで不遜な態度を取るブレーズに危険なものを感じた。

「……兄上、これは奴隷ではなくペットです」
「ハン! 情けないやつだな! 魔族の相手に飽きて、次は人間を相手にするというわけか!」
「ブレーズ兄上……。貴方は俺を貶めたくて呼び出したのですか? でも、最初に『お前には人間がお似合いだ』と言っていたのは兄上では?」

 偉そうなブレーズに向けて、ラシャも馬鹿にした言葉を返す。

「は?! あ? そんな……ことを言った覚えはない!」
「兄上は小さい脳みそなのか、よくお忘れになるようだ。兄上が覚えていなくても、俺は覚えていますよ。その兄上の言葉を聞いて、なるほどその手があったか! と人間のペットを探してきたんです。兄上の助言の中では、1番参考になりました」

 爆弾級の威力の嫌味になっただろうか。追い討ちにラシャはにっこり笑う。
 ブレーズは言葉が出ないようで、怒りでブルブル震えている。内心、これでラシャへ怒りが向けば良いと思っていた。
 だが、その鋭い怒りの目は再びレオンに向いた。

「おい! 奴隷!」
「……兄上」

 しつこい兄の言動にラシャは怒りを声に乗せた。
 また訂正しようとしたラシャの声を無視して、ブレーズは奴隷と繰り返した。

「奴隷のくせに主人と同じテーブルにつくとはどういうことだ! 奴隷は壁際にうずくまって餌を待て!」

 レオンとブレーズは同じくらいの体格だったが、ブレーズの腕力は並はずれている。その腕がレオンの襟首を掴む。
 ラシャが止める間もなく、片手で軽々とレオンを壁際へ投げた。

「ッ!…………グゥ!」

 とっさに壁に手をついて叩きつけられるのを防いだレオンだが、ブレーズのやり方には腹立たしさを覚えたのかキツく睨みつけた。
 同じようにラシャも、突然の暴行に激怒した。

「兄上!」
「馬鹿な主人は奴隷に舐められるぞ。見ろ、コイツの生意気な目を! 今にもお前が食い殺されそうだ。それを弟のために調教してやっているんじゃないか!」

 レオンの髪を掴んだ手が、レオンの頭を無理やり床に押し付ける。その目の前にステーキの肉が落とされた。
 べトリと肉と肉汁でカーペットが汚れる。
 レオンに触った手をはたいたブレーズは、蔑んだ目でレオンを見下ろす。

「ほらっ、これがお前の飯だ。そこで床に這いつくばって食うのが奴隷の作法だ!」

 ラシャはその光景をみて、頭に登っていた血が逆に冷えていくのを感じた。

(馬鹿な兄だと思っていたが、ここまで……俺を愚弄するとは)

 ラシャに蔑みが向けられるならまだ我慢しただろう。だが、今回はペットとして家に招いた『か弱い』人間に対する暴行と暴言だ。許せなかった。
 でも、許せないからといってラシャにはブレーズをねじ伏せる力はない。圧倒的に力では勝てないことが悔しい。
 それでも、ペットを守るのは主人の役目だ。

「兄上、いい加減にしてください。ペットを調教するのも可愛がるのも私の役目です。その権利は兄上にはありません」

 ラシャは冷静な声で諭したが、侮蔑と怒りで顔が歪むのは止められなかった。
 ラシャは手に握ったフォークを床のステーキに突き刺す。
 ゆっくり持ち上げたステーキをそのままブレーズの胸に突きつけた。
 ドロドロの肉汁に服を汚され驚いたブレーズがようやくレオンから視線を離し、ラシャの顔をみて息を止めた。

 普段どれだけいじめようが冷静に返す弟王子の逆鱗に触れたことに、ようやく兄王子は気づいたようだ。
 弟王子の獅子に似た金色の目が、かつてないほどギラギラと燃えていることに怯む。

「俺のペットをいじめるつもりなら、もうあなたの相手はしません。今まで馬鹿なことを大人しく聞いてあげていましたが、それもこれでおしまいです。もう顔も見たくありません」
「ラ、ラシャ……」

 ラシャはブレーズをそのまま置き去りにして、レオンを連れて食堂を出た。
 食堂の外に控えていた下男のラルゴに部屋に食事を運ぶよう言うと、一刻も早く忌々しいブレーズから離れたくて廊下を早足で歩いた。




 部屋に戻ったラシャはレオンをソファに座らせてギュッと抱きしめる。

「あんな辱めを受けさせて……ごめん。もっと早く止められれば良かった! 人間と魔族では力も違うのにあんな乱暴に……クソッ! あんな馬鹿とは思っていなかった」

 ラシャはレオンの体を確かめるために触る。頭、肩、背中と服をめくって見てみたが、幸いアザにもなっていなかった。

「壁にぶつかっただろう? 引っ張られた頭は痛くないか? 背中は痛くないか?」

 ラシャがレオンの顔を見て言うと、それまで床を睨んで憤りを見せていたレオンの顔が、ラシャと目があった途端、ふと緩んだ。
 ラシャの本気の心配が伝わったのか、自分の体を少し動かして、落ち着いた眼差しで首を振る。

 レオンは元奴隷だ。乱暴に扱われることも多かったのかもしれない。さっきもブレーズの暴行に対して素早く受け身をとっていた。だが、それでも腹は立つだろう。
 何より、家だと連れ帰った場所で暴行されたペットが主人に信頼を寄せられるだろうか。
 レオンの心情を思うと助けられなかった悲しみでいっぱいになる。

「あの馬鹿はいつも俺に突っかかってくるんだ。でも今まで俺に手を出したりはしなかったから適当にあしらっていたんだけど……」

 ラシャは思い出して再び怒りが湧いてきたようだ。そのラシャの金色の目が獅子のようにギラギラ光る。長く濃いまつ毛の下で輝きを増す瞳に、レオンは少し目を奪われていた。

「俺は母の血が濃く出て、魔族の中では力も肉体的にも弱い。だから舐められていつも馬鹿にされている。そんな姿をレオンに見せることになって……本当に情けないな。魔族は全体的に弱い者の扱いが雑になる。力の強い者ほど……。セバスチャンが言っていたように、レオンから目を離さないようにしないとダメだな」

 ラシャはレオンの柔らかく癖のある金髪の頭を優しく抱きしめた。
 大事に可愛がりたいと思ったペットを初日から怖がらせてしまった。その恐怖や怒りを消し去りたくて何度もレオンの頭を撫でた。
 レオンも落ち着いたのだろう。ラシャの胸に頭を預けながら、片手でそっと背を撫でてくれた。

 部屋の扉が開き、食事を乗せたワゴンを押して下男のラルゴが入ってきた。
 ペットに慰められている姿を見られて恥ずかしくなったが、マルゴはそんな主人には頓着せず、テーブルへ食事を準備する。

「ラシャ様、ペットの寝室を離れに準備しましょうか」
「いや、ペットとは一緒に寝る。初めての場所で一人寝では、寂しがると可哀想だ」

 そう言った途端、レオンが大いに文句があるのか顔をしかめて口をパクパクさせた。だが、これについてはこちらも譲る気はない。

 結局、夜は同じベッドでふわふわの金髪をいじりながら寝た。さらさらのふわふわの手触りでとても癒された。
 翌日起きると、レオンはいつの間にかソファに移動していて残念だったが。
 まだ信頼を得るには時間がかかるのかもしれない。




「面倒だけど、王と第2王子にも早めに会わせた方が良いな。ブレーズ兄上に輪をかけて弱い者への配慮のない人たちだ」

 そうラシャは思ったが、その機会は早々にきた。
 狩りで遠出していた父王達は翌日に帰還したのだ。
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